難経 第八十難
ゆっくり堂の『難経ポイント』第八十難
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※ 八十難のポイント其の一、
難経、八十難は「気を感知」して、刺入と抜鍼を行う刺鍼法の法則が展開されています。
※ 八十難のポイント其の二、
刺入の法則とは、気が現われた事を感じて、その後に刺入すること。
※ 八十難のポイント其の三、
抜鍼の法則とは、補法でも瀉法でも気の変化が現われた事を感じて、その後に抜鍼すること。
※ 八十難のポイント其の四、
難経、八十難を本当に理解するには「気を集める」鍼の技術がないと知る事が出来ません。
※ 八十難のポイント其の五、
左手(押手)に「気が来る」事が本当に判るには、
右手(刺手)で鍼をを微細に動かす弾法や撚法などの「気を集める」技術が必要です。
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※ 難経 第八十難 臨床&エトセトラより。
※ 八十難の臨床解説、
「五十肩痛の改善例」ゆっくり堂鍼灸院の臨床例から、難経八十難を解説します。
※ 井上恵理先生の難経、第八十難の解説:経絡鍼療(501号)よりの抜粋を掲載しています。
(井上恵理先生の難経、第八十難の解説を参考にして山口一誠が文章を構成しています。)
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難経 第八十難 原文
(『難経』原本は底本:『難経』江戸・多紀元胤著、『黄帝八十一難経疏証』(国立国会図書館所蔵139函65号)オリエント出版、難経古注集成5(1982年)に影印)を参考にしています。
八十難曰.
經言.
有見如入.有見如出者.何謂也.
然.
所謂有見如入者.
謂左手見氣來至.乃内鍼.
鍼入見氣盡.乃出鍼.
是謂有見如入.有見如出也.
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八十難の訓読
(井上恵理先生の解説:経絡鍼療(501号)と本間祥白先生の解説、福島弘道先生の解説を参考にして、
山口一誠の考察文にて構成しました。)
八十難に曰く。
経に言う。
見(あらわ)るること有(あっ)て如(しかし)て入れ、
見(あらわ)るること有(あっ)て如(しかし)て出(いだ)すとは、
何(なん)の謂(いい)ぞや。
然(しか)るなり。
所謂(いわゆ)る見(あらわ)るること有(あっ)て如(しかし)て入れるとは、
謂(いわゆ)る左手に見(あらわ)るる氣来り至(いた)って、乃ち鍼を内(い)れ、
鍼入れて見(あらわ)るる気尽きて、乃ち鍼を出(いだ)す。
是(こ)れ見るること有て如て入れ、見るること有て如て出すと謂(い)うなり。
詳しくは各先生の文献を参照されたし。
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八十難の解説
(井上恵理先生の解説:経絡鍼療(501号)と本間祥白先生の解釈、福島弘道先生の解釈を参考にして、
山口一誠の考察文にて構成しました。)
八十難の解説をします。
難経理論から考察すると。
気が現われて、気を感じた後に、鍼を刺入するとあり、
刺入した鍼尖に新たに気の変化が現われ、あるいは気の充実を感じたら抜鍼するとは、
如何なる手法であるか、またその生体現象を説明しなさい。
お答えします。
気が現われる事が有って、後に鍼を刺入すると言うことは、
鍼尖を穴に接触して気を得る手技をしていると、
押手(左手)に気が来るのを感じる事ができ、そこに至った後に鍼を刺入しなさいと。
鍼の刺入中に気の変化が現われた後に、抜鍼しなさいと。
瀉法の場合の、「気尽きて」の意味は、『充実した気が無くなった時』に鍼をソーッと抜く事。
補法の場合の、「気尽きて」の意味は、『気が充実し尽した時』に鍼をすばやく抜く事。
気が現われた後に刺入し、補法・瀉法の変化が現われた後に抜鍼する。
これが八十難の法則ですと。
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詳しくは各先生の文献を参照されたし。
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八十難の詳細解説
(井上恵理先生の訓読・解説:経絡鍼療(501号)と本間祥白先生の訓読・解釈、福島弘道先生の訓読・解釈を参考にして、
山口一誠の考察文にて構成しました。)詳しくは各先生の文献を参照されたし。
山口一誠の考察により原文・訓読・解説(解説補足)の順に文章を構成します。
〔原文〕八十難曰.
〔訓読〕八十難に曰く。
〔解説〕八十難の解説をします。
〔原文〕經言.
〔訓読〕経に言う。
〔解説〕難経理論から考察すると。
〔原文〕有見如入.有見如出者.何謂也.
〔訓読〕
見(あらわ)るること有(あっ)て如(しかし)て入れ、
見(あらわ)るること有(あっ)て如(しかし)て出(いだ)すとは、
何(なん)の謂(いい)ぞや。
〔解説〕
気が現われて、気を感じた後に、鍼を刺入するとあり、
刺入した鍼尖に新たに気の変化が現われ、あるいは気の充実を感じたら抜鍼するとは、
如何なる手法であるか、またその生体現象を説明しなさい。
〔解説補足〕
ここは、補瀉の手技において、押手、刺手での操作により、気の変化を感じての、
刺入・抜鍼の頃合いがありますが、その説明を求めています。
〔原文〕然.
〔訓読〕然(しか)るなり。
〔解説〕お答えします。
〔原文〕
所謂有見如入者.
謂左手見氣來至.乃内鍼.
鍼入見氣盡.乃出鍼.
是謂有見如入.有見如出也.
〔訓読〕
所謂(いわゆ)る見(あらわ)るること有(あっ)て如(しかし)て入れるとは、
謂(いわゆ)る左手に見(あらわ)るる氣来り至(いた)って、乃ち鍼を内(い)れ、
鍼入れて見(あらわ)るる気尽きて、乃ち鍼を出(いだ)す。
是(こ)れ見るること有て如て入れ、見るること有て如て出すと謂(い)うなり。
〔解説〕
気が現われる事が有って、後に鍼を刺入すると言うことは、
鍼尖を穴に接触して気を得る手技をしていると、
押手(左手)に気が来るのを感じる事ができ、そこに至った後に鍼を刺入しなさいと。
鍼の刺入中に気の変化が現われた後に、抜鍼しなさいと。
瀉法の場合の、「気尽きて」の意味は、『充実した気が無くなった時』に鍼をソーッと抜く事。
補法の場合の、「気尽きて」の意味は、『気が充実し尽した時』に鍼をすばやく抜く事。
気が現われた後に刺入し、補法・瀉法の変化が現われた後に抜鍼する。
これが八十難の法則ですと。
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ゆっくり堂鍼灸院の臨床例から、難経八十難を解説します。
女性51歳、主訴は右の五十肩様の痛み。夜間痛あり。(1年前より。)
可動域角度:肩関節前方挙上角度100度。 肩甲帯屈曲10度でロックされ伸展できない。
(寝床に肩が着かない、肩が前に出ている状態。)この可動域を超えると痛みが出る。
切経:右肩背部の肩髎穴から天髎穴のライン上の、2か所に母指大の硬結圧痛部位がある。
当院は経絡鍼灸の手技を基本としていますので本治法と標治法の処置で病状改善を行っていますが、
今回の記述は、標治法の手技のみを述べて、難経八十難の臨床的解説してみます。
硬結圧痛部位に対する標治法から、
施術に使用した鍼は、銀鍼の9×8-2番です。
① 右肩背部の、母指大の硬結圧痛部位に対して、浅補深瀉の手法で施術を処置しました。
1、刺鍼の手法。(撚鍼法にて。)
2、押手(左手)を構え、鍼尖を痛みなくゆっくりと穴に接触。
3、刺手(右手)の手法は、示指を下にして母指を上に位置して、鍼柄を柔らかく挟み。
4、挟んだ鍼柄を示指は動かさず、母指のみを鍼尖の方向にむけて、鍼柄を撫でる手法を施す。
※ この「鍼柄を撫でる」手技は鍼尖の部位に催気を促す事なのだと思います。
「鍼柄を撫でる」手技を3秒~10秒ほど、撫でる回数では10回~30回ほど、やっていますと、
催気(氣來至)を感じます。
(鍼尖に気が集まる感じ、気が来る感じ、を知覚します。)
(気の形状は金平糖様で、直径1ミリぐらいです。そこに僅かに温かみも出て来ます。)
5、気を得た様に感じたら、鍼柄を軽く挟み、ソーッと押すと鍼尖が刺入し進んで行きます。
※ これら一連の認知行動が、難経八十難の「刺入の法則」ことだと思います。
〔原文〕『謂左手見氣來至.乃内鍼.』
〔訓読〕謂(いわゆ)る左手(押手)に見るる氣来り至(いた)って、乃ち鍼を内(い)れる。
〔解説〕押手(左手)に気が来るのを感じる事ができ、そこに至った後に鍼を刺入しなさいと。
6、浅補部にて、充分に補法を行い。さらに鍼尖が進むと目的の硬結部位に到達する。
7、硬結部位に到達したらこの硬結を緩める手技として、鍼の抜き差し旋回を施します。
8、硬結部位の緩めが完了したら、(邪実した気が無くなった時)
9、深瀉部はゆっくりとソーッと鍼を引き上げ、
10、浅補部からは押手の左右圧をスーッ加え、すばやく抜鍼と同時に、鍼口を閉じる補法を行う。
※ そしてこれがまた、難経八十難「抜鍼法則」の臨床になると思います。
〔原文〕「鍼入見氣盡.乃出鍼.」
〔訓読〕鍼入れて見(あらわ)るる気尽きて、乃ち鍼を出(いだ)す。
〔解説〕鍼の刺入中に気の変化が現われた後に、抜鍼しなさいと。
瀉法の場合の、「気尽きて」の意味は、『充実した気が無くなった時』に鍼をソーッと抜く事。
補法の場合の、「気尽きて」の意味は、『気が充実し尽した時』に鍼をすばやく抜く事。
追記:この患者さんの場合は、週に1回の治療をしています。
来院7回目の肩関節可動域角度を点検しましたところ、
患者の病状は、次のように改善されています。
可動域角度:肩関節前方挙上角度170度・肩肩甲帯伸展屈曲各20度で正常になる。
肩の痛み、夜間痛は消失しています。
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〔井上恵理先生の難経、第八十難の解説:経絡鍼療(501号)より、抜粋。〕
※ 難経、八十難は「鍼を刺す時の鍼師の心構え・考え方」を顕している。
「見(あらわ)るること有(あっ)て如(しかし)て入れ、」とは、
この刺入の法則には鍼師の術の手技の前段行為がある。
ツボを探ったならば、そこをよく撫で擦って押して或は叩いて弾いて、
そこに気を「集める事」を第一の段階とする。
そして第二の段階として、気が現われて、気を感じた後に、鍼を刺入するのだと。
「気尽きて乃ち鍼を出す」とは、
例えば、
瀉法の場合の、「気尽きて」と言う事は、『充実した気が無くなった時』に鍼を出す。
補法の場合の、「気尽きて」と言う事は、『気が充実し尽した時に』鍼をソーッと抜く。
「気」は全て左手(押手)に感ずる事なのだと。
左手(押手)に感ずる所の気の虚実・気の出入りあるいは気の充実と言う事を無視して、
ただ鍼を入れさえすればいいのだと言うのは間違いなんです。
本治法の五井穴の治療に於いて最も良く判る事ですね。
五井穴には殆ど脉があります。ですから虚している時に補う方法を取ると、
初め鍼を刺す時 には幾ら撫で擦ってもなかなか脉は出て来ない。
ところが鍼を刺して弾法をし或は捻法をし、或は静かに動かす事によって脉がポコッと、
出てくる事がある。ここに取ればいい。
或は柔らかく感じた所が左手の親指の下に重く感じた時に鍼を抜く。
何故左手で押さえながら右手で鍼を弾いたり撚法したり右手を動かすのかと。
※ これは我々の意識を右の手に用いるから、
右の手を動かさないと左手に「気が」来る事が判らない。
※ 右の手を動かす事によって左手の方が何かを診ると言う力が無くなる。
虚無の状態になる。
そこで初めて本当の鍼の気の来る事が判る。
※ 左手(押手)に「気が」来る事が本当に判るには、
右手で鍼を弾いたり撚法したり右手を動かす事であると。