八難

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難経第八難

     ank08

 ゆっくり堂の『難経ポイント』  第八難

  • ※ 八難のポイント其の一は、人間の生命の源は「先天の気:腎間の動気」です。
  • ※ 八難のポイント其の二は、 目が見えるのも、耳が聞こえるのも、感覚が敏感であるのも、 美味しい物を味わえるのも、全て「先天の気:腎間の動気」が根本である。
    人間を草木に例えれば、根が腐れ無くなれば茎も、葉も枯れ落ちて死んでしまうと。
  • ※ 八難のポイント其の三は、寸口の脉平にして死する者は、生気独り内に絶すなり。とは、いわゆる突然死、自然死、寿命死、のことです。
  • 八難のポイント其の四は、(2016年2月24日追記)
    「気」が人体に宿っているから人間は生きていられるのである。
    難経第八難は難経のへそ(中心)である。
    人間が生きている根源的問いに答えている。
    死体と生きている人間の違いは何かに答えている。
    その答えは、
    「気」が人体に宿っているから人間は生きていられるのである。
    「気」が人体を離れれば生命は終わる。
    そして、この「気」が東洋医学の根源的出発点でもある。
  • この点から、後部に、あらためて難経第八難を考察(原文・訳文・解説)してみます。

原文  難経 第八難

(『難経』原本は底本:『難経』江戸・多紀元胤著、『黄帝八十一難経疏証』(国立国会図書館所蔵139函65号)オリエント出版、難経古注集成5(1982年)に影印)を参考にしています。

八難曰.
寸口脉平而死者.何謂也.
然.
諸十二經脉者.皆係於生氣之原.
所謂生氣之原者.謂十二經之根本也.謂腎間動氣也.
此五藏六府之本.十二經脉之根.呼吸之門.三焦之原.
一名守邪之神.
故氣者人之根本也.根絶則莖葉枯矣.
寸口脉平而死者.生氣獨絶於内也.

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八難の訓読

(井上恵理先生の訳文:経絡鍼療(422号)と本間祥白先生の訳文、福島弘道先生の訳文を参考にして、 山口一誠の考察文にて構成しました。)

八の難に曰く、
寸口の脉平にして死する者は何の謂ぞや。
然るなり、
諸々(もろもろ)十二経脉は生気の原(みなもと)に係わる。
いわゆる生気の原とは、謂る十二経の根本なり。腎間の動気を謂うなり。
これ五臓六腑の本、十二経脉の根、呼吸の門、三焦の原、
一には守邪の神と名づく。
故に気は人の根本なり。根絶すれば則ち茎葉枯る。
寸口の脉平にして死する者は、生気独り内に絶すなり。

詳しくは各先生の文献を参照されたし。
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八難の解説

(井上恵理先生の解釈:経絡鍼療(422号)と本間祥白先生の解釈、福島弘道先生の解釈を参考にして、 山口一誠の考察文にて構成しました。)

八の難について。

「寸口の脉平にして」と言うのは、六部定位(ろくぶじょうい)で橈骨動脈を指腹に感じ診る時、
正常な脉(脈)なのに死ぬ人がある、これは如何なる理由なのか。

お答えいたします。

人間が健康体である為に十二経脉に気血が循り栄養しています。
それは「生気の原」と言う生命体としての根源的な力(命)が存在するからです。

生気の原とは、十二経の根本であると。原気の発生する所に生気の原があると。
それは腎間の動気を指していると。

「腎間の動気」これが五臓六腑の根本であり、十二経脉の根本であると。
そして呼吸の門(出入り口)でもあると。また三焦の原もここから発生していると。

前文を一つにまとめて言うと、人間には自然治癒力がある。これを「守邪の神」と命名する。

「先天の気」「腎間の動気」は人間が生きる根本である。
人間を草木に例えれば、根が腐れ無くなれば茎も、葉も枯れ落ちて死んでしまうと。
寸口の脉が平ら(正常)であっても死亡する人は、
生気・先天の気(腎間の動気)が独り内で絶えてしまうからである。

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  八難の詳細解説

(井上恵理先生の訓読・解説:経絡鍼療(422号)と本間祥白先生の訓読・解釈、福島弘道先生の訓読・解釈を参考にして、 山口一誠の考察文にて構成しました。)詳しくは各先生の文献を参照されたし。

山口一誠の考察により原文・訓読・解説(解説補足)の順に文章を構成します。

原文:八難曰.寸口脉平而死者.何謂也.
訳文:八の難に曰く、寸口の脉平にして死する者は何の謂ぞや。
解説:「寸口の脉平にして」と言うのは、六部定位診(ろくぶじょういしん)で橈骨動脈を指腹に感じ診る時、正常な脉(脈)なのに死ぬ人がある、これは如何なる理由なのか。

原文:然.諸十二經脉者.皆係於生氣之原
訳文:然るなり、諸々(もろもろ)十二経脉は生気の原(みなもと)に係わる。
解説:お答えいたします。
人間が健康体である為に十二経脉に気血が循り栄養しています。
それは「生気の原」という生命体としての根源的な力(命)が存在するからです。

言葉の意味:「生気の原」とは、人間が生まれ成長する生命体としての根源的な力(命)を指す。

原文:所謂生氣之原者.謂十二經之根本也.謂腎間動氣也.
訳文:いわゆる生気の原とは、謂る十二経の根本なり。腎間の動気を謂うなり。
解説:生気の原とは、十二経の根本であると。原気の発生する所に生気の原があると。
それは腎間の動気を指していると。

解説補足:腎間の動気が発生する場所は、臍下丹田です。
つまり臍の下の気海穴・関元穴にある所の動悸、これが根本になってここから出た気が十二経絡に巡っているのだと。人間の生命の源が「腎間の動気」です。

 

原文:此五藏六府之本.十二經脉之根.呼吸之門.三焦之原.
訳文:これ五臓六腑の本、十二経脉の根、呼吸の門、三焦の原、
解説:「腎間の動気」これが五臓六腑の根本であり、十二経脉の根本であると。
そして呼吸の門(出入り口)でもあると。また三焦の原もここから発生していると。

解説補足:人間は生命を維持する為に飲食します。
脾胃が消化吸収をつかさどりこれを「後天の気」と言います。
「腎間の動気」は両親から受け継いだ生命力ですこれを「先天の気」と言います。
また腎間の動気が根本になってそこから出る「三焦の気」が生命を維持する働きをしています。

原文:一名守邪之神.
訳文:一には守邪の神と名づく。
解説:前文をまとめて言うと、人間には自然治癒力がある。これを「守邪の神」と命名する。

解説補足:病気が起きる原因には、3つのパターンがあります。
① 外因:五臓六腑の経絡(十二経絡)の幾つかの経が虚し、
そこに外邪(厚さ、冷たさ、寒さ、湿、風、熱、などの外界の刺激)が、
入りこむと、その経に病気が起こります。
② 内因:五臓六腑の経絡(十二経絡)に内邪(精神的ストレス:怒る、喜ぶ、
思い考える、優う、悲しみ恐れる)などの感情が過度に「実する」か「虚す」と、
その経に病気が起こります。
③ 不外内因:働きすぎ、遊びすぎ、房事過多、で、身体が疲れて、抵抗力、
免疫力が衰え、自然治癒力が減退した為に病気を引き起こします。

これら、3つのパターンの原因が絡み合いから、病気が起きて来ると思います。

ですから「守邪の神」と言う自然治癒力が旺盛であれば病気にはなりません。

原文:故氣者人之根本也.根絶則莖葉枯矣.
訳文:故に気は人の根本なり。根絶すれば則ち茎葉枯る。
解説:ですから、「先天の気」「腎間の動気」は人間が生きる根本である。
人間を草木に例えれば、根が腐れ無くなれば茎も、葉も枯れ落ちて死んでしまうと。

解説補足:目が見えるのも、耳が聞こえるのも、感覚が敏感であるのも、
美味しい物を味わえるのも、全て先天の気が人間の根本であると。
だから根が枯れると茎も、葉も落ちしまうと。

原文:寸口脉平而死者.生氣獨絶於内也.
訳文:寸口の脉平にして死する者は、生気独り内に絶すなり。
解説:寸口の脉が平ら(正常)であっても死亡する人は、
生気・先天の気(腎間の動気)が独り内で絶えてしまうからである。

解説補足:いわゆる突然死、自然死、寿命死、のことです。

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難経第八難考察

八難のポイント其の四、(2016年2月24日追記)

  • 「気」が人体に宿っているから人間は生きていられるのである。
    難経第八難は難経のへそ(中心)である。
    人間が生きている根源的問いに答えている。
    死体と生きている人間の違いは何かに答えている。
    その答えは、
    「気」が人体に宿っているから人間は生きていられるのである。
    「気」が人体を離れれば生命は終わる。
  • そして、この「気」が東洋医学の根源的出発点でもある。
この点から、あらためて難経第八難を考察(原文・訳文・解説)してみます。
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八難の詳細解説

  • 原文:八難曰.寸口脉平而死者.何謂也.
    訳文:八の難に曰く、寸口の脉平にして死する者は何の謂ぞや。
    解説:脉が正常であっても死亡する者がいる。これはいかなることか、人間の生死の根源について説明しなさい。
  • 原文:然.諸十二經脉者.皆係於生氣之原.
    訳文:然るなり、諸々(もろもろ)十二経脉は生気の原(みなもと)に係わる。
    解説:お答えいたします。
    人間が生きていられるのは、全身を巡る十二経絡五臓六腑に「生氣之原」すなわち「気」が存在するからです。
  • 原文:所謂生氣之原者.謂十二經之根本也.謂腎間動氣也.
    訳文:いわゆる生気の原とは十二経の根本なり。腎間の動気を謂うなり。
    解説:「生気の原」とは、人間が生まれ成長する生命体としての根源的な力(命)「気」を指す。そしてこの「気」が十二経の根本であり、 それは腎間の動気を指していると。
  • 原文:此五藏六府之本.十二經脉之根.呼吸之門.三焦之原.
    訳文:これ五臓六腑の本、十二経脉の根、呼吸の門、三焦の原、
    解説:「腎間の動気」「気」これが五臓六腑の根本であり、十二経脉の根本であると。
    そして呼吸の門(出入り口)でもあると。また三焦の原もここから発生していると。
  • 原文:一名守邪之神.
    訳文:別名を守邪の神と名づく。
    解説:「生氣之原」すなわち「気」は別の言い方をすれば、 生命を脅かす内外の邪から防衛する気「守邪の神気」と命名する事が出来ると。
  • 原文:故氣者人之根本也.根絶則莖葉枯矣.
    訳文:故に気は人の根本なり。根絶すれば則ち茎葉枯る。
    解説:ですから、「気」は人間が生きる根本である。
    人間を草木に例えれば、根「気」が腐れ無くなれば茎も、葉も枯れ落ちて死んでしまうと。
  • 原文:寸口脉平而死者.生氣獨絶於内也.
    訳文:寸口の脉平にして死する者は、生気独り内に絶すなり。
    解説:脉が正常であっても死亡する人は、人体に宿っていた「気」が絶えてしまうからである。

  • ※ あらためて難経第八難を考察して。
  • ◎「気」は「命」であり「物事を意識する心」でもある。
  • ◎「気針術」は患者の気に合わせる鍼の治療技術である。
    全ての患者さんに対して、その本人の気を陰陽五行論で診断し即治療する。
    患者の気に合わせる治療技術こそが針師が極め続ける「気針術」の道である。
  • ◎その人の発言も行動も「その気」として捉える。
    草木も、花も、風の流れも「自然の気」として受け入れる。
    針師は人も自然も「その気」を陰陽五行で受け入れる。
  • ◎宇宙の始まりも「生きる」と言う「気」から発生したのでしょうね。
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※ 井上恵理先生の臨床経験から。

経験上、治療をしない方がいい患者について、病症と脉証とが一致しない、つまり病気があって脉が病気していない場合は治療をしない方がいい。
身体に色々の症状があって、苦しいとか辛いとか言っているのに、脉を診ると案外虚実がない平静の脉を打っている。これは治療をしない方がいい。
癌患者に非常に多く、陰陽虚実が判らない。これが「寸口脉平」の人達の脉の特徴でもある。

 

 

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