五六難

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難経 第五十六難

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ゆっくり堂の『難経ポイント』 第五十六難

※ 五十六難のポイント其の一は、

腹診に於ける積の名称、所在、形状、病症、発生についての大切な経絡理論である。

※ 五十六難のポイント其の二は、

五積には、

肝積は肥気。

心積は伏梁(ふくりょう)。

牌積は痞氣。

肺積は息賁(そくふん)

腎積は賁豚(ほんとん)の名称がある。


※ 難経五十六難臨床&エトセトラより。・・・・・・

腹診は鍼灸家とって大切な診察法の一つです。
私は、患者さんの治療を始める前に、脉診と腹診を行います。
そのご、患者さん自身に腹部を右手で触れてもらいます。
五臓の見所のなかで、例えば腎心の変化があれば、
その部の皮膚の冷えや、乾燥具合を確認させます。
案外と患者さんは、自分のお腹の変化を知りません、
ま、お腹を自分で触るてことないですから、当然ですが、

そして、こんなお話をします。
「お腹の中の温度が37度ぐらいの時に内臓はよく働きますと、
この温度帯で正常な消化吸収が行われて、正常な新陳代謝が保障されるのです。
だから、お腹が冷えている事はいけないのです。」

そして、鍼だけの治療で、腹部の気血を良くして、

暖かくなったお腹を再び患者さんに確認させます。

お腹が温まった事は、
身体の新陳代謝が向上して産熱力が出てきた証拠ですね。
そして病気が治る方向に鍼灸治療で向かわせていることに成ります。

脉診と腹診がそれなりにやれるようになると、治療の技量も上がると思います。

難経十六難の脉状と腹部の動悸と合わせて学ぶと良いと思います。
リンクはこちらからご覧ください。
http://yukkurido.jp/keiro/nankei/16nan/

私の腹診方法は、
こちらのリンクからご覧ください
http://yukkurido.jp/keiro/sisn/bou/hara/

.

難経 第五十六難 原文

(『難経』原本は底本:『難経』江戸・多紀元胤著、『黄帝八十一難経疏証』(国立国会図書館所蔵139函65号)オリエント出版、難経古注集成5(1982年)に影印)を参考にしています。

五十六難曰.
五藏之積.各有名乎.以何月何日得之.
然.
肝之積.名曰肥氣.在左脇下.如覆杯.有頭足.
久不愈.令人發欬逆諄瘧.連歳不已.
以季夏戊己日得之.
何以言之.
肺病傳於肝.肝當傳脾.脾季夏適王.王者不受邪.肝復欲還肺.肺不肯受.故留結爲積.
故知肥氣以季夏戊己日得之.
心之積.名曰伏梁.起齊上.大如臂.上至心下.
久不愈.令人病煩心.
以秋庚辛日得之.
何以言之.
腎病傳心.心當傳肺.肺以秋適王.王者不受邪.心復欲還腎.腎不肯受.故留結爲積.
故知伏梁以秋庚辛日得之.
脾之積.名曰痞氣.在胃脘.覆大如盤.
久不愈.令人四肢不收.發黄疸.飮食不爲肌膚.
以冬壬癸日得之.
何以言之.
肝病傳脾.脾當傳腎.腎以冬適王.王者不受邪.脾復欲還肝.肝不肯受.故留結爲積.
故知痞氣以冬壬癸日得之.
肺之積.名曰息賁.在右脇下.覆大如杯.
久不已.令人洒淅寒熱.喘欬.發肺壅.以春甲乙日得之.
何以言之.
心病傳肺.肺當傳肝.肝以春適王.王者不受邪.肺復欲還心.心不肯受.故留結爲積.
故知息賁以春甲乙日得之.
腎之積.名曰賁豚.發於少腹.上至心下.若豚状.或上或下無時.
久不已.令人喘逆.骨痿少氣.以夏丙丁日得之.
何以言之.
脾病傳腎.腎當傳心.心以夏適王.王者不受邪.腎復欲還脾.脾不肯受.故留結爲積.
故知賁豚以夏丙丁日得之.
此是五積之要法也.

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五十六難の訓読

(井上恵理先生の訓読・解説:経絡鍼療(463号)と本間祥白先生の解説、福島弘道先生の解説を参考にして、山口一誠の考察文にて構成しました。)

五十六の難に日く、
五蔵の積、各々名有りや。
何れの月、何れの日を以て之を得(う)る。
然るなり、

肝の積を名(なづ)けて肥気と日う、左脇下に在って覆杯の如く、頭足有り。
久しくして愈えざれば人をして咳逆、瘧(おこり)を発して歳を連ねて己えざらしむ。
季夏戊巳(つちのえ・つちのと)の日を以って之を得、 何を以って之を言えば、肺病肝に伝う、
肝当(まさ)に牌に伝うべし、牌は季夏適(たまたま)に王ず、王ずるものは邪を受けず、
肝復(ま)た肺に還(かえ)さんと欲す、 肺肯(あえ)て受けず、故に留結して積をなす。
故に知らんぬ、肥気は季夏戊巳の日を以って之を得る。

心の積を名けて伏梁(ふくりょう)と日う、臍(さい:へそ)の上に起って大さ臂(ひ)の如し、
上(のぼ)りて心下に至る、久しくして愈えざれば、人をして煩心を病ましむ。
秋庚辛(かのえ・かのと)の日を以って之を得る。何を以って之を言えば、腎病んで心に伝う、
心当に肺に伝うベし。 肺は秋を以って適に王ず、王ずるものは邪を受けず、心復た腎に還さんと欲す、腎肯て受けず、 故に留結して積をなす、故に 知らんぬ、伏梁は秋庚辛の日を以って之を得る。

牌の積を名けて痞氣と日う、胃院(いかん)に在り、覆して大さ盤の如し、久しくして愈えざれば、
人をして四肢収らず、黄痘を発し、飲食、肌膚とならず。冬壬葵(みずのえ・みずのと)の日を以 って之を得る、何を以って之を言えば、肝病んで牌に伝う、牌当に腎に伝うべし、腎は冬を以って適に王ず、王ずるものは邪を受けず、牌復た肝に還さんと欲す、肝肯て受けず、 故に留結して積となる。 故に知らんぬ、痞氣は冬壬葵の日を以って之を得る。

肺の積を名けて息賁(そくふん)と日う、右の脇下に在って覆して大さ杯の如し。久しくして己えざれば、人をして洒淅(しゃあしゃあ)として寒熱し、喘欬し、肺壅(はいよう)を発す。
春甲乙(きのえ・きのと)の日を以って之を得る。 何を以って之を言えば、心病肺に伝う、 肺当に肝に伝うべし、肝は春を以って適に王ず、王ずるものは邪を受けず、肺復心に還さんと欲す、
心肯て受けず、 故に留結して積となる。 故に知らんぬ、 息賁は春甲乙の日を以って之を得る。

腎の積を名けて賁豚(ほんとん)と日う、小腹に発して上りて心下に至り、豚の状の若く、或は上り、或は下り、時なし。 久しくして巳えざれば人をして喘逆して骨痿え、少気ならしむ。
夏丙丁(ひのえ・ひのと)の日を以って之を得る。 何を以って之を言えば、 牌病んで腎に伝う、 腎当に心に伝うベし、心は夏を以って適に玉ず、王ずるものは邪を受けず、腎復た牌に還さんと欲す、牌肯て受けず、故に留結して積となる。
故に知らんぬ、賁豚は夏丙丁の日を以って之を得ることを。
此れ五積の要法なり。

詳しくは各先生の文献を参照されたし。
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五十六難の解説

(井上恵理先生の解説:経絡鍼療(463号)と本間祥白先生の解釈、福島弘道先生の解釈を参考にして、山口一誠の考察文にて構成しました。)

五十六難の解説をします。

積と言うものは季節と日にちと身体の状態とのバランスの上で起きています。
五蔵の積に各々名前があり、いつこう言うものが出来るのか、
これ等の事について判り易く説明しなさい。

お答えします。

肝の積を名(なづ)けて肥気と日う、
気の滞りで積ったものが肝の積で之を肥気と言う、部位は腹部で肝の部たる左脇下にあって、
覆した杯(さかづき)の如くで、杯を伏せると周りが広くて真ん中に高い所がある。
よく探ると下へズーッと広がっている。そう言う風な形をしている。
「頭足」とは上の方が大きくて下の方が狭くな っている。
上が丸くて下が細くなっていると言う意味です。

長い間治らないでいれば其の病人は咳嗽を発して気逆を起す、又 マラリヤを起す、
そして幾年も此の病のために苦しむ事となる。

肥気は夏六月の土用の戊巳の日に之が発生したのである。
何故なれば元来此の病は肺病から始まるもので、肺が病を肝に伝えた。
肝は更に牌に伝えんとしたが、時当に季夏は土用であって凡て土気が旺じている。
従って人体中の牌も旺気しているために病邪に対する抵抗力が強いので牌は病を受けない。
肝は之を肺に帰さんとするが、肺も又強いて受けないために此の部気は肝の積となって留結して終うのである。
此を以 って季夏戊、巳の日、即ち土用の時期で而(しか)も土の日に生じたとなすのである。

心の積を名けて伏梁(ふくりょう)と日う、
心の気の滞り積んで出来た積を名付けて伏梁と言う。
臍の上部から起って心下部までの聞に「臂(ひ)」を伸べた様な 長い積塊で、
腹中に梁(はり)を伏した如きものであるから此の名が付けられたのである。
長い間癒えないと、胸中煩熱煩悶のため病人を苦しめる、煩心は心の病の症である。
此の心の積伏梁は何時出来たかと言うと、秋の庚(かのえ)辛(かのと)の日に出来たものとする。
何故なれば、元来心の積は腎病から始まるもので腎が邪を心に伝う(水剋火 )、
心は更に之を姉に伝えんとす(火剋金) 時当に秋であって金の季節である。
従って金の蔵たる肺は旺気している時であるから此の邪を受けない。
心は致し方なくこれを腎に返さんと試みるが腎も受け付けないため凝り固まって積となったのである。
故に心積伏梁は秋庚辛の金気の旺気する日を以って生じたのであるとなすのである。

牌の積を「痞氣 」と言う。 牌の気が凝り回って出来た積である。
痞とはつかえ、ふさがることで、其の積は中焦にあって上下の気の交流をさまたげるのである。
部位は中院穴辺りに在り、転覆した盤の様である。
久しい間癒えないでいると、牌の主る四肢に表れて手足の運動が不自由になってくる黄疸の病を発し、飲食しても栄養とならず肌肉が益々痩せくる。
牌の積は土に属しているが冬壬 (みづのえ )葵(みづのと)の北方水に属する時期そして日に発生するとなす。
何故なれば元来肝病から起るもので、
肝が邪を碑に伝える(木剋土) 牌之を腎に伝えんとする(土剋水)ところが時まさに水の旺気する冬の壬葵の日である、従って腎が旺気しているため邪を受けない。
其処で牌は之を肝に返さんとするが受けないため邪気が牌に留結して牌積となるのである。
其れで牌積は水の旺気する冬壬突の日に発生するものとするのである。

肺の積名は「息賁(そくふん)」。右の脇下のあって下に覆している。大きな杯の様だと。
これは杯を伏せたのではなくて、仰向けにしてある。
覆杯と言うのは真ん中が高くて周りが低い言う事ですね。〔肝の積を名(なづ)けて肥気〕
今度は杯がそのままあるんですから、真ん中が引っ込んでいて周りに何かある。
久しく治らな いと、
「洒淅(しゃあしゃあ)として」とはゾクゾクして。 「端咳 」はゼリっきと咳。
肺壅(はいよう)の壅は塞がると言う意味。
肺が塞がると言うのは呼吸が完全に出来ない。何か息が詰められる様な感じがする。
これは春の甲乙の日を以って出来る。
何を以って言えば、心から肺に伝え、肺が肝に伝え様とするが、肝がたまたま春に旺気している。
旺するのものは邪を受けないので、肺が心に還さんとするが心も受けない。故に留まって積となる。
「息賁(そくふん)」は春の甲乙の日を以って之を得るんだと。

腎の積名は賁豚(ほんとん)と言う。
豚が歩く時にお尻を振って歩く様な形だと。
これは積でありながらジ ッとしていない。
臍の下・関元辺りから起って心下の方までグーッと上ったり下ったりボコボコ動く。
久しく治らないと「端逆」ゼリついたりシャツクリをする。
そして、骨が細くなり利かなくなる。
少気と言うのは呼吸の度数は同じでも入る息の量が少ない。
ハーッハーッハーっと呼吸の速度は普通だが、入る気が少ないと言う事です。
大きく息が出来ない。 深呼吸なんかしろと言っても出来ない。それを少気と言う。
何を以ってこれを言えば、牌が病んで腎に伝え、腎から心に伝わる。
心は夏たまたま旺気するで、旺するものは邪を受けない。
また腎に還さんとするが、脾は受けず留結して積になる。
賁豚(ほんとん)は、夏の丙丁のを以ってこれを得る。


詳しくは各先生の文献を参照されたし。

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五十六難の詳細解説

(井上恵理先生の訓読・解説:経絡鍼療(463号)と本間祥白先生の訓読・解釈、福島弘道先生の訓読・解釈を参考にして、山口一誠の考察文にて構成しました。)詳しくは各先生の文献を参照されたし。

山口一誠の考察により原文・訓読・解説(解説補足)の順に文章を構成します。

〔原文〕五十六難曰.
〔訓読〕五十六の難に日く、
〔解説〕五十六難の解説をします。

〔原文〕五藏之積.各有名乎.以何月何日得之.
〔訓読〕五蔵の積、各々名有りや。 何れの月、何れの日を以て之を得(う)る。
〔井上恵理先生の難経五十六難解説から〕
積と言うものは季節と日にちと身体の状態とのバランスの上で起きています。
五蔵の積に各々名前があり、いつこう言うものが出来るのか、
これ等の事について判り易く説明しなさい。

〔原文〕然.
〔訓読〕然(しか)るなり。
〔解説〕お答えします。

〔原文〕
肝之積.名曰肥氣.在左脇下.如覆杯.有頭足.
久不愈.令人發欬逆諄瘧.連歳不已.
以季夏戊己日得之.何以言之.
肺病傳於肝.肝當傳脾.脾季夏適王.王者不受邪.肝復欲還肺.肺不肯受.故留結爲積.
故知肥氣以季夏戊己日得之.
〔訓読〕
肝の積を名(なづ)けて肥気と日う、左脇下に在って覆杯の如く、頭足有り。
久しくして愈えざれば人をして咳逆、瘧(おこり)を発して歳を連ねて己えざらしむ。
季夏戊巳(つちのえ・つちのと)の日を以って之を得、 何を以って之を言えば、肺病肝に伝う、
肝当(まさ)に牌に伝うべし、牌は季夏適(たまたま)に王ず、王ずるものは邪を受けず、
肝復(ま)た肺に還(かえ)さんと欲す、 肺肯(あえ)て受けず、故に留結して積をなす。
故に知らんぬ、肥気は季夏戊巳の日を以って之を得る。
〔解説〕
気の滞りで積ったものが肝の積で之を肥気と言う、部位は腹部で肝の部たる左脇下にあって、覆した杯(さかづき)の如くで、杯を伏せると周りが広くて真ん中に高い所がある。
よく探ると下 へズーッと広がっている。そう言う風な形をしている。
「頭足」とは上の方が大きくて下の方が狭くな っている。
上が丸くて下が細くなっていると言う意味です。

長い間治らないでいれば其の病人は咳嗽を発して気逆を起す、又 マラリヤを起す、
そして幾年も此の病のために苦しむ事となる。

肥気は夏六月の土用の戊巳の日に之が発生したのである。
何故なれば元来此の病は肺病から始まるもので、肺が病を肝に伝えた。
肝は更に牌に伝えんとしたが、時当に季夏は土用であって凡て土気が旺じている。
従って人体中の牌も旺気しているために病邪に対する抵抗力が強いので牌は病を受けない。
肝は之を肺に帰さんとするが、肺も又強いて受けないために此の部気は肝の積となって留結して終うのである。
此を以 って季夏戊、巳の日、即ち土用の時期で而(しか)も土の日に生じたとなすのである。

〔井上恵理先生の難経解説から〕

肝の積を「肥気」と言い、左の脇下に起るのだと。
マラリアなんかやった後には、よくこの肥気と言う症があります。
「覆杯」とは、杯を伏せると周りが広くて真ん中に高い所がある。
よく探ると下 へズーッと広がっている。
そう言う風な形をしている。
「頭足」とは上の方が大きくて下の方が狭くな っている。
上が丸くて下が細くなっていると言う意味です。
久しくこう言うのが治らな いと、「咳逆」は咳、「諄瘧」とは瘧(おこり )即ちマラリア症状を起こす。
左肝にその症を顕す。左肝即ち牌臓、今の肝臓は右肝 ですね。
「連歳」は長く。 長くなかなか治らない。
「季夏」は夏の土用です。一年を五行に分ければ春が木、夏が火、秋が金、冬が水で「土」と言うものはない。
それで春の終わり、夏の終わり、秋の終わり、冬の終わりに「土用」と言う季節がある訳です。
土を受けて初めて春らしくなる。
夏もそうです。例えば春に入るのは節分と言って、豆まきの明日から春なんです。
ところがあの時期は春らしくない。四月の十八日以後になって初めて春らしくなる。
土用を受けて初めて春らしくなる。
そこで、この「季夏戌己の日を以って之を得る」と言うのは、十千・十二支を一年に割り当てて行くと、甲子(きのえね )から癸(みずのと)の亥の日までが六十日になる。
十と十二の最小公倍数である六十千支で割り当てると、丁度六十日になる。
六十日に一回ずつ甲子(きのえ:こうしえん)と言う日が来る。
所謂あの大黒様のご命日ですね。
十干の甲乙は木の兄・木の弟、木の中の陰陽を指している訳です。
丙丁・戊己・庚甲・壬癸も同じ。
それから十二支の方ですが、子は鼠だ・丑とは牛だと言いますが、
あれは絵暦と言って、
昔の無学文盲の人に判りいい様に動物を配した暦があったんです。
子と言うのは「孔」と一言う字の偏(へん)を、それから丑は「紐」と言う字の旁(つくり)です。
寅は「演」と言う字の旁(つくり)、辰は「震」の下の字を取ったものです。
こう言う風 に、「アイツは午の様な奴だ。丑年生まれだから。」と言うのは嘘です。
私なんか 卯年生まれだから鳴きそうもないんですが結構喋りますから、 これは嘘ですよね。
そう言うんじゃない。
これもやはり五行に配当する事が出来る。
丑を除いて寅・卯が木、辰を除いて己・午が火、未を除いて申・酉が金、
戌(いぬ)を除いて亥・子が水。木火土金水になっている。
土と言うの は丑・辰・未・戌で、この間に入っている。
それで、夏の土用の戌己の日に肺の病が起って、肝にこれが入って来る。
所調、七伝の相剋に伝わる。
そして今度は肝が牌に伝え様とする。
ところが夏の土用は牌の気の旺気する時なんです。
春には肝木が、夏には心火が、土用は牌土が、秋には肺金が、冬は腎水が旺気する訳です。
だから夏の土用には牌の気旺気旺しているために、肝が牌に伝え様としても、
旺気しているものは邪を受けないから、肝が困って肺の方に還そうとする。
ところが肝木は肺金が剋していますから、所謂肺金の方が強い訳です。
強い方へす事が出来ないから肝に溜って(留結 )積になってしまう。

だから肺から受けた病気と肝自体の病気と集まってしまって、
咳逆(肺の病 )・かい瘧(肝の病)とが一緒紅に出て来るんだと言う訳です。
故に、肥気は夏の土用の戌己の日を以って起きるのだと。
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〔本間祥白先生の難経解説から〕
〔訓読〕
肝の積を名けて肥気を日う、左脇下に在って覆杯の知く、頭足有り。
〔解説〕
積は五蔵の気の積ったものであるから五種類ある。
先づ肝の気の滞りで積ったものが肝の積で之を肥気と言う、部位は腹部で肝の部たる左脇下にあって、覆した杯(さかづき)の如くで、之に頭と足がある。
古代中国の酒杯には頭と足があったのである、肝の積にも頭や足を思わせる突起があるのである。

〔訓読〕
久しくして愈えざれば人をして咳逆宿徳を発して歳を連ねて己えざらしむ。
〔解説〕
長い間治らないでいれば其の病人は咳嗽を発して、気逆を起す、
又 マラリヤを起す(カイは幾日目毎に発するマラリヤ、瘧は幾月日毎に発するマラリヤの事であるとする説も此処では凡て
マラりヤと解す )
かくして幾年も此の病のために苦しむ事となる。

〔訓読〕
季夏戊巳(つちのえ・つちのと)の日を以って之を得、 何を以って之を言えば、肺病肝に伝う、
肝当(まさ)に牌に伝うべし、牌は季夏適(たまたま)に王ず、王ずるものは邪を受けず、
肝復(ま)た肺に還(かえ)さんと欲す、 肺肯(あえ)て受けず、故に留結して積をなす。
故に知らんぬ、肥気は季夏戊巳の日を以って之を得る。
〔解説〕
季夏(夏の6月の土用)戊巳(つちのえ・つちのと)王(旺、旺盛 )

肥気は夏六月の土用の戊巳の日に之が発生したのである。
何故なれば元来此の病は肺病から始まるもので、肺が病を肝に伝えた。
肝は更に牌に伝えんとしたが、時当に季夏は土用であって凡て土気が旺じている。
従って人体中の牌も旺気しているために病邪に対する抵抗力が強いので牌は病を受けない。
肝は之を肺に帰さんとするが、肺も又強いて受けないために此の部気は肝の積となって留結して終うのである。
此を以 って季夏戊、巳の日、即ち土用の時期で而(しか)も土の日に生じたとなすのである。

〔原文〕
心之積.名曰伏梁.起齊上.大如臂.上至心下.
久不愈.令人病煩心.以秋庚辛日得之.
何以言之.腎病傳心.心當傳肺.肺以秋適王.王者不受邪.心復欲還腎.腎不肯受.故留結爲積.
故知伏梁以秋庚辛日得之.
〔訓読〕
心の積を名けて伏梁(ふくりょう)と日う、臍(さい:へそ)の上に起って大さ臂(ひ)の如し、
上(のぼ)りて心下に至る、
久しくして愈えざれば、人をして煩心を病ましむ。 秋庚辛(かのえ・かのと)の日を以って之を得る。何を以って之を言えば、腎病んで心に伝う、 心当に肺に伝うベし。 肺は秋を以って適に王ず、王ずるものは邪を受けず、心復た腎に還さんと欲す、腎肯て受けず、 故に留結して積をなす、
故に知らんぬ、伏梁は秋庚辛の日を以って之を得る。
〔解説〕
心の気の滞り積んで出来た積を名付けて伏梁と言う。
臍の上部から起って心下部までの聞に「臂(ひ)」を伸べた様な 長い積塊で、
腹中に梁(はり)を伏した如きものであるから此の名が付けられたのである。
長い間癒えないと、胸中煩熱煩悶のため病人を苦しめる、煩心は心の病の症である。
此の心の積伏梁は何時出来たかと言うと、秋の庚(かのえ)辛(かのと)の日に出来たものとする。
何故なれば、元来心の積は腎病から始まるもので腎が邪を心に伝う(水剋火 )、
心は更に之を姉に伝えんとす(火剋金) 時当に秋であって金の季節である。
従って金の蔵たる肺は旺気している時であるから此の邪を受けない。
心は致し方なくこれを腎に返さんと試みるが腎も受け付けないため凝り固まって積となったのである。
故に心積伏梁は秋庚辛の金気の旺気する日を以って生じたのであるとなすのである。

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〔井上恵理先生の難経解説から〕
心の積と言うのは伏梁(ふくりょう)と言って臍(さい:へそ)の上から心下にかけてグッと柱の様になっている。
伏梁の「梁」は家の柱と柱をつなぐ梁(はり)と言う字です。「伏」は寝ている。寝ている梁だと。
「臂(ひ)」と言うの前腕を中に置いてある様な形のものを 伏梁と言うのだと。
「心下 」はミゾオチ。 「煩心」は胸いきれ・動悸・胸苦しさが出て来る。

秋は肺気の旺気する時、そして庚辛も金の兄 ・ 金の弟の日ですから、金気(肺気)旺気の時です。
この時に腎の病が心に入る。心が肺に伝え様とすると、肺が秋たまたま旺気するが故に邪は受けない。
心がまた腎に還そうとするが、腎が勝って(剋して )いるから受けない。
それで留結して積となったのが伏梁です。
腎の病が心に入ったった状態。秋起る病を伏梁と言うんだと。
これを逆に考えれば、伏梁と言う病症があった場合、「いつから悪いんですか? 」と聞いてみたらいい。「去年の秋からだ。」 「一昨年の秋からだ。 」と言う様な事が判るかも知れない。
これは還す事が出来ないで胸いきれと言う症状が出て来る。
故に伏梁は秋の庚辛の日を以って出て来る。

〔本間祥白先生の難経解説から〕
〔訓読〕
心の積を名けて伏梁と日う、斉(臍)上に起って大さ骨の如し、上(かみ)心下に至る、
久しくして愈えざれば、人をして煩心病ましむ。
〔解説〕
心の気の滞り積んで出来た積を名付けて伏梁と言う。
臍の上部から起って心下部までの聞に「臂(ひ)」を伸べた様な 長い積塊で、
腹中に梁(はり)を伏した如きものであるから此の名が付けられたのである。
長い間癒えないと、胸中煩熱煩悶のため病人を苦しめる、煩心は心の病の症である。

〔訓読〕
秋庚辛の日を以って之を得、何を以って之を言えば、腎病心に伝う、
心当に肺に伝うべし、肺は秋を以って適に王ず、王ずるものは邪を受けず、
心復た腎に還さんと欲す、腎品目て受けず、故に留結して積をなす。
故に知らんぬ、伏梁は秋庚辛の日を以って之を得ることを。
〔解説〕
此の心の積伏梁は何時出来たかと言うと秋の庚(かのえ)辛(かのと)の日に出来たものとする。
何故なれば、元来心の積は腎病から始まるもので腎が邪を心に伝う(水剋火 )、
心は更に之を姉に伝えんとす(火剋金) 時当に秋であって金の季節である。
従って金の蔵たる肺は旺気している時であるから此の邪を受けない。
心は致し方なくこれを腎に返さんと試みるが腎も受け付けないため凝り固まって積となったのである。
故に心積伏梁は秋庚辛の金気の旺気する日を以って生じたのであるとなすのである。
〔原文〕
脾之積.名曰痞氣.在胃脘.覆大如盤.
久不愈.令人四肢不收.發黄疸.飮食不爲肌膚.
以冬壬癸日得之.
何以言之.肝病傳脾.脾當傳腎.腎以冬適王.王者不受邪.脾復欲還肝.肝不肯受.故留結爲積.
故知痞氣以冬壬癸日得之.
〔訓読〕
牌の積を名けて痞氣と日う、胃院(いかん)に在り、覆して大さ盤の如し、
久しくして愈えざれば、 人をして四肢収らず、黄痘を発し、飲食、肌膚とならず。
冬壬葵(みずのえ・みずのと)の日を以って之を得る、
何を以って之を言えば、肝病んで牌に伝う、牌当に腎に伝うべし、腎は冬を以って適に王ず、王ずるものは邪を受けず、牌復た肝に還さんと欲す、肝肯て受けず、 故に留結して積となる。
故に知らんぬ、痞氣は冬壬葵の日を以って之を得る。
〔解説〕
牌の積名は「痞氣 」と言う。牌の気が凝り回って出来た積を痞氣と言う。
痞とはつかえ、ふさがることで、其の積は中焦にあって上下の気の交流をさまたげるのである。
部位は中院穴辺りに在り、転覆した盤の様である。
久しい間癒えないでいると、牌の主る四肢に表れて手足の運動が不自由になってくる黄疸の病を発し、飲食しても栄養とならず肌肉が益々痩せくる。
牌の積は土に属しているが冬壬 (みづのえ )葵(みづのと)の北方水に属する時期そして日に発生するとなす。
何故なれば元来肝病から起るもので、
肝が邪を碑に伝える(木剋土) 牌之を腎に伝えんとする(土剋水)ところが時まさに水の旺気する冬の壬葵の日である、従って腎が旺気しているため邪を受けない。
其処で牌は之を肝に返さんとするが受けないため邪気が牌に留結して牌積となるのである。
其れで牌積は水の旺気する冬壬突の日に発生するものとするのである。

〔井上恵理先生の難経解説から〕
牌の積名は「痞氣 」と言う。
「胃院 に在り」と言うのは、中院と一言うツボが 上・中・下院の中央で、これが胃の院なんです。
「覆大盤の如し」とは覆していて大きく盤(板)の様だと。
だから これは丸さもなければ何もない、パーッと張ったままだと。
伏梁の様に縦でもない、或いは肥気の様に丸くもない。パーッと張って板の様になっている。
「四肢収らず 」と言うのは、足がダルくて震えて自分の意志通りに動かない。
「飲食、肌膚とならず」とは食べても肌肉にならない言う事ですから痩せて来る。
ちょっと想像してご覧なさい?
お腹がパンパ ン板の様になって黄疸が起ているのに太っている筈はない。
痩せて皮膚は枯燥して来る。
これは肝の病から来て、 これを牌に伝える。牌は腎に伝え様とする。
ところが腎はたまたま冬は旺気している。旺気しているものは邪を受けない。
牌に還して来る。牌がまた肝に還そうとするが、
肝は牌を剋しているから受ける事が出来ないので留結して積となる。
故に冬の壬 突の日 に出来るんだと。

 

〔本間祥白先生の難経解説から〕
〔訓読〕
牌の積を名けて痞氣と日う、胃院(いかん)に在り、覆して大さ盤の如し、
久しくして愈えざれば、 人をして四肢収らず、黄痘を発し、飲食、肌膚とならず。
〔解説〕
牌の気が凝り回って出来た積を痞氣と言う。
痞とはつかえ、ふさがることで、其の積は中焦にあって上下の気の交流をさまたげるのである。
部位は胃の腑の所にあって転覆した盤の様である。
盤(物をのせる器、膳、盆の如きのもの)
久しい間癒えないでいると、牌の主る四肢に表れて手足の運動が不自由になってくる黄疸の病を発し、
飲食しでも栄養とならず肌肉が益々痩せくる。

〔訓読〕
冬壬葵(みずのえ・みずのと)の日を以って之を得る、
何を以って之を言えば、肝病んで牌に伝う、牌当に腎に伝うべし、
腎は冬を以って適に王ず、王ずるものは邪を受けず、牌復た肝に還さんと欲す、肝肯て受けず、故に留結して積となる。
故に知らんぬ、痞氣は冬壬葵の日を以って之を得る。
〔解説〕
牌の積は土に属しているが冬壬 (みづのえ )葵(みづのと)の北方水に属する時期そして日に発生するとなす。
何故なれば元来肝病から起るもので、
肝が邪を碑に伝える(木剋土) 牌之を腎に伝えんとする(土剋水)ところが時まさに水の旺気する冬の壬葵の日である、
従って腎が旺気しているため邪を受けない。
其処で牌は之を肝に返さんとするが受けないため邪気が牌に留結して牌積となるのである。
其れで牌積は水の旺気する冬壬突の日に発生するものとするのである。
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〔原文〕
肺之積.名曰息賁.在右脇下.覆大如杯.
久不已.令人洒淅寒熱.喘欬.發肺壅.以春甲乙日得之.
何以言之.心病傳肺.肺當傳肝.肝以春適王.王者不受邪.肺復欲還心.心不肯受.故留結爲積.
故知息賁以春甲乙日得之.
〔訓読〕
肺の積を名けて息賁(そくふん)と日う、右の脇下に在って覆して大さ杯の如し。
久しくして己えざれば、人をして洒淅(しゃあしゃあ)として寒熱し、喘欬し、肺壅(はいよう)を発す。 春甲乙(きのえ・きのと)の日を以って之を得る。
何を以って之を言えば、心病肺に伝う、 肺当に肝に伝うべし、肝は春を以って適に王ず、王ずるものは邪を受けず、肺復心に還さんと欲す、 心肯て受けず、 故に留結して積となる。
故に知らんぬ、 息賁は春甲乙の日を以って之を得る。
〔解説〕
肺の積名は「息賁(そくふん)」。右の脇下のあって下に覆している。大きな杯の様だと。
これは杯を伏せたのではなくて、仰向けにしてある。
覆杯と言うのは真ん中が高くて周りが低い言う事ですね。〔肝の積を名(なづ)けて肥気〕
今度は杯がそのままあるんですから、真ん中が引っ込んでいて周りに何かある。
久しく治らな いと、
「洒淅(しゃあしゃあ)として」とはゾクゾクして。 「端咳 」はゼリっきと咳。
肺壅(はいよう)の壅は塞がると言う意味。
肺が塞がると言うのは呼吸が完全に出来ない。何か息が詰められる様な感じがする。
これは春の甲乙の日を以って出来る。
何を以って言えば、心から肺に伝え、肺が肝に伝え様とするが、肝がたまたま春に旺気している。
旺するのものは邪を受けないので、肺が心に還さんとするが心も受けない。故に留まって積となる。
「息賁(そくふん)」は春の甲乙の日を以って之を得るんだと。

〔井上恵理先生の難経解説から〕
肺の積名は「息賁(そくふん)」。右の脇下のあって下に覆している。大きな杯の様だと。
これは杯を伏せたのではなくて、仰向けにしてある。
覆杯と言うのは真ん中が高くて周りが低い言う事ですね。〔肝の積を名(なづ)けて肥気〕
今度は杯がそのままあるんですから、真ん中が引っ込んでいて周りに何かある。
久しく治らな いと、
「洒淅(しゃあしゃあ)として」とはゾクゾクして。 「端咳 」はゼリっきと咳。
肺壅(はいよう)の壅は塞がると言う意味。
肺が塞がると言うのは呼吸が完全に出来ない。何か息が詰められる様な感じがする。
これは春の甲乙の日を以って出来る。
何を以って言えば、心から肺に伝え、肺が肝に伝え様とするが、肝がたまたま春に旺気している。
旺するのものは邪を受けないので、肺が心に還さんとするが心も受けない。故に留まって積となる。
「息賁(そくふん)」は春の甲乙の日を以って之を得るんだと。

〔本間祥白先生の難経解説から〕
〔訓読〕
肺の積を名けて息賁(そくふん)と日う、右の脇下に在って覆して大さ杯の如し。
久しくして己えざれば、人をして洒淅(しゃあしゃあ)として寒熱し、喘欬し、肺壅(はいよう)を発す。
〔解説〕
肺の邪気の留結して出来る積を息賁(そくふん)と名ける。部位は肺の部位たる右の脇下にあって覆した杯の様である。 肝の積は同じく覆した杯でり、て左の脇下にあって、共に杯の如くであって左右に違った部位にある。
久しく癒えないと、ゾツとした後に発熱する所謂寒熱往来の病をなす、之は肺の症である 。
又、鴨息や咳琳慨をなす、又肺壅(はいよう)となる。

〔訓読〕
春甲乙(きのえ・きのと)の日を以って之を得る。
何を以って之を言えば、心病肺に伝う、 肺当に肝に伝うべし、肝は春を以って適に王ず、王ずるものは邪を受けず、肺復心に還さんと欲す、 心肯て受けず、 故に留結して積となる。
故に知らんぬ、 息賁は春甲乙の日を以って之を得る。
〔解説〕
肺の積息賁(せきそくふん)は春の甲乙の日に出来たものとする、
何故なれば春甲(きのえ)乙 (きのと)の日は共に東方木に属する時期と日である、
元来病は心病であって之を肺に伝えた(火剋金) 肺は之を肝に伝えんとした(金剋木)が、
時は春であって木の旺気する時である、従って肝が旺気しいるために肺の邪を受けない、
肺は之を心に返さんとしたが之を受けなために留結して積となったのが息賁(そくふん)である、
故に肺積息賁は木の旺気する春、甲乙の日に発生したものであることが分る。
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〔原文〕
腎之積.名曰賁豚.發於少腹.上至心下.若豚状.或上或下無時.
久不已.令人喘逆.骨痿少氣.以夏丙丁日得之.
何以言之.
脾病傳腎.腎當傳心.心以夏適王.王者不受邪.腎復欲還脾.脾不肯受.故留結爲積.
故知賁豚以夏丙丁日得之.
〔訓読〕
腎の積を名けて賁豚(ほんとん)と日う、小腹に発して上りて心下に至り、豚の状の若く、或は上り、或は下り、時なし。 久しくして巳えざれば人をして喘逆して骨痿え、少気ならしむ。
夏丙丁(ひのえ・ひのと)の日を以って之を得る。 何を以って之を言えば、 牌病んで腎に伝う、 腎当に心に伝うベし、心は夏を以って適に玉ず、王ずるものは邪を受けず、腎復た牌に還さんと欲す、牌肯て受けず、故に留結して積となる。
故に知らんぬ、賁豚は夏丙丁の日を以って之を得ることを。
〔解説〕
腎の積名は賁豚(ほんとん)と言う。
豚が歩く時にお尻を振って歩く様な形だと。
これは積でありながらジ ッとしていない。
臍の下・関元辺りから起って心下の方までグーッと上ったり下ったりボコボコ動く。
久しく治らないと「端逆」ゼリついたりシャツクリをする。
そして、骨が細くなり利かなくなる。
少気と言うのは呼吸の度数は同じでも入る息の量が少ない。
ハーッハーッハーっと呼吸の速度は普通だが、入る気が少ないと言う事です。
大きく息が出来ない。 深呼吸なんかしろと言っても出来ない。それを少気と言う。
何を以ってこれを言えば、牌が病んで腎に伝え、腎から心に伝わる。
心は夏たまたま旺気するで、旺するものは邪を受けない。
また腎に還さんとするが、脾は受けず留結して積になる。
賁豚(ほんとん)は、夏の丙丁のを以ってこれを得る。

〔井上恵理先生の難経解説から〕
腎の積名は賁豚(ほんとん)と言う。
豚が歩く時にお尻を振って歩くでしょう? 豚が走っている様な形だと。
「小腹に発して 」と言うから、臍の下・関元辺りから起って心下の方までグーッと上ったり下ったりする。
これは積でありながらジ ッとしていない。
「豚の状の若く」とは豚のお尻の様に、或いは上り或いは下る。ボコボコ動く。
久しく治らないと「端逆」ゼリついたりシャツクリをする。
そして「骨萎え」とは、骨が細くなり利かなくなる。
「少気」と言うのは「短気」とは違うんです。
呼吸する場合に、短気と言うのは呼吸が ハッハッハッとなる。
少気と言うのは呼吸の度数は同じでも入る息の量が少ない。
ハーッハーッハーっと呼吸の速度は普通だが、入る気が少ないと言う事です。
大きく息が出来ない。 深呼吸なんかしろと言っても出来ない。それを少気と言う。
これは夏の丙丁の日を以ってこれが出来る。
何を以ってこれを言えば、牌が病んで腎に伝え、腎から心に伝わる。
心は夏たまたま旺気するで、旺するものは邪を受けない。
また腎に還さんとするが、脾は受けず留結して積になる。
賁豚(ほんとん)は、夏の丙丁のを以ってこれを得る。

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〔本間祥白先生の難経解説から〕
〔訓読〕
腎の積を名けて賁豚(ほんとん)と日う、小腹に発して上りて心下に至り、
豚の状の若く、或は上り、或は下り、時なし。
久しくして巳えざれば人をして喘逆して骨痿え、少気ならしむ。
〔解説〕
腎の邪気の凝り積った塊を賁豚(ほんとん)と言う、臍下から恥骨までの部にあるが、
場合によっては心下まで上り下りするものである。
丁度子豚の背のような形をして常に動いているものである。
久しく治らないと、逆気喘息を起し、又腎は骨を主っている故に骨を養うことが弱まり手足の運動が不自由となる。又、少気(呼吸微弱 )となる。

〔訓読〕
夏丙丁(ひのえ・ひのと)の日を以って之を得る。 何を以って之を言えば、 牌病んで腎に伝う、 腎当に心に伝うベし、
心は夏を以って適に玉ず、王ずるものは邪を受けず、腎復た牌に還さんと欲す、牌肯て受けず、故に留結して積となる。
故に知らんぬ、賁豚は夏丙丁の日を以って之を得ることを。
〔解説〕
腎の積は夏丙(ひのえ)丁(ひのと)の火の盛んな時期そして日に発生するものである。
何故なれば、此の積は元来牌病から起るもので、牌が病邪を腎に伝える(土剋水)
腎は此れを心に伝えんとするのであるが、比の時期は夏に当るので火気が盛んである。
従って心も旺気しているために邪を受けない。
其のために腎は牌に返さんとするが牌も受けないために腎に凝り積って積となったのである。
此の理由を以って腎積賁豚(ほんとん)は夏丙丁の火の旺んな時に発した事を知るのである。

〔原文〕此是五積之要法也.
〔訓読〕此れ五積の要法なり。
〔解説〕
これら、肝積は肥気。心積は伏梁(ふくりょう)。牌積は痞氣。肺積は息賁(そくふん)
腎積は賁豚(ほんとん)の名称、所在、形状、病症、発生についての大切な経絡理論である。

〔本間祥白先生の難経解説から〕
五積は病名して早くから認められたものであったらしく、
霊枢百病始生篇(類経疾病類2) 霊枢邪気臓肺病形篇 (類経色肱類一九 )
其の他 (類経会通類参照 )各所にある漢方諸書何の書にも所載されている。
又鉱灸書にも各室盲に治法穴が挙げられているが、
銭灸重宝記に積の治療上大切なことが記されているから比を示すと、
「積に腹痛あり、痛まずして塊ありて不食するもあり、或は咳逆、咳 敬、短気、心痛をなす。
腹痛するときはみだりにりに痛む所に刺すべからず、まづ積ある所をよくおしやわらげ、
其の後痛む処より一、二 寸ばかりわきに鎖すベし、若し痛みつよきときは、
むざと痛みの上に刺せばかえって痛み、また人を害すこと多し、
積にかまわず、わきをやわらげて気を快くするときはおのずから治す。」

 


詳しくは各先生の文献を参照されたし。
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