七九難

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難経 第七十九難

ゆっくり堂の『難経ポイント』第七十九難

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※ 七十九難のポイント其の一は、「得るが若く、失が若し」の感性が鍼灸師の腕を左右します。

補瀉の処置で微妙な虚実の「得るが若く、失が若し」の感覚があります。
それは、
補法を行った時には、何かが出てきたような感じ。なかったものが有る様な感じ。
補法はあくまでも生気を補われ、身体が少し満たされる様な感じを覚える状態かな。
瀉法を行った時には、有った物が無くなった様な感じを覚える。
瀉法は身体に必要ないものが無くなり、身体が楽になった様な感じを覚える状態かな。

※ 難経 第七十九難 臨床&エトセトラより。

難経 第七十九難 原文

(『難経』原本は底本:『難経』江戸・多紀元胤著、『黄帝八十一難経疏証』(国立国会図書館所蔵139函65号)オリエント出版、難経古注集成5(1982年)に影印)を参考にしています。

 七十九難曰.
經言.
迎而奪之.安得無虚.
隨而濟之.安得無實.
虚之與實.若得若失.
實之與虚.若有若無.何謂也.
然.
迎而奪之者.瀉其子也.
隨而濟之者.補其母也.
假令心病.瀉手心主兪.是謂迎而奪之者也.
補手心主井.是謂隨而濟之者也.
所謂實之與虚者.牢濡之意也.
氣來實牢者爲得.濡虚者爲失.故曰若得若失也.

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七九難の訓読

(井上恵理先生の解説:経絡鍼療(498号)と本間祥白先生の解説、福島弘道先生の解説を参考にして、
山口一誠の考察文にて構成しました。)

七十九難に曰く。
経に言う。
迎(むか)えて之を奪わば、 安(いずくんぞ)虚なきことを得ん、
隨(したが)って之を濟(すく)わば、 安(いずくんぞ)実なきことを得ん。
虚と実とは、得(う)るが若(ごと)く、失(うしな)が若(ごと)し。
実と虚とは、有が若く無が若しとは、何の謂(いい)ぞや。
然(しか)るなり。
迎えて之を奪うとは、其の子を瀉するなり。
隨って之を濟うとは、其の母を補うなり。
假令(例え)ば心病は、手の心主の兪を瀉す、是れ謂(いわゆ)る迎えて之を奪うものなり。
手の心主の井を補う、是れ謂る隨って之を濟うものなり。
いわゆる実と虚とは、牢(ろう)濡(なん)の意なり。
氣來ること、実牢なるものを得るとなし、濡虚なるものを失となす。
故に曰く、得るが若く、失が若しと。

詳しくは各先生の文献を参照されたし。

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七十九難の解説

(井上恵理先生の解釈:経絡鍼療(498号)と本間祥白先生の解釈、福島弘道先生の解釈を参考にして、
山口一誠の考察文にて構成しました。)

七十九難の解説をします。

黄帝内経・霊枢・九鍼十二原篇から考察するに。

迎えて之(邪実)を奪わば(瀉法すれば)、実が取れて身体は平常の健康体に成ります。
隨って之(虚)を濟わば(補法すれば)、生気が補われ身体は平常の健康体に成ります。

補瀉の処置で微妙な虚実の「得るが若く、失が若し」の感覚があります。
それは、
補法を行った時には、何かが出てきたような感じ。なかったものが有る様な感じ。
補法はあくまでも生気を補われ身体が少し満たされる様な感じを覚える状態かな。
瀉法を行った時には、有った物が無くなった様な感じを覚える。
瀉法は身体に必要ないものが無くなり身体が楽になった様な感じを覚える状態かな。

病証としての虚と実は有るようで無いような物とう言うが、これについて説明しなさい。

お答えします。

五行の相生循環に於いての迎隨。
心病を例にとって自穴内の相生循環に於いて、木火土の関係にての迎瀉・隨補です。
迎瀉の手法:心病の栄火自穴に対して兪土原子穴(大陵穴)の施術は「其の子を瀉す」
「前の方のツボ」「経の流れの前から瀉す」「迎えて之(邪実)を奪う」と言う事になります。
隨補の手法:心病の栄火自穴に対して井木母穴(中衝穴)の施術は「其の母を補う」
「後ろから助ける」「経に随って補法」「隨って之(生気)を濟(すく)う」事になります。

所謂る実と虚とは、硬い所、軟らかい所の意味です。
軟らかい所を、崔気し、生気を充実すれば、「得るが若き」補法となる。
硬結を緩める手技は「失ったが若し」の瀉法となる。
この様に、古より鍼術は微妙微細な「得るが若く、失が若し」の感性が必要ですと。

西暦2015年の現在では難経の時代よりも更に微妙微細な「故曰若得若失也」の鍼術が必要ですね。

詳しくは各先生の文献を参照されたし。

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七十九難の詳細解説

(井上恵理先生の訓読・解釈:経絡鍼療(498号)と本間祥白先生の訓読・解釈、福島弘道先生の訓読・解釈を参考にして、
山口一誠の考察文にて構成しました。)詳しくは各先生の文献を参照されたし。

山口一誠の考察により原文・訓読・解説(解説補足)の順に文章を構成します。

〔原文〕七十九難曰
〔訓読〕七十九難に曰く。
〔解説〕七十九難の解説をします。

〔原文〕經言.
〔訓読〕経に言う。
〔解説〕黄帝内経・霊枢・九鍼十二原篇から考察するに。

〔原文〕迎而奪之.安得無虚.隨而濟之.安得無實.
〔訓読〕
迎(むか)えて之を奪わば、 安(いずくんぞ)虚なきことを得ん、
隨(したが)って之を濟(すく)わば、 安(いずくんぞ)実なきことを得ん。
〔解説〕
迎えて之(邪実)を奪わば(瀉法すれば)、実が取れて身体は平常の健康体に成ります。
隨って之(虚)を濟わば(補法すれば)、生気が補われ身体は平常の健康体に成ります。

〔解説補足〕補瀉には迎隨(げいずい)と言う手法がある。

〔原文〕虚之與實.若得若失.
〔訓読〕虚と実とは、 得(う)るが若(ごと)く、失(うしな)が若(ごと)し。
〔解説〕
補瀉の処置で微妙な虚実の「得るが若く、失が若し」の感覚があります。
それは、
補法を行った時には、何かが出てきたような感じ。なかったものが有る様な感じ。
補法はあくまでも生気を補われ身体が少し満たされる様な感じを覚える状態かな。
瀉法を行った時には、有った物が無くなった様な感じを覚える。
瀉法は身体に必要ないものが無くなり身体が楽になった様な感じを覚える状態かな。

〔原文〕實之與虚.若有若無.何謂也.
〔訓読〕実と虚とは、有が若く無が若しとは、何の謂(いい)ぞや。
〔解説〕病証としての虚と実は有るようで無いような物とう言うが、これについて説明しなさい。

〔解説補足〕ここでの虚実は「病証」です。

〔原文〕然.
〔訓読〕然(しか)るなり。
〔解説〕お答えします。

〔原文〕
迎而奪之者.瀉其子也.
隨而濟之者.補其母也.
假令心病.瀉手心主兪.是謂迎而奪之者也.
補手心主井.是謂隨而濟之者也.

〔訓読〕
迎えて之を奪うとは、其の子を瀉するなり。
隨って之を濟うとは、其の母を補うなり。
假令(例え)ば心病は、手の心主の兪を瀉す、是れ謂(いわゆ)る迎えて之を奪うものなり。
手の心主の井を補う、是れ謂る隨って之を濟うものなり。

〔解説〕
五行の相生循環に於いての迎隨。
心病を例にとって自穴内の相生循環に於いて、木火土の関係にての迎瀉・隨補です。
迎瀉の手法:心病の栄火自穴に対して兪土原子穴(大陵穴)の施術は「其の子を瀉す」
「前の方のツボ」「経の流れの前から瀉す」「迎えて之(邪実)を奪う」と言う事になります。
隨補の手法:心病の栄火自穴に対して井木母穴(中衝穴)の施術は「其の母を補う」
「後ろから助ける」「経に随って補法」「隨って之(生気)を濟(すく)う」事になります。

〔解説補足〕

1、 迎隨(げいずい)と言う言葉には2つの捉え方がある。

1-1:経絡の流注に対しての刺鍼の方向での迎隨。
①経絡の流れる方向に迎う刺鍼は瀉法です。  (迎瀉)(経に逆らって瀉法)
②経絡の流れる方向に隨っての刺鍼は補法です。(隨補)(経に随って補法)

1-2:五行の相生循環に於いての迎隨。

心病を例にとって自穴内の相生循環に於いて、木火土の関係にての(迎瀉隨補)です。
①迎瀉の手法:心病の栄火自穴に対して兪土原子穴(大陵穴)の施術は「其の子を瀉す」
「前の方のツボ」「経の流れの前から瀉す」「迎えて之(邪実)を奪う」と言う事になります。
②隨補の手法:心病の栄火自穴に対して井木母穴(中衝穴)の施術は「其の母を補う」
「後ろから助ける」「経に随って補法」「隨って之(生気)を濟(すく)う」事になります。

〔原文〕所謂實之與虚者.牢濡之意也.氣來實牢者爲得.濡虚者爲失.故曰若得若失也.

〔訓読〕
いわゆる実と虚とは、牢(ろう)濡(なん)の意なり。
氣來ること、実牢なるものを得るとなし、濡虚なるものを失となす。
故に曰く、得るが若く、失が若しと。

〔解説〕
所謂る実と虚とは、硬い所、軟らかい所の意味です。
軟らかい所を、崔気し、生気を充実すれば、「得るが若き」補法となる。
硬結を緩める手技は「失ったが若し」の瀉法となる。
この様に、古より鍼術は微妙微細な「得るが若く、失が若し」の感性が必要ですと。

〔解説補足〕ここでは、病症の診断的にも治療法的にも「牢濡」の説明です。

①診断的「牢濡」とは、身体を切経(触診診断)して、
堅牢なる(硬い)所、ここを実と言い、濡なる(軟らかい)所、ここを虚と言う。
脉診に於いても、同様に牢濡、虚実があります。
②治療法的「牢濡」と「得るが若く、失が若し」とは、
②-1:堅牢なる(硬い)所に、瀉法を行い軟らかくすれば、即ち「失ったが若し」となる。
本治法において、堅い脉を幾分でも柔らかくできれば「失ったが若し」の瀉法となる。
標治法においても、硬結を緩める手技は「失ったが若し」の瀉法となる。
②-2:濡なる(軟らかい)所を、崔気し、生気を充実すれば、「得るが若き」補法となる。

西暦2015年の現在では難経の時代よりも更に微妙微細な「故曰若得若失也」の鍼術が必要ですね。
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