十五難

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難経十五難

     ank015

ゆっくり堂の『難経ポイント』  第十五難

 

※ 十五難のポイント其の一は、

難経十五難、春夏秋冬の四季の正常脈を知ること。

春の脉は弦、

〔原文〕氣來厭厭聶聶.如循楡葉.曰平.
〔訓読〕氣来ること厭厭(えんえん)聶聶(てつてつ)として楡(にれ)の葉を循(なず)るが如しを平と曰う。
〔解説〕春の弦脉は楡葉を聶(ささや)き循るように軟らかく等しく伸びやかに整った脉状を平の正常脈と言う。


夏の脉は鉤、

〔原文〕其脉來累累如環.如循琅玕.曰平.
〔訓読〕其の氣来ること累累として環(たまき)の如く、琅玕(ろうかん)を循(なず)るが如くを平と曰う。
〔解説〕夏の正常な脉は、パッと来てスーッ去る鉤脉がリズミカルに連続して珠の輪(艶と光沢のある真珠のネックレス)を回るが如く流れている脉状を正常な平脉と言う。

秋の脉は微毛、

〔原文〕其脉來藹藹如車蓋.按之益大.曰平.
〔訓読〕其の氣来ること藹藹(あいあい)として車蓋の如く、之を按(お)せば益々大なるを平と曰う。
〔解説〕秋の正常な脉は、穏かに福が集まりふんわりとした脉が流れている脉状を正常な平脉と言う。


冬の脉は石、

〔原文〕脉來上大下兌.濡滑如雀之啄.曰平.
〔訓読〕脉来ること上大下兌(じょうだいかえい)、濡滑にして雀の啄(ついば)むが如き平と曰う。
〔解説〕冬の脉は石脉は、脉が来る時には大きく来て去る時は速い。そして軟らかく滑るよう脉で、常に雀が口ばしを啄(ついば)み続けている様な脉状を正常な平脉と言う。

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難経 第十五難 原文

(『難経』原本は底本:『難経』江戸・多紀元胤著、『黄帝八十一難経疏証』(国立国会図書館所蔵139函65号)オリエント出版、難経古注集成5(1982年)に影印)を参考にしています。

十五難曰.
經言.
春脉弦.夏脉鉤.秋脉毛.冬脉石.是王脉耶.將病脉也.
然.
弦鉤毛石者.四時之脉也.
春脉弦者.肝東方木也.萬物始生.未有枝葉.故其脉之來.濡弱而長.故曰弦.
夏脉鉤者.心南方火也.萬物之所盛.垂枝布葉.皆下曲如鉤.故其脉之來疾去遲.故曰鉤.
秋脉毛者.肺西方金也.萬物之所終.草木華葉.皆秋而落.其枝獨在若毫毛也.故其脉之來.輕虚以浮.故曰毛.
冬脉石者.腎北方水也.萬物之所藏也.盛冬之時.水凝如石.故其脉之來.沈濡而滑.故曰石.
此四時之脉也.
如有變奈何.
然.
春脉弦.反者爲病.何謂反.
然.
其氣來實強.是謂太過.病在外.
氣來虚微.是謂不及.病在内.
氣來厭厭聶聶.如循楡葉.曰平.
益實而滑.如循長竿.曰病.
急而勁益強.如新張弓弦.曰死.
春脉微弦.曰平.弦多胃氣少.曰病.但弦無胃氣.曰死.春以胃氣爲本.
夏脉鉤.反者爲病.何謂反.
然.
其氣來實強.是謂太過.病在外.
氣來虚微.是謂不及.病在内.
其脉來累累如環.如循琅玕.曰平.
來而益數.如雞擧足者.曰病.
前曲後居.如操帶鉤.曰死.
夏脉微鉤.曰平.鉤多胃氣少.曰病.但鉤無胃氣.曰死.夏以胃氣爲本.
秋脉微毛.反者爲病.何謂反.
然.
氣來實強.是謂太過.病在外.
氣來虚微.是謂不及.病在内.
其脉來藹藹如車蓋.按之益大.曰平.
不上不下.如循雞羽.曰病.
按之消索.如風吹毛.曰死.
秋脉微毛.爲平.毛多胃氣少.曰病.但毛無胃氣.曰死.秋以胃氣爲本.
冬脉石.反者爲病.何謂反.
然.
其氣來實強.是謂太過.病在外.
氣來虚微.是謂不及.病在内.
脉來上大下兌.濡滑如雀之啄.曰平.
啄啄連屬.其中微曲.曰病.
來如解索.去如彈石.曰死.
冬脉微石.曰平.石多胃氣少.曰病.但石無胃氣.曰死.冬以胃氣爲本.
胃者.水穀之海也.主稟.
四時故皆以胃氣爲本.是謂四時之變病.死生之要會也.
脾者.中州也.其平和不可得見.衰乃見耳.
來如雀之啄.如水之下漏.是脾之衰見也.


十五難の訓読

(井上恵理先生の訓読・解説:経絡鍼療(429号.430号)と本間祥白先生の解説、福島弘道先生の解説を参考にして、 山口一誠の考察文にて構成しました。)

十五の難に曰く。

經に言う。

春の脉は弦、夏の脉は鉤、秋の脉は毛、冬の脉は石、是れ王脉なりや、將(はた)また病脉なりや。

然るなり。

弦鉤毛石は、四時の脉なり。

春の脉弦とは、肝は東方の木なり、萬物始めて生じ、未(いま)だ枝葉あらず、故に其の脉来ること、濡弱(なんじゃく)にして長、故に弦と曰う。

夏の脉は鉤とは、心は南方の火なり、萬物の盛(さかん)なる所、枝を垂れ葉を布(し)き、皆下り曲がりて鉤の如し、故に其の脉来ること疾(はや)く去ること遅し、故に鉤曰う。

秋の脉は毛とは、肺は西方の金なり、萬物の終る所、草木の華葉(かよう)皆秋にして落つ、其の枝(えだ)独(ひと)り在って毫毛(ごうもう)の如きなり、故に其の脉来ること、軽虚にして以って浮、故に毛と曰う。

冬の脉は石とは、腎は北方の水なり、萬物の蔵(くら)す所なり、盛(さかん)なる冬の時に、水凝(こお)って石の如し、故に其の脉来ること、沈濡(ちんじゅ)にして滑(かつ)、故に石と曰う。此れ四時の脉なり。

もし変化あらばいかん。

然るなり。

春の脉は弦、反するものは病となす。

何をか反と謂(い)う。

然るなり。
其の氣来ること実強、是を太過と謂う、病(やまい)外(そと)に在(あ)り。
氣来ること虚微、是を不及(ふきゅう)と謂う、病内(うち)に在り。
氣来ること厭厭(えんえん)聶聶(てつてつ)として楡(にれ)の葉を循(なず)るが如しを平と曰う。
益々実にして滑、長き竿を循るが如しを病と曰う。
急にして勁(けい)益々強く、新に張る弓の弦の如きを死と曰う。
春の脉微弦なるを平と曰い、弦多く胃氣少きを病と曰う、但(ただし)弦にして胃氣無きを死と曰う、
春も胃氣を以って本(もと)となす。

夏の脉は鉤、反するものは病となす。
何をか反と謂(い)う。
然るなり。
其の氣来ること実強、是を太過と謂う、病(やまい)外(そと)に在(あ)り。
氣来ること虚微、是を不及(ふきゅう)と謂う、病内(うち)に在り。
其の氣来ること累累として環(たまき)の如く、琅玕(ろうかん)を循(なず)るが如くを平と曰う。
来って益々数、雞(とり)の足を挙ぐるが如きものを病と曰う。
前曲り後(うしろ)居して、帯鈎(たいこう)操(と)るが如きを死と曰う。
夏の脉は微鈎なるを平と曰い、鈎多く胃氣少きを病と曰う、但(ただし)鈎にして胃氣無きを死と曰う、
夏も胃氣を以って本(もと)となす。

秋の脉は微毛、反するものは病となす。
何をか反と謂(い)う。
然るなり。
其の氣来ること実強、是を太過と謂う、病(やまい)外(そと)に在(あ)り。
氣来ること虚微、是を不及(ふきゅう)と謂う、病内(うち)に在り。
其の氣来ること藹藹(あいあい)として車蓋の如く、之を按(お)せば益々大なるを平と曰う。
上がらず下(くだ)らず、雞羽(けいもう)を循(なず)るが如くを病と曰う。
之を按(お)せば消索(しょうさい)として、風の毛を吹くが如きを死と曰う。
秋の脉は微毛を平となし、毛多く胃氣少きを病と曰う、但(ただし)毛にして胃氣無きを死と曰う、
秋も胃氣を以って本(もと)となす。

冬の脉は石、反するものは病となす。
何をか反と謂(い)う。
然るなり。
其の氣来ること実強、是を太過と謂う、病(やまい)外(そと)に在(あ)り。
氣来ること虚微、是を不及(ふきゅう)と謂う、病内(うち)に在り。
脉来ること上大下兌(じょうだいかえい)、濡滑にして雀の啄(ついば)むが如き平と曰う。
啄啄として連属し、其の中(うち)微(すこ)しき曲るを病と曰う。
来ること索(なわ)を解(と)くが如く、去こと石を彈(はじ)くが如きを死と曰う。
冬の脉は微石を平と曰い、石多く胃氣少きを病と曰い、但(ただし石にして胃氣無きを死と曰う、冬も胃氣を以って本(もと)となす。

胃は、水穀の海(かい)なり、四時を稟(うく)ることを主る。
故に皆な胃氣を以って本(もと)となす。
是れ謂(いわゆ)る四時の病変、死生の要會(ようえ)なり。

脾は、中州(ちゅうす)なり、其の平和得て見るべからず、衰えて乃(すなわ)ち見るのみ、来ること雀の啄(ついば)むが如く、水の下(くだり)漏るが如き、是れ脾の衰えて見(あらわ)るなり。

詳しくは各先生の文献を参照されたし。
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十五難の解説

(井上恵理先生の解説:経絡鍼療(429号.430号)と本間祥白先生の解釈、福島弘道先生の解釈を参考にして、山口一誠の考察文にて構成しました。)

十五難の解説をします。

陰陽五行理論から考察すると。

四季(季節)に応じて脉状が変化する。春は弦脉、夏は鈎脉、秋は毛脉、冬は石脉と、
これらは正常な脉なのか、それとも病気の脉状なのか、解説と説明をしなさい。

お答えします。

春の弦脉、夏の鈎脉、秋の毛脉、冬の石脉は、四季に応じた正常な脉状の変化です。

春の脉状が弦脉と言う理由は、
五行論から、春の季節に対応するのは、五臓の肝であり、方位として東方で、木の性質を持ちます。
それを詳しく述べると、春には、万物(樹木)が発育して繁殖するがまだ枝葉が出ていない。
それ故に季節が穏やかである。濡弱(なんじゃく)である。そして春の日は長い。
そうゆう事で春の脉状は弦脉になるのだと。

夏の脉状が鈎脉と言う理由は、
五行論から、夏の季節に対応するのは、五臓の心であり、方位として南方で、火の性質を持ちます。
それを詳しく述べると、夏には、万物(樹木)が発育繁殖して、枝葉が茂って垂れ下がる。
垂れ下がって曲がっているから曲がった様な脉で、それ故に来る時にはパッと来るが去る時にはサッと逃げる様に行く。そうゆう事で夏の脉状は鈎脉になるのだと。
夏の脉は鉤脉はパッと来てスーッ去る脉状である。

秋の脉状が毛脉と言う理由は、
五行論から、秋の季節に対応するのは、五臓の肺であり、方位として西方で、金の性質を持ちます。
それを詳しく述べると、秋には、万物(樹木)が枯れて、花や葉が落ちてしまい、枝だけが残る。
枝葉が沢山ある時は風に吹かれるとガサガサ動くが、枝だけになってしまうから動きが鈍く軽く虚ろな浮脉の脉状になる。そうゆう事で秋の脉状は浮いた毛脉になるのだと。(毛脉は浮脉です。)

冬の脉状が石脉と言う理由は、
五行論から、冬の季節に対応するのは、五臓の腎であり、方位として北方で、水の性質を持ちます。
それを詳しく述べると、冬には、万物(動植物一般)は発育成長が止まり動物では熊や爬虫類は冬眠する。そして、厳冬(げんとう)には水が凍って石の様になる。そうゆう事で冬の脉状は沈濡(ちんなん)にして滑(かつ)脉にり、沈んだ石脉になるのだと。

なるほど以上説明が春夏秋冬の四季に応じた脉状と理解するが、
もし四季の脉状に変化があればどうなるのかを問いたい。

お答えします。

春の脉は濡弱(なんじゃく)にして長、故に弦であり、これに反する脉は病である。

反する病脉について説明しなさい。

お答えします。
春の脉が強くなった場合は、これを太過の実脉といい、外邪性の病である。
春の脉が弱くなった場合は、これを不及の虚脉といい、内傷系の病である。
春の弦脉は楡葉を聶(ささや)き循るように軟らかく等しく伸びやかに整った脉状を平の正常脈と言う。
春の脉が益々実して弦の脈が切れてコロッコロッコロッと数珠をなでる様な滑脉になり、
さらに太くて長い竹竿の様なガッガッ打つ脉状になると、これはもう病の脉だと。

夏の正常な脉は、パッと来てスーッ去る鉤脉がリズミカルに連続して珠の輪(艶と光沢のある真珠のネックレス)を回るが如く流れている脉状を正常な平脉と言う。
鶏(にわとり)が歩く時のさまは、足を降ろす時は穏やかに下ろすし、
足を挙げるときはクックッと引っ掛かる様に挙げる、この様な脉を病と言うのだと。
初めて脉を押した時には硬くて太い。段々押してみると却(かえ)って脉が弱くなる。
革帯(かわおび)の鈎(かぎ)外す時にピクッピクッと脉が動く様な脉状を死脈と言う。
夏の脉は穏やかに微かに軟らかい鈎脉が正常な良い脉状である。
鈎多くなると胃氣穏やかさが少くなるのでこれを病と言う。
胃の気が全くなくなってただ鈎だけになったものを死脈と言う。
春夏秋冬の四季においてもそして夏の鈎脉でも胃気の穏やかな脉状が生きる基本である。

夏の脉は鉤脉はパッと来てスーッ去る脉状であり、これに反する脉は病である。
反する病脉について説明しなさい。
お答えします。
夏の脉が強くなった場合は、これを太過の実脉といい、外邪性の病である。
夏の脉が弱くなった場合は、これを不及の虚脉といい、内傷系の病である。
夏の正常な脉は、パッと来てスーッ去る鉤脉がリズミカルに連続して珠の輪(艶と光沢のある真珠のネックレス)を回るが如く流れている脉状を正常な平脉と言う。
鶏(にわとり)が歩く時のさまは、足を降ろす時は穏やかに下ろすし、
足を挙げるときはクックッと引っ掛かる様に挙げる、この様な脉を病と言うのだと。
初めて脉を押した時には硬くて太い。段々押してみると却(かえ)って脉が弱くなる。
革帯(かわおび)の鈎(かぎ)外す時にピクッピクッと脉が動く様な脉状を死脈と言う。
夏の脉は穏やかに微かに軟らかい鈎脉が正常な良い脉状である。
鈎多くなると胃氣穏やかさが少くなるのでこれを病と言う。
胃の気が全くなくなってただ鈎だけになったものを死脈と言う。
春夏秋冬の四季においてもそして夏の鈎脉でも胃気の穏やかな脉状が生きる基本である。

秋の脉は微毛脉でフワッフワッと浮いて芯がある脉状であり、これに反する脉は病である。
反する病脉について説明しなさい。
お答えします。
秋の脉が強くなった場合は、これを太過の実脉といい、外邪性の病である。
秋の脉が弱くなった場合は、これを不及の虚脉といい、内傷系の病である。
秋の正常な脉は、穏かに福が集まりふんわりとした脉が流れている脉状を正常な平脉と言う。

脉を軽く押さえてもそこに脉は無い、強く押しても無い、途中に脉がある。
鶏の羽とか髭をそる時ソーッとなでると判る。これが病脉であると。
脉を押さえると、脉があったと思っても直ぐに無くなってしまう。風が吹くと脉が現われ、風がやむと脉が消える。このような脉状を死脉と言う。
秋の脉は穏やかに微かに軟らかいでフワッフワッと浮いて芯がある微毛脉が正常な良い脉状である。
毛多くなると胃氣穏やかさが少くなるのでこれを病と言う。
胃の気が全くなくなってただ毛だけになったものを死脈と言う。
春夏秋冬の四季においてもそして秋の毛脉でも胃気の穏やかな脉状が生きる基本である。

冬の脉は石脉で、これに反する脉は病であるというが。これに反する病脉について説明しなさい。
お答えします。
冬の脉が強くなった場合は、これを太過の実脉といい、外邪性の病である。
冬の脉が弱くなった場合は、これを不及の虚脉といい、内傷系の病である。
冬の脉は石脉は、脉が来る時には大きく来て去る時は速い。そして軟らかく滑るよう脉で、常に雀が口ばしを啄(ついば)み続けている様な脉状を正常な平脉と言う。
啄々・啄々・啄々と連続しているが、脉が去る時にグッグッと強い脉を感じる脉状を病と言う。
脉が来る時は、物を結わえた縄を切るとパッと広がる脉で、去る時には一辺にピクッと石を弾くように動いてから去っていくような脉になる。これを死脈と言う。
冬の脉は、脉が来る時には大きく来て去る時は速い。そして軟らかく滑るよう脉で、
常に雀が口ばしを啄(ついば)み続けている様な微石脉が正常な良い脉状である。
石多くなると胃氣穏やかさが少くなるのでこれを病と言う。
胃の気が全くなくなってただ石だけになったものを死脈と言う。
春夏秋冬の四季においてもそして冬の石脉でも胃気の穏やかな脉状が生きる基本である。

胃の気は飲水と食物から出来ている。
また胃は五行の土に属し、春夏秋冬の四季その末に土用があり、栄養されている。
故に全ての臓気は胃の気に生かされているのが基本である。
この胃の気に季節脉への病変が来れば、生死にかかわる要の問題となる。

胃の気は脾が主っている。よって脾は五臓の中心である。
これが平和である時は診る事ができない。身体が衰えて初めて胃の気が無くなる事が判る。
雀が餌を啄(ついば)みと量が減るのが判る様に。或は水が減りだすと漏れているのが判る様に。
これによって胃の気・脾の衰えを診る事が出来るのだと。


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十五難の詳細解説

(井上恵理先生の訓読・解説:経絡鍼療(429号.430号)と本間祥白先生の訓読・解釈、福島弘道先生の訓読・解釈を参考にして、 山口一誠の考察文にて構成しました。)詳しくは各先生の文献を参照されたし。

山口一誠の考察により原文・訓読・解説(解説補足)の順に文章を構成します。

〔原文〕十五難曰.
〔訓読〕十五の難に曰く。
〔解説〕十五難の解説をします。
〔解説補足〕十五難は黄帝内経・素問の平人気象論と玉機真蔵論の二たつに出て来ます。

〔原文〕經言.
〔訓読〕経に言う。
〔解説〕陰陽五行理論から考察すると。

〔原文〕春脉弦.夏脉鉤.秋脉毛.冬脉石.是王脉耶.將病脉也.
〔訓読〕春の脉は弦、夏の脉は鉤、秋の脉は毛、冬の脉は石、是れ王脉なりや、將(はた)また病脉なりや。
〔解説〕四季(季節)に応じて脉状が変化する。春は弦脉、夏は鈎脉、秋は毛脉、冬は石脉と、
これらは正常な脉なのか、それとも病気の脉状なのか、解説と説明をしなさい。

〔井上恵理先生の難経解説。〕
難経十五難は四季(季節)と人間の身体との関係を述べている。
東洋医学では人間の身体と自然とは調和するものと考える。

〔井上恵理先生の南北経驗醫方大成による病証論より P34上段2行目~P35下段終行目より。〕
○ 季節と身体
―人間の身体は四季の「気」に応じて変化します。
例えば、人体と温度の関係を観察すると、室内の温度が25度の時、
身体は冬では温かいと感じます。
ところが、炎天下の夏は同じ室内の温度の25度を涼しいと感じるのです。
―これが、人間の身体が四季の「気」に応じて変化していることの証明です。
だから、脉状も季節に応じて脉状が変化するのが正常な脉なのです。

〔原文〕然.
〔訓読〕然(しか)るなり。
〔解説〕お答えします。

〔原文〕弦鉤毛石者.四時之脉也
〔訓読〕弦鉤毛石は、四時の脉なり。
〔解説〕春の弦脉、夏の鈎脉、秋の毛脉、冬の石脉は、四季に応じた正常な脉状の変化です。

〔原文〕春脉弦者.肝東方木也.萬物始生.未有枝葉.故其脉之來.濡弱而長.故曰弦.
〔訓読〕春の脉弦とは、肝は東方の木なり、萬物始めて生じ、未(いま)だ枝葉あらず、
故に其の脉来ること、濡弱(なんじゃく)にして長、故に弦と曰う。
〔解説〕春の脉状が弦脉と言う理由は、
五行論から、春の季節に対応するのは、五臓の肝であり、方位として東方で、木の性質を持ちます。
それを詳しく述べると、春には、万物(樹木)が発育して繁殖するがまだ枝葉が出ていない。
それ故に季節が穏やかである。濡弱(なんじゃく)である。そして春の日は長い。
そうゆう事で春の脉状は弦脉になるのだと。

〔井上恵理先生の難経臨床解説から、〕
弦脉と言うのは、弓づるの様な脉状で、一つのつながりがある。
来る時、去る時と言う感じはあるが、まるっきり去ってもしまわない。
来た時にも来て上がり切りもしない。筋(すじ)の上を押さえていると動く感じ、これが弦脉です。

〔原文〕夏脉鉤者.心南方火也.萬物之所盛.垂枝布葉.皆下曲如鉤.故其脉之來疾去遲.故曰鉤.
〔訓読〕夏の脉は鉤とは、心は南方の火なり、萬物の盛(さかん)なる所、枝を垂れ葉を布(し)き、皆下り曲がりて鉤の如し、故に其の脉来ること疾(はや)く去ること遅し、故に鉤曰う。
〔解説〕夏の脉状が鈎脉と言う理由は、
五行論から、夏の季節に対応するのは、五臓の心であり、方位として南方で、火の性質を持ちます。
それを詳しく述べると、夏には、万物(樹木)が発育繁殖して、枝葉が茂って垂れ下がる。
垂れ下がって曲がっているから曲がった様な脉で、それ故に来る時にはパッと来るが去る時にはサッと逃げる様に行く。そうゆう事で夏の脉状は鈎脉になるのだと。
夏の脉は鉤脉はパッと来てスーッ去る脉状である。

〔井上恵理先生の難経臨床解説から、〕
鈎脉と言うのは、来る時にはパッと指の下に来るが、去る時にいつまでもスーッとある様に去って行く。曲がっている。曲がっているという表現はちょっとおかしいですが、曲がって行くと言う事で鈎(かぎ)と言う字を書いている。鈎は下からこう曲がっていますね。

〔原文〕秋脉毛者.肺西方金也.萬物之所終.草木華葉.皆秋而落.其枝獨在若毫毛也.
    故其脉之來.輕虚以浮.故曰毛.
〔訓読〕秋の脉は毛とは、肺は西方の金なり、萬物の終る所、草木の華葉(かよう)皆秋にして落つ、其の枝(えだ)独(ひと)り在って毫毛(ごうもう)の如きなり、故に其の脉来ること、軽虚にして以って浮、故に毛と曰う。
〔解説〕秋の脉状が毛脉と言う理由は、
五行論から、秋の季節に対応するのは、五臓の肺であり、方位として西方で、金の性質を持ちます。
それを詳しく述べると、秋には、万物(樹木)が枯れて、花や葉が落ちてしまい、枝だけが残る。
枝葉が沢山ある時は風に吹かれるとガサガサ動くが、枝だけになってしまうから動きが鈍く軽く虚ろな浮脉の脉状になる。そうゆう事で秋の脉状は浮いた毛脉になるのだと。(毛脉は浮脉です。)

〔原文〕冬脉石者.腎北方水也.萬物之所藏也.盛冬之時.水凝如石.故其脉之來.沈濡而滑.故曰石.
〔訓読〕冬の脉は石とは、腎は北方の水なり、萬物の蔵(くら)す所なり、盛(さかん)なる冬の時に、水凝(こお)って石の如し、故に其の脉来ること、沈濡(ちんなん)にして滑(かつ)、故に石と曰う。

〔解説〕冬の脉状が石脉と言う理由は、
五行論から、冬の季節に対応するのは、五臓の腎であり、方位として北方で、水の性質を持ちます。
それを詳しく述べると、冬には、万物(動植物一般)は発育成長が止まり動物では熊や爬虫類は冬眠する。そして、厳冬(げんとう)には水が凍って石の様になる。そうゆう事で冬の脉状は沈濡(ちんなん)にして滑(かつ)脉にり、沈んだ石脉になるのだと。

〔解説補足〕
腎水の脉、沈濡(ちんなん)にして滑(かつ)脉になる。
滑脉について。
これは「数珠の上を撫でるが如く」、たいていは押し上げるような脉なのですが、押し上げるのでは無くてコロッコロッと指の下を転がって逃げていくような意味なんです。

「南北経驗醫方大成による病証論」の二、寒論より。

『湿を兼ねる時は脉、濡にして四肢腫痛す』とは、
濡とは、
湿邪を受けた時の代表的な脉で、儒・緩の一つです。
古典では、やわらかいという意味の「なん」には皆この字が使われています。
だから「なんみゃく」といった場合は「濡脉」と書いて「なんみゃく」と読ませ、
また「儒脉」のことを 「じゅみゃく」と言っているのです。

〔原文〕此四時之脉也.如有變奈何.
〔訓読〕此れ四時の脉なり、もし変化あらばいかん。
〔解説〕なるほど以上説明が春夏秋冬の四季に応じた脉状と理解するが、
もし四季の脉状に変化があればどうなるのかを問いたい。

〔原文〕然.
〔訓読〕然(しか)るなり。
〔解説〕お答えします。

〔原文〕春脉弦.反者爲病.
〔訓読〕春の脉は弦、反するものは病となす。
〔解説〕春の脉は濡弱(なんじゃく)にして長、故に弦であり、これに反する脉は病である。

〔原文〕何謂反.
〔訓読〕何をか反と謂(い)う。
〔解説〕反する病脉について説明しなさい。

〔原文〕然.
〔訓読〕然(しか)るなり。
〔解説〕お答えします。

〔原文〕其氣來實強.是謂太過.病在外.
〔訓読〕其の氣来ること実強、是を太過と謂う、病(やまい)外(そと)に在(あ)り。
〔解説〕春の脉が強くなった場合は、これを太過の実脉といい、外邪性の病である。
〔解説補足〕太過の実脉とは、弦でありながら洪、或いは緊と言う脉が加わった状態の脉状です。
〔原文〕氣來虚微.是謂不及.病在内.
〔訓読〕氣来ること虚微、是を不及(ふきゅう)と謂う、病内(うち)に在り。
〔解説〕春の脉が弱くなった場合は、これを不及の虚脉といい、内傷系の病である。
〔井上恵理先生の難経臨床解説から、〕虚微とは、弱い事。不及とは、およばざる・弱い・足りない事。

〔原文〕氣來厭厭聶聶.如循楡葉.曰平.
〔訓読〕氣来ること厭厭(えんえん)聶聶(てつてつ)として楡(にれ)の葉を循(なず)るが如しを平と曰う。
〔解説〕春の弦脉は楡葉を聶(ささや)き循るように軟らかく等しく伸びやかに整った脉状を平の正常脈と言う。
〔井上恵理先生の難経臨床解説から、〕
厭厭とは、活発で静かであると言う意味です。
厭厭の意味を、古典の「註証発微(ちゅうしょうはっぴ)」「類経」では、
形と物が軟らかく等しく伸びやかに整えたる様を言う。
「楡(にれ)の葉」は、細い軟らかい葉で成長しても軟らかいままなのが特徴です。
聶く:ささや-く

〔原文〕益實而滑.如循長竿.曰病.
〔訓読〕益々実にして滑、長き竿を循るが如しを病と曰う。
〔解説〕春の脉が益々実して弦の脈が切れてコロッコロッコロッと数珠をなでる様な滑脉になり、
さらに太くて長い竹竿の様なガッガッ打つ脉状になると、これはもう病の脉だと。

〔原文〕急而勁益強.如新張弓弦.曰死.

〔訓読〕急にして勁(けい)益々強く、新に張る弓の弦の如きを死と曰う。
〔解説〕新しく弓に弦を張る時は、弦を強く引き絞って装着するので、
弦の張りが非常に細くて強いものになる。このような脉状が死脈だと。
※ 病の弦脉は、太くて突っ張っている、死脈の弦脉は非常に細くて強く突っ張っている。

〔本間祥白先生の解説〕急は引きつける。勁は強い。と言う意味です。
〔井上恵理先生の難経臨床解説〕
「新に張る弓の弦の如き」とは、所謂弓と言うものは常に仕舞っておいて弦は使用する時にのみ張る訳です。いつまでも弦を張っておくと棹の方が緩んできて弓の弦が軟らかくなる。
新しく張った場合は弦の張りが非常に強い。これもやはり強い・突っ張っていると言う意味です。
このような脉はものは死脈だと。

〔原文〕春脉微弦.曰平.弦多胃氣少.曰病.
〔訓読〕春の脉微弦なるを平と曰い、弦多く胃氣少きを病と曰う、
〔解説〕春の脉は穏(おだ)やかに微(わず)かに軟(やわ)らかい弦脉が正常な良い脉状である。
弦脉が、滑脉や長い竹竿の様に太くなったりとすると、胃氣穏やかさが少くなるのでこれを病と言う。

〔原文〕但弦無胃氣.曰死.春以胃氣爲本.
〔訓読〕但(ただし)弦にして胃氣無きを死と曰う、春も胃氣を以って本(もと)となす。
〔解説〕胃の気が全くなくなってただ弦だけになったものを死脈と言う。
春夏秋冬の四季においてもそして春の弦脉でも胃気の穏やかな脉状が生きる基本である。

〔井上恵理先生の難経臨床解説から、〕
胃の気を脉状から考察すると、緩(ゆる)やか脉状・緩脉(カンミャク)を胃の気と言っている。
だから、緩やか味のないものを病脉と言い、あるいは死脈と言います。
緩やか味のあるものは胃の気があるのだから弦の脉にも軟らか味が出て来ると言う事が言える訳です。
それから、浮中沈の三脉で中脉が即ち胃の気の脈です。
中脉が無くなると、陰と陽との境が無くなって弦が多くなり全ての脉が強くなる・・病脉、死脉になる。

〔やまちゃんの解説補足〕胃氣を考察する。
制脉力において、胃氣を創ることが鍼灸師に求められることである。
患者の虚実の病脉に対して、その脉状を「穏(おだ)やかな」脉状に創りかえる事である。 穏やかな脉状は、柔軟で強靭な血管を創る事である。

〔原文〕夏脉鉤.反者爲病.何謂反.
    然.
    其氣來實強.是謂太過.病在外.
    氣來虚微.是謂不及.病在内.
〔訓読〕夏の脉は鉤、反するものは病となす。
何をか反と謂(い)う。
然るなり。
其の氣来ること実強、是を太過と謂う、病(やまい)外(そと)に在(あ)り。
氣来ること虚微、是を不及(ふきゅう)と謂う、病内(うち)に在り。
〔解説〕夏の脉は鉤脉はパッと来てスーッ去る脉状であり、これに反する脉は病である。
反する病脉について説明しなさい。
お答えします。
夏の脉が強くなった場合は、これを太過の実脉といい、外邪性の病である。
夏の脉が弱くなった場合は、これを不及の虚脉といい、内傷系の病である。

〔原文〕其脉來累累如環.如循琅玕.曰平.
〔訓読〕其の氣来ること累累として環(たまき)の如く、琅玕(ろうかん)を循(なず)るが如くを平と曰う。
〔解説〕夏の正常な脉は、パッと来てスーッ去る鉤脉がリズミカルに連続して珠の輪(艶と光沢のある真珠のネックレス)を回るが如く流れている脉状を正常な平脉と言う。

〔井上恵理先生の難経臨床解説から、〕
「累累として」と言うのは、鈎(こう)と言うのは、来る時は急に来て去る時は穏やかに去る意味です。
そう言うのが連続してくると珠の輪(真珠のネックレス)を回るが如く、リズム感が出て来る。
これを「環(たまき)の如く」とか。「琅玕(ろうかん)」とは、珠に光沢があるもの。
何か味わいのある艶のある様な脉だと表現している訳です。これを平脉と言うのだと。

〔原文〕來而益數.如雞擧足者.曰病.
〔訓読〕来って益々数、雞(とり)の足を挙ぐるが如きものを病と曰う。
〔解説〕鶏(にわとり)が歩く時のさまは、足を降ろす時は穏やかに下ろすし、
足を挙げるときはクックッと引っ掛かる様に挙げる、この様な脉を病と言うのだと。

〔原文〕前曲後居.如操帶鉤.曰死.
夏脉微鉤.曰平.鉤多胃氣少.曰病.但鉤無胃氣.曰死.夏以胃氣爲本.
〔訓読〕前曲り後(うしろ)居して、帯鈎(たいこう)操(と)るが如きを死と曰う。
夏の脉は微鈎なるを平と曰い、鈎多く胃氣少きを病と曰う、
但(ただし)鈎にして胃氣無きを死と曰う、夏も胃氣を以って本(もと)となす。
〔解説〕初めて脉を押した時には硬くて太い。段々押してみると却(かえ)って脉が弱くなる。革帯(かわおび)の鈎(かぎ)外す時にピクッピクッと脉が動く様な脉状を死脈と言う。
夏の脉は穏やかに微かに軟らかい鈎脉が正常な良い脉状である。
鈎多くなると胃氣穏やかさが少くなるのでこれを病と言う。
胃の気が全くなくなってただ鈎だけになったものを死脈と言う。
春夏秋冬の四季においてもそして夏の鈎脉でも胃気の穏やかな脉状が生きる基本である。

〔原文〕秋脉微毛.反者爲病.何謂反.
    然.
    氣來實強.是謂太過.病在外.
    氣來虚微.是謂不及.病在内.
〔訓読〕秋の脉は微毛、反するものは病となす。 何をか反と謂(い)う。
然るなり。
其の氣来ること実強、是を太過と謂う、病(やまい)外(そと)に在(あ)り。
氣来ること虚微、是を不及(ふきゅう)と謂う、病内(うち)に在り。
〔解説〕秋の脉は微毛脉でフワッフワッと浮いて芯がある脉状であり、これに反する脉は病である。
反する病脉について説明しなさい。
お答えします。
秋の脉が強くなった場合は、これを太過の実脉といい、外邪性の病である。
秋の脉が弱くなった場合は、これを不及の虚脉といい、内傷系の病である。

〔原文〕其脉來藹藹如車蓋.按之益大.曰平.
〔訓読〕其の氣来ること藹藹(あいあい)として車蓋の如く、之を按(お)せば益々大なるを平と曰う。
〔解説〕秋の正常な脉は、穏かに福が集まりふんわりとした脉が流れている脉状を正常な平脉と言う。

〔井上恵理先生の難経臨床解説から、〕
「藹藹(あいあい)として」とは、信望のある鍼灸院の所へは沢山の人が集まる、
人が集まると騒がしくなるが、そうではなくて、穏かな様態であるさまかな・・・
「車蓋」とは、車の被いを皮で作ってありフワッフワッと乗り心地が良い。
〔原文〕不上不下.如循雞羽.曰病.
〔訓読〕上がらず下(くだ)らず、雞羽(けいもう)を循(なず)るが如くを病と曰う。
〔解説〕脉を軽く押さえてもそこに脉は無い、強く押しても無い、途中に脉がある。
鶏の羽とか髭をそる時ソーッとなでると判る。これが病脉であると。

〔原文〕按之消索.如風吹毛.曰死.
    秋脉微毛.爲平.
    毛多胃氣少.曰病.
    但毛無胃氣.曰死.
    秋以胃氣爲本.
〔訓読〕之を按(お)せば消索(しょうさい)として、風の毛を吹くが如きを死と曰う。
秋の脉は微毛を平となし、毛多く胃氣少きを病と曰う、但(ただし)毛にして胃氣無きを死と曰う、
秋も胃氣を以って本(もと)となす。

〔解説〕脉を押さえると、脉があったと思っても直ぐに無くなってしまう。風が吹くと脉が現われ、風がやむと脉が消える。このような脉状を死脉と言う。
秋の脉は穏やかに微かに軟らかいでフワッフワッと浮いて芯がある微毛脉が正常な良い脉状である。
毛多くなると胃氣穏やかさが少くなるのでこれを病と言う。
胃の気が全くなくなってただ毛だけになったものを死脈と言う。
春夏秋冬の四季においてもそして秋の毛脉でも胃気の穏やかな脉状が生きる基本である。

〔原文〕冬脉石.反者爲病.何謂反.
    然.
    其氣來實強.是謂太過.病在外.
    氣來虚微.是謂不及.病在内.
〔訓読〕冬の脉は石、反するものは病となす。 何をか反と謂(い)う。
然るなり。
其の氣来ること実強、是を太過と謂う、病(やまい)外(そと)に在(あ)り。
氣来ること虚微、是を不及(ふきゅう)と謂う、病内(うち)に在り。

〔解説〕冬の脉は石脉で、これに反する脉は病であるというが。これに反する病脉について説明しなさい。
お答えします。
冬の脉が強くなった場合は、これを太過の実脉といい、外邪性の病である。
冬の脉が弱くなった場合は、これを不及の虚脉といい、内傷系の病である。

〔原文〕脉來上大下兌.濡滑如雀之啄.曰平.
〔訓読〕脉来ること上大下兌(じょうだいかえい)、濡滑にして雀の啄(ついば)むが如き平と曰う。
〔解説〕冬の脉は石脉は、脉が来る時には大きく来て去る時は速い。そして軟らかく滑るよう脉で、
常に雀が口ばしを啄(ついば)み続けている様な脉状を正常な平脉と言う。

〔原文〕啄啄連屬.其中微曲.曰病.
〔訓読〕啄啄として連属し、其の中(うち)微(すこ)しき曲るを病と曰う。
〔解説〕啄々・啄々・啄々と連続しているが、脉が去る時にグッグッと強い脉を感じる脉状を病と言う。

〔原文〕來如解索.去如彈石.曰死.
    冬脉微石.曰平.石多胃氣少.曰病.但石無胃氣.曰死.冬以胃氣爲本.
〔訓読〕来ること索(なわ)を解(と)くが如く、去こと石を彈(はじ)くが如きを死と曰う。
冬の脉は微石を平と曰い、石多く胃氣少きを病と曰い、但(ただし石にして胃氣無きを死と曰う、冬も胃氣を以って本(もと)となす。

〔解説〕脉が来る時は、物を結わえた縄を切るとパッと広がる脉で、去る時には一辺にピクッと石を弾くように動いてから去っていくような脉になる。これを死脈と言う。
冬の脉は、脉が来る時には大きく来て去る時は速い。そして軟らかく滑るよう脉で、
常に雀が口ばしを啄(ついば)み続けている様な微石脉が正常な良い脉状である。
石多くなると胃氣穏やかさが少くなるのでこれを病と言う。
胃の気が全くなくなってただ石だけになったものを死脈と言う。
春夏秋冬の四季においてもそして冬の石脉でも胃気の穏やかな脉状が生きる基本である。

〔原文〕胃者.水穀之海也.
    主稟四時.
    故皆以胃氣爲本.
    是謂四時之變病.死生之要會也.
〔訓読〕胃は、水穀の海(かい)なり、四時を稟(うく)ることを主る。
故に皆な胃氣を以って本(もと)となす。
是れ謂(いわゆ)る四時の病変、死生の要會(ようえ)なり。

〔解説〕胃の気は飲水と食物から出来ている。
また胃は五行の土に属し、春夏秋冬の四季その末に土用があり、栄養されている。
故に全ての臓気は胃の気に生かされているのが基本である。
この胃の気に季節脉への病変が来れば、生死にかかわる要の問題となる。

〔原文〕脾者.中州也.
    其平和不可得見.衰乃見耳.
    來如雀之啄.如水之下漏.
    是脾之衰見也.
〔訓読〕脾は、中州(ちゅうす)なり、其の平和得て見るべからず、衰えて乃(すなわ)ち見るのみ、来ること雀の啄むが如く、水の下(くだり)漏るが如き、是れ脾の衰えて見(あらわ)るなり。

〔解説〕胃の気は脾が主っている。よって脾は五臓の中心である。
これが平和である時は診る事ができない。身体が衰えて初めて胃の気が無くなる事が判る。
雀が餌を啄(ついば)みと量が減るのが判る様に。或は水が減りだすと漏れているのが判る様に。

これによって胃の気・脾の衰えを診る事が出来るのだと。
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〔井上恵理先生の難経臨床解説から、〕

死脉について。

三難の総体的解釈(井上恵理先生の解釈:経絡鍼療418号p23より。山口一誠の考察)

春の死脉は、魚翔(ぎょしょう)の脉。

(魚がヒレをペラペラと動かしている様な脉の事。)

 

夏の死脉は、釜沸(ふふつ)の脉。

(フッフッと釜が沸騰する様な脉の事。)

 

秋の死脉は、解索の脉。(パラパラパラと切れる様な脉。)

 

冬の死脉は、弾石の脉。

(脳溢血で死ぬ場合など、ピクッピクッピクッと下から石で弾かれる様な脉。)

 

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