気について
小項目 番号 a207
- 「気」って何でしょうか?
- 眼に見えるものでは無いようですが。
- 経絡鍼灸理論は、気の調整によって成り立っています。
- 脉診は「血の流れ」を診る所ではない。
- 脉診は、十二経絡の陰陽「氣の変動」を診察する所ですね。(難経 第二十三難)
- 「気」が人体に宿っているから人間は生きていられるのである。
「気」が人体を離れれば生命は終わる。(難経 第八難より) - このコーナーでは、
- ゆっくり堂『難経ポイント』の中から「気」についての項目を抜粋掲載します。
- そして、東洋はり医学会機関誌経絡鍼療416号~503号の
- 『難経 講義』 井上恵理先生の講義録:からのお話しも掲載してみます。
- ※ 経絡鍼灸師の先生方のご意見をお待ちしています。
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難経 第一難
- 鍼を受けた次の日が調子が良い理由。
- ゆっくり堂の鍼灸臨床でも、患者様から、たびたび治療の感想を頂きます。
- 「鍼灸治療を受けた日よりも、翌日がもっと身体が軽くなり、痛みが取れ、気分が良く、身体の調子が良いと。」
- 〔原文〕榮衞行陽二十五度.行陰亦二十五度.爲一周也.故五十度.復會於手太陰.
- 〔訓読〕榮衞陽行くこと二十五度、陰に行くことも亦(また)二十五度、一周と爲す也り。
- 故に五十度にして、復(ま)た手の太陰に会す。
- 〔解説〕榮衞の気は昼に二十五回めぐり、夜に二十五回めぐり気の一巡が完了する。
- だから、一日五十回転の気の循環をして手の太陰肺経の動脈に戻ってくる。
- 榮気は「血」 衞気は「気」
- 鍼の本治法の治療効果が本格的に出だすのは治療日の次の日からです。
- 一日五十回転の気の循環で気の一巡が完了するからでしょうね。
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『難経ポイント』 第五難
- ※ 中脉(ちゅうみゃく)について。
- (井上恵理先生の講演より。山口一誠の考察文章含む)
- 脉を取るのに色々な教え方があると思いますが、私はいつもこうゆう診方をしています。
- 中脉というのがあります。
- 浮と沈の間にある中脉。
- この中脉は六部ともに「胃の気」を診る。
- 寸口・関上・尺中それぞれの所に中脉がある訳です。
- この胃の気・衛気(えき)の脉ですが、身体と言うのは生まれてから後は食物によって栄養されています。
- 栄養されていると言う事は五臓全ては「胃の気」の支配を受けていると言う事なんです。
- その胃の気が、肝経、心経、脾経、肺経、腎経、などの全ての経絡に旨く回っているかどうかと言う事を区別するのが「胃の気」を診る事なのです。
- 中脉の取り方は、上から脉を押さえてまず三部の脉が全部揃っている所がある筈です。
- ここが、中脉になります。
- そして、そこから沈めた所が陰脉で、浮かした所が陽脉です。
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八難のポイント其の四、(2016年2月24日追記)
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「気」が人体に宿っているから人間は生きていられるのである。
難経第八難は難経のへそ(中心)である。
人間が生きている根源的問いに答えている。
死体と生きている人間の違いは何かに答えている。
その答えは、
「気」が人体に宿っているから人間は生きていられるのである。
「気」が人体を離れれば生命は終わる。 - そして、この「気」が東洋医学の根源的出発点でもある。
八難の詳細解説
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- 原文:八難曰.寸口脉平而死者.何謂也.
訳文:八の難に曰く、寸口の脉平にして死する者は何の謂ぞや。
解説:脉が正常であっても死亡する者がいる。これはいかなることか、人間の生死の根源について説明しなさい。 - 原文:然.諸十二經脉者.皆係於生氣之原.
訳文:然るなり、諸々(もろもろ)十二経脉は生気の原(みなもと)に係わる。
解説:お答えいたします。
人間が生きていられるのは、全身を巡る十二経絡五臓六腑に「生氣之原」すなわち「気」が存在するからです。 - 原文:所謂生氣之原者.謂十二經之根本也.謂腎間動氣也.
訳文:いわゆる生気の原とは十二経の根本なり。腎間の動気を謂うなり。
解説:「生気の原」とは、人間が生まれ成長する生命体としての根源的な力(命)「気」を指す。そしてこの「気」が十二経の根本であり、 それは腎間の動気を指していると。 - 原文:此五藏六府之本.十二經脉之根.呼吸之門.三焦之原.
訳文:これ五臓六腑の本、十二経脉の根、呼吸の門、三焦の原、
解説:「腎間の動気」「気」これが五臓六腑の根本であり、十二経脉の根本であると。
そして呼吸の門(出入り口)でもあると。また三焦の原もここから発生していると。 - 原文:一名守邪之神.
訳文:別名を守邪の神と名づく。
解説:「生氣之原」すなわち「気」は別の言い方をすれば、 生命を脅かす内外の邪から防衛する気「守邪の神気」と命名する事が出来ると。 - 原文:故氣者人之根本也.根絶則莖葉枯矣.
訳文:故に気は人の根本なり。根絶すれば則ち茎葉枯る。
解説:ですから、「気」は人間が生きる根本である。
人間を草木に例えれば、根「気」が腐れ無くなれば茎も、葉も枯れ落ちて死んでしまうと。 - 原文:寸口脉平而死者.生氣獨絶於内也.
訳文:寸口の脉平にして死する者は、生気独り内に絶すなり。
解説:脉が正常であっても死亡する人は、人体に宿っていた「気」が絶えてしまうからである。 - ・
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※ あらためて難経第八難を考察して。
- ◎「気」は「命」であり「物事を意識する心」でもある。
- ◎「気針術」は患者の気に合わせる鍼の治療技術である。
全ての患者さんに対して、その本人の気を陰陽五行論で診断し即治療する。
患者の気に合わせる治療技術こそが針師が極め続ける「気針術」の道である。 - ◎その人の発言も行動も「その気」として捉える。
草木も、花も、風の流れも「自然の気」として受け入れる。
針師は人も自然も「その気」を陰陽五行で受け入れる。 - ◎宇宙の始まりも「生きる」と言う「気」から発生したのでしょうね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー※ 井上恵理先生の臨床経験から。
経験上、治療をしない方がいい患者について、病症と脉証とが一致しない、つまり病気があって脉が病気していない場合は治療をしない方がいい。
身体に色々の症状があって、苦しいとか辛いとか言っているのに、脉を診ると案外虚実がない平静の脉を打っている。これは治療をしない方がいい。
癌患者に非常に多く、陰陽虚実が判らない。これが「寸口脉平」の人達の脉の特徴でもある。 - 原文:八難曰.寸口脉平而死者.何謂也.
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難経 第十四難
- 〔原文〕損其肺者.益其氣.
〔訓読〕其の肺を損する者は、其の気を益す。
〔解説〕肺経の病気の患者には、気を養う治療をする事。 - 〔原文〕損其心者.調其榮衞.
〔訓読〕其の心を損する者は、其の榮衞を調(ととの)える。
〔解説〕心経の病気の患者には、血液の循環が悪いのだから榮衞「気と血」を養う治療をする事。 - 〔原文〕脉有根本.人有元氣.故知不死.
〔訓読〕脉に根本有るは、人に元気あり、故に知らぬ死せざることを。
〔解説〕脉に根本「気」が有る者は元気あるので死なないと。
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難経 第十八難
- 〔原文〕診在右脇有積氣.得肺脉結.
〔訓読〕診するに右脇に在って積氣あるは、肺脉の結を得(うる)、
〔解説〕腹診すると、臍の右脇に「積氣」の塊がある時には、肺の脉状も結(むす)ぼれている。 - 〔原文〕脉結甚則積甚.結微則氣微.
〔訓読〕脉結甚(はなは)だしいときは積も甚しく、結微なるときは気も微なり。
〔解説〕
「脉結」とは、脉が止まると言うことで、脉が時々結帯する。
これが甚(はなは)だしければ甚だしい程、積(しゃく)が必ずあるのだと。
また、脉の結帯が少なければ少ない程、積の気もすくない。
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難経 第二十二難
- 〔原文〕
經言
是動者.氣也.
所生病者.血也.
〔訓読〕
經に言う、
是動とは、氣なり。
所生病とは、血なり。
〔解説〕
経脉は気血の通路であり、気は脉外を循り、血は脉中を循る。
その脉外の気が病を起こすときは是動病(ぜどうびょう)となり、
脉中の血が病を起こすときは所生病(しょせいびょう)となる。
〔原文〕
邪在氣.氣爲是動.
邪在血.血爲所生病.
〔訓読〕
邪、氣に在れば、氣、是(これ)がために動(どう)ず。
邪、血に在れば、生ずる所の病いを生ず。
〔解説〕
病邪が気の部分にあれば、気が変動を起こして病気になり、
病邪が血の部分にあれば、血が変動を起こして病気になる。 - 〔原文〕氣主呴之.血主濡之.
〔訓読〕
氣は之(これ)を呴(あたた)むることを主(つかさど)る。
血は之を濡(うるお)すことを主る。
〔解説〕
気は陽であり、身体を温める作用があるり、
血は陰であり、全身に水分をめぐらし潤(うるお)わせている。 - 気が留まって動かない時に病気になる。気は陽性であるから先に発病する。
血が塞がって身体を潤さない時に病気になる。血は陰性であるから後で発病する。
この様な病状をする場合の治療方法は、
是動病の気を整える治療を先にやり、所生病の血を整える治療を後からやりなさい。
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第二十三難
- 〔原文〕經脉者.行血氣通陰陽.以榮於身者也.
〔訓読〕経脉は、血気を行(めぐ)らし、陰陽を通じ、以って身を榮(えい)するものなり。
〔解説〕 経脉は、脉中に血を循らし、脉外に気を循らし、全身陰陽を通行し、 以って全身を栄養するものである - 〔原文〕寸口人迎.陰陽之氣.通於朝使.如環無端.故曰始也.
〔訓読〕 寸口人迎は、陰陽の氣、朝使に通じて、環の端し無きが如し、故に始(はじめ)と曰うなり。
〔解説〕 寸口人迎は、十二経絡の陰陽氣の変動を診察する所であり、 - それが正常なら気血が連綿と途切れることなく一本の帯のように回っている。
- だから、人が生まれて生きている時を始めと言うのである。
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難経 第二十四難
- ※ 二十四難のポイント其の一は、
手足の三陰三陽に氣の変動が起こった場合に、
どの様な病状・どの様な状態・どの様な脉状となるか、
またその吉凶を知る事についての臨床法則が述べられている。
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難経 第三十難
- 〔原文〕人受氣於穀.穀入於胃.乃傳與五藏六府.五藏六府.皆受於氣.
〔訓読〕人は氣を穀に受く、穀胃に入って、乃ち五臓六腑に伝与す、五臓六腑、皆な氣を受く。
〔解説〕
人身の気血の氣は飲食物から受けとる。
飲食物が胃に入って脾の活動により消化吸収され、先ず一番目に宗気が出て胸中につみ呼吸を司る。
次に飲食物の最も精微なる栄養分が中焦より吸収され栄血となる。その残りの糟は下焦に下って蒸し出されたものが衛気である。
そして榮氣(栄血)と衞氣が十二経絡を循環して五臓六腑を栄養し生命が保たれているのである。 - 〔原文〕其清者爲榮.濁者爲衞.
〔訓読〕其の清きものは榮となし、濁るものは衞となす、
〔解説〕飲食物の最も精微なる栄養分は栄血となり、濁るものは今一度浄化されて衞気となる。 - 〔原文〕榮行脉中.衞行脉外.
〔訓読〕榮は脉中を行き、衞は脉外を行く。
〔解説〕栄血は脉中を行き、衞気は脉外を循環している。 - 〔原文〕榮周不息.五十而復大會.
〔訓読〕榮周して息(や)まず、五十にして復(ま)た大いに會(かい)す、
〔解説〕
榮衞の気は昼に二十五回めぐり、夜に二十五回めぐり気の一巡が完了する。
だから、一日五十回転の気の循環をして手の太陰肺経の動脈に戻ってくる。(難経第一難より)
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難経 第三十一難
- 〔原文〕三焦者.水穀之道路.氣之所終始也.
〔訓読〕三焦は、水穀の道路、氣の終始する所なり。
〔解説〕 三焦は、上焦・中焦・下焦があり上から一つの管として連絡している飲食物の通路である。 - また、各焦に於いて、 上焦で宗気を生成し、中焦で榮氣(栄血)を生成し、下焦で衞氣を生成し、そして終わる所である。
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難経 第三十二難
- 〔原文〕心者血.肺者氣.血爲榮.氣爲衞.
〔訓読〕心は血、肺は氣、血は榮となし、氣は衞となす、
〔解説〕心は血を主り、肺は氣を主り、血は榮気であり、氣は衞気である。
気血は父母より享けた先天の栄養であり、
これと飲食物の消化吸収された栄養分と合わさり後天の気「榮衞の気」となる。 - 〔原文〕
相隨上下.謂之榮衞.
通行經絡.營周於外.
故令心肺在膈上也.
〔訓読〕
相隨って上下す、之を榮衞と謂う。
経絡を通行し、外に營周す、
故に心と肺をして膈上に在らしむなり。
〔解説〕
後天の気、榮衞の二気は随伴して内外の十二経絡を上下に營周通行している。
故に心と肺は横隔膜の上にある様に出来ているのだと。
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第三十六難
- 〔原文〕命門者.謂精神之所舍.原氣之所繋也.
〔訓読〕命門は、神精の舍(やど)る所、原氣の繋(かかわ)る所なり。
〔解説〕
命門は神様と精力の宿る所であり、原氣の宿る所である。
〔解説補足〕
命門は両親から受け継いだ「先天の気」を宿し、この精力が子々孫々に受け継がれるのである。
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難経 第三十七難
- 〔原文〕其不覆溢.人氣内温於藏府.外濡於腠理.
〔訓読〕其れ覆溢せざれば、人の氣、内に藏府を温めて、外に腠理(そうり)を濡(うるお)す。
〔解説〕
榮衞「気と血の気」が正常に循環すれば、身体の内部の五臓六腑を温め、外部では皮膚を艶よく潤(うるお)すことが出来る。 - ※ 三十七難のポイント其の一は、五臓の気と五根の働きについての論述です。
- ※ 三十七難のポイント其の二は、五根の正常機能が述べられている。
- ・
臨床上は、五根の正常を知る事で、五臓の変動を知る手だてとなる。 - 身体が健康で正常な場合は、
- 昼には陽脉に営気が六腑を循り営養する。
- 夜には陰脉に営気が五臓を循り営養する。
- 夜には陰脉に営気が五臓を循るので、夜は寝る事ができる。
昼には陽脉に営気が六腑を循るので、昼は起きて仕事が出来るのだと。 - これが逆転する時に、昼間居眠りして、夜は不眠症になるのである。
- 営気が正常に循環すれば、身体の内部の五臓六腑を温め、外部では皮膚を艶よく潤すことが出来る。
- 五臓は、肝・心・脾・肺・腎 。 五根は、眼・舌・唇・鼻・耳
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- 難経 第三十八難
- 三焦の気
- ゆっくり堂の『難経ポイント』 第三十八難 井上恵理先生の・解説より。
- ※
- 三焦の気はどの様な働きをしているのかと言えば、
自分の意思に無関係に人が生命を維持するため働いている自律神経です。
血液を全身に巡らす心臓の働き、呼吸を主る肺臓の働き、肝臓・脾臓・腎臓・胆・小腸・胃・大腸・
膀胱の五臓五腑を自然に動かしている働きを「三焦の原気」と考える訳です。 - 「諸氣を主持して」と言うのは、あらゆる機能に力を与えていると言う意味です。
例えば、耳が聞こえるとか、味が判ると言う様なものは、腎の気や肺の気ではなくて、
先天的な原気すなわち「三焦の気」がそう言う働きを助けている訳です。 - 詳しくは、ゆっくり堂の『難経ポイント』第三十八難、リンクしてご覧ください。
- http://yukkurido.jp/keiro/nankei/38nan/
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難経 第四十五難
- ※ 四十五難のポイント其の一は、
八会穴は蔵・府・筋・骨・髄・気・血・脈、の八つそれぞれの気が集まる所です。 - ※ 四十五難のポイント其の二は、
蔵・府・筋・骨・髄・気・血・脈、の八つの病の時の治療穴の説明がしてあります。 - ※ 四十五難のポイント其の三は、
八会穴の使用条件は、熱病で内に熱があって外に出ない場合ですね。
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難経 第五十五難
- 〔原文〕病有積有聚.何以別之.
〔訓読〕 病に積(しゃく)あり、聚(じゅう)あり、何を以(も)って之(これ)を別(わか)たん。
〔解説〕 腹中に積と聚と言う二つの塊が出来る事があるが、これについて区別して説明しなさい。 - 〔原文〕
積者.陰氣也.聚者.陽氣也.
故陰沈而伏.陽浮而動.
氣之所積.名曰積.
氣之所聚.名曰聚.
〔訓読〕
積は陰気なり、聚は陽気なり、
故に陰は沈んで伏し、
陽は浮んで動ず、
気の積む所を名(なづ)けて積と日い、
気の聚(あつま)る所を名けて聚と日う。
〔解説〕
積と聚は陰陽の二面から区別される
積は陰に属し陰の気であり、聚は陽に属し陽の気である。
だから、
陰気から出来た積は陰性で沈んで下に深く伏して所在し、
陽気から出来た聚は陽性で浅く浮いていて移動する。
陰気の積(つも)る所を名付けてぜ積と言い、
陽気の集(あつま)る所を名付けて聚と言う。 - 〔原文〕故、積者.五藏所生.聚者.六府所成也.
〔訓読〕故に積は五蔵の生ずる所、聚は六府の成す所なり。
〔解説〕
ゆえに、
積は五蔵の陰気が滞り積(つも)って出来たものである。
聚は六府の陽気が滞り集(あつま)って出来たものである。 - 〔原文〕積者.陰氣也.其始發有常處.其痛不離其部.上下有所終始.左右有所窮處.
〔訓読〕
積は陰気なり、其の始めて発する常の処有り、其の痛み、其の部を離れず、
上下終始する所あり、左右窮(さだま)る処の所あり。
〔解説〕
積は陰の気であるから、始めて発した時から常にある所が決ま っている。
痛みもそこから離 れて行かない。同じ所にある。
上下左右に始まる所、終わる所がハッキリしている。 - 〔原文〕聚者.陽氣也.其始發無根本.上下無所留止.其痛無常處.謂之聚.
〔訓読〕
聚は陽気なり、其の始めて発するに根本なし、上下留止する所なく、其の痛み、常の処なし、
之を聚と謂う。
〔解説〕
聚は陽気であるから、どこに発するかと言う所がない。
留ま っていないから上下が決まっていない。その痛みも常に動く。
これを聚と言うと。 - 〔原文〕故以是別知積聚也.
〔訓読〕故に是を以って積聚を別ち知るなり。
〔解説〕以上の特徴から積聚の区別を理解する事ができる。
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難経 第六十二難
- ※ 六十二難のポイント其の一は、井・栄・兪・経・合の五つの穴と、原穴についての記述です。
- 〔原文〕府者.陽也.三焦行於諸陽.故置一兪.名曰原.
〔訓読〕府は陽なり、三焦は諸陽に行く、故に一兪を置いて名けて原と日う。
〔解説〕
蔵は陰であり、府は陽である、三焦の気即ち三焦の原気、生命力は陽の気に属し主として諸陽経に行く。故に陽経には一穴を別に置いて此処に原穴と名付けているのである。 - 〔原文〕府有六者.亦與三焦共一氣也.
〔訓読〕府に六あるものは三焦と共に一気なればなり。
〔解説〕
府に大腸、小腸、胆、胃、膀胱の外に三焦の腑があって六つである。
三焦の腑もまた陽として三焦の原気と共に陽の一気である。
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難経 第六十六難
- ※ 六十六難のポイント其の一は、原穴についての説明が述べられています。
- ※ 六十六難のポイント其の二は、
三焦の原気、先天の気の主る所は、関元穴であり生命の根本です。 - ※ 六十六難のポイント其の三は、
先天の原気の留まる所は関元であるが、ただ留まっているだけではない。
これを三焦の別使となって全身に回して使う。
◎ 三焦の別使は3つに分類されている。これを「三気」と言う。
◎ 「三気」と言うのは栄気(営気)・衛気 ・原気(宗気 )である。
◎ この「三気」が全身の経脉と五臓六腑を巡ることで人の生命が保たれているのです。 - ※ 六十六難のポイント其の4は、
身体の経脉や五臓六腑が病んだとき、原穴を治療の穴(ツボ)として使う訳です。 - 〔原文〕原者.三焦之尊號也.
〔訓読〕原とは三焦の尊号なり。
〔解説〕
三焦は栄気・衛気・原気の三気の後天的栄養を生産し全身に行らすものであり、腎間の原気を加えて生命力を与えるものであるから、比の気の顕現する点即ち経穴を特に尊んで原穴と呼ぶのである。 - 〔原文〕故所止輒爲原.五藏六府之有病者.皆取其原也.
〔訓読〕
故に止(とどま)る所を輙(すなわ)ち原となす。五蔵六府の病ある者は皆其の原を取るなり。
〔解説〕
故に三焦の気の止る所、十二経の根本である所の原気の留り止る所を原穴となすのである。
病を治す力、それは先天の原気即ち三焦の原気と後天の原気栄衛の気である。
故に比の気の止る所の原穴を取って五蔵六府・全身各所にある病を治す経穴なのである。
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難経 第七十一難
- ※ 七十一難のポイント其の一、
- 〔原文〕鍼陽者.臥鍼而刺之.
- ここに「気」を整える鍼法においては斜刺の手技をしなさいと述べられています。
- 鍼の刺入の刺入角度は、45度が良い訳ですね。
- ※ 七十一難のポイント其の二、
- 〔原文〕刺榮無傷衞.刺衞無傷榮.何謂也.
- 圧痛点の栄血を整える刺鍼手技において、その圧痛を取り除くまでやると「気」を傷ってしまう。
- 硬結があるからそれを全部ゆるめると、邪実が無くなるだけではなく、正実も無くなり、誤った治療になるとの戒めですね。
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難経 第七十二難
- ※ 七十二難のポイント其の一、鍼術の「虚実補瀉」の診断と手技の法則が述べてあります。
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- ※ 七十二難のポイント其の二、
- 経絡鍼灸の手技に於ける迎隨・逆順の意味について。
- 迎とは、鍼尖の刺入方向が経絡の流注にたいして、逆(さか)らって迎(むかえ)え刺入する事。
その経絡の実邪を奪い瀉す、瀉法の手技である。 - 隨とは、鍼尖の刺入方向が経絡の流注にたいして、順(したが)って隨(したが)い刺入する事。
その経絡の正気の不足、虚を補う、補法の手技である。 - ・
- ※ 七十二難のポイント其の三、
- 正しい鍼灸術は経絡の流注の迎隨の氣をとらえて、気の調整をする事にある。
- 気の調整の方法のポイントは、経絡の陰陽を明らかにしてそれに応じた対処する事にある。
- 〔原文〕所謂迎隨者.知榮衞之流行.經脉之往來也.隨其逆順而取之.故曰迎隨.
〔訓読〕
所謂(いわゆる)迎隨は、榮衞の流行、經脉の往来を知る也り。
其の逆順に隨って而(そ)して之を取る。故に迎隨と曰う。
〔解説〕
いわゆる迎隨手法を判断するには、経脉を循環する栄血・衛気の虚実の流れを認識する事。
その虚実逆順に応じて補瀉逆順の手技を行う。ゆえにこれを迎隨の判断と手法と言う。 - ☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°♪♪ ☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°♪♪
- 難経 第八十難
- ※ 八十難のポイント其の一、
- 難経、八十難は「気を感知」して、刺入と抜鍼を行う刺鍼法の法則が展開されています。
- ※ 八十難のポイント其の二、
刺入の法則とは、気が現われた事を感じて、その後に刺入すること。 - ※ 八十難のポイント其の三、
抜鍼の法則とは、補法でも瀉法でも気の変化が現われた事を感じて、その後に抜鍼すること。 - ※ 八十難のポイント其の四、
難経、八十難を本当に理解するには「気を集める」鍼の技術がないと知る事が出来ません。 - ※ 八十難のポイント其の五、
左手(押手)に「気が来る」事が本当に判るには、
右手(刺手)で鍼をを微細に動かす弾法や撚法などの「気を集める」技術が必要です。 - 〔原文〕
所謂有見如入者.
謂左手見氣來至.乃内鍼.
鍼入見氣盡.乃出鍼.
是謂有見如入.有見如出也. - 〔訓読〕
所謂(いわゆ)る見(あらわ)るること有(あっ)て如(しかし)て入れるとは、
謂(いわゆ)る左手に見(あらわ)るる氣来り至(いた)って、乃ち鍼を内(い)れ、
鍼入れて見(あらわ)るる気尽きて、乃ち鍼を出(いだ)す。
是(こ)れ見るること有て如て入れ、見るること有て如て出すと謂(い)うなり。 - 〔解説〕
気が現われる事が有って、後に鍼を刺入すると言うことは、
鍼尖を穴に接触して気を得る手技をしていると、
押手(左手)に気が来るのを感じる事ができ、そこに至った後に鍼を刺入しなさいと。 - 鍼の刺入中に気の変化が現われた後に、抜鍼しなさいと。
瀉法の場合の、「気尽きて」の意味は、『充実した気が無くなった時』に鍼をソーッと抜く事。
補法の場合の、「気尽きて」の意味は、『気が充実し尽した時』に鍼をすばやく抜く事。 - 気が現われた後に刺入し、補法・瀉法の変化が現われた後に抜鍼する。
- これが八十難の法則ですと。
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