三難

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  難経 第三難

                         ank03

ゆっくり堂の『難経ポイント』  難経 第三難

※三難のポイント其の一は、格関覆溢と言う、病気でなくて死ぬ人の脉状を述べています。

※三難のポイント其の二は、三難は二難の定義をふまえて、脉診の臨床が展開されています。


難経 第三難 原文

(『難経』原本は底本:『難経』江戸・多紀元胤著、『黄帝八十一難経疏証』(国立国会図書館所蔵139函65号)オリエント出版、難経古注集成5(1982年)に影印)を参考にしています。

三難曰.

脉有太過.有不及.有陰陽相乘.有覆.有溢.有關.有格.何謂也.
然.關之前者.陽之動.
脉當見九分而浮.
過者.法曰太過.減者.法曰不及.
遂上魚爲溢.爲外關内格.此陰乘之脉也.
關以後者.陰之動也.脉當見一寸而沈.過者.法曰太過.減者.法曰不及.
遂入尺爲覆.爲内關外格.此陽乘之脉也.
故曰覆溢.是其眞藏之脉.人不病而死也.

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三難の訓読

(井上恵理先生の解説:経絡鍼療(418号)と本間祥白先生の解釈、福島弘道先生の解釈を参考にして山口一誠の考察文にて構成しました。)

三の難に曰(いわ)く.

脉(みゃく)に太過(たいか)あり.不及(ふきゅう)あり.陰陽相乘(いんようそうじょう)あり.覆(ふく)あり.溢(いつ)あり.關(かん)あり.格(かく)ありとは何(なん)の謂(いい)ぞや。

然(しか)るなり、

關の前は陽の動なり。

脉、當(まさ)に九分に見(あらわ)れて浮なるべし。

過ものは法に太過と曰い、減ものは法に不及と曰う。

遂(すす)みて魚に上るを溢となし、外關内格となす。此れ陰乘の脉なり。

關以後は陰の動なり、脉當一寸に見れて沈なるべし。

過るものは法に太過と曰い.減ずるものは、法に不及と曰う。

遂んで尺に入るを覆となし、内關外格となす。此れ陽乘の脉なり。

故(ゆえに)覆溢(ふくいつ)と曰う。

是(これ)其の眞藏(しんぞう)の脉は、人病まさざれども死す。

詳しくは各先生の文献を参照されたし。
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   三難の解説

(井上恵理先生の解説:経絡鍼療(418号)と本間祥白先生の解釈、福島弘道先生の解釈を参考にして山口一誠の考察文にて構成しました。)

三難の解説をします。

脉には大きく過ぎる「実脉」があり、及ばざる・足らない「虚脉」がある。
陰陽二たつ脉位の領域に侵入する、相乗入れる脉状があり、
その脉状に覆、溢、関、格の脉があるが、
これらについて詳しく説明しなさい。

お答えします。

関上中心より前、寸口九分の脉位の所で陽脉が拍動している。

寸口九分の脉位の所で陽脉が診られ、それが正常なら浮脉を打っているものである。
脉が浮き過ぎれば太過の実脉と言い、浮脉が低く減じていれば不及の虚脉と言う。

脉が長くなって、魚際(第一指掌骨基底)の方に余計に出たのを溢脉と言い、
魚際に溢(あふ)れ出る状態を外関内格と言い、この脉状の理由は陰が陽に乗じた為である。

関上中心より後で、陰脉が拍動している。
尺一寸の脉位の所で陰脉が診られ、それが正常なら沈脉を打っているものである。
(陽の脉は浮が正常であり、陰の脉は沈が正常である。)
沈にして太過なるものを実・陰実と言い、減じていれば不及の虚と言う。

脉が長くなって、尺一寸の脉位より肘関節の方に出ている脉を覆脉と言う。
この状態を内關外格と言い、この脉状の理由は陽が陰に乗じた為である。

ゆえに、〔外関内格溢脉〕と〔内関外格覆脉〕は、
これを「眞藏の脉」「胃の気がない脉」と言い、
この脈は病気が無くても死ぬ人の脉状である。


詳しくは各先生の文献を参照されたし。
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  三難の詳細解説

(井上恵理先生の訓読・解説:経絡鍼療(418号)と本間祥白先生の訓読・解釈、福島弘道先生の訓読・解釈を参考にして、山口一誠の考察文にて構成しました。)詳しくは各先生の文献を参照されたし。

山口一誠の考察により原文・訓読・解説(解説補足)の順に文章を構成します。

〔原文〕三難曰.
〔訓読〕三難に曰く。
〔解説〕三難の解説をします。

 

〔原文〕脉有太過.有不及.有陰陽相乘.有覆.有溢.有關.有格.何謂也.

〔訓読〕

脉(みゃく)に太過(たいか)あり、不及(ふきゅう)あり、陰陽相乘(いんようそうじょう)あり、覆(ふく)あり、溢(いつ)あり、関(かん)あり、格(かく)ありとは、
何(なん)の謂(いい)ぞや。

〔解説〕

脉には大きく過ぎる「実脉」があり、及ばざる・足らない「虚脉」がある。
陰陽二たつ脉位の領域に侵入する、相乗入れる脉状があり、
その脉状に覆、溢、関、格の脉があるが、これらについて詳しく説明しなさい。

〔井上恵理先生解説補足〕
「太過」とは大きく過ぎるから「実」を意味する。
「不及」とは及ばざる事・足らない事だから「虚」を意味する。

〔本間祥白先生解説補足〕
陰陽相乘とは、陰が陽の領域に侵入する。逆に陽が陰の領域に侵入する様。相乗入る様。

※ 二難において陰陽の脉部を、陰の幅は尺の一寸、陽は寸の九分と規定する。

(二難、陰尺一寸・陽寸九分の図表 ank022を参照)

ank022

〔原文〕然.
〔訓読〕然(しか)るなり。
〔解説〕お答えします。

 

〔原文〕關之前者.陽之動.
〔訓読〕関の前は陽の動なり。
〔解説〕関上中心より前、寸口九分の脉位の所で陽脉が拍動している。

〔解説補足〕
〔訓読〕関より魚際に至って、是寸口の内、陽の治(おさ)まる所也り。
〔解説〕関の中ほどから魚際(第一指掌骨基底)寸の脉部の位置が、 陽の脉診・診察が出来る所である。

 

〔原文〕脉當見九分而浮. 過者.法曰太過.減者.法曰不及.

〔訓読〕脉、當(まさ)に九分に見(あらわ)れて浮なるべし。
過ものは法に太過と曰い、減ものは法に不及と曰う。

〔解説〕寸口九分の脉位の所で陽脉が診られ、それが正常なら浮脉を打っているものである。
脉が浮き過ぎれば太過の実脉と言い、浮脉が低く減じていれば不及の虚脉と言う。

〔井上恵理先生解説補足〕
実脉とは、浮いていてしかも強い。普通の浮ではないもっと過ぎているものを実と言う。
脉を比較して、大きい方が実で足らない方が虚と決めるのは間違いです。
一番わかりやすい例として、風邪をひいて熱が出て汗を出している脉を診ればいい。
38度位熱がある。あの時の脉が実なんです。
実には旺実と邪実がありますが、三難で言う実は、陽に顕れ浮に顕れから邪実です。
邪実の場合は病気、旺実の場合は機能不調和・身体の何処かの調和が乱れて実したのだから病気と診ない場合が多い。

 

〔原文〕遂上魚爲溢.爲外關内格.此陰乘之脉也.

〔訓読〕遂(すす)みて魚に上るを溢となし、外關内格となす。此れ陰乘の脉なり。

〔解説〕脉が長くなって、魚際(第一指掌骨基底)の方に余計に出たのを溢脉と言い、
魚際に溢(あふ)れ出る状態を外関内格と言い、この脉状の理由は陰が陽に乗じた為である。

 

〔原文〕關以後者.陰之動也. 脉當見一寸而沈. 過者.法曰太過.減者.法曰不及.

〔訓読〕

関以後は陰の動なり、
脉當一寸に見れて沈なるべし。
過るものは法に太過と曰い.減ずるものは、法に不及と曰う。
〔解説〕

関上中心より後で、陰脉が拍動している。
尺一寸の脉位の所で陰脉が診られ、それが正常なら沈脉を打っているものである。
(陽の脉は浮が正常であり、陰の脉は沈が正常である。)
沈にして太過なるものを実・陰実と言い、減じていれば不及の虚と言う。

 

〔原文〕遂入尺爲覆.爲内關外格.此陽乘之脉也.

〔訓読〕遂んで尺に入るを覆となし、内關外格となす。此れ陽乘の脉なり。

〔解説〕脉が長くなって、尺一寸の脉位より肘関節の方に出ている脉を覆脉と言う。
この状態を内関外格と言い、この脉状の理由は陽が陰に乗じた為である。

 

〔原文〕故曰覆溢. 是其眞藏之脉.人不病而死也.

〔訓読〕故(ゆえに)覆溢(ふくいつ)と曰う。
是(これ)其の眞藏(しんぞう)の脉は、人病まさざれども死す。

〔解説〕ゆえに〔外関内格溢脉〕と〔内関外格覆脉〕は、
これを「真藏の脉」「胃の気がない脉」と言い、
この脈は病気が無くても死ぬ人の脉状である。

〔井上恵理先生解説補足〕
「格関覆溢の脉」を打っている本人は別に病気もなく余り苦しみも無い状態である。
「人病まずして死す」「大往生」寿命で死ぬ人の脉です。

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三難の総体的解釈

第三難にあるものは、
① 脉状の太過不及・虚実と言う事と、
② 格関覆溢と言う、病気でなくて死ぬ人の脉状を表している。

格関覆溢の脉には、〔外關内格溢脉〕と〔内關外格覆脉〕がある。

1、外關内格溢脉と言う死脉について。

一つは陰から陽に上がる脉と言うから陰が浮でであるべきななのに、
もっと乗じて上に上っているものの場合〔魚際(第一指掌骨基底)の方向〕、
これは陰が陽を冒した〔溢(あふ)れた〕と言う。

『井上恵理先生の言葉の解釈』「溢脉」
寸口の脉、寸関尺の脉状がどのようになっているかと言うと、陰が無くて陽だけの脉です。
無論、中脉も無くなっている。(胃の気のない脉)

これは死脉であり、釜沸(ふふつ)の脉や、魚翔(ぎょしょう)の脉がある。

釜沸の脉とは、フッフッと釜が沸騰する様な脉の事。

魚翔の脉とは、魚がヒレをペラペラと動かしている様な脉の事。

こうゆうものを、外関内格、すなわち陰乗の脉、陰が陽に乗ずる脉状である。

2、〔内關外格覆脉と言う死脉について〕 もう一つは覆脉。

内關外格と言うのは陽邪・熱病なんかの場合に、(陽気が燃え尽きて)陽の脉が無くなって陰だけ脉がある場合。

これは死脉であり、弾石(だんせき)・解索(かいさく)の様な脉である。

弾石の脉状は、脳溢血で死ぬ場合など、ピクッピクッピクッと下から石で弾かれる様な脉。

解索の脉状は、パラパラパラと切れる様な脉。

3、「眞藏(しんぞう)の脉と言う死脉」について。

「眞藏の脉」と言うのは「胃の気がない脉」の事です。

即ち根が切れて葉があったものが葉も枯れてしまうという、栄養の取れなくなった脉です。

※ 「眞藏」のことは「黄帝内経・素問・玉機真蔵論」に記載あり。

今までのまとめ、

一の難では、寸口の脉の考え方、独り肺経にある寸口、ここでは左右の寸口・関上・尺中を総じて意味する事。

二の難では、脉の位置・脉位を表している。

三の難では、病気でなくても死ぬと言う格関覆溢の脉を表している。

そして、「格関覆溢の脉」を考察すると、
「格関覆溢の脉」を打っている本人は別に病気もなく余り苦しみも無い状態である。
「人病まずして死す」「大往生」寿命で死ぬ人の脉です。
よって、
鍼灸師は、この様な人に治療を施してはいけないと言う事にもなります。

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言葉の解釈(「難経の研究 」本間祥白p10より。)

「外関内格」とは、陽が外(陽)に閉じ、陰が内(陰)より溢(あふ)れて陽を拒むと言う意味である。 外関内格の「関」は閉じると言う意味。「格」は拒むと言う意味。

「覆溢(ふくいつ)の脉」について。

「溢の脉」とは、尺陰の脉が盛んで寸陽の部に溢(あふ)れ注いで、 寸尺共に沈なる陰脉を打つ脉の事です。

「覆の脉」とは、寸陽の脉が盛んで尺陰の脉を覆(くつ)がえし、 寸尺共に浮なる陽脉になる脉の事です。

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※ 三難の宿題です。

溢脉覆脉の脉状の解釈の違いにつて。

井上恵理先生は、「外関内格の溢脉」は、陰が無くて陽だけの脉と表現されている。
これは「中脉が無い胃の気のない死脉」であり、釜沸(ふふつ)の脉や、魚翔(ぎょしょう)の脉がある。

本間祥白先生は、「外関内格の溢脉」を、寸尺共に沈なる陰脉を打つ脉の事と言われる。

井上恵理先生は、「内関外格の覆脉」は、陽の脉が無くなって陰だけ脉がある場合と言われる。。
これは「中脉が無い胃の気のない死脉」であり、弾石(だんせき)・解索(かいさく)の様な脉である。

本間祥白先生は、「内関外格の覆脉」を、寸尺共に浮なる陽脉になる脉の事と言われる。
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