十八難

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難経第十八難

     ank018

ゆっくり堂の『難経ポイント』  第十八難

※ 十八難のポイント其の一は、難経に於ける脉診の三部九候について説明しています。

※ 十八難のポイント其の二は、
やはり難経は臨床家が治療の実際から作り後世に残してくれた現代の鍼灸師へのプレゼントですね。
難経十八でもまた、脉証腹証一貫性の法則が展開されています。

※ 十八難のポイント其の三は、
現代の臨床にも役に立つ難経十八難、
右手寸口の手の太陰肺経を脉診して、結滞脉があれば、腹診でも、臍の右脇に「積氣」の塊があると。
また、
肺脈に結滞脉がなくても、右手寸口の脉が沈んで伏した脉状であれば、積の塊がある事があると。

この様になっていない時は、慎重に施術を進めなさいねと。
最近、来院された方で、その脉状が右手寸口に6ミリ経のゼンマイ様の脉状がある。
ご本人曰く「私は色々あるから、難しわよ、ゆっくりやってね。」とのこと・・・
大きな治療の宿題を頂いたところで、難経十八難がまた役立ちそうです。

 難経 第十八難 原文

(『難経』原本は底本:『難経』江戸・多紀元胤著、『黄帝八十一難経疏証』(国立国会図書館所蔵139函65号)オリエント出版、難経古注集成5(1982年)に影印)を参考にしています。

十八難曰.
脉有三部.部有四經.手有太陰陽明.足有太陽少陰.爲上下部.何謂也.
然.
手太陰陽明金也.足少陰太陽水也.金生水.水流下行.而不能上.故在下部也.
足厥陰少陽木也.生手太陽少陰火.火炎上行.而不能下.故爲上部.
手心主少陽火.生足太陰陽明土.土主中宮.故在中部也.
此皆五行子母.更相生養者也.
脉有三部九候.各何所主之.
然.
三部者.寸關尺也.
九候者.浮中沈也.
上部法天.主胸以上至頭之有疾也.
中部法人.主膈以下至齊之有疾也.
下部法地.主齊以下至足之有疾也.
審而刺之者也.
人病有沈滯久積聚.可切脉而知之耶.
然.
診在右脇有積氣.得肺脉結.脉結甚則積甚.結微則氣微.
診不得肺脉.而右脇有積氣者.何也.
然.
肺脉雖不見.右手脉當沈伏.
其外痼疾同法耶.將異也.
然.
結者.脉來去時一止無常數.名曰結也.
伏者.脉行筋下也.浮者.脉在肉上行也.
左右表裏.法皆如此.
假令脉結伏者.内無積聚.脉浮結者.外無痼疾.
有積聚.脉不結伏.有痼疾.脉不浮結.
爲脉不應病.病不應脉.是爲死病也.

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十八難の訓読

(井上恵理先生の訓読・解説:経絡鍼療(433号)と本間祥白先生の解説、福島弘道先生の解説を参考にして、山口一誠の考察文にて構成しました。)

十八の難に曰く。
脉に三部あり、部に四経あり、手に太陰陽明あり、足に太陽少陰あり、
上下の部となるは、何の謂いぞや。
然るなり。
手の太陰陽明は金なり、足の少陰太陽は水なり、
金は水を生ず、水の流は下行して、上ること能(あた)わず、故に下の部に在るなり。
足の厥陰少陽は木なり、手の太陽少陰は火を生ず、
火の炎は上行して、下ること能(あた)わず、故に上部となる。
手の心主、少陽の火は、足の太陰陽明の土を生ず、
土は中宮を主る、故に中部に在り。
此れ皆五行子母、更々(かわるがわる)相生養(あいしょうよう)するものなり。
脉に三部九候あり、各々何れが之を主る。
然るなり。
三部は、寸関尺なり、九候は、浮中沈なり。
上部は天に法(のっと)り、胸以上頭に至っての疾(しつ)あることを主るなり。
中部は人に法(のっと)り、膈以下齊に至っての疾(しつ)あることを主るなり。
下部は地に法(のっと)り、齊以下至足至るまでの疾(しつ)あることを主るなり。
審(つまびら)かにして之を刺すものなり。
人の病い沈滯久しくして積聚(しゃくじゅう)することあり、脉を切して之を知るべきや。
然るなり。
診するに右脇に在って積氣あるは、肺脉の結を得(うる)、
脉結甚(はなは)だしいときは積も甚しく、結微なるときは気も微なり。
診して肺脉を得ずして、而(しか)も右脇に積氣あるものは何ぞや。
然るなり。
肺脉に見(あらわ)れずと雖(いえど)も、右手の脉当に沈伏すべし。
其の外の痼疾も法を同じゅうするや、將(はた)に異なるや。
然るなり。
結は、脉の去来の時に一止して常に數なきを、名(なず)けて結り曰うなり。
伏は脉、筋の下を行くなり、浮は脉、肉上に在って行くなり、
左右表裏の法(のっと)り、皆同じ。
假令(たとえ)ば、
脉結伏するものは、内に積聚(しゃくじゅう)無なく、
脉浮結するものは、外に痼疾無なく、
積聚あって、脉結伏せず、痼疾あって、脉浮結せず、
脉病に応ぜず、病脉に応ぜず、是を死病となす。

詳しくは各先生の文献を参照されたし。

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十八難の解説

(井上恵理先生の解説:経絡鍼療(433号)と本間祥白先生の解釈、福島弘道先生の解釈を参考にして、山口一誠の考察文にて構成しました。)

十八難の解説をします。

脉には心関尺の三部があり、その心関尺部には陰陽の二経があり、両手で四経になると、

右手寸口には、手の太陰肺経と陽明大腸経があり、左手尺中には、足の少陰腎経と太陽膀胱経があるが、この上下の関係について説明しなさい。

お答えします。

右手寸口の手の太陰肺経と陽明大腸経は五行論では金に属し、
左手尺中の足の少陰腎経と太陽膀胱経は水に属している。
また、五行論では「金は水を生ず」相生の母子(上下)関係になり、
寸口・関上・尺中を上下の関係からみると、上が寸口・真ん中が関上・下が尺中になり、
水は下方向に流れるものであり、決して上に流れる事はないから、
水に属している足の少陰腎経と太陽膀胱経は下部の尺中に位置するのである。

左手関上の足の厥陰肝経と少陽胆経は五行論では木に属し、
左手寸口の手の太陽小腸経と少陰心経は火に属している。
また、五行論では木生火の相生関係になり、
火炎は炎上してするものであり、決して下には向かわないから、
火に属している手の太陽小腸経と少陰心経は上部の寸口に位置するのである。

関上の脉に脾土経を位置させる理由は、
君火である心の臓に代わって全身の支配と営衛の循環を主する手の少陽三焦経は、
五行論ではの火生土相生関係になり、火によって灰(土)ができるので、
土に属している足の太陰脾経と陽明胃経は中宮を主り、右手関上の中部に位置するのである。
これらは五行論の母子相生関係の理論より考察されるものである。

難経に於ける脉診の三部九候について、それぞれ説明しなさい。

お答えします。

三部は、寸口・関上・尺中であり、九候は、浮脉・中脉・沈脉である。

上部の寸口部の脉位は、天地人の法則の分別からして、天は上にあり、「胸」横隔膜から頭部までの病気を脉診する。

中部の関上部の脉位は、天地人の法則の分別からして、人は天地の間「中」にあり、横隔膜から臍までの間の病気を脉診する。

下部の尺中部の脉位は、天地人の法則の分別からして、地は下にあり、臍から足先までの間の病気を脉診する。

「審(つまびら)かにして」とはつまり、その脉の三部(寸関尺)と浮中沈の三つの組み合わせたものを慎重に診断して、刺入の手順(証決定)をして施術するものである。

人の病気で気血が沈滞して慢性に経過すると、「積聚」とう様なお腹のしこりが現われることがあるが、これは脉診によって診察できるのか質問する。わかりやすく説明しなさい。

お答えします。
腹診すると、臍の右脇に「積氣」の塊がある時には、肺の脉状も結(むす)ぼれている。

「脉結」とは、脉が止まると言うことで、脉が時々結帯する。
これが甚(はなは)だしければ甚だしい程、積(しゃく)が必ずあるのだと。
また、脉の結帯が少なければ少ない程、積の気もすくない。

右手寸口の手の太陰肺経を脉診しても結滞脉がないのに、臍の右脇に「積氣」の塊があるのはどの様な訳なのか、わかりやすく説明しなさい。

お答えします。

肺脈に結滞脉がなくても、右手寸口の脉が沈んで伏した脉状であれば、積の塊がある事があると。

皮膚面に出来た「聚」も同様の法則があるのか、はたまた異質なのか説明しなさい。

お答えします。

結脉とは、脉の去来に時々打ち切れて止まり整脉でないものを結脉と言う。
伏脉は、脉動が深く沈んで筋の部に当たる所にあり、
浮脉は、伏脉よりも浅く肉に当たる部分の上に去来する。
また、皮膚面に出来た「聚」キョロが左にあれば左の脉に結伏の脉状が現われ、右にあれば右の脉に結伏の脉状が現われる。
表に現われる「聚」がある時はその脉も浮いていて結が現われ、裏に沈んでいる「積」の場合はその脉も沈んで伏し、結脉が現われる。
と言う様にこれらの法則は皆同じです。

例えば、
脉状が結脉か伏脉を打つているのに、体内に積聚(しゃくじゅう)が無ない。
脉状が浮脉で結滞があるのに、外に痼疾の「聚」が無ない。
積聚があるのに、脉が結伏しない。
外に痼疾の「聚」があるのに、脉が浮結しない。
これらは脉状不一致の死病である。



詳しくは各先生の文献を参照されたし。
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十八難の詳細解説

(井上恵理先生の訓読・解説:経絡鍼療(433号)と本間祥白先生の訓読・解釈、福島弘道先生の訓読・解釈を参考にして、山口一誠の考察文にて構成しました。)詳しくは各先生の文献を参照されたし。

山口一誠の考察により原文・訓読・解説(解説補足)の順に文章を構成します。

〔原文〕十八難曰.
〔訓読〕十八の難に曰く。
〔解説〕十八難の解説をします。

〔原文〕脉有三部.部有四經.
〔訓読〕脉に三部あり、部に四経あり、
〔解説〕脉には心関尺の三部があり、その心関尺部には陰陽の二経があり、両手で四経になると、

〔原文〕手有太陰陽明.足有太陽少陰.爲上下部.何謂也.
〔訓読〕手に太陰陽明あり、足に太陽少陰あり、上下の部となるは、何の謂いぞや。
〔解説〕右手寸口には、手の太陰肺経と陽明大腸経があり、
左手尺中には、足の少陰腎経と太陽膀胱経があるが、
この上下の関係について説明しなさい。

〔原文〕然.
〔訓読〕然(しか)るなり。
〔解説〕お答えします。

〔原文〕
手太陰陽明金也.足少陰太陽水也.金生水.水流下行.而不能上.故在下部也.
〔訓読〕
手の太陰陽明は金なり、足の少陰太陽は水なり、
金は水を生ず、水の流は下行して、上ること能(あた)わず、故に下の部に在るなり。
〔解説〕
右手寸口の手の太陰肺経と陽明大腸経は五行論では金に属し、
左手尺中の足の少陰腎経と太陽膀胱経は水に属している。
また、五行論では「金は水を生ず」相生の母子(上下)関係になり、
寸口・関上・尺中を上下の関係からみると、上が寸口・真ん中が関上・下が尺中になり、
水は下方向に流れるものであり、決して上に流れる事はないから、
水に属している足の少陰腎経と太陽膀胱経は下部の尺中に位置するのである。

〔原文〕
足厥陰少陽木也.生手太陽少陰火.火炎上行.而不能下.故爲上部.
〔訓読〕
足の厥陰少陽は木なり、手の太陽少陰は火を生ず、
火の炎は上行して、下ること能(あた)わず、故に上部となる。
〔解説〕
左手関上の足の厥陰肝経と少陽胆経は五行論では木に属し、
左手寸口の手の太陽小腸経と少陰心経は火に属している。
また、五行論では木生火の相生関係になり、
火炎は炎上してするものであり、決して下には向かわないから、
火に属している手の太陽小腸経と少陰心経は上部の寸口に位置するのである。
〔原文〕
手心主少陽火.生足太陰陽明土.土主中宮.故在中部也.此皆五行子母.更相生養者也.
〔訓読〕
手の心主、少陽の火は、足の太陰陽明の土を生ず、土は中宮を主る、故に中部に在り。
此れ皆五行子母、更々(かわるがわる)相生養(あいしょうよう)するものなり。
〔解説〕
関上の脉に脾土経を位置させる理由は、
君火である心の臓に代わって全身の支配と営衛の循環を主する手の少陽三焦経は、
五行論ではの火生土相生関係になり、火によって灰(土)ができるので、
土に属している足の太陰脾経と陽明胃経は中宮を主り、右手関上の中部に位置するのである。
これらは五行論の母子相生関係の理論より考察されるものである。

〔原文〕脉有三部九候.各何所主之.
〔訓読〕脉に三部九候あり、各々何れが之を主る。
〔解説〕難経に於ける脉診の三部九候について、それぞれ説明しなさい。

〔原文〕然.
〔訓読〕然(しか)るなり。
〔解説〕お答えします。

〔原文〕三部者.寸關尺也.九候者.浮中沈也.
〔訓読〕三部は、寸関尺なり、九候は、浮中沈なり。
〔解説〕三部は、寸口・関上・尺中であり、九候は、浮脉・中脉・沈脉である。

〔原文〕上部法天.主胸以上至頭之有疾也.
〔訓読〕上部は天に法(のっと)り、胸以上頭に至っての疾(しつ)あることを主るなり。
〔解説〕
上部の寸口部の脉位は、天地人の法則の分別からして、天は上にあり、「胸」横隔膜から頭部までの病気を脉診する。

〔原文〕中部法人.主膈以下至齊之有疾也.
〔訓読〕中部は人に法(のっと)り、膈以下齊に至っての疾(しつ)あることを主るなり。
〔解説〕
中部の関上部の脉位は、天地人の法則の分別からして、人は天地の間「中」にあり、横隔膜から臍までの間の病気を脉診する。

〔原文〕下部法地.主齊以下至足之有疾也.
〔訓読〕下部は地に法(のっと)り、齊以下至足至るまでの疾(しつ)あることを主るなり。
〔解説〕
下部の尺中部の脉位は、天地人の法則の分別からして、地は下にあり、臍から足先までの間の病気を脉診する。

〔原文〕審而刺之者也.
〔訓読〕審(つまびら)かにして之を刺すものなり。
〔解説〕「審(つまびら)かにして」とはつまり、その脉の三部(寸関尺)と浮中沈の三つの組み合わせたものを慎重に診断して、刺入の手順(証決定)をして施術するものである。
〔原文〕人病有沈滯久積聚.可切脉而知之耶.
〔訓読〕人の病い沈滯久しくして積聚(しゃくじゅう)することあり、脉を切して之を知るべきや。
〔解説〕人の病気で気血が沈滞して慢性に経過すると、「積聚」とう様なお腹のしこりが現われることがあるが、これは脉診によって診察できるのか質問する。わかりやすく説明しなさい。

〔解説補足1〕「積聚(しゃくじゅう)」の解説
「積」とは、腹診において、陰にあるもの、深い所にあるもの、形の崩れないものを積と言う。
「聚」とは、腹診において、キョロ様のもの、皮膚の上を撫でた時にコロッと何か感じて、
よく診ようとするとなくなるものを聚と言う。

〔解説補足2〕十七難の答えと思われるものの質問文かな。
〔原文〕或連年月不已
〔訓読〕或は年月を連(つら)ねて已(い)えず。
〔解説〕いくら治療をしても、或は治療をしないでも何年も治らない病気もある。

〔原文〕然.
〔訓読〕然(しか)るなり。
〔解説〕お答えします。

〔原文〕診在右脇有積氣.得肺脉結.
〔訓読〕診するに右脇に在って積氣あるは、肺脉の結を得(うる)、
〔解説〕腹診すると、臍の右脇に「積氣」の塊がある時には、肺の脉状も結(むす)ぼれている。

〔解説補足〕脉証腹証一貫性の法則が難経十八でも展開されている。
そして、これは臨床にもおおいに役立ちますね。

〔原文〕脉結甚則積甚.結微則氣微.
〔訓読〕脉結甚(はなは)だしいときは積も甚しく、結微なるときは気も微なり。
〔解説〕
「脉結」とは、脉が止まると言うことで、脉が時々結帯する。
これが甚(はなは)だしければ甚だしい程、積(しゃく)が必ずあるのだと。
また、脉の結帯が少なければ少ない程、積の気もすくない。

〔原文〕診不得肺脉.而右脇有積氣者.何也.
〔訓読〕診して肺脉を得ずして、而(しか)も右脇に積氣あるものは何ぞや。
〔解説〕
右手寸口の手の太陰肺経を脉診しても結滞脉がないのに、臍の右脇に「積氣」の塊があるのはどの様な訳なのか、わかりやすく説明しなさい。

〔原文〕然.
〔訓読〕然(しか)るなり。
〔解説〕お答えします。

〔原文〕肺脉雖不見.右手脉當沈伏.
〔訓読〕肺脉に見(あらわ)れずと雖(いえど)も、右手の脉当に沈伏すべし。
〔解説〕
肺脈に結滞脉がなくても、右手寸口の脉が沈んで伏した脉状であれば、積の塊がある事があると。
〔原文〕其外痼疾同法耶.將異也.
〔訓読〕其の外の痼疾も法を同じゅうするや、將(はた)に異なるや。
〔解説〕皮膚面に出来た「聚」も同様の法則があるのか、はたまた異質なのか説明しなさい。

〔原文〕然.
〔訓読〕然(しか)るなり。
〔解説〕お答えします。

〔原文〕
結者.脉來去時一止無常數.名曰結也.
伏者.脉行筋下也.浮者.脉在肉上行也.左右表裏.法皆如此.
〔訓読〕
結は、脉の去来の時に一止して常に數なきを、名(なず)けて結り曰うなり。
伏は脉、筋の下を行くなり、浮は脉、肉上に在って行くなり、左右表裏の法(のっと)り、皆同じ。
〔解説〕
結脉とは、脉の去来に時々打ち切れて止まり整脉でないものを結脉と言う。
伏脉は、脉動が深く沈んで筋の部に当たる所にあり、
浮脉は、伏脉よりも浅く肉に当たる部分の上に去来する。
また、皮膚面に出来た「聚」キョロが左にあれば左の脉に結伏の脉状が現われ、右にあれば右の脉に結伏の脉状が現われる。
表に現われる「聚」がある時はその脉も浮いていて結が現われ、裏に沈んでいる「積」の場合はその脉も沈んで伏し、結脉が現われる。
と言う様にこれらの法則は皆同じです。

〔原文〕
假令脉結伏者.内無積聚.脉浮結者.外無痼疾.
有積聚.脉不結伏.有痼疾.脉不浮結.
爲脉不應病.病不應脉.是爲死病也.

〔訓読〕
假令(たとえ)ば、
脉結伏するものは、内に積聚(しゃくじゅう)無なく、
脉浮結するものは、外に痼疾無なく、
積聚あって、脉結伏せず、痼疾あって、脉浮結せず、
脉病に応ぜず、病脉に応ぜず、是を死病となす。

〔解説〕
例えば、
脉状が結脉か伏脉を打つているのに、体内に積聚(しゃくじゅう)が無ない。
脉状が浮脉で結滞があるのに、外に痼疾の「聚」が無ない。
積聚があるのに、脉が結伏しない。
外に痼疾の「聚」があるのに、脉が浮結しない。
これらは脉状不一致の死病である。


 

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