難経六一難
ank061
ゆっくり堂の『難経ポイント』第六十一難
※ 六一難のポイント其の一は、望診.聞診.問診.脉診についての説明が記述されています。
※ 六一難のポイント其の二は、
「難経」の特徴、六部定位の脉診と言うものが「難経」に於いて完成された事である
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※ 難経第六一難臨床&エトセトラより。
〔井上恵理先生の難経六十一難解説から〕
『「難経」の特徴、六部定位の脉診と言うものが「難経」に於いて完成された事である。』
六十一難では「寸口の脉」と、ちゃんと断っているんですね。
寸口の脉と言うのは、所謂人迎気口の脉でもなければ、
虚里の動の脉でもなく三部九候の脉でもない、
六部定位の脉だと言う事が言える訳です。
ここに『難経 』の特徴がある。
我々が今言う所の六部定位の脉診と言うものが「難経」に於いて完成されたと考えられているのは、
ここに出ている様に「其の寸口を診て」と言って、他の脉診の事は言っていないからです。
〔本間祥白先生の難経六十一難解説から〕
脉を切(たしか )にして診察すると言う方法は手の寸口部(六部定位)をたしかめて其の蔵府の虚実を察し、何れの蔵府が病んでいるかを診察することである。
難経は脉診を最も重要視し、巻頭一難から之をかかげている。
五臓六腑の脉位については十八難に於いて三部九候、今日の即ち六部定位が述べられ、
五難に於いて脉の軽重から三菽(しゅく)の重さで肺を見、六菽で心、九菽で牌、十二菽で牌、骨(十五菽 )で腎を見ると述べている。
脉状から蔵府の部を定めることは四難に心肺共に浮なり、浮にして大散は心、浮にして短濇は肺。
肝腎倶に沈なり、牢にして長は肝、之を按じて軟、指を挙れば来ること実は腎なり。
牌は中州の故に其の脉中(緩)にあり。
脉の虚実に就いては四十八難、三虚三実の項に「脉の虚実は軟なるものを虚となし。緊牢なるものを 実となす 」とある。比れによって五蔵の病位に於ける虚実により、其の蔵府の虚実を察するのである。
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難経 第六一難 原文
(『難経』原本は底本:『難経』江戸・多紀元胤著、『黄帝八十一難経疏証』(国立国会図書館所蔵139函65号)オリエント出版、難経古注集成5(1982年)に影印)を参考にしています。
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六十一難曰.
經言.
望而知之.謂之神.
聞而知之.謂之聖.
問而知之.謂之工.
切脉而知之.謂之巧.何謂也.
然.
望而知之者.望見其五色.以知其病.
聞而知之者.聞其五音.以別其病.
問而知之者.問其所欲五味.以知其病所起所在也.
切脉而知之者.診其寸口.視其虚實.以知其病在何藏府也.
經言.
以外知之.曰聖.
以内知之.曰神.此之謂也.
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六一難の訓読
(井上恵理先生の訓読・解説:経絡鍼療(472号)と本間祥白先生の解説、福島弘道先生の解説を参考にして、山口一誠の考察文にて構成しました。)
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六十一の難に日く、
経に言う、
望んで之を知る、之を神と謂う。
聞いて之を知る、之を聖と謂う。
問うて之を知る、之を工と謂う。
脉を切して之を知る、之を巧と謂うとは何の謂ぞや。
然るなり、
望みて之を知るとは其の五色を望み見て以って其の病を知るなり。
聞いて之を知るとは其の五音を聞いて以って其の病を別つなり。
問うて之を知るとは其の欲する所の五味を問うて、其の病の起る所、在る所を知るなり。
脉を切して之を知るとは、其の寸口を診して其の虚実を視て以って其の病を病むこと何れの蔵府に在ることを知るなり。
経に言う、
外を以って之を知るを聖と日い、
内を以って之を知るを神と日うは此れ之の謂なり。
・
詳しくは各先生の文献を参照されたし。
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六一難の解説
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六十一難の解説をします。
黄帝内経・霊枢・邪気蔵府病形篇や至真要大論から考察するに。
患者の顔色を望診して、其の病が死病であるか生きる病か、又、予後の良、不良を診断出来ることを神技であると言う。
患者の五声五音を聞き分けて、其の病情がどうであるかを診祭出来ることを聖と言う。
聖とは千変万化の状態にもよく通じそれを知ることのできる技術である。
患者の飲食物の好み欲する五味を問うて其の病の起る所以、病の所在を診察することを、工と言う。
工とは、たくみ、上手、器用と言う意味で優秀な技術を意味する。
脉を切(たしか)めて病の虚実をみ、どの経、どの蔵府に病があるかを診察する、之を巧と言う。
巧とはたくみ、上手、巧妙の意味で工と共に極めて優秀な技術を意味するものである。
以上の望神.聞聖.問工.切巧.についてもっと精しく説明しなさい。
お答えします。
望診とは主として病人の面に表れる五色(青、赤、黄、白、黒 )を見て、蔵府と相生相剋の関係から生死吉凶を知るのである。
顔面は最も病気の色を表す所であり、次に尺膚肘関節の内面部が表す故に此処で色を見るのである。
聞診と言うのは病人の発する五音(角徴宮商羽 )五声(呼笑歌突時 )を聞き分けて病状を察知することである。
問診とは、病人が好む食べ物を聞いて五味(酸苦甘辛鹹)を知り其の病気の起因する所、邪気の所在を察知するのが問診です。
脉診をして診断するには、六部定位の脉診法で行われる。
脉診に於いて経絡の虚実を察し、何れの蔵腑経絡が病んでいるかを診察するものである。
難経理論から考察すると。
外即ち、病人の外に表れた顔色や声音を望診、聞診して病気を察知する事を聖と言う。
内即ち、病人の内面的な表れである嗜好品、五味を問診したり、脉診にて表れる状態から病気を察知することを神と言うのである。
これが望聞問切の四診法の理である。
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詳しくは各先生の文献を参照されたし。
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六一難の詳細解説
(井上恵理先生の訓読・解説:経絡鍼療(472号)と本間祥白先生の訓読・解釈、福島弘道先生の訓読・解釈を参考にして、山口一誠の考察文にて構成しました。)詳しくは各先生の文献を参照されたし。
山口一誠の考察により原文・訓読・解説(解説補足)の順に文章を構成します。
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〔原文〕六十一難曰.
〔訓読〕六十一の難に曰く。
〔解説〕六十一難の解説をします。
〔原文〕經言.
〔訓読〕経に言う。
〔解説〕黄帝内経・霊枢・邪気蔵府病形篇や至真要大論から考察するに。
〔原文〕望而知之.謂之神.
〔訓読〕望んで之を知る、之を神と謂う。
〔解説〕
患者の顔色を望見して、其の病が死病であるか生きる病か、又、予後の良、不良を診断出来ることを神技であると言う。
〔原文〕聞而知之.謂之聖.
〔訓読〕聞いて之を知る、之を聖と謂う。
〔解説〕
患者の五声五音を聞き分けて、其の病情がどうであるかを診祭出来ることを聖と言う。
聖とは千変万化の状態にもよく通じそれを知ることのできる技術である。
〔原文〕問而知之.謂之工.
〔訓読〕問うて之を知る、之を工と謂う。
〔解説〕
患者の飲食物の好み欲する五味を問うて其の病の起る所以、病の所在を診察することを、工と言う。
工とは、たくみ、上手、器用と言う意味で優秀な技術を意味する。
〔原文〕切脉而知之.謂之巧.
〔訓読〕脉を切して之を知る、之を巧と謂う。
〔解説〕
脉を切(たしか)めて病の虚実をみ、どの経、どの蔵府に病があるかを診察する、之を巧と言う。
巧とはたくみ、上手、巧妙の意味で工と共に極めて優秀な技術を意味するものである。
〔解説補足〕
以上四診の技術は、大切な技であると解すべきである。
〔原文〕何謂也.
〔訓読〕何の謂ぞや。
〔解説〕以上の望神.聞聖.問工.切巧.についてもっと精しく説明しなさい。
〔原文〕然.
〔訓読〕然(しか)るなり。
〔解説〕お答えします。
〔原文〕望而知之者.望見其五色.以知其病.
〔訓読〕望みて之を知るとは其の五色を望み見て以って其の病を知るなり。
〔解説〕
望診とは主として病人の面に表れる五色(青、赤、黄、白、黒 )を見て、蔵府と相生相剋の関係から生死吉凶を知るのである。
顔面は最も病気の色を表す所であり、次に尺膚肘関節の内面部が表す故に此処で色を見るのである。
〔解説補足〕
経絡鍼灸 教科書「望診」を参照されたし。
http://yukkurido.jp/keiro/sisn/bou/
〔原文〕聞而知之者.聞其五音.以別其病.
〔訓読〕聞いて之を知るとは其の五音を聞いて以って其の病を別つなり。
〔解説〕
聞診と言うのは病人の発する五音(角徴宮商羽 )五声(呼笑歌突時 )を聞き分けて病状を察知することである。
〔解説補足〕
音と声が五行的に一致して居れば順当であり病がない。又、病んでいても予後が良である。
五音も其の性質が整っていればよいが其の音が乱れていれば其々の蔵に病があると診断される。
〔原文〕問而知之者.問其所欲五味.以知其病所起所在也.
〔訓読〕問うて之を知るとは其の欲する所の五味を問うて、其の病の起る所、在る所を知るなり。
〔解説〕
病人が好む食べ物を聞いて五味(酸苦甘辛鹹)を知り其の病気の起因する所、邪気の所在を察知するのが問診です。
〔解説補足〕
五味は適度に食すれば其々の主る所の蔵府を養うのである。酸は肝、苦は心、甘は脾、辛は肺、鹹は腎と、然し晴好をほしいま与にして過食過飲すれば却って其の蔵府を傷ることになる。
(参考文献:霊枢五味篇及難経本義大抄の解釈参照されたし )
〔原文〕切脉而知之者.診其寸口.視其虚實.以知其病在何藏府也.
〔訓読〕
脉を切して之を知るとは、其の寸口を診して其の虚実を視て以って其の病を病むこと何れの蔵府に在ることを知るなり。
〔解説〕
脉診をして診断するには、六部定位の脉診法で行われる。
脉診に於いて経絡の虚実を察し、何れの蔵腑経絡が病んでいるかを診察するものである。
〔井上恵理先生の難経六十一難解説から〕
『「難経」の特徴、六部定位の脉診と言うものが「難経」に於いて完成された事である。』
これは「寸口の脉」と、ちゃんと断っているんですね。
寸口の脉と一一日うのは、所謂人迎気口 の脉 でもなければ、虚里の動の肱 でもなく三部 九候の脉 でもない、六部定位の脉だと言う事が 言える訳です。 ここに『難経 』の特徴がある。
我々が今言う所の六部定位の脉診と言うものが「難経」に於いて完成されたと考えられているのは、 ここに出 ている様に「其の寸口を診て」と言って、他の脉診の事は言っていません。
そしてその虚するか実するかを診て、「以って其の病を病むこと何れの蔵府 」、この場合はこれを経絡と考えてもいいですね。
「何れの経絡にあることを知るなり」
と言っておりますから、寸口(六部定位)の脉によって初めて臓腑の識別が出来る。
〔本間祥白先生の難経六十一難解説から〕
脉を切(たしか )にして診察すると言う方法は手の寸口部(六部定位)をたしかめて其の蔵府の虚実を察し、何れの蔵府が病んでいるかを診察することである。
難経は脉診を最も重要視し、巻頭一難から之をかかげている。
五臓六腑の脉位については十八難に於いて三部九候、今日の即ち六部定位が述べられ、
五難に於いて脉の軽重から三菽(しゅく)の重さで肺を見、六菽で心、九菽で牌、十二菽で牌、骨(十五菽 )で腎を見ると述べている。
脉状から蔵府の部を定めることは四難に心肺共に浮なり、浮にして大散は心、浮にして短濇は肺。
肝腎倶に沈なり、牢にして長は肝、之を按じて軟、指を挙れば来ること実は腎なり。
牌は中州の故に其の脉中(緩)にあり。
脉の虚実に就いては四十八難、三虚三実の項に「脉の虚実は軟なるものを虚となし。緊牢なるものを 実となす 」とある。比れによって五蔵の病位に於ける虚実により、其の蔵府の虚実を察するのである。
〔解説補足〕
十八難のポイント其の一は、難経に於ける脉診の三部九候(六部定位)について説明しています。
こちらをリンクしてご覧ください。
http://yukkurido.jp/keiro/nankei/18nan/
五難のポイント其の一は、寸関尺を押さえる重さ・深さの比較です。
は、こちらをリンクしてご覧ください。
http://yukkurido.jp/keiro/nankei/5nan-2/
ゆっくり堂の『難経ポイント』四難は、こちらをリンクしてご覧ください。
http://yukkurido.jp/keiro/nankei/4nan/
ゆっくり堂の『難経ポイント』第四十八難は、こちらをリンクしてご覧ください。
http://yukkurido.jp/keiro/nankei/48nan/
〔原文〕經言.
〔訓読〕経に言う。
〔解説〕難経理論から考察すると。
〔原文〕以外知之.曰聖.以内知之.曰神.此之謂也.
〔訓読〕外を以って之を知るを聖と日い、内を以って之を知るを神と日うは此れ之の謂なり。
〔解説〕
外即ち、病人の外に表れた顔色や声音を望診、聞診して病気を察知する事を聖と言う。
内即ち、病人の内面的な表れである嗜好品、五味を問診したり、脉診にて表れる状態から病気を察知することを神と言うのである。
これが望聞問切の四診法の理である。
〔解説補足〕
此処で言う神も聖も技術的には上下の区別はなく、共に霊妙不思議な技術であると解すべきで前述の神聖工巧皆同じ位である。
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