二十難

難経トップコーナ へ

難経、第二十難

     ank020

 

ゆっくり堂の『難経ポイント』  第二十難

※ 二十難のポイント其の一

難経二十難では、陽部に陰脉が打ったり、陰部に陽脉が顕す場合がある。
この時に、陽中の伏陰・陰中の伏陽と言うものを考えなければならない。

※ 二十難のポイント其の二

経絡鍼灸の臨床から考えると、
一つの脉位に於ける状態だけを考えるのではなくて、
その脉位の陰陽を診る。その脉位の相剋を診る。その脉位の相生を診る。
ことの重要性を難経二十難で諭している。

その脉位と関係のある総べての経脉・総べての部位に、
思いを馳せて治療の完全を期さなければいけないと言う事です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

※ 難経二十難の臨床&エトセトラより。

〔井上恵理先生の臨床経験と難経二十難解説から〕

脉状と脉の位置について。

脉状と言うものは陰陽の関係においては陽部には陽脉を顕していて、
しかも陽脉の中に虚実があって初めて正常である。
この様な時には、陽の病・陰の病と言うものがハッキリするのですが。

難経二十難では、
陽部に陰脉が打ったり、陰部に陽脉が顕す場合がある。
この時に、陽中の伏陰・陰中の伏陽と言うものを考えなければならない。
と言う事を難経二十難で論述しているのである。

私(井上恵理)の臨床例から考えると、
例えば、
寸口の脉が浮脉であってしかも外邪性のものであると言う場合、
瀉法すべき時であっても、
陰の脉がそこに含まれている場合には、
陰の方を初めに補ってから、陽を瀉すと言う方法を取らなくてはならない。

また、陰虚証、腎虚なら腎虚証と言う脉を打っているのだから、
腎だけを補えばいいと言うのではなくて、
腎虚なと言う証がある場合には、
必ずその相克する心の脉に実証があると言う事です。
そして、心の脉が実すると言う事は、
その陽である小腸が虚しているんだと言う様に、
一つの脉位に於ける状態だけを考えるのではなくて、
それと関係のある総べての経脉・総べての部位に、
思いを馳せて治療の完全を期さなければいけないと言う事です。

難経 第二十難 原文

(『難経』原本は底本:『難経』江戸・多紀元胤著、『黄帝八十一難経疏証』(国立国会図書館所蔵139函65号)オリエント出版、難経古注集成5(1982年)に影印)を参考にしています。

二十難曰.
經言.
脉有伏匿.
伏匿於何藏.而言伏匿耶.
然.
謂陰陽更相乘.更相伏也.
脉居陰部.而反陽脉見者.爲陽乘陰也.脉雖時沈濇而短.此謂陽中伏陰也.
脉居陽部.而反陰脉見者.爲陰乘陽也.脉雖時浮滑而長.此謂陰中伏陽也.
重陽者狂.重陰者癲.
脱陽者見鬼.脱陰者目盲.

--------------------------

二十難の訓読

(井上恵理先生の訓読・解説:経絡鍼療(434号)と本間祥白先生の解説、福島弘道先生の解説を参考にして、山口一誠の考察文にて構成しました。)

二十の難に曰く。
經に言う。
脉に伏匿あり、
何れの藏に伏匿するを、伏匿と言うや。
然るなり。
陰陽更々(こもごも)相乘し、更々相伏するを謂う。
脉陰部に居(あた)りて、反して陽脉見(あらわる)るものを、陽、陰に乘ずるとなすなり。
脉時に沈濇にして短と雖(いえど)も.此を陽中の伏陰と謂うなり。
脉陽部に居(あた)りて、反して陰脉見(あらわる)るものを、陰、陽に乘ずるとなすなり。
脉時に浮滑にして長と雖(いえど)も.此を陰中の伏陽と謂うなり。
重陽のものは狂し、重陰のものは癲(てん)し、
脱陽のものは鬼を見、脱陰のものは目盲(し)ゆ。

詳しくは各先生の文献を参照されたし。

--------------------------

二十難の解説

(井上恵理先生の解説:経絡鍼療(434号)と本間祥白先生の解釈、福島弘道先生の解釈を参考にして、山口一誠の考察文にて構成しました。)


二十難の解説をします。

陰陽五行理論から考察すると。

脉に伏し潜んで現われないものがあるが、それは何れの部に伏し潜んでいるのか説明しなさい。。

お答えします。

陰には陰脉が打たなければならないのに陽脉が現われるとか、
陽には陽脉が打たなければならないのに陰脉が現われるとか、
脉の伏匿が代わる代わる現われることがある。

前後陰陽の説明から、陰部即ち尺中には陰脉を顕すべきなのに、
これに反して陽脉(浮脉・滑脉・長脉)を顕すものを、
陽が陰に乗じている脉であると言う。

尺中に陽脉を顕すという状況の中でも、時折、尺中に伏匿していた沈濇にして短と言う陰脉が見れて来る。これを陽中の伏陰と言うのである。

陽部の寸口には陽脉(浮脉・滑脉・長脉などの)を顕すべきなのに、
これに反して陰脉(沈脉・濇脉・短脉など)を顕すものを、
陰が陽に乗じている陰乗脉であると言う。

寸口に陰脉を顕すという状況の中でも、時折、寸口に伏匿していた浮滑して長と言う陽脉が見れて来る。これを陰中の伏陽と言うのである。

陽の上に陽が重なる「陽の極み」になると、人は狂い出し、
陰の極みになる者は、癲癇(てんかん)し、
陽が無くなってしまうと、鬼を見る様な恐怖を感じる。
陰が無くなってしまうと、目が見えなくなる。

詳しくは各先生の文献を参照されたし。

--------------------------
二十難の詳細解説

(井上恵理先生の訓読・解説:経絡鍼療(434号)と本間祥白先生の訓読・解釈、福島弘道先生の訓読・解釈を参考にして、山口一誠の考察文にて構成しました。)詳しくは各先生の文献を参照されたし。

山口一誠の考察により原文・訓読・解説(解説補足)の順に文章を構成します。

〔原文〕二十難曰.
〔訓読〕二十の難に曰く難に曰く。
〔解説〕二十難の解説をします。

〔原文〕經言.
〔訓読〕経に言う。
〔解説〕陰陽五行理論から考察すると。

〔原文〕脉有伏匿.伏匿於何藏.而言伏匿耶.
〔訓読〕脉に伏匿あり、何れの藏に伏匿するを、伏匿と言うや。
〔解説〕
脉に伏し潜んで現われないものがあるが、それは何れの部に伏し潜んでいるのか説明しなさい。。
〔解説補足〕伏とは、伏しかくれる様。 匿とは、潜み隠れる様。

〔原文〕然.
〔訓読〕然(しか)るなり。
〔解説〕お答えします。

〔原文〕謂陰陽更相乘.更相伏也.
〔訓読〕陰陽更々(こもごも)相乘し、更々相伏するを謂う。
〔解説〕
陰には陰脉が打たなければならないのに陽脉が現われるとか、
陽には陽脉が打たなければならないのに陰脉が現われるとか、
脉の伏匿が代わる代わる現われることがある。

〔原文〕脉居陰部.而反陽脉見者.爲陽乘陰也.
〔訓読〕
脉陰部に居(あた)りて、反して陽脉見(あらわる)るものを、陽、陰に乘ずるとなすなり。
〔解説〕
前後陰陽の説明から、陰部即ち尺中には陰脉を顕すべきなのに、
これに反して陽脉(浮脉・滑脉・長脉)を顕すものを、
陽が陰に乗じている脉であると言う。

〔原文〕脉雖時沈濇而短.此謂陽中伏陰也.
〔訓読〕脉時に沈濇にして短と雖(いえど)も.此を陽中の伏陰と謂うなり。
〔解説〕
尺中に陽脉を顕すという状況の中でも、時折、尺中に伏匿していた沈濇にして短と言う陰脉が見れて来る。これを陽中の伏陰と言うのである。

〔原文〕脉居陽部.而反陰脉見者.爲陰乘陽也.
〔訓読〕
脉陽部に居(あた)りて、反して陰脉見(あらわる)るものを、陰、陽に乘ずるとなすなり。
〔解説〕
陽部の寸口には陽脉(浮脉・滑脉・長脉などの)を顕すべきなのに、
これに反して陰脉(沈脉・濇脉・短脉など)を顕すものを、
陰が陽に乗じている陰乗脉であると言う。

〔原文〕脉雖時浮滑而長.此謂陰中伏陽也.
〔訓読〕脉時に浮滑して長と雖(いえど)も.此を陰中の伏陽と謂うなり。
〔解説〕
寸口に陰脉を顕すという状況の中でも、時折、寸口に伏匿していた浮滑して長と言う陽脉が見れて来る。これを陰中の伏陽と言うのである。

〔原文〕重陽者狂.重陰者癲.脱陽者見鬼.脱陰者目盲.
〔訓読〕
重陽のものは狂し、重陰のものは癲(てん)し、脱陽のものは鬼を見、脱陰のものは目盲(し)ゆ。
〔解説〕
陽の上に陽が重なる「陽の極み」になると、人は狂い出し、陰の極みになる者は、癲癇(てんかん)し、
陽が無くなってしまうと、鬼を見る様な恐怖を感じる。
陰が無くなってしまうと、目が見えなくなる。

〔解説補足〕
この文章は五十九難のものが紛れ込んだ文章の様です。
「狂癲の病、何を以ってか之を別たん。」の回答の様です。


〔原文〕

五十九難曰.
狂癲之病.何以別之.
然.
狂之始發.少臥而不饑.自高賢也.自辨智也.自貴倨也.妄笑好歌樂.妄行不休.是也.
癲疾始發.意不樂.直視僵仆.
其脉三部陰陽倶盛.是也.


------------------

難経トップコーナ へ

ヘッダー トップページ お問い合わせ サイトマップ 地図