十一難

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難経十一難

     ank011

ゆっくり堂の『難経ポイント』 第十一難


※ 十一難のポイント其の一、欠滞脉が顕れる脉泊数の位置で五臓の変調が判る事です。

※ 十一難のポイント其の二、難経十一難「欠滞脉が示す五臓の不調表」を作りました。

(nk0111)文章の後に掲載しています。

 

 難経 第十一難 原文

(『難経』原本は底本:『難経』江戸・多紀元胤著、『黄帝八十一難経疏証』(国立国会図書館所蔵139函65号)オリエント出版、難経古注集成5(1982年)に影印)を参考にしています。

十一難曰.
經言.
脉不滿五十動而一止.一藏無氣者.何藏也.
然.
人吸者隨陰入.呼者因陽出.
今吸不能至腎.至肝而還.故知一藏無氣者.腎氣先盡也.

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 十一難の訓読

(井上恵理先生の解説:経絡鍼療(423号)と本間祥白先生の解説、福島弘道先生の解説を参考にして、山口一誠の考察文にて構成しました。)

十一難に曰く。
経に言う。
脉五十動に満たずして一止するは、一臓に気無しとは、何(いず)れの臓ぞや。
然(しか)るなり。
人の吸は陰に随(したが)って入(い)り、呼は陽に因(よ)って出(い)づ。
今、吸して腎に至ること能(あた)わず、肝に至って還る。
故に知らんぬ一臓気無きものは、腎気先づ尽きるなり。

詳しくは各先生の文献を参照されたし。
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 十一難の解説

(井上恵理先生の解釈:経絡鍼療(423号)と本間祥白先生の解釈、福島弘道先生の解釈を参考にして、山口一誠の考察文にて構成しました。)

十一難の解説をします。
陰陽五行理論の法則から。
人間の脉動は五十回拍動する時に、全身の経脉を全部流れるのですが、脉拍が五十動を打たない内に一回止まる事があります。これは一つの臓器に気が無い(流れていない)と診ますが、この場合どの臓器に問題があるのかを説明しなさい。
お答えします。
人の呼吸では吸う息(吸気)は陰に随って入り、吐く息(呼気)は陽に随って出る様に成っています。

現在の症状は、吸気が腎まで充分に通じないで、途中の肝で引き返って呼気として吐き出されています。
この現象の理由は四十動から五十動の間で脉が一止(脉が1回止まる:結代脉:「欠滞のある脉」)するもので、一臓に気が無いのです。そしてこれは、腎の生気が尽きているからです。


詳しくは各先生の文献を参照されたし。
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  十一難の詳細解説

(井上恵理先生の訓読・解釈:経絡鍼療(423号)と本間祥白先生の訓読・解釈、福島弘道先生の訓読・解釈を参考にして、 山口一誠の考察文にて構成しました。)詳しくは各先生の文献を参照されたし。

山口一誠の考察により原文・訓読・解説(解説補足)の順に文章を構成します。

〔原文〕十一難曰.
〔訓読〕十一難に曰く。
〔解説〕十一難の解説をします。

〔原文〕經言.
〔訓読〕経に言う。
〔解説〕陰陽五行理論から考察すると。

〔原文〕脉不滿五十動而一止.一藏無氣者.何藏也.
〔訓読〕脉五十動に満たずして一止するは、一臓に氣無しとは、何(いず)れの蔵ぞや。
〔解説〕人間の脉動は五十回拍動する時に、全身の経脉を全部流れるのですが、脉拍が五十動を打たない内に一回止まる事があります。これは一つの臓器に気が無い(流れていない)と診ますが、
この場合どの臓器に問題があるのかを説明しなさい。

〔解説補足〕
経:黄帝内経・霊枢:根結篇・栄衛循環論からの本間祥白先生の考察より。
難経十一難は、「結代脉」の一部を論じているもので「脉五十動に満たず」とは四十動までは正しく脉を打ち、それから五十動までの十動間に於いて一止するものは五臓の内の一臓に気が無いと言うがそれは何(いず)れの臓であるかと質問しているのです。

〔原文〕然.
〔訓読〕然(しか)るなり。
〔解説〕お答えします。

〔原文〕人吸者隨陰入.呼者因陽出.
〔訓読〕人の吸は陰に随(したが)って入(い)り、呼は陽に因(よ)って出(い)づ。
〔解説〕
人の呼吸では吸う息(吸気)は陰に随って入り、吐く息(呼気)は陽に随って出る様に成っています。

〔解説補足〕四難に於いては、原文:「呼出心與肺.吸入腎與肝.」訓読:呼は心と肺とに出て、吸は腎と肝とに入るとあり。

〔原文〕今吸不能至腎.至肝而還
〔訓読〕今、吸して腎に至ること能(あた)わず、肝に至って還る。
〔解説〕
現在の症状は、吸気が腎まで充分に通じないで、途中の肝で引き返って呼気として吐き出されています。

〔原文〕故知一藏無氣者.腎氣先盡也.
〔訓読〕故に知らんぬ一臓気無きものは、腎気先づ尽きるなり。
〔解説〕
この現象の理由は四十動から五十動の間で脉が一止(脉が1回止まる:結代脉:「欠滞のある脉」)するもので、一臓に気が無いのです。そしてこれは、腎の生気が尽きているからです。
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〔十一難、総体解説補足〕

 

井上恵理先生と本間祥白先生の解釈より。

人間の「気」は脉動50回で身体を一周する訳ですが、
五十動から四十動の間で一止するものは一臓に気が無い。これは、腎の生気が尽きているもの。
四十動から三十動の間で一止するものは二臓に気が無い。これは、肝腎の生気が尽きているもの。
三十動から二十動の間で一止するものは三臓に気が無い。これは、脾肝腎の生気が尽きているもの。
二十動から十動の間で一止するものは四臓に気が無い。これは、心脾肝腎の生気が尽きているもの。
十動に満たずして欠滞するものは五臓全部に気が無い。これは、五臓の全て、肝心脾肺腎の生気が尽きているものは、すなわち生命が亡くなると。
『難経本義』の説明によると、病人の死期・死ぬ時期を考えているとの記載があるそうです。
まとめ、
いわゆる脉が正常であるとか正常でないと言うのではなくて、脉の動き方によって「欠滞のある脉」の人は死ぬことがあるんだと、ここ(十一難)では注意している様です。
ただ脉に虚実があると言うだけでなくて、脉の動きに欠滞のある人は気を付けなくてはいけないと
注意しているのだと思います。

本間祥白先生の考察より。

黄帝内経・霊枢:根結篇では呼吸の理を挙げずに栄衛循環の度数を問題にしている。即ち一日一夜に
五十度正しく循環すれば、脉動も五十回に至るも一止もしない。
「結代脉」がないと言う事は五義皆正気があって正しい状態である事を示すものである。

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難経十一難: 欠滞脉が示す五臓の不調表(nk0111)

nk0111

 

 

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