寒論

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     南北経驗醫方大成、第二、寒論

2016年8月25日、掲載。

南北経驗醫方大成による病証論・井上恵理先生・講義録を参考に構成しています。。

小項目 番号 c312

二、 寒論のポイント

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「南北経驗醫方大成 二、寒論 」の原文

寒為天地殺癘之氣。
故見於冬、則為氷為霜。
草木因之而摧敗、鳥獣各巣穴以自居。
氣體虚弱之人、或調護失宜、衝斥道途、
一時為寒氣所中、則昏不知人。
口噤失音、四肢僵直、攣急疼痛。
或洒洒悪寒、翕翕発熱、面赤若有汗。
五臓虚者、皆能有所中也、其脉多遅而緊。
挟風則、脉帯浮、眩暈不二。
兼湿則、脉濡而四肢腫痛。
治療之法、只宜以薑附之薬、温散寒気。
切不可妄有吐下。
如舌巻嚢縮者難治。

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第二、 寒論の 原文と訳文読み(カタカナ)。

寒為天地殺癘之氣。
カンハ テンチ サツレイノ キ ナリ
故見於冬、則為氷為霜。
ユエニ フユニ アラワルル トキハ、コオリトナリ  シモトナル
草木因之而摧敗、鳥獣各巣穴以自居。
ソウモク コレニ ヨッテ サイハイイシ、チョウジュウ オノオノ ソウケツシテ モッテ オノズカラ キョス
氣體虚弱之人、或調護失宜 、衝斥道途、
キタイ キョジャク ナヒト、アルイハ チョウゴ ヨロシキヲ シッシ、タウトニ ショウセツシテ
一時為寒氣所中、則昏不知人。
イチジニ カンキノ タメニ アテラレル、トキ コンシテ ヒトシラズ
口噤失音、四肢僵直、攣急疼痛。
クチツグミコエヲシッシ、シシ キョウチョクシ、レンキュウ トウツウス
或洒洒悪寒、翕翕発熱、面赤若有汗。
アルイハ シャシャトシテ オカンシ、キュウキュウトシテ ハツネツシ、メン アカク モシクハ アセアリ
五臓虚者、皆能有所中也、其脉多遅而緊。
ゴゾウノ キョスル モノハ、ミナヨク アテラルル トコロアリ、ソノミャク オオクハ チニシテ キン
挟風則、脉帯浮、眩暈不二。
カゼヲ ハサム トキハ、フミャクヲ オブ、 ゲンウン フジス
兼湿則、脉濡而四肢腫痛。
シツヲ カネル トキハ 、ミャク ジュニシテ シシ フツウス
治療之法、只宜以薑附之薬、温散寒気。
チリョウノ ホウ、タダ キョウフノ クスリヲ モッテ、カンキヲ ウンサン スベシ
切不可妄有吐下。
シキリニ ミダリニ トゲ スベカラズ
如舌巻嚢縮者難治。
モシ シタマキ ノウチジマル モノハ ナオシガタシ
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南北経驗醫方大成、

二、 寒論 井上恵理先生 訳文(読み下し文)

※〔 〕内は山口の訳文

寒論

寒は天地殺癘(さつれい)の気なり。
故に冬に見(あらわ)るる時は、氷(こおり)となり霜(しも)となる。
草木之(これ)に因(よ)って摧敗(さいはい)し、鳥獣各(おのおの)巣穴(そうけつ)して以(もつ )って自(おのずか)ら居(きょ)す。
気体虚弱の人、或いは調護(チョウゴ)宜(よろ)しきを失し、道途に衝斥(しょうせっ)して、
一時に寒気の為に中(あて)らる る時は、則ち、昏(こん)して人を知らず。
〔一時に寒気の為に中(あて)らるる、時(とき)昏(こん)して人を知らず。〕
口噤(つぐみ)音(こえ)を失し、四肢僵直(きょうちょく)し、攣急疼痛(れんきゅうとうつう)す。
或 いは洒洒(しゃあしゃあ)として悪寒し、翕翕(きゅうきゅう)として発熱し、面赤く若しくは汗有り。
五臓の虚する者は、皆よく中(あて)らるる所有り、其の脉、多くは遅にして緊。
風を挟む時は、脉浮を帯び、眩暈不二(げんうんふじ)す。
湿を兼ねる時は、脉濡にして四肢腫痛す。
治療の法、只宜しく薑附(きょうふ)の薬を以って、寒気を温散(うんさん)すべし。
切(しきり)に妄(みだり)に吐下(とげ)すべからず。
もし舌巻き嚢縮(ノウチジ)まる者は治し難し。
調護(チョウゴ:ととのえおさめる。)

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南北経驗醫方大成、二、 寒論の解説文.

山口一誠のオリジナル文章を含む。

寒論の解説文

  • 人体に害を与える外邪は6種類あります。
    1風邪・2寒邪・3暑邪・4湿邪・5燥邪・6火邪です。
    これを六淫(りくいん)の邪と言います。
    そして、外邪の中で寒邪(かんじゃ)は最も威力の激しい邪気です。
  • 寒邪は万物すべてを凍らせ死滅させる力を持った邪気です。
  • 寒邪という物は四季を通じて存在します。
  • そして冬の季節を例に取れば、
    草木は、冬になると寒気(寒邪)にさらされて葉を落とし枯木のようになり来春の若葉を育みます。
    また、冬になると寒気(寒邪)から身を守るために鳥類や熊などは巣や穴の中にとじこもって冬眠します。
  • 気力の虚弱な人、身体の虚弱な人、あるいは精神不安定で体調を崩しやすい人が仕事がら、あちこち行動している時に、
    寒邪に身体を曝(さら)し犯されると、昏倒(こんとう)して人事不省(じんじ-ふせい)に成ります。
  • 寒邪に身体を犯され時の症状を具体的に言いますと、
    寒邪に中(あ)てられ凍(こご)えて口が利(き)けず話す事が出来なくなります。
  • また、手足が固く強張(こわば)ります。
  • それから筋緊張が強く出て疼(うず)く痛みを起こします。
  • あるいは、悪寒(おかん)が起きて、どんな事をしても震るえが止まらない状態に陥(おちい)ります。
  • また、とめどもなく、どんどん熱が高くなり顔が赤くなります。
    また時として冷や汗が出ることも有ります。
  • 寒邪に犯される人は五臓(肝心脾肺腎の臓)が虚弱な人達です。
  • そしてこれは冬だけに限らず、春にも夏にも秋にも季節を問わず寒邪の病気に陥る事があります。寒邪に犯された人の脉状は、遅(おそ)くって緊張(きんちょう)している脉状です。
  • 寒邪に風邪が一緒になつて侵入した場合の脉状は、遅くって緊張し、かつ浮いていている脉状です。
    そしてこの時の症状は、目まいを起こし、身体が麻痺して動かなくなります。
  • 寒邪に湿邪が一緒になつて侵入した場合脉状は、遅くって緊張し、かつ「軟(やわ)らかい」脉状です。
    そしてこの時の症状は、手足が腫れて痛みます。
  • 寒邪に犯された人に対する治療方法の原則を述べます。
    身体を温める補法の方法を取ります。
    漢方薬では、補剤の生姜附子(ショウキョウブシ湯)を使用します。
    鍼灸では、補法の手技を行います。
  • 治療にあたっての注意点について述べます。
    瀉法(しゃほう)を初めに行ってはいけません。
    漢方薬では、吐法(吐かせる)とか下剤を用いることは厳禁です。
    鍼灸では、瀉法の手技を最初に行なってはいけません。
  • 寒邪に犯された人で治療の難(むつか)しい症状の鑑別(かんべつ)について述べます。
    舌が喉の奥にひっかかってしまうとか、睾丸がグツと上に入ってしまう症状は難治性です。
 以上、寒論の解説文を終わります。
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二、 寒論の詳細解説コーナー 〔  〕内は山口一誠のオリジナル文章です。

 寒論の原文・訳文・解説

原文:寒為天地殺癘之氣。
訳文:寒(かん)は天地(てんち)殺癘(さつれい)の気なり。
解説:
人体に害を与える外邪は6種類あります。
1風邪・2寒邪・3暑邪・4湿邪・5燥邪・6火邪です。これを六淫(りくいん)の邪と言います。
そして、外邪の中で寒邪(かんじゃ)は最も威力の激しい邪気です。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】
《寒邪と動植物》p35-
『寒は天地殺癘(さつれい)の気なり』
癘(れい)という字は、猛という字と同じで、猛威を振るうという時の猛と同じ意味ですから、殺癘の気というのは、最も威力の激しい気であるという事で、いわゆる風寒暑湿燥火のうちで最も激しいのが、この寒邪であると考える訳です。
ですからここにも書いてある様に、冬になると水は凍りつき霜になってしまう。
原文:故見於冬、則為氷為霜
訳文:故に冬に見(あらわ)るる時は、氷(こおり)となり霜(しも)となる。
解説:
寒邪という物は四季を通じて存在します。
そして冬の季節を例に取れば、
寒邪は万物すべてを凍らせ死滅させる力を持った邪気です。
原文:草木因之而摧敗
訳文:草木之(これ)に因(よ)って摧敗(さいはい)し、
解説:草木は、冬になると寒気(寒邪)にさらされて葉を落とし枯木のようになり来春の若葉を育みます。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】
《寒邪と動植物》p35-
『草木之(これ)に因(よ)って摧敗(さいはい)し』、
というのは、寒さのために枝葉が落ちてあたかも枯れた木のように成ってしまう。
いわゆる木枯らしという言葉がありますがね。
まるで枯れた木のように見えてしまうほど全ての発育を停止させ、来るべき春を待つという姿になる事をここでは摧敗(さいはい)と、こう言っている訳です。
〔 摧敗〔さいはい;くだけ敗れる。〕 摧(くだ)き敗(やぶ)る。〕
原文:鳥獣各巣穴以自居
訳文:鳥獣各(おのおの)巣穴(そうけつ)して以(もつ )って自(おのずか)ら居(きょ)す。
解説:また、冬になると鳥類や熊なども巣や穴の中にとじこもって冬眠します。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】
『鳥獣各(おのおの)巣穴(そうけつ)して以(もつ )って自(おのずか)ら居(きょ)す。』
鳥や獣といった動物たちは、冬になると巣や穴の中にとじこもってしまう。
そして自ら居すというのは、じっとして動かないで居るという事です。
《寒邪と人間=内因》p36-
人間の場合は、冬になって殺癘(さつれい)の気といわれる程の寒邪が襲ってきても、穴居しなくても或いは摧敗(さいはい)しなくてもちやんと生きていける訳です。
ここが万物の霊長といわれる所です。
原文:氣體虚弱之人、或調護失宜
訳文:気体虚弱の人、或いは調護(チョウゴ)宜(よろ)しきを失し、
解説:気力の虚弱な人、身体の虚弱な人、あるいは精神不安定で体調を崩しやすい人が、
¨
解説捕捉:〔調護(チョウゴ:ととのえおさめる。〕
¨
【井上恵理先生の講義解説より】
『気体虚弱の人、或いは調護(チョウゴ)宜(よろ)しきを失し』
しかし気体虚弱の人や、或いは調護を失しというのは、いわゆる調和が乱れた場合、これは内因ということが出来るわけだね。
我々の精神的な持ち具合、あるいは機能的な調和を失ってしまった時、という意味です。
(注・或いは飢渇(きかつ:飢えとかわき。特に、飲食物の欠乏すること。)し、或いは労役し、或いは衣(ころも)を単(ひとえ)にする類を調護宣しきを失なうと云テ、と校注にある)

原文:衝斥道途
訳文:道途に衝斥(しょうせっ)して、
解説:仕事がら、あちこち行動している時、
¨
【井上恵理先生の講義解説より】
『道途に衝斥(しょうせっ)して、』
衝とは突く、斥は斥侯(せっこう:敵の状況や地形などを探ること。)の斥、あちこち飛び回るという意味で、衝斥というのは道をたくさん歩くという意味です。
(注・雪霜などに突き向かい、雪氷などを推し開きて往来するを、道途に衝斥すると云うと、校注にある)
そしてこのような様々な原因があって、

原文:一時為寒氣所中
訳文:一時に寒気の為に中(あて)らるる、
解説:寒邪に身体を曝され犯されると、
¨
【井上恵理先生の講義解説より】
『一時に寒気の為に中(あて)らるる時は、』
一時に寒の邪に中てられた時に、以下に述べるような寒(中寒)の症状が起こる、といつている訳です。

原文:則昏不知人
訳文:則ち、昏(こん)して人を知らず。
解説:昏倒(こんとう)して人事不省(じんじ-ふせい)に成ります。
¨
解説捕捉:
【昏倒(こんとう)】めまいがして倒れること。卒倒。失神。「頭を打って昏倒する」
【人事不省(じんじ-ふせい)】 まったく知覚や意識を失うこと。 重病や重傷などで意識不明になり、昏睡(こんすい)状態になること。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】
《中寒の症状》p36- 『昏(こん)して人を知らず。』昏倒して人事不省に成るという事です。
原文:口噤失音
訳文:口噤(つぐみ)音(こえ)を失し、
解説:
寒邪に身体を犯され時の症状を具体的に言いますと、
寒邪に中(あ)てられ凍(こご)えて口が利(き)けず話す事が出来なくなります。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】
『口噤(つぐみ)音(こえ)を失し、』
凍えてくると口がきけなくなり、話す事が出来なくなる、という事です。
(注・寒邪に因って三陽経を閉塞するが故に口噤(つぐみ)みて開かず、と校注にある)
原文:四肢僵直
訳文:四肢僵直(きょうちょく)し、
解説:また、手足が固く強張(こわば)ります。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】
『四肢僵直(きょうちょく)し、』
四肢僵直シ、手足が固く強ばるという事ですね。(注・手足は諸陽の本とす。寒邪その陽気を撃つが故に僵直す、とある)
原文:攣急疼痛
訳文:攣急疼痛(れんきゅうとうつう)す。
解説:それから筋緊張が強くでて、疼(うず)き痛みを起こします。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】
『攣急疼痛(れんきゅうとうつう)す。』
それから疼痛ス。疼き痛みを起こす。〔攣急(レンキュウ). 意味, 筋緊張が強いこと。〕
原文:或洒洒悪寒
訳文:或 いは洒洒(しゃあしゃあ)として悪寒し、
解説:あるいは、悪寒(おかん)が起きて、どんな事をしても震るえが止まらない状態に陥(おちい)ります。
¨
解説捕捉:悪寒(おかん)とは、発熱の初期に起きる、体がゾクゾクしたり、ガタガタ震えるような病的な寒け(さむけ)のことです。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】《悪寒》p36-37-
 『或 いは洒洒(しゃあしゃあ)として悪寒し、』
或ハ洒酒トシテ悪寒ス。この酒酒という事は、あの野郎しやあしやあとしてやがる、という風に使いますね。
こういった言いまわしの語源なんです。
いわゆる澄(す)ましこんでいる。ちつとも変わらない、という意味です。
驚かしても驚かない、笑わしても笑わない、洒洒としてやがると我々は使いますが、どんな事をしても震るえが止まらないのを洒洒として悪寒する、とこう言うんです。
原文:翕翕発熱、面赤若有汗
訳文:翕翕(きゅうきゅう)として発熱し、面赤く若しくは汗有り。
解説:また、とめどもなく、どんどん熱が高くなり顔が赤くなる。また時として冷や汗が出ることも有ります。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】《発熱・汗》p38-
『翕翕(きゅうきゅう)として発熱し、面赤く若しくは汗有り。』
(注・翕の音はキュウと漢和辞典には記されている)。
翕翕としてというのは、とめどもなく、という意妹で、どんどん熱が高くなって止めようがないという意味です。
そして顔が赤くなる。
(注・中寒は本来熱の出ない証であり、寒邪を受けて発熱するのは陽気が寒邪によって閉じられた、いわゆる傷寒の症状であるので、この中寒の論に発熱の記述があるのはおかしい、と岡本一抱子は述べている)。
若クハ汗有り。
若しくは汗あり、というのは、ある時は汗が出ることも有るという事で、必ず汗があるという訳じゃないんです。
(注。ここでも、本来中寒は汗の出ない証であると述べられている。しかし表気の虚損が甚しい時には冷や汗などが出ることもある、と付け加えられている)。
原文:五臓虚者、皆能有所中也
訳文:五臓の虚する者は、皆よく中(あて)らるる所有り、
解説:季節を問わず、寒邪に犯される人は五臓(肝心脾肺腎の臓)が虚弱な人達です。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】《寒邪の定義》p38-
『五臓の虚する者は、皆よく中(あて)らるる所有り、』
それでは寒邪というものは科学的にみた場合いったい何度くらいになれば寒邪と呼ぶのかと、
こういう疑問が出てくる訳ですが、これは物事を科学的(統計に基づいて)に考える癖による物です。
確かに、零度までは寒邪とは呼ばないが、零度以下になれば何度だって全部寒邪になるんだという言い方をすれば、寒邪も一応科学的にみえる訳です。
ところがここに書いてあるように、五臓虚している者しか寒邪に中(あ)てられないというんだから、零下30度になったって中てられないこともある訳です。
あるいは零下にならない例えば10度くらいでも中てられる人もあるという事です。

これが漢方医学が非科学的と言われる理由の一つですが、我々は普通、数学に表わされている物だけをそのまま信じてしまうように慣らされています。
先程申しました温度の場合と同じで、人体には25度がちょうど気持がいい温度だと覚えると、
冬も夏も秋も春もいつだって郷度の部屋にいれば同じような気持いいだろうというような考え方をしてしまう訳です。
ところが、我々の体はこのような科学的(画一的な)物の考え方では提えられないものなんですね。
だから科学的でないような方法で診断し、科学的でないような方法で治療しなかったら、これは現実にあてはまらないんです。
こういうところに東洋医学のむずかしさがあるんです。
むずかしさがあるというのは、真実性があるが故にむずかしいんです。
机上で小理屈つけるんならむしろ簡単で、「零度以下を寒邪と呼ぶ」と決めてしまえば一番納得じやすい。
しかし「そうかな―」L思って、そのつもりでやってみても、その通りにならないってだけの話です。
その通りにならなかったら何にもならない。
だから寒邪という物はこうだと断定してしまうよりは、五臓虚する者は皆よく中てられる、としておいた方がいいんです。
原文:其脉多遅而緊
訳文:其の脉、多くは遅(ち)にして緊(きん)。
解説:寒邪に犯された人の脉状は、遅(おそ)くって緊張(きんちょう)している脉状です。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】《寒の脉状》p39-
『其の脉、多くは遅(ち)にして緊(きん)。』
遅くって緊張しているという脉ですね。
風寒暑湿のいわゆる四邪の脉状を詩にした、あれは本間先生が作ったものだが、
「風が浮洪と寒遅緊、暑くて沈伏、湿沈緩」
と覚えていりやいい。
風浮にして洪、寒は遅にして緊、暑邪を受けたときは沈で伏、湿邪を受けると沈にして緩。
そしてここでは、この寒に中そられたときの脉すなわち「遅にして緊」という脉状について考えてみます。
遅というのは寒に中てられたときの最も代表的な脉です。
その人が寒に中たったという事がわかるのは、まず脉が遅いという事からです。
脉が遅くなるというのがまず第一の特徴です。
それから緊。
緊脉というのは弦脉とは似ているけど違うんです。
緊脉は細いようで陰にあるのが特徴で、弦は強くて陽にあるのが特徴。
つまり緊脉は陰脉です。
昔の人たちは、縄を縒(よ)ったような感じのする脉だと表現しました。
だから緊張しながら、緊張というのはご承知のとおり脉が「ぴくっ」と出る時の状態をいうのですが、緊張しながら下がる量が少ないという訳ですね。
「ぴくっぴくっ」となる訳です。
弦脉は一つの棒のような形の脉ですから一本調子で変化がない「ぴやっびやっ」とつき上げるだけですね。
これに対して緊は少し下がるんです。
しかも陰にあるのが緊の特徴ですね。
以上は寒邪だけを受けた時の脉です。
原文:挟風則、脉帯浮、眩暈不二
訳文:風を挟む時は、脉浮を帯び、眩暈不二(げんうん-ふじ)す。
解説:
寒邪に風邪が一緒になつて侵入した場合の脉状は、遅くって緊張し、かつ浮いていている脉状です。
そしてこの時の症状は、目まいを起こし、身体が麻痺して動かなくなります。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】〔寒+風〕p39-
『風を挟む時は、脉浮を帯び、眩暈不二(げんうんふじ)す。』
『風フ挟ム時ハ浮ヲ帯ビ眩曇不仁ス。』
寒邪に風邪が一緒になつて侵入した場合は、脉は浮を帯びる。
緊で遅である脉が風邪を受ける事によって浮いてくる、という事を言っている訳です。
浮いていて緊でそして遅い脉、これが寒邪に風邪が加わった時の脉です。
風の脉は浮ですから、浮いていることが風の入った時の特徴であると言うことが出来る訳ですね。
そして、そういった時には、眩量、つまり目まいを起こし、不仁、すなわち身体が麻痺して動かなくなる、という症状が診られる訳です。
この不仁というのは麻木と違って、筋内の麻痺と考えればいいです。
今の運動神経麻痺と考えてもいい訳です。
運動が出来なくなるという事です、不仁てのはね。
一方、麻木というのは感覚がなくなるという事なんです。
(寒ハ栄ヲ傷り、風ハ衛フ傷リテ、風寒相兼ヌル時ハ栄衛トモニ損ジテ不仁スル也)
原文:兼湿則、脉濡而四肢腫痛
訳文:湿を兼ねる時は、脉濡にして四肢腫痛す。
解説:
寒邪に湿邪が一緒になつて侵入した場合脉状は、遅くって緊張し、かつ「軟(やわ)らかい」脉状です。
そしてこの時の症状は、手足が腫れて痛みます。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】〔寒+湿〕p40-
『湿を兼ねる時は、脉濡にして四肢腫痛す。』
『湿フ兼ヌル時ハ則チ脉濡ニシテ四肢腫痛ス。』
今度は寒に湿が加わつた場合ですが、脉が濡を帯びてくる。
濡とは湿邪を受けた時の代表的な脉、濡・緩の一つでありまして、
古典では、やわらかいという意味の「なん」には皆この字が使われています。
だから「なんみやく」と、いつた場合、「濡脉」と書いて「なんみやく」と読ませ、また「濡脉」のことを「じゅみやく」と言っているんです。
結局、車へんに欠と書いた「軟」という字は古典では使われていないんです。
『四肢腫痛ス。』
手足が腫れて痛む。
腫痛( シュ ツウ)とは腫(は)れぼったく成るという事です。
言いかえれば、腫れて押すど痛むという症状です。
腫れぼったくて痛いというのは脚気の診断の一つでありますね。
古典でいえば厥病(ケツビョウ)の診断になる訳です。
以上が寒とともに湿が体を侵した時の脉状と症状であります。
原文:治療之法、只宜以薑附之薬、温散寒気
訳文:治療の法、只宜しく薑附(きょうふ)の薬を以って、寒気を温散(うんさん)すべし。
解説:
寒邪に犯された人に対する治療方法の原則を述べます。
身体を温める補法の方法を取ります。
漢方薬では、補剤の生姜附子(ショウキョウブシ湯)を使用します。
鍼灸では、補法の手技を行います。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】《寒の治療 》p40-
『治療の法、只宜しく薑附(きょうふ)の薬を以って、寒気を温散(うんさん)すべし。』
『治療の法は、只、宣しく、薑附の薬を以て寒気を温散すべし』
薑附、これは生姜附子(ショウキョウブシ湯)で、全部が補剤で、そして温散は、温める方法を取れば良い、
これは外邪が入っているに係わらず、
我々〔経絡鍼灸師〕の治療も補法でなくてはいけないという事です。
たとえば『洒洒(しゃあしゃあ)として悪寒し、翕翕(きゅうきゅう)として発熱する』というから、
あるいは瀉法(しゃほう)をしなければならないと思うが、いくら発熱しても脉証が遅緊(チキン)であり、あるいは浮緊(フキン)であり、あるいは濡緊(ジュキン)である。
こういう場合は補う方法をとらなければいけない。
補法によって治療すべきだ。
(注:遅緊は寒の脉・浮緊は寒に風が入った脉で実際は浮遅緊・濡とは湿邪の代表的な脉で湿は沈濡。)
原文:切不可妄有吐下
訳文:切(しきり)に妄(みだり)に吐下(とげ)すべからず。
解説:
治療にあたっての注意点について述べます。
瀉法を初めに行ってはいけません。
漢方薬では、吐法(吐かせる)とか下剤を用いることは厳禁です。
鍼灸では、瀉法(しゃほう)の手技を最初に行なってはいけません。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】
『切(しきり)に妄(みだり)に吐下(とげ)すべからず。』p40-
「切に妄りに吐下する事、有るべからず。」
切にとは、かりそめにも、どんな時でも、いかなる場合でもという意味、これを吐下してはいけない。
吐(はかせる事)、下(くだす事)吐法とか下剤を用いるとか、これは瀉法(しゃほう)なんです。だからここでは瀉法してはいけないんです。
《補瀉(ほしゃ)の考え方》
こういう所が東洋医学の一貫した考え方で薬といえども、あるいは、この鍼灸といえども、例えば温散すべしとか、
薑附(きょうふ)の薬を用いるとか、妄りに吐下すべからずとか、そういう文字を我々は鍼の方で、
いつも考えなおして吐下す人からず、吐かしては、下してはいけないんだとか、温散とは何ごとぞや、
とか考えないで温散といえば補法だな、いわゆる補して散らす、吐下といえば瀉法(しゃほう)であるな、こういう事を考えなくてはいけないんです。
原文:如舌巻嚢縮者難治
訳文:もし舌巻き嚢縮(ノウチジ)まる者は治し難し。
解説:
寒邪に犯された人で治療の難(むつか)しい症状の鑑別(かんべつ)について述べます。
舌が喉の奥にひっかかってしまうとか、睾丸がグツと上に入ってしまう症状は難治性です。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】《死候》p40-
『もし舌巻き嚢縮(ノウチジ)まる者は治し難し。』《》
舌巻とは、舌は後にひっかかってしまう。
嚢縮まるとは睾丸がグツと上に入ってしまう。
これは、もう治し難し、治す事が出来ない。
これは無論、寒邪だけでなく暑さに中つた場合でも、卒中を起こした場合でも、風邪を起こした場合でも、いわゆる舌巻き嚢縮まるとは、これは死侯です。
死ぬ時の症状です。
〈注:「 翕翕(きゅうきゅう)として発熱し、面赤く」
中寒は、本来熱の出ない証であり、寒邪を受けて発熱するのは陽気が寒邪によって閉じられた、いわゆる傷寒の症状であるので、この中寒の論に発熱の記述があるのはおかしと岡本一抱子は述べている。
「若しくは汗あり」
ここでも本来、中寒は汗の出ない証であると述ベられている。
しかし表気の虚損が甚だしい時には冷や汗などが出る事もあると付け加えられている。〉
 以上、寒論の原文・訳文・解説を終わります。
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南北経驗醫方大成、第二、寒論を理解する為のお話し

井上恵理先生の講義解説より

《寒と傷寒》

p33-上段
ここで述べられている「寒(かん)」と、一般によく使われている「傷寒(しょうかん)」という考え方とは全く別の考え方であります。
[ 注・蛇足ながら説明すると、傷寒とは冬に寒邪を受けてその邪が経に入った場合、陽気が邪によつて閉じられ陽が鬱して熱となり、熱が経を伝わって行くもので、頭痛・発熱・悪寒などの症状を起こす。
このような症状が冬に現れると正傷寒(即病傷寒)と呼び、春になって発病するのを温病(うんびよう)、夏になって発病するのを熱病(温病・熱病を合わせて不即病傷寒という)と呼ぶが、その原因はいずれも冬こ寒気に傷(やぶ)られた為であると考える。
即(すなわ)ち、
中寒(ちゅうかん)(冬期に限らず四季を通じて寒邪が臓腑に直接深く入り込んでしまった為に起こる症状)と傷寒とは異なった概念のものであることが理解される。]
ですから大成論で言うところの寒とは、中寒というものに相当するものだと思えば間違いありません。

《季節と身体》

p34-
この寒というのは、実は冬の気でありながら四時(四季)に渡って存在し、生体に影響を与える訳でして、春の寒、夏の寒、秋の寒、冬の寒と、それぞれの季節に寒が存在するんです。冬以外の季節の寒とはどういう事かと言いますと、
例えば夏、秋といった季節と我々の体は相順応すると東洋医学では考えられているのであります。
人体は小宇宙であるという考え方がありますが、我々の体は四時の気に応じて、その気に応じるような体に変化して行くんだという事です。で、
これは一番てっとり早く話をするのには温度の話をすれば良いのですが、例えば我々が冬に25度の部屋に居りますと、これは暑いという感じがあるはずです。
皆さんの治療室を25度に上げていてご覧なさい。これは暑いと患者さんも言うし、自分も暑いと感じるはずです。
ところが同じ25度でも、夏に25度の部屋にいたら今度は寒いと感じるはずです。
いわゆる科学的にいう所の25度という温度は何ら変わっていないのに、
我々の体に感ずる温度という物は夏も冬も同じ25度という具合には感じない訳です。
これは我々の体が四時の気に応じて変化している証拠だと言えます。
そういう意味で、冬ならば気温が零下前後の時に寒邪に中てられ易くなるが、夏は20度でも寒の邪に中てられる訳です。
ですから冬の登山には案外凍えて死ぬ人は少ないんです。
ところが逆に夏の登山で凍えて死ぬ人があるんです。
なぜかって言うと、夏我々が暑いと感じている時期に、先程言った様な20度くらいの温度に合うと、手がかじかんで来ます。
かじかむっていう事は、もう寒に中(あた)てられている状態で、もう感じなく成っているんです。
皆さんも経験あると思うんだが、かじかむつていうのは物をつかんだか何か動作をした時初めて、ああ俺の手はかじかんでるんだな、と気付きますね。
何もしない状態では寒邪に中てられている事を自分では分からないんです。
で、大成論の寒邪の始めに「寒は天地殺癘(さつれい)の気なり」と書いてある様に、中寒(ちゅうかん:寒邪が臓腑直接深く入り込む)の症状というのは、ふいに、急に、激しく来るんです。段々に来るんじやないんですね。
だから登山でよく死ぬ人があるというのは、疲れた上に寒邪に傷られているからなんです。
正常であれば傷られるはずないんです。
で、かじかんでいるという事は、手なんかは普通注意してれば分かりますが、足の指なんかは自覚的にはほとんど分か心ない。
分からない上に厚い靴をはいている物ですから、石なんかに乗っかる、足の指に力が無いから、カツとひつくり返って落っこちるという事ですね。
自分ではじっかり登ったつもりでも、足先の方が凍えているからそういう状態になって転落する事が多いんです。

《中寒(ちゅうかん)の特徴》

p35-
そういった具合に、寒の邪という物は四季を通じて存在し、冬に最もそれが甚しくなると、こういう事を言っている訳です。
ことに飢餓労役、飢餓というのは空腹、労役というのは疲れている事、こういった時に最も寒に中てられ易いといいます。
で、この寒邪という物は、外(体表)に感じないで、すぐに臓腑に入ってしまう。
寒は承知の様に腎につくといいますね、そして腎は骨につくといいます。
ですから寒の邪は表面に感じないですぐに体の奥深く入ってしまう。
即ち、手足が利かなくなるという様な時、これは骨に寒邪が中つたんだと考える訳ですね。
で、寒に中った場合には凡そ熱症が無いというのが、他の邪と異なる点です。

《寒論の歴史》

p35-
黄帝内経・「素問」の挙痛論という、これは神経痛やリウマチ等を扱った論ですが、この中に、寒気五臓に客たるときは厥逆(ケツギャク)上泄云々ということが書かれております。
厥逆(ケツギャク:四肢の冷えのひどいこと。)というのは、頭の方だけ気がのぼって手足の気が少なく成るという事で、ただのぼせるという感じだけでなく、体の機能的にそうしたことが起こるという事です。
ここで大切なのは、この挙痛論で使われている「寒」とは、我々が今扱っている中寒と同じ内容の物である、ということで、張仲景が唱えた傷寒の論とは大分違っているという事です。
で、現在我々が勉強している「大成論」における寒の論法というのは、
朱丹渓(しゅたんけい:1281~1358)  という人の書いた「局方発揮」という本…これは医家七部書の一つで、七部書にはもう一つ「格致余論」という同じく朱丹渓の書いた本が入っておりますが…この「局方発揮」のなかに寒の論が非常に詳しく書いてあります。

《身近に見られる寒の症状》

p35-
中寒を皆さんが一番身近に感じる事は、寒い時に凍える事が、まず中寒の一症です。
それから凍死がありますね。
あれは寒の邪が体の最も深い所にまで入ってしまったため死ぬんですね。
簡単に言うと、寒さにあって体が硬直して利かなくなるという事が、即ち寒邪に中てられたんだと考えて宣しいと思います。

《痛みの虚実》

p36-
疼痛(とうつう)と痺痛(ひつう)の区別をついでに言いますと、
痺痛というのは「しびれ。いたみ」、
疼痛というのは「うずき。いたみ」
現代医学では疼痛という言葉は使うけど痺痛という言葉は使わないですね。
所が東洋医学では痛みを疼痛と痺痛という風に分けているんです。
疼痛というのは実痛で腫張(しゅちょう:組織や器官の一部がはれ上がること。)を併う事があり、押すと痛いんです。
反対に痺痛(ひつう)は虚痛で押すと気持がいいんです。


《時代と言葉》

・p37-
この洒酒という言葉も段々変化してくるでしょうね。
言葉も時代時代によって段々変化してくる物ですから。
最近の若い人ことに有名人といわれる人や映画人の女の子なんかがテレビに出て言うことは、我々にはどうしても理解できない言葉使いをさかんにしていますよ。
段々日本語も変てこになるんでしょう。
もつとも、この変てこになるのは今までも変てこに成ってきた訳で、昔の人に言わせれば我々も変てこな言葉使っているんです。
そして我々は我々の時代の言葉を知っているから今の人達の言葉がわからないだけ命話ですな。
だから、そういつた言い回しがわからないって言うと、さてはあんた年寄りだからと言われてしまいますが。。。

《古典解釈の留意点》

・p37-
言葉の持つ意味というのは時代によってどんどん変わって行くんです。
ですから柴崎先生は、古典を研究するのには字源すなわち文字の発祥から考えなきやいけない、という様なことをさかんに主張しています。
文字の発祥を知らない人間が古典を読むなんてのは間違いだと言って我々を批報している様ですが……。
しかし文字という物も時代によって段々意味が変わってくると同時に、その文字の使用法も変わっちやって、それがあたり前のようになってるのが沢曲あるんです。
柴崎さんにも言った事があるんですが、さんずいに白という字を書いて「泊」、これを「泊まる」と読みますね。
ところが日に西と書いて「晒」、これを「晒す」と読みます。
これはどう考えたって、水に白いで「とまる」はおかしいですね。
水で白くするのは、これは「さらす」ですよ。
日が西に来たかな「さらす」はこれおかしいんですよ。
日が西に領けば「とまる」んですよ。
これをいつの時代かにひっくり返しちやつて、そのまま使っちゃったんです。
だから、いくら字源に忠実な使い方だからといつて、今「晒」という字を「とまる」という意味で使ったり、「泊」という字を「さらす」という意味で使ったりしても誰も読んでくれないですよ。
文字の発祥の頃はこういう意味だったが現在もそのままの使われ方しているとはいえない物があるんです。
ここに古典を読み古典を解説していく上での問題点があるんです。
だから字源という物は知る必要はあるが、知りすぎるとそれに振りまわされて困っちやう物があるんです。
前にも話しましたが、精米を業としている水車屋の息子が米を鶴くことを忘れて水の研究を始めた、というのと同じ事に成ってしまうんです。


《脉状》

p41-
遅脉は、一息三動以下をいう。
平脉は、一息四動をいう。、
数脉は、一息五動を以上をいう。
緊脉というりは張っていて弾くが如くという脉。
浮脉というのは風脉である。
眩暈(めまい)というのも、風の症、肝の症である。
目は肝の竅(あな)である。
風木というのは肝の臓にあてられる。
故に肝の邪に応じて眩暈するんだと、不仁する物は寒の邪が栄を傷るからである。
風というのは衛気を傷る。
守りを傷る、寒の邪は守りを傷る、栄血を傷(やぶ)る。
風寒共に兼ねるが故に栄衝共に損傷するから不仁(運動神経麻痺)するのである。
それから
濡脉、水面に布を浮かべて、その上から押すような脉である。
非常に浮いた所に、フワッフワッとある脉です。
それから無力の脉といいます、力のない脉、これは湿の脉の好んで脾土につくが故に四肢は脉土の分であるから四肢が腫痛するんだと。

〈傷寒と中寒〉

p41-
 この風(かぜ)という症が、こうした本に出てくるのは最も古い本に多く出て来るのでして、だいたい傷寒という形で後世に於いては傷寒が寒の代表的病気だと、こういう風に考えられて於る様です。
というのは我々の祖先が生活の上において現代の様に暖房がなく、居住も粗末であった故に、寒邪に傷(やぶ)られるのが非常に多かった訳です。
後世になって、そういうことがだんだん防がれて、そして、その時には起きないが、後で起きてくる病気が多くなってきたので傷寒の病気の方が重要視されてきたと言えるのです。
しかし最近、真夏に冷房装置の中に居住する人が多くなった為、足が腫れぼったくなった人、あるいは疲れて体が利かなくなる。
痙攣(けいれん)する、硬直する。
あるいは、突然、発熱、悪寒を起こす症状がある。
今の医学では、冷房病というが、あれは夏の中寒病と考えるとよろしい。
たとえば若い人で腓(こむら)が張って痙攣するとか、手が震えるとかいう症状を訴える人がありますが冷房病の一つであり、我々のいう所の中寒の証という事がままある。
しかも脉が浮いていないで沈んでいる。
そして遅い脉を打っている、そうすると心臓の動悸を起こす場合がある、そして心臓が悪いといわれる。
実は寒の邪が入って、そういう風になった場合が多いんだと思います。
〈注:傷寒とは冬に寒邪を受け、その邪が経に入った場合で、冬だけでなく春、夏とか段々と後で現われる。原因は冬に寒邪に傷られた為。
中寒は冬期に限らず、四季を通じて寒邪が臓腑に直接深く入り込み、ヽ段々でなく、激しく急に症状が出る。〉
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夏に起きた寒邪の事例。

トムラウシ山遭難事故(トムラウシやまそうなんじこ)とは、
2009年7月16日早朝から夕方にかけて北海道大雪山系トムラウシ山が悪天候に見舞われ、
ツアーガイドを含む登山者8名が低体温症で死亡した事故である。
夏山の山岳遭難事故としては近年まれにみる数の死者を出した惨事となった。

低体温症(ていたいおんしょう、Hypothermia ハイポサーミア)とは、

恒温動物の深部体温(中核体温)が、
正常な生体活動の維持に必要な水準を下回ったときに生じる様々な症状の総称。
ヒトでは、直腸温が35°C以下に低下した場合に低体温症と診断される。
また、低体温症による死を凍死(とうし)と呼ぶ。
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これより以下の文章は、

2012.年5月に・・ HP記載アップした文章です。

4年前の文書も何か参考になればと思いそのまま掲載をいたします。

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                              小項目 番号 c312

井上恵理先生の講義録「南北経驗醫方大成による病証論」を取り上げるHPコーナーです。

「南北経驗醫方大成による病証論」の概要を山口一誠なりに分類と纏めを試みてみます。

二、 寒論

注:【 】・〔 〕内は、山口一誠の考えやタイトルです。

———————-
○ 寒論の歴史       P35上段13行目 ~ P35下段5行目より。

黄帝内経「素問」第三十九「挙痛論」これは神経痛やリウマチ等を扱った論ですが、この中に寒気五臓 に客たるときは蕨逆上泄〔記載あり、〕―
蕨逆(けつぎゃく)とは、頭の方だけ気がのぼって手足の気が少なく成るとうい事で、ただのぼせるとい う感じだけでなく、身体の機能にそうしたことが起こるという事です。 ここで大切なのは、「挙痛論」 で使われている「寒」とは我々が今扱っている中寒と同じ内容の物である。―
〔また、〕「南北経驗醫方 大成論」における寒の論法というのは、
朱丹渓が書いた「局法発揮」に非常に詳しく書いてあります。

〔※よって、〕張仲景の「傷寒の論」とは大分違っている。〔訳です。〕

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○ 寒と傷寒       P33下段6行目 ~ P34上段1行目より。

「寒」と「傷寒」とはまったく『別の考え方』『異なる概念』である。

「寒」とは、中寒のことで、四季を通じて寒邪が臓腑に直接深く入り込んでしまったために起こる症状です。大成論で言うところの寒はこの中寒を指します。

「傷寒」とは冬に寒邪を受けて、その邪が経に入った場合、陽気が邪によって閉じられ陽が鬱して熱とな り、熱が経を伝わって行くもので、頭痛・発熱・悪寒などの症状を起こす〔ものです〕。

〔「傷寒」は三つに分類される。〕

① 正傷寒(別名、即病傷寒)は「傷寒」が症状が冬に現れるもの。

② 温病(うんびょう)は「傷寒」が春になって発病するもの。

③ 熱病は「傷寒」が夏になって発病するもの。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

○ 中寒の特徴       P35上段1行目 ~ P34上段11行目より。」

① 寒の邪という物は四季を通じて存在し、
冬に最もそれが甚だしくなる。
ことに、飢餓労役、こうゆう時に最も寒に中(あ)てられ易い。

② 寒邪は、体表(皮膚)に感じないで、すぐに臓腑に入ってしまいます。
〔その理由は〕寒は腎につき、腎は骨につく、〔よって〕寒の邪は表面に、
感じないですぐ身体の奥深く入ってしまう訳です。
即ち、手足が利かなくなるという様な時は、これは骨に寒邪が中(あ)たっ
たんだと考える訳です。

③ 寒邪が中たっ場合には凡そ「熱症」が無い。これは他の邪と異なる点です。

言葉の意味:

飢餓とは、空腹の状態をいいます。
労役とは、〔働き過ぎ、遊びすぎ、で〕疲れている事です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

○ 傷寒と中寒       P41下段6行目 ~ P42上段8行目より。

ここのコーナーで、
井上惠理先生は現代人の中寒の病の捉え方を講義されています。

① 冷房病は夏の中寒病と考えて良い。
冷房病の症状として、足の浮腫み・疲れて身体が利かなくなる・
こむら返りの痙攣・硬直・突然の発熱 、悪寒・などの症状です。

② 中寒病の脉状:沈遅の脉。 そうすると心蔵の動悸を起す場合もある。

—————————
二、 寒 論       P33上段1行目 ~ P33下段4行目より。

「南北経驗醫方大成 二、寒論 」の原文

寒為天地殺癘之氣。
故見於冬、則為氷為霜。
草木因之而摧敗、鳥獣各巣穴以自居。
氣體虚弱之人、或調護失宜、衝斥道途、一時為寒氣所中、則昏不知人。
口噤失音、四肢僵直、攣急疼痛。
或洒洒悪寒、翕翕発熱、面赤若有汗。
五臓虚者、皆能有所中也。其脉多遅而緊、
挟風則脉帯浮、眩暈不二。
兼湿則脉濡、而四肢腫痛。
治療之法、只宜以薑附之薬、温散寒気。
切不可妄有吐下。
如舌巻嚢縮者難治。

ーーーーーーーーーーーー

井上恵理 先生の訳:

寒は天地殺癘(さつれい)の気なり。
故に冬に見(あらわ)るる時は氷となり霜となる。
草木之(これ)に因(よ)って摧敗(さいはい)し、鳥獣各(おのおの)巣穴(そうけつ)して以(もつ )って自(おのずか)ら居(きょ)す。
気体虚弱の人或いは調護宜しきを失し、道途に衝斥(しょうせっ)して一時に寒気の為に中(あて)らる る時は則ち、昏(こん)して人を知らず。
口噤(つぐみ)音(こえ)を失し四肢僵直(きょうちょく)し、攣急疼痛(れんきゅうとうつう)す。或 いは洒洒(しゃあしゃあ)として悪寒し翕翕(きゅうきゅう)として発熱し、面赤く若しくは汗あり。
五臓の虚する者は皆よく中(あて)らるる所有り。其の脉、多くは遅にして緊、
風を挟む時は脉、浮を帯び眩暈不二す。
湿を兼ねる時は脉、濡にして四肢腫痛す。
治療の法、只宜しく薑附(きょうふ)の薬を以って寒気を温散(うんさん)すべし。
切に妄に吐下すべからず。
もし舌巻き嚢縮まる者は治し難し。

————————-

井上恵理 先生の解説と言葉の意味:

P35下段。・寒邪と動植物より。

『寒は天地殺癘(さつれい)の気なり』
癘という字は、猛威を振るうという意味です。癘殺の気というものは、最も威力の激しい気であるという 事で、いわいる風寒暑湿燥火(六淫の邪:外邪)のうちで最も激しいのが、この寒邪であると考えます。

『故に冬に見(あらわ)るる時は氷となり霜となる』
よって、冬になると、水は凍りつき、霜となってしまう。

『草木は之に因って摧敗し』
というのは、寒さの為に枝葉が落ちてまるで枯れた木のように成ってしまう
ほど全ての発育を停止させ、来るべき春を待つという姿に成る事をここでは摧敗(さいはい)するといっ ている訳です。

『鳥獣各(おのおの)巣穴(そうけつ)して以(もつ)って自(おのずか)ら居(きょ)す。』
鳥や獣といった動物たちは、冬になると巣や穴に閉じこもり、じっとして動かないで居る という事です。

P36上段。・寒邪と人間=内因より。

人間の場合は・・・冬眠はしませんが・・・

『気体虚弱の人或いは調護宜しきを失し』
しかし気体虚弱の人や、『調護失し』というのは、内因の乱れの事で、精神的・身体機能的な調和を失っ た時。という意味です。

『道途に衝斥(しょうせっ)して』
衝とは、突くこと。斥とは、軍隊の斥候の斥で、あちこち飛び回るという意味。
衝斥とは、道をたくさん歩くという意味です。そしてこのような原因があって、
一時に寒気の為に中(あて)られた時に、寒中の症状が出て来ます。

P36下段。・中寒の症状より。

『昏(こん)して人を知らず』とは、
昏倒して人事不省に成るという事です。

『口噤(つぐみ)音(こえ)を失し』とは、
凍えてくると口が利けなくなり、話す事が出来なくなる、と いう事です。
(注・寒邪に因って三陽経を閉塞するが故に口噤みて開かずと交注にある)

『四肢僵直(ししきょうちょく)し』とは、
手足が固く強張るという事です。
(注・手足は諸陽の本とす。寒邪陽気を撃つが故に僵直す)

『攣急疼痛(れんきゅうとうつう)す』とは、
筋肉の引きつれ、疼き痛みを起すこと。

P36下段。・痛みの虚実:疼痛と痺痛の区別、より。

東洋医学では痛みを疼痛と痺痛に区別して考える。
疼痛とは、うずき・痛みで、実痛で腫脹を併う事があり押すと痛い(圧痛がある)。
痺痛とは、しびれ。痛みで、虚痛で押すと気持ちが良い。

『洒洒として悪寒し』とは、
どんな事をしても悪寒するという事です。

『翕翕(きゅうきゅう)として発熱し、面赤く若しくは汗あり。』とは、
翕翕は、とめども無くの意味で、どんどん熱が高くなり止めようがない。そして顔があかくなる。若しく は汗が出る時もある。

※ 岡本一抱子はここに疑問を投げかけている。
いわく、中寒は本来熱の出ない証であり、
寒邪を受けて 発熱するのは陽気が寒邪によって閉じられた、
いわゆる傷寒の状態であるので、この中寒の論に発熱の記 載があるのはおかしいと。
また、中寒は汗の出ない証でもあると。述べられている。
しかし、表気の虚損 が甚だしい時には「冷や汗」などが出ることもあると付け加えてある。

『五臓の虚する者は皆よく中(あて)らるる所有り』とは、
ここは山口一誠の創作です。
南極観測隊の隊員や、マグロ冷蔵倉庫内で働く労動者は超低温冷蔵庫
(温度帯:-60℃~-45℃)の温度帯で働いていますが、
寒邪に中てられるかとうゆうと、そうではない場合が多いです。
だが、一般の人が、20度の冷房の部屋ですごすしたとします。
その人が食事中に突然に箸を落とした・・手がかじかんでいる。とか、
部屋の畳の縁に足先が引っかかり、転倒する。とか、
これはもう、寒に中てられた状態です。
つまり、
五臓が虚している人だけが、寒に中(あ)てられるという事です。

————————

井上恵理 先生の解説と言葉の意味:

P39上段。・寒の脉状より。

『其の脉、多くは遅にして緊』とは、

遅くて緊張した脉という事です。

遅脉は、
寒に中てられた時の最も代表的な脉です。第一の特徴です。

緊脉は、
細いようで陰にあるのが特徴です。
昔の人は、縄を縒(よ)ったような感じのする脉だと表現しました。
だから、緊張しながら下がる量が少ない。陰脉だから・・・緊張した脉とは、脉が「ぴくっ」と 出る時の状態をいいます。
緊脉は、陰にあって、細い脉が「ぴくっ」「ぴくっ」と出る訳です。

『風を挟む時は脉、浮を帯び眩暈不二す』とは、

寒邪に風邪一緒になって侵入した場合は、脉は浮を帯びる。

寒風の脉は、
浮緊遅の脉:浮いていて緊でそして遅い脈です。
そして、そういった時には、眩暈、つまり 目まいを起し、不二、すなわち身体が麻痺して動かなくなる、という症状が診られる訳です。
この不二と いうのは、筋肉の麻痺と考えればいいです。
今の運動神経麻痺と考えてもいいです。

(※ 寒は栄を傷(やぶ)り、風は衛を傷りて、風寒相兼ぬる時は栄衛ともに損じて不二する也)

『湿を兼ねる時は脉、濡にして四肢腫痛す』とは、
寒邪に湿邪が加わった場合は、脉は儒(じゅ・なん)を帯びてくる。

寒湿の脉は、
儒緊遅の脉:儒(やらか)く緊でそして遅い脈かな?・・山考。

濡とは、
湿邪を受けた時の代表的な脉で、儒・緩の一つです。

古典では、やわらかいという意味の「なん」には皆この字が使われています。
だから「なんみゃく」といった場合は「儒脉」と書いて「なんみゃく」と読ませ、
また「儒脉」のことを 「じゅみゃく」と言っているのです。

『四肢腫痛す』とは、
手足が腫れて痛む。腫痛とは、腫れぼったく成るということです。腫れて押すと痛
む症状が出るという事です。

P41上段。〈脉状〉より。

遅脉は、一息三動以下。 平脈は、一息四動、五動を以っていう。

緊脉は、
張っていて弾くが如くという脉。

浮脉は風脉である。
眩暈というも、風の症、肝の症である。
風木というものは肝の臓に中てられる。
故に肝の邪に応じて眩暈するのだと、不二にする物は肝の邪が栄を傷(やぶ)る、からである。
風という物は衛気を傷る。 寒の邪は守りを傷る、栄血を傷る。
寒風共に兼ねるが故に栄衛共に損傷す るから不二(運動神経麻痺)するのである。

儒脉の脉状は、
水面に布を浮かべて、その上から押すような脉である。非常に浮いた所に、
フワッフワッ とある脉です。
それから無力の脉です、力のない脉、
これは湿の脉の好んで脾土につくが故に四肢が腫痛
するんだと。
〔四肢は脾土の主り〕

P40上段。○ 寒の治療より。

『治療の法、只宜しく薑附(きょうふ)の薬を以って寒気を温散(うんさん)すべし。』
治療の方法は薑附は生姜附子湯の生薬で、全部が補剤です。これで温める方法を取れば良いという事です

〔経絡鍼灸論で考えると〕
寒の治療は補法であるという事です。

『洒洒として悪寒し』『翕翕(きゅうきゅう)として発熱し、』ていても、瀉法ではないという事です。

いくら、発熱し、ていても脉証が遅緊脉・浮緊脉・儒緊脉であるなら、補法を行うという事です。

『切に妄に吐下すべからず。』
切にとは、かりそめにも、どんな時でも、いかなる場合でも、吐(吐かせること)下(下痢させる)様な 瀉法を行ってはいけない、という事です。

P40下段。○ 死候より。

『もし舌巻き嚢縮まる者は治し難し。』
舌巻きとは、舌が咽喉の奥にひかかってしまう。
そして、睾丸がグッと上に入ってしまう。

これは治せな い。という事です。
二、 寒 論  井上恵理先生の解説と言葉の意味:を終わります。

—————————

【 参考の脉など・・・】

※ 弦脉とは、緊脉に似ていますが、違うのです。

弦脉は強くて陽にあるのが特徴です。

弦脉は、一つの棒の様な形の脉ですから一本調子で変化がない、
「ぴゃっぴゃっ」とつき上げるだけですね。

※ 麻木とは、感覚がなくなる事です。
※ 本間祥白先生の「四邪の脉状の詩」

(風寒暑湿の脉状の詩)

「風が浮洪と寒遅緊、暑くて沈伏、湿沈緩」

「風が(フコウ)と(カンチキン)、暑くて(チンプ)、(シッチンカン)」

これを、覚えておとくと、脉の診かたに深みがでるかもしれません。

ーーーーーーーー

○ 季節と身体     P34上段2行目 ~ P35下段終行目より。

ここは、山口一誠なりの読み方をしていますので、
本文の文章とは細部で違いがありますが、
井上惠理先生の講義の「真」を初学生なりに纏めたものになっていると思います。

「寒」は冬の気でありながら四季に渡って存在し、生体に影響を与えます。―
それぞの季節に寒が存在します。「春の寒」「夏の寒」「秋の寒」「冬の寒」です。
―人間の身体は四季の「気」に応じて変化します。
例えば、人体と温度の関係を観察すると、室内の温度が25度の時、身体は冬では温かいと感じます。
と ころが、炎天下の夏は同じ室内の温度の25度を涼しいと感じるのです。―
これが、人間の身体が四季の 「気」に応じて変化していることの証明です。―
そう言う意味で、
冬ならば零度前後の気温で「冬の寒邪 」に中(あ)てられやすく成ります。
ところが、
夏は20度でも「夏の寒邪」に中(あ)てられる場合もあるのです。
例えば、
夏場に仕事疲れがあり、20度の冷房の部屋ですごすしたとします。
食事中に突然に箸を 落とした・・手がかじかんでいる。とか、
部屋の畳の縁に足先が自覚症状を感じないで指に力が無くて転倒する。とか、
これはもう、
寒に中てられた状態です。

大成論の寒論の初めに、
『寒は天地殺癘(さつれい)の気なり。』と書いてあります様に、
中寒の症状は 急に激しく来るんです。

これで、南北経驗醫方大成 による 病証論 井上恵理先生 講義録

二、 寒 論 の山口一誠的、分類、まとめ、を終わります。

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2012年5月吉日・・ 記載HPアップしました。

※ 詳しくは本文:「南北経驗醫方大成による病証論 井上恵理 先生 講義録」

発行:東洋はり医学会、をお読みください。

 

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