二一難

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難経二一難

     ank021

 

ゆっくり堂の『難経ポイント』  第二十一難

※ 二十一難のポイント其の一は、形病、脉病、生死について書かれています。

※  難経二十一難の臨床&エトセトラより。

〔井上恵理先生の難経二十一難解説から山口一誠の考察文〕

難経二十一難を臨床で考えると、
肩こりや腰痛の「形が病ん」で鍼灸院に来た場合に、脉証には病的変化が無い時には脉を整える治療はいらない。形の治療だけすればいい。肩が張っているなら肩だけに鍼を打つ、腰が痛いなら腰だけに鍼を打つ。『内傷無ければ外邪入らず 』の経絡理論が必要ない病状です。

黄帝内経・霊枢「経筋編」の治療法「痛を以って癒となす」・・痛む所が治療をする所だと。
但し、どの様に刺すかと言う方法は、経絡治療の法則になります。
「虚すればこれを補い、実すればこれを瀉す」治療法になります。

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 難経 第二十一難 原文

(『難経』原本は底本:『難経』江戸・多紀元胤著、『黄帝八十一難経疏証』(国立国会図書館所蔵139函65号)オリエント出版、難経古注集成5(1982年)に影印)を参考にしています。

二十一難曰.
經言.
人形病脉不病.曰生.
脉病形不病.曰死.
何謂也.
然.
人形病脉不病.非有不病者也.
謂息數不應脉數也.
此大法.

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二十一難の訓読

(井上恵理先生の訓読・解説:経絡鍼療(453号)と本間祥白先生の解説、福島弘道先生の解説を参考にして、山口一誠の考察文にて構成しました。)

二十一の難に曰く。
經に言う。
人、形病んで脉病まざるを、生くと曰う。
脉病んで、形病やまざるを、死と曰うとは、
何の謂(いい)ぞや。
然るなり。
人、形病んで脉病まずとは、病ざる者に有るに非(あら)ざるなり。
息数(そくすう)、脉数(みゃくすう)に応ぜざるを謂うなり。
此れ大法なり。


詳しくは各先生の文献を参照されたし。

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二十一難の解説

(井上恵理先生の解説:経絡鍼療(453号)と本間祥白先生の解釈、福島弘道先生の解釈を参考にして、山口一誠の考察文にて構成しました。)

二十一難の解説をします。

黄帝内経・素問の方盛衰論から考察するに。

痛いとか、張るとか、の病状があるが、脉が病脉までには成って居ないものは生きる。

脉が患っていても病気の苦しみ辛さを感じない人は死ぬと言う。

これらの形病、脉病、生死についてわかり易く説明しなさい。

お答えします。

身体に病があって脉に病変が無いとは、脉が病んでいないのではない、
脉数が息数あわない状態である。
これは大事な法則である。

 


詳しくは各先生の文献を参照されたし。
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  二十一難の詳細解説

(井上恵理先生の訓読・解説:経絡鍼療(453号)と本間祥白先生の訓読・解釈、福島弘道先生の訓読・解釈を参考にして、山口一誠の考察文にて構成しました。)詳しくは各先生の文献を参照されたし。

山口一誠の考察により原文・訓読・解説(解説補足)の順に文章を構成します。

〔原文〕二十一難曰.
〔訓読〕二十一難に曰く。
〔解説〕二十一難の解説をします。

〔原文〕經言.
〔訓読〕経に言う。
〔解説〕黄帝内経・素問の方盛衰論から考察するに。

〔解説補足〕
素問:其ノ八十 方盛衰論篇
形気有余、脈気不足、死。
脈気有余、形気不足、生。

〔原文〕人形病脉不病.曰生.
〔訓読〕人、形病んで脉病まざるを、生くと曰う。
〔解説〕痛いとか、張るとか、の病状があるが、脉が病脉までには成って居ないものは生きる。

〔原文〕脉病形不病.曰死.
〔訓読〕脉病んで、形病やまざるを、死と曰うとは、
〔解説〕脉が患っていても病気の苦しみ辛さを感じない人は死ぬと言う。

〔井上恵理先生の難経解説から、〕
「形病んで」と言うのは、例えば、ここが痛いとかここが張るとか、そう言う形の上での病です。
経絡鍼灸ではこれを、「経病」と言います。
病になっても体の中に原気があるのだから死なない。脉がやまない限り死なない。

〔原文〕何謂也.
〔訓読〕何の謂(いい)ぞや。
〔解説〕これらの形病、脉病、生死についてわかり易く説明しなさい。

〔原文〕然.
〔訓読〕然(しか)るなり。
〔解説〕お答えします。

〔原文〕
人形病脉不病.非有不病者也.
謂息數不應脉數也.
此大法.
〔訓読〕
人、形病んで脉病まずとは、病ざる者に有るに非(あら)ざるなり。
息数(そくすう)、脉数(みゃくすう)に応ぜざるを謂うなり。
此れ大法なり。
〔解説〕
身体に病があって脉に病変が無いとは、脉が病んでいないのではない、
脉数が息数あわない状態である。
これは大事な法則である。

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〔解説参考HP〕 をご参照されたし。

脉数と息数の関係についての参考、


四難と十四難を参照されたし。

リンク四難へ。 ・ リンク十四難へ

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四難のポイント其の二は、陰陽について、呼吸と脉との関係、を述べています。
〔原文〕呼出心與肺.吸入腎與肝.呼吸之間.脾受穀味也.其脉在中.
〔訓読〕呼は心と肺とに出て、吸は腎と肝とに入る。
呼吸の間(かん)に脾は穀味を受くるなり、その脉、中(ちゅう)にあり。
〔解説〕三焦から考察すると上焦に肺臓と心臓があり呼気をこの部より吐き出し、
下焦には肝臓・腎臓があり吸気を吸い込む。
呼吸の間に拍動が一つあり、ここが中焦の食物を受け入れる脾胃である。
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十四難のポイント其の一は、
十四難は一回の呼吸と脈拍回数の関係に於いての病の診方を述べています。
※ 十四難のポイント其の二は、
健康で正常な脉状は、一呼吸で、一回吐く時に脉が二拍動し、一回吸う時に脉が二拍動する時です。
※ 十四難のポイント其の三、
もうすぐ病気になる人は、一呼吸に二拍動する遅い脉を打つ人です。
つまり、一回吐く時に脉が一拍動し、一回吸う時に脉が一拍動する状態ですね。
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※ 難経二十一難の臨床&エトセトラより。

〔井上恵理先生の難経二十一難解説から山口一誠の考察文〕

難経二十一難を臨床で考えると、
肩こりや腰痛の「形が病ん」で鍼灸院に来た場合に、脉証には病的変化が無い時には脉を整える治療はいらない。
形の治療だけすればいい。肩が張っているなら肩だけに鍼を打つ、腰が痛いなら腰だけに鍼を打つ。
しかも、これは臓病ではない。『内傷無ければ外邪入らず 』の経絡理論が必要ない病状です。
黄帝内経・霊枢の「経筋編」に縷々述べてあり、終わりの方に治療法が一行、「痛を以って癒となす」と書いてあります。・・痛む所が治療をする所だと。
但し、どの様に刺すかと言う方法は、経絡治療の法則になります。
「虚すればこれを補い、実すればこれを瀉す」治療法になります。

難経二十一難の臨床応用「頭痛の治療法」から。

実証の頭痛の治療法、
頭の毛を触られただけで痛がるのは実証の頭痛です。
この時は、チョッチョッチョッと軽く刺す瀉法をすると大抵取れます。

虚証の頭痛の治療法、
頭が痛いと言って頭を手拭いで縛っている人がいる。あれは押さえると気持ちがいいから縛っているんですね。これが虚証・虚痛です。
そう言う時には痛い所をジーッと手で押さえてやる。これは重要なことなんです。ただ刺すんじゃなくて、ジーッと暫く押さえておいて、それから鍼を徐(おもむろ)に入れて3呼吸ぐらい留めておいて、そしてソーッと抜く。そう言うのを丹念やると痛みは立ちどころに取れます。
また、鍼の深さですが一分位です。そして鍼を抜いた後を揉んでおく。
これを遣ると一本一本、刺した所の痛みが取れます。

 

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