四、湿論

                             南北病証論トップコーナ へ

   四、湿論

                              小項目 番号 c314

井上恵理先生の講義録「南北経驗醫方大成による病証論」を取り上げるHPコーナーです。

「南北経驗醫方大成による病証論」の概要を山口一誠なりに分類と纏めを試みてみます。
———————————————-

第四、湿論の原文

湿之爲氣、
沖溢天地之間、流注四時之内。
體虚之人。
或爲風雨所襲
或訃卑湿之地、
遠行渉水、
或山澤蒸氣、
或汗出衣裏冷、
則侵漬脾腎、
皆能有所中傷。
著腎者腰痛、身重如坐水中、小便不利。
著脾則四肢浮腫、不得屈伸。
若挟風則眩暈嘔噦、心間煩熱。
兼寒則拳攣掣痛、無汗悪寒。
帯暑則煩渇引飲、心腹疼痛、面垢悪寒。
凡感湿之證、
其脉多沈緩而微、
其證多四肢倦怠不擧。
法當踈利小便爲先。
決不可軽易汗下並用火攻。
若有泄瀉等證、
又當於各類求之。

以上、第四、湿論の原文を終わる。

———————————————-

第四、湿論:原文と訳文読み(カタカナ)。

湿之爲氣
シツ ノ キ タル コト
沖溢天地之間、流注四時之内
テンイチノ アイダニ チウイツシ シイジ ノウチニ チュリュウス
體虚之人
タイ キョノ ヒト
或爲風雨所襲
アルイハ フウウノ タメニ オソワレ
或訃卑湿之地
アルイハ ヒシツノ チニフシ
遠行渉水
エンコウニ ミズヲ ワタリ
或山澤蒸氣
アルイハ サンタクノ ジョウキニ カンジ
或汗出衣裏冷
アルイハ アセ イデテ コロモノ ウラ ヒユル トキハ
則侵漬脾腎
ヒジンヲ シンシ シテ
皆能有所中傷
ミナヨク チュショウ セラルル コトアリ
著腎者腰痛、身重如坐水中、小便不利
ジンニツクモノハ ヨウツウシ スイチュウニ ザスルガゴトク マタ ショベン リセズ
著脾則四肢浮腫、不得屈伸
ヒニツクトキハ シシ フシュシ クッシンスル ヲ エズ
若挟風則眩暈嘔噦、心間煩熱
モシ カゼヲ ハサムトキハ ゲンウン オウエツシ シンカン ハンネツス
兼寒則拳攣掣痛、無汗悪寒
カンヲカネルトキハ ケンレン、セイツウシ、アセナクシテ オカンス
帯暑則煩渇引飲、心腹疼痛、面垢悪寒
ショヲ オビルトキハ ハンカツシテ インヲヒキ シンプク トウツウシ ヲモテ アカズイテ オカンス
凡感湿之證
オヨソ シツニ カンズル ショウ
其脉多沈緩而微
ソノミャク オオクハ チンカン ニシテ ビ
其證多四肢倦怠不擧
ソノショウ オオクハ シシ ケンタイシテ アガラズ
法當踈利小便爲先
ホウ マサニ ショウベンヲ ソリ スルヲ サキト ナスベシ
決不可軽易汗下並用火攻
ケシテ ケイイニ アセシ クダシ オヨビニ ヒヲ モチイテ セムルベカラズ
若有泄瀉等證
モシ セシャ トウノ ショウ アリテハ
又當於各類求之
マタ マサニ カクルイニ オイテ コレヲ モトメルベシ

以上、第四、湿論:原文と訳文読み(カタカナ)の原文を終わる。
———————————————-

南北経驗醫方大成、第四、湿論の訳文(読み下し文)

【井上恵理先生の南北経驗醫方大成による病証論、第四湿論 講義解説文章より】

  • 南北経驗醫方大成、第四、湿論の訳文(読み下し文)
  • 湿の気たる事、
    天地の間に沖溢(チウイツ)し、四時の内に流注す。
    体虚の人。
    或いは風雨の為に襲われ、
    或いは卑湿(ヒシツ)の地に臥(フ)し、
    遠行に水を渉り、
    或いは山澤(サンタク)の蒸気に感じ、
    或いは汗いでて衣の裏、冷ゆる時は、
    脾腎を浸漬(シンシ)して、
    皆よく中傷(チュショウ)せらるる事あり。
    腎につく者は腰痛、身重く、水中に坐するが如く、小便利せず、
    脾につく時は、四肢、浮腫し屈伸するを得ず。
    若し風を挟む時は、眩暈、嘔噦(オウエツ)し、心間煩熱す。
    寒を兼ねる時は、拳攣(ケンレン)、掣痛(セイツウ)し、汗なくして悪寒(オカン)す。
    暑を帯びる時は、煩渇(ハンカツ)して飲を引き、心腹疼痛し、面垢(ヲモテアカ)ついて悪寒す。
    およそ湿に感するの証、
    其の脉、多くは、沈緩にして微、
    其の証、多くは四肢(シシ)、倦怠して挙がらず。
    法、まさに小便を踈利(ソリ)するを、先きと為すべし。
    決して軽易に汗し、下し并びに火を用いて攻むるべからず。
    若し泄瀉等の証、有りては、
    又まさに各類に於いてこれを求むべし。
これが湿の訳文全文です。
———————————————-

南北経驗醫方大成による病証論 第四、湿論(しつろん) の解説文 。

  •  「小学生にも読める東洋医学の本」第四、湿論(しつろん) の解説文
  • ———————————————-
  •  南北経驗醫方大成による病証論 第四、湿論(しつろん) の解説文 。
  • ※ 山口一誠のオリジナル文章にて構成。
  • 「小学生にも読める東洋医学の本」の原稿として記述します。
  •  小学生の対象は小学4年理科の水準表記にします。
———————————————-

第四、湿論(しつろん)解説

  • 「湿の気」の特徴ならびに湿邪の病症と治療法について解説します。日本は照葉樹林帯の気候に位置しています。
    特徴として湿度が高い点です。
    紫陽花の花が咲くころ梅雨となり曇りや雨の日が続きます。
    また、夏の終わりから秋には台風が襲来して大量の雨も降ります。
  • 東洋医学では湿度の事を「湿の気(しつのき):湿気(しっけ)」或は「湿邪(しつじゃ)」と言います。
  • これから、お話しする湿論は「湿の気:湿気」の特徴ならびに「湿邪」の病症と治療法についての解説です。
  • 「湿の気」は天にも地にも在ります。
    そして春夏秋冬の四季を通じてどこにでも存在しています。
  • 湿邪を受けて病気になる人は、内因(怒、喜、憂、思、悲、驚、恐)感情のいずれかが虚している人です。
  • 内面的な感情が強くなり過ぎ消耗された結果、七情を担当する肝心脾肺腎の五臓のいずれかが虚してきます。
    そこに、外邪である湿邪が侵入して「湿の病気」を発病します。
  • 内因の虚している人が「湿の病気」を発病する環境等について説明します。
  • 風雨に曝されると「湿の病気」を発病します。
  • また、湿地のある土地、家に住んでいる事で「湿の病気」を発病します。
  • また、長旅をしたり湿地を歩くことで「湿の病気」を発病します。
  • また、湿度の高い所で長時間労働をしていると「湿の病気」を発病します。
  • また、労働をして汗をかき濡れた着物のが冷えたままでいると「湿の病気」を発病します。
  • 内因が虚して体の弱っている人が、
    風雨を受けたり、湿地に居住していたり、湿地を長く歩きまわる、あるいは山澤の蒸気を受けると、
    汗が出て濡れた着物の為に湿邪にやられます。
    その結果、身体の脾腎の臓器や経絡が侵(おか)され、胃のぐわいが悪くなったり、身体が怠くなったりします。
  • 湿邪が腎を侵した時の病状は、
    腰に痛みが出ます。
    身体が重くななり動くのが嫌になります。
    水中に坐すが如く腰から下が冷えます。
    小便が少なく出にくくなります。
  • 湿邪が脾を侵した時の病状は、
    手足が浮腫(むく)み、手足の曲げ伸ばしが出来にくくなります。
  • 湿邪と風邪が伴(ともな)って身体を侵した時の病状は、
    眩暈(めまい)します。。
    吐き気とゲツプが出ます。
    胸の間が熱く感じイライラします。
  • 湿邪と寒邪(かんじゃ)が伴って身体を侵した時の病状は、
    拳、手先が震えます。
    身体のあちこちに痛みが走ります。
    汗が出ないのに身体がブルブル震えます。
    悪寒(オカン)がします。
  • 湿邪と暑邪(しょじゃ)が伴って身体を侵した時の病状は、
    切(しき)りに喉が乾きます。
    やたらと水を飲みたがります。
    胸とお腹が痛くなります。
    顔に艶(つや)が無くなり、垢付(あかづ)いた様になり、そして悪寒します。
  • 湿邪が身体を侵した時の脉状と一般的症状について説明します。
  • 湿の脉は沈(しず)んで緩(おだ)やか、或いは沈細微、細く微(かす)かな脉を打っています。
  • 「湿の病気」の一般的症状は、多くは手足が怠(だる)く、手が挙がらず、上げても怠く下がる症状です。
  • 湿病を改善する漢方薬の治療法は、腎の機能を改善して小便をよく出す様にします。
  • 湿病を改善する鍼灸での治療法は、体に力を与える補法を優先して後に湿邪を取り除く瀉法を行います。
  • 湿病治療の注意点として、
    発汗剤や下剤の瀉法をしてはいけません。
    また、お灸、カイロ、火を用いて暖めるのもよくありません。
  • 湿病でも下痢して心地よい状態ならば、体力に合わして下剤の治療をしなさい。
以上で、南北経驗醫方大成による病証論 第四、湿論(しつろん) の解説文を終わります。
———————————————-
———————————————-

第四、湿論の詳細解説コーナー

第四、湿論(しつろん)の原文・訳文・解説

  • ※ 解説は山口一誠のオリジナル文章です。
  • 「小学生にも読める東洋医学の本」の原稿として記述します。
  •  小学生の対象は小学4年理科の水準表記にします。

原文:湿之爲氣、
訳文:湿の気たる事、
解説:

  • 「湿の気」の特徴ならびに湿邪の病症と治療法について解説します。
  • 日本は照葉樹林帯の気候に位置しています。
    特徴として湿度が高い点です。
    紫陽花の花が咲くころ梅雨となり曇りや雨の日が続きます。
    また、夏の終わりから秋には台風が襲来して大量の雨も降ります。
  • 東洋医学では湿度の事を「湿の気(しつのき):湿気(しっけ)」或は「湿邪(しつじゃ)」と言います。
  • これから、お話しする湿論は「湿の気:湿気」の特徴ならびに「湿邪」の病症と治療法についての解説です。
¨
井上恵理先生の講義解説より
「湿の気たりや」所謂、湿の邪気は、
¨
〈曲直瀬道三の啓迪集(けいてきしゅう)考え方〉
「湿は土の気なり熱よく湿を生じ、故に夏熱する時は、万物湿潤し、秋涼しい時は、万物乾燥する」
夏は暑いので湿気が無い様に思うが、暑い程、湿気がある。秋は涼しくなると、万物が乾燥するという、湿気とはそういう物です。
地下室は冬乾燥し、夏湿気する。
湿病の元は、水から生じる。
湿、熱によって水を巡らす。
停滞して、湿を生じるという事です。
熱は湿を生じる。
内経にもある事です。熱は火です。湿は土です。火は土を生じるという事を別の言葉で、熱は湿を生じると成ります。
脾上の弱い人は、この邪を受けやすい。
よく風寒というのは、症状が表面に出やすい。
だから、すぐに熱、寒気、痛みの症状が出てくるので治療するが、湿邪の時は、怠い、重い等、症状が激しくないので疎(おろそ)かにしやすい。
しかし、これは間違いなのです。
¨
〈湿の発生〉p55-
前回の湿について残っている話を続けます。
日本で湿について簡潔な解釈をしている曲直瀬道三の啓迪集(けいてきしゅう)の中に、湿が体に入る状態を解かりやすく区別しておりますので、この事を申し上げておきます。
「湿は土の気なり、熱よく湿を生じ、故に夏、熱する時は万物湿潤す。秋涼しき時は万物乾燥す。」―
これは日本の風土に合った湿の扱い方をしているのです。
―熱よく湿を生じるという言葉ですが、これは夏の暑い時に湿気が多くなるという意味です。
我々は湿った服を熱に当てると湿気が乾くと考えているが、実はそうでなく熱によつて乾燥は出来ても乾燥する時に出る湿気、即ち水が乾く時に出来る蒸気、これを湿というのです。
あの暑い時に湿気るという状態をみても解かると思います。
秋涼しい時は万物乾燥する。即ち燥の邪は秋の邪とされ肺金に存します。
この様に考えてくると湿という物が湿っぽい冷たいという感じでなく熱を生じ湿気を生じるという事をはつきり考える必要があると思います。
¨
〈湿邪の体質と病証〉 p55-
「湿病のもと水から生じる。熱により水道巡らず停滞して湿を生ず。況(いわん)や湿は軟弱の人感じやすし」
―これは我々の体に湿邪として当たる状態を説明している。
湿に起こる病というのは水から生じる物ではない。
体から出るものでなく熱により我々の体に熱が鬱しているから水道巡らず体の経気が巡らず停滞して湿を生じる。¨
原文:沖溢天地之間、流注四時之内。
訳文:天地の間に沖溢(チウイツ)し、四時の内に流注す。
解説:「湿の気」は天にも地にも春夏秋冬の四季を通じてどこにでも存在します。
¨
井上恵理先生の講義解説より
「天地の間に沖溢し」天にも地にも、どこにでも湿がある事、
「四季時の内に流注す」四季を通じてある。¨
原文:體虚之人。
訳文:体虚の人。
解説:
  • 「湿の気」湿邪を受けるのは、内因(怒、喜、憂、思、悲、驚、恐)感情のいずれかが虚している人です。
¨
〔経絡鍼灸 教科書http://yukkurido.jp/keiro/bkb/bl/より〕
病気が起きる原因は大きく分けると三つあり、その一つが内因感情の乱れです。
 ① 内因
これは七情という感情です。
七情は、怒、喜、憂、思、悲、驚、恐の感情ことを言います。
内面的な感情が強くなり過ぎ消耗された結果、
七情を担当する肝心脾肺腎の五臓が虚してきます。
そこに、外邪が侵入して発病します。
¨
井上恵理先生の講義解説より
「体虚の人」内因を起こし湿邪を受ける体質の人。
年中どこにでもある湿の邪に、全部〔の人〕がやられるのでなく「体虚の人」と断っているのです。
これは湿邪だけでなく風寒暑の邪すべてです。
¨
原文:或爲風雨所襲
訳文:或いは風雨の為に襲われ、
解説:
  • 内因の虚している人が、風雨に曝されると「湿の病気」を発病します。
¨
井上恵理先生の講義解説より
「或いは風雨の為に襲われ、或いは卑湿の地に訃し」〔訃は目ト〕
卑湿とは、湿地のある土地、家に住んでいる事、
¨
〈景岳全書の湿邪〉一、天の気:風雨にあたり臓器を傷(やぶ)る。¨
原文:或訃卑湿之地、
訳文:或いは卑湿(ヒシツ)の地に臥(フ)し、
解説:
  • また、湿地のある土地、家に住んでいる事で「湿の病気」を発病します。
¨
井上恵理先生の講義解説より
「或いは風雨の為に襲われ、或いは卑湿の地に訃し」〔訃は目ト〕
卑湿とは、湿地のある土地、家に住んでいる事、
¨
〈景岳全書の湿邪〉二、地の気:湿地にあたり肌肉、筋脈を傷る。¨
原文:遠行渉水、
訳文:遠行に水を渉り、
解説:
  • また、長旅をしたり湿地を歩くことで「湿の病気」を発病します。
¨
井上恵理先生の講義解説より
「遠行」遠く歩いて、「水を渉り」水、湿地を歩く、¨
原文:或山澤蒸氣、
訳文:或いは山澤(サンタク)の蒸気に感じ、
解説:
  • また、湿度の高い所で長時間労働をしていると「湿の病気」を発病します。
¨
井上恵理先生の講義解説より
「山澤の蒸気」山に登った人は解かりますが、私は山が好きで、アルプスの開拓に参加した事もありますが、山の天気は激しく、ヒューと来ると前が見えなく、寒気が激しい、凍えるという症状は自覚症がないもので、物を握んでみて、利かないのが解かるもので、その為に遭遇(そうぐう)するのです。
山澤の蒸気とは、そういう事です。¨
原文:或汗出衣裏冷、
訳文:或いは汗いでて衣の裏、冷ゆる時は、
解説:
  • また、労働をして汗をかき濡れた着物のが冷えたままでいると「湿の病気」を発病します。
¨
〈景岳全書の湿邪〉四、汗液 :汗による物、湊理を傷る。¨
原文:則侵漬脾腎、皆能有所中傷。
訳文:脾腎を浸漬(シンシ)して、皆よく中傷(チュショウ)せらるる事あり。
解説:
  • 内因が虚して体の弱っている人が、
    風雨を受けたり、湿地に居住していたり、湿地を長く歩きまわる、あるいは山澤の蒸気を受けると、
    汗が出て濡れた着物の為に湿気にやられます。
    脾腎の臓器や経絡が侵(おか)され、胃のぐわいが悪くなったり、身体が怠くなったりします。
¨
井上恵理先生の講義解説より
「或いは汗出て、衣の裏が冷える時は脾腎を冒されて、皆よく中傷せる事あり」
体の弱っている人、これは虚弱でなく、内因の陰虚の事、この人が風雨を受ける、湿地に住んだり歩く、山澤の蒸気を受ける。
汗出て濡れた着物の為、湿気にやられる。
この二つの条件で脾腎が冒されるという事です。
¨
〈湿邪の体質と病証〉 p55-
「脾土、脆弱(ぜいじゃく)の人、感じやすい」
―これは湿気を感じやすい人は脾とか胃とかの消化器系統が弱い人で、体でいうと肌肉、即ち筋肉の弱い人。
疲れるは筋肉の疲れ即ち体の倦怠、或は仕事をすると、すぐに体が怠くなる。
こういう人が湿に感じゃすい。
¨
「玉機微義(ぎょくきびぎ)」の本の中に
「人ただ風寒の嫌悪を知りて暑湿の冥患(めいかん)を知らず」―
これは風、寒は厳しく我々の体に感じるのですぐに解かるが湿、暑邪は冥患(めいかん)といい知らない内に我々に入って来るものです。
医経の本の中に
「中湿諸湿の支満は脾土に存し、湿勝つ時は、濡瀉なり、地の湿、感ずる時は肌肉、筋脈を害する。脉、沈緩、沈細微みな中湿の脉なり」―
これは湿に感じると支満(腫ればったい)、なんとなく顔、体、手足が腫ればったい。
これはみな湿に感じているのです。
「湿勝つ時は」―
湿気が入ると濡瀉する。即ち軟便になりやすい。我々が食べ物に気を付けても軟便する。
その時、体が怠い。これは肌肉や筋脈を害されみな湿に感じているのです。
¨
【浸漬(しん し )】( 名 )  ウェブ辞典より解説。
① 液体の中にひたすこと。
② 物事が次第に浸透していくこと。 「已に新事物の為に【浸漬】せられて/三酔人経綸問答 兆民」
¨
井上恵理先生の講義解説より】¨
〈景岳全書の湿邪〉五、内より生ずる、水が消化せず胃に滞まり内傷湿邪となり脾腎につく。
胃は水分、アルコールを吸収、幽門は物が通り水が通らない。
胃の中で水の音がする。あれが水湿の邪です。
症状としては、汗を出し湿邪が皮表にある物は、発熱、悪寒、自汗(労働したり熱い物を食べて出る発汗でなく、静かにしていても出る汗である)。
湿が経絡に入ると、痺れ、痛み、重く怠く筋骨疼痛、腰痛し、寝たり起きたり出来ない。
四肢弱くなり痛いのに押さえても解からないイライラした足の置所ない痛み。
肌肉にある物、足が腫れ、押すと元にもどらない。
臓腑にはいると、吐き気、お腹ふくれる、小便出にくくなる。
小便ヒジュウも小便不利も同じで時代により言葉が違ってくるので古典を見る時は気をつける事です。
小便が黄色、赤色になる、小便が渋るから泄瀉が起こる。
「秘結する時は小便数になり、」これは反対です。
お腹痛くなり、お尻の方に下がる様になる。
脱肛を起こし、所々麻痺した様になる。
病の軽重、経絡の病は、湿が外から入ったので軽く、飲食の病は内より生ずるから重いのです。
例えば酒の飲み過ぎは、水が消化しなく内傷湿邪により重いのです。
但し、経絡にあるから臓器に関係がないという事はないし、臓器にあるから経絡に関係ない事はないのです。¨
原文:著腎者腰痛、身重如坐水中、小便不利。
訳文:腎につく者は腰痛、身重く、水中に坐するが如く、小便利せず、
解説:
  • 湿邪が腎を侵した時の病状は、
    腰に痛みが出ます。
    身体が重くななり動くのが嫌になります。
    水中に坐すが如く腰から下が冷えます。
    小便が少なく出にくくなります。
¨
井上恵理先生の講義解説より
腎につく物は、腰痛、体が重くなる。これはだるいとは違うのです。動くのが嫌になる。
水中に坐すが如く腰から下が冷える。男より女に多い。
水をかけられた様に表現している。
「小便利せず」、小便が少なく出にくくなる。これは尿閉とは違うのです。
¨
〈湿邪と五臓の病症〉 p57-
「腎に入れば腰痛、股痛、身反挟する。脚はサツイの難し」―
腎に入ると腰が痛み、股〔間接〕が痛く、身反挟(体が板で挟まれた感じ、窮屈(きゅうくつ)な感じ)する。
足はサツイ(足が抜け出す感じ)の如し。¨
原文:著脾則四肢浮腫、不得屈伸。
訳文:脾につく時は、四肢、浮腫し屈伸するを得ず。
解説:
  • 湿邪が脾を侵した時の病状は、
    手足が浮腫(むく)み、手足の曲げ伸ばしが出来なくなります。
¨
井上恵理先生の講義解説より
脾につくと
「四肢浮腫する」手足浮腫む
「屈伸するを得ず」曲げたり伸ばしたり出来ない。¨
〈湿邪の体質と病証〉 p55-
「外に甚だしい時は、或いは痛み、或いは熱し、或いは腫れ、或いは発黄する」―
外とは表面で皮膚、筋肉、この時は痛み、熱する、腫れる、発黄(体が黄色くなる)する。
内外の証として内因があり中湿に冒されると中満(腹が腫れ満ちる)。支満(胸がつっかえ下痢する)。
外に感ずる時は痺(痺れ、或いは痛み)、浮肢(足の甲が腫れ痛む)。
湿証の寒熱というのは、湿熱の証は多く、寒の証が少なく脉証をもつて弁ぜよ。
所謂、湿証は熱証が多く寒の症が少ない。
脉法診れば解かる。
湿熱の脉、滑数であり、尿が赤く渋リエンゲン(水気の物を取りたがる)する。¨
〈湿邪と五臓の病症〉 p57-
肺に入れば喘満(咳が出るだけでなく胸が張る)。
脾に入れば湿痰、支満する。
湿痰は湿気のある痰が出る。
喉に絡(から)まって出て来ない痰と、出てくる痰があり、出てくる方が湿痰です。¨
・原文:若挟風則眩暈嘔噦、心間煩熱。
訳文:若し風を挟む時は、眩暈、嘔噦(オウエツ)し、心間煩熱す。

解説:
  • 湿邪と風邪が伴(ともな)って身体を侵した時の病状は、
    眩暈(めまい)します。。
    吐き気とゲツプが出ます。
    胸の間が熱く感じイライラします。
¨
【井上恵理先生の講義解説より
「湿気が風を挟む時」風湿ともに入った時「眩量」めまい。
「嘔噦(オウエツ)」吐くのでなく吐き気とゲツプ。
「心間煩熱」心は胸で胸の間が熱く感じイライラする。
¨
〈湿邪の体質と病証〉 p55-
これは風邪というのは、いつも汗が伴っている。
汗が出る時は外、汗でなく悪寒する時は内と風はいつも汗の有無が決め手になるのです。
¨
原文:兼寒則拳攣掣痛、無汗悪寒。
訳文:寒を兼ねる時は、拳攣(ケンレン)、掣痛(セイツウ)し、汗なくして悪寒(オカン)す。
解説:
  • 湿邪と寒邪(かんじゃ)が伴って身体を侵した時の病状は、
    拳、手先が震えます。
    身体のあちこちに痛みが走ります。
    汗が出ないのに身体がブルブル震えます。
    悪寒(オカン)がします。
¨
井上恵理先生の講義解説より
「寒を兼ねる時」寒湿一緒の時。
「拳攣(ケンレン)」拳、手先が震える。
「掣痛(セイツウ)」痛みが走る。
「汗が無く悪寒(オカン)す」汗が無いのにブルブル震える。
「悪寒(オカン)」寒気がする。汗があつて寒気がするのは風です。¨
〈湿邪の体質と病証〉 p55-
「湿、寒を挟みて」―これは湿と寒が共に入って内に甚だしい時は腹痛、下痢する。
外に甚だしい時は、体が重く疼痛(疼き痛み)する。
湿が風を挟んで外に甚だしい時は、体が重く痛く汗が出る。
「湿寒の証は小便自利、大便瀉し身痛んで自汗する」
小便自利は漏れてしまう。出そうとして出すのでなく自然に漏れてしまうのが自利です。
大便瀉は下痢、体が痛んで自汗(じっとしても汗が出る)。
¨
原文:帯暑則煩渇引飲、心腹疼痛、面垢悪寒。
訳文:暑を帯びる時は、煩渇(ハンカツ)して飲を引き、心腹疼痛し、面垢(ヲモテアカ)ついて悪寒す。
解説:
  • 湿邪と暑邪(しょじゃ)が伴って身体を侵した時の病状は、
    切(しき)りに喉が乾きます。
    やたらと水を飲みたがります。
    胸とお腹が痛くなります。
    顔に艶(つや)が無くなり、垢付(あかづ)いた様になり、そして悪寒します。
¨
井上恵理先生の講義解説より
「暑を帯びる時」暑と湿が一緒の時。
「煩渇(ハンカツ)」切(しき)りに喉が乾く。
「飲を引き」水を飲みたがる。
「心腹疼痛」胸と腹が痛くなる。
「面赤づいて」顔艶なく垢の様になる。そして悪寒す。
¨
【垢(あか)】 :皮膚のうわ皮が汗・あぶら・ほこりとまじって出るよごれ。¨
〈湿邪の体質と病証〉 p55-
湿が熱を挟む時、内に甚だしい時は瀉利する、所謂、下痢瀉利(痛まない下痢)、ダツと何故出たか解からない下痢でむろん腹痛は無い。
¨

原文:凡感湿之證、
訳文:およそ湿に感するの証、

解説:
  • 湿邪が身体を侵した時の「証:診断基準」は、
¨
井上恵理先生の講義解説より
「湿に感ずるの証は、其の詠、多くは沈緩微である」沈んで、緩やかで微かに打っている。
¨

原文:其脉多沈緩而微、
訳文:其の脉、多くは、沈緩にして微、

解説:
  • 湿の脉は沈(しず)んで緩(おだ)やか、或いは沈細微、細く微(かす)かな脉を打っています。
¨
井上恵理先生の講義解説より
「湿に感ずるの証は、其の詠、多くは沈緩微である」沈んで、緩やかで微かに打っている。
¨
〈湿邪の体質と病証〉 p55-
「中湿の脉は沈緩」沈んで緩やか、或いは沈細微、細く微(かす)かな脉を打っています。
「中湿に内外の証あり」― これは内に入ったか、外に入ったかで内の場合は、外に感ぜず経脈、経筋に関係なく内臓の意味にとっても構わないのです。
¨
原文:其證多四肢倦怠不擧。
訳文:其の証、多くは四肢(シシ)、倦怠して挙がらず。
解説:
  • 湿の証は、多くは手足が怠(だる)く、手が挙がらず、上げても怠く下がる。
¨
井上恵理先生の講義解説より
「其の証、多くは四肢(シシ)、倦怠して挙がらず」手足怠(だる)く、手が挙がらず、上げても怠く下がる。
¨
原文:法當踈利小便爲先。
訳文:法、まさに小便を踈利(ソリ)するを、先きと為すべし。
  • 解説イ:湿病の漢方薬での治療法は、まず先に小便をよく出す様にします。
  • 解説ロ:湿病の鍼灸での治療法は、体に力を与える補法を優先して後に湿邪を取り除く瀉法を行います。
※ 解説ロは井上恵理先生の臨床に基ずく経験よりの講義解説です。
¨
井上恵理先生の講義解説より
「法」治療法。
「小便を踈利(ソリ)するを先ず成すべし」小便をよく出す様にする。
決して軽々しく症状が怠いとか重いとか、胸息れとか、たいした事で無い様に思い、
¨
〈湿邪の治療〉 p57-
痛まない下痢、体が怠い、手や体が強張る、腫ればったい、押さえられた感じ、この時は一応、湿の邪を考える必要がある。
湿の邪が入った場合、鍼はどうするか、痛いとかいうのは虚か実か治療法を考えますが、
湿に入られる時は意識なく深く入るので、体に力を与えて、湿邪は取り除くのです。
まず皮膚に入り、麻痺してる時は円鍼を使うと湿に効果あると思います。
よく高血圧、脳軟化症、エンボリ(塞栓症)の症状で湿邪に当たっているのが沢山あるので、
中風の邪に当たった脳溢血様の物と明確に区別して治療するのはその為です。   、
湿邪に当たつた時、灸が良い様に考えるが余程加減しないと体を損傷する場合があります。
少しの経穴に沢山灸をするのは良いが、多くの経穴を取るのは良くない。
所が腫ればったいとか痺れ、怠いは範囲が広くなるので、広い中の要点を決め、そこに多く施す補法が案外効果があります。
鍼の場合も同じ事です。
円鍼だと体を損傷なく、置鍼でやる補法も良い(しびれが取れる)。
皮膚鍼も良いがやり過ぎない事。
¨
〈全体の体の調和〉 p58-
邪の入る状態により迷いやすいのは、
症状が同じでも(痛みを取る)病因(風邪、寒、乾、湿気)により鍼の手法が違うので、病証諭が必要なのです。
ただ脉を整えるだけでは済まされないのです。
脉を整えるのは全体の体の調和の方法で、
倒えば、一本の支柱の上のヤジロベエが平行であれば健康であり、曲がれば不健康であるが、平行であっても支柱の上下により体の状態は違うのです。
よりよい体は支柱が高く平行している事です。
平行していても支柱が低いと体の調子は良いが、何かするとすぐ疲れ、精神的に動揺、根気無くなる危険がある。
平行にするのが本治法であるが、病人の場合、平行にしても支柱の中に安定するだけの力がないので、又曲がり病気の根治にならないのです。
¨
原文:決不可軽易汗下並用火攻。
訳文:決して軽易に汗し、下し并びに火を用いて攻むるべからず。
解説:
  • 湿病治療の注意点として、
    発汗剤や下剤の瀉法をしてはいけません。
    また、お灸、カイロ、火を用いて暖めるのもよくありません。
¨
井上恵理先生の講義解説より
「汗を出したり下したり」発汗剤、下剤、どちらも瀉法です。
「瀉法して並びに火を用いて攻めるべからず」冷えるからといつて、お灸、カイロ、火を用いて暖めるのはよくない。
又脉微緩で虚証であるから瀉法はいけない。
こういう風に、症状を診ただけで、いいかげんな補瀉を行なう事が、経絡治療の場合は間題になって来るのです。
例えば、脉が微でどれが虚しているか解からないので、実している所を見つけ瀉法をやる。
これはダメなのです。
こういう時、病証の研究から、この症状は軽々しく汗したり、下したり出来ない。
瀉法してはいけないと解かれば虚している所を見つける事です。
¨
原文:若有泄瀉等證、又當於各類求之。
訳文:若し泄瀉等の証、有りては、又まさに各類に於いてこれを求むべし。
  • 解説:
  • 湿病でも下痢して心地よい状態ならば、体力に合わして下剤の治療をしなさい。
¨
井上恵理先生の講義解説より
「泄瀉の証あらば、まさに、その類にこれを求むべし」
泄瀉は腹下し、どっと出て気持良い事、こういう症状があり、お腹下る様なら、まず下る方の治療をしなさい。
それが湿の証です。
ここに私達研究会の湿の証の研究があります。
¨
—————————————

【井上恵理先生の南北経驗醫方大成による病証論、第四湿論 講義解説文章より】

後世派と古方派〉 p49-
この鍼灸大成の本は、だいたい後世派的な本です。
漢方の流儀として、古方派と後世派とがあり、まったく違った形で病証をみているのです。
同じ病気を診るのに治療法が違つてくるのです。
これは素間、霊枢から出発した東洋医学が、元々、古代の事で、病気が簡易であつた。
しかし現在の治療には複雑な物が含まれ、素間、霊枢、そのままが現在の治療に当てはまらないのが沢曲あるのです。
昔の人は内傷(ないしょう)という、精神的な労傷というのは、ほとんどないと考えていいので最も重要視されている物は外邪という考え方です。
家の中も簡潔な生活で、衣食住にしても不自由しない。
不自由しないのでなく、今の人が見れば不自由だと見えても、不自由と感じなかった訳です。
例えば今度の戦争〔第二次大戦、日本の終戦直後〕では、全部が壊されたのです。
衣食住が貧しくても、皆もそうなので案外、内傷(ないしょう)を冒されないのです。
所が、皆より不幸だと思うから、おかしくなるのです。
これは我々が、いつもいう内傷、即ち内因ですね。
悲しい事があったから、全て悲しいのでないという事です。
同じ事でも環境によって大分、違うのです。
そういう訳で、外因という証が非常に主体になってきたのです。
だから古方派では、傷寒という、外から邪が入る過程において病気を診ている。
つまり三陰三陽という病気の位置によって区別しているのです。
所が、それから後になると、それだけでは考えられなくなったので、そこで初めて、人間の体を五臓だけでなく、経絡、或いは五行が考えられたのです。
そして病位というのを、表面の皮膚と経絡と臓腑に考えたのです。
そこに後世派が出る必然性があったのです。
なのに後世派がいいとか、古方派がいいとかの論争が、
吉益東洞が出た当時から徳川時代にされているが、内因がない平和な元禄時代しか診ていない古方派が、
戦争時代の後世派を、あれは嘘なんだと天下を取つてしまうのですが、
現在の様な、複雑な生活になってくると、虚証や、内傷の患者が多くなり、どうしても陰陽五行説を必要とする時代になって来るのです。
だから古方派の傷寒論では、どこ迄も病位が中心で、証というのは全部、薬でたてられ、例えば葛根湯の証とか、この薬で治る病気という、薬の名前で証を立てているのです。
所が、後世派は、例えば喘息、霍乱(かくらん)、頭痛等、今の病名とは違うが、病症名に対して薬を与える方法がとられた。
それが、ずっと続いている訳で、大成論はその代表的な物なのです。
鍼灸の経絡的考え方〉 p50-
所が鍼灸というと、又別な考え方がなくてはいけないのです。
鍼灸の病証的考え方が必要になってくる訳です。
それは我々が唱えている経絡を中心に診断し治療する事です。
これは後世派の中に於いては臓腑との関係に於いて経絡を考えているのですが、
我々は、経絡から臓腑を考えなくてはならない。
こういう所に違いがあるのです。
古典研究会〉 p50-
タベも十人め喧しい連中が集まっているから、終いには喧嘩になるのですが、我々は集まると年中、喧嘩している。喧嘩の原因は、皆この問題です。
大きな声で論争しているだけなんですが、間に「バカヤロー」が入るので喧嘩している様に見えるのです。
止めると仲良く酒を飲んでいる。
そういう所が我々のグループ勢いい所です。
あんな会は、どこに行っても無いし、これからも出来ないでしよう。
相手の言う事を尤もだと聞くだけでは、こんな物は出来ない。
一方に瀕してしまう。
それでは、物の進歩はない。
我々の研究会には、会長はあるが、上も下もなく九人が、みんな平等の立場で言い合い、リーダーになろうとする者もないし、俺がという者がいない。
そして負けると素直に謝る。
そういう立場で経絡治療を育て古典にある方法論を、現代の社会に合う様に作りあげたものです。
古典の生かし方)p51-
こういう病証を研究する場合に、このままを経絡に転化する事は難しい。
何故かというと、薬方で使う為の病証論です。
鍼灸家の書いた「重宝記」等ありますが、あの時代には、こうした検討が成されなかつたから、湯液家に追従する傾向があり、それと同時に、鍼灸は臨機応変な所があるのです。
例えば、同じ下痢という症状があっても、下痢の治療ではなく、下痢を起こしている体に対する治療を考えているのです。
体の変動を診るのが、経絡的診断です。
そして、それを正しく整える事が鍼灸の治療となるのです。
この治療の方法に虚、実を考えます。
虚を補うのも治療です。
同じ方法で、実を瀉すのも治療です。
例えば、陰経虚証といえば、その陽経は実証なのです。
陰経実証といえば、その陽経は虚証なのです。
どこに中心を置くかは、その人の考えによっていい訳です。
但し、ここで問題になるのは治療過程に於いて、どちらが最も早く治療じ得るかという事です。
それによって決まる訳です。
証と症状)p51-
昔も今も同じ事ですが、症状を取るという考え方、症状とは自覚症の事で、患者が解かる事です。
頭痛、便秘等の症状を訴える、証を訴える人はいない訳です。
脾虚証だから治療してくれという人はいない訳です。
これは術者だけが解かる事です。
その症状を取り除く事は、本人が満足するので症状にこだわり、媚びる傾向がある。
出来ないのにやろうとする。
それが単なる外傷を受けた捻挫、打撲等なら痛みがとりやすい。
しかし内傷から起こり、経絡の伝変を起こし、そして陽に現れた症状は、そんなに簡単に取れるものでない。
最も危険な例が肩凝りです。
肩凝りが外傷労倦からくる物は体ませれば治る。
働き過ぎたから痛くなった。
その人の体は正常なのです。
寝なかったら眠くなる、食べなかったら腹が減る、これは全て正常です。
しかし食べないのに腹が空かない、三日寝なくても平気である、疲れたのが解からない、これは、その人の体が悪いのです。
何もしなくても、寝ていても肩が凝る。
これは単なる外傷労倦でなく、人体のアンバランスがあるから、その様な症状が起きた物で、治療するのに、唯、肩だけを満足のいく迄治療すれば、後で悪くなり決して良くならないのです。
ところが症状が取れると、患者は治ったと思う。
証は解からないから、そして来なくなるが又痛くなり、鍼は癖になるというのです。
そうではなく、これは貴方の体からいえば利息みたいな物だと、利息を返したら安心だといっても、又利息は貯まるんだから元金迄、返しなさいと、元金を返さないと、症状は、又いつでも出るという事は自然的なものなのです。
診断と証)p52-
そういう風に考えて、経絡的診断に、こういう物を参考にし証に繋げるのは良いが、
湿の邪は、こうなんだと決めつける事は出来ないのです。
これは証に随う随証療法という事が裏づけにあるという事です。
それから鍼灸家の書いた病証論というのは、湯液家に追従するため、治療との結びつきが無いのです。
これは「重宝記」に於いても、立派な理論が書いてあるのに、各論の治療に入ると何も書いてない。
これは代田先生の「鍼灸治療基礎学」に於いても、まるでアクセサリーで、これでは何にもならないのです。
我々は、こういう変動があった時の、臓器という物を考えるべきです。
これは現代医学的病名にもあてはまる事です。
例えば肝臓が病変を起こしている時、それは肝経の変動とは言えないのです。
肝臓の病気の中に、肝経で治るのもあるし、腎経で治るのもある訳です。
これは肝臓が悪くなった現象、その元にある物、それがその人に有るという事です。
例えば、酒を飲むと肝臓が悪くなるというが、誰でもは悪くならない。
その様に、因果関係がある様で、ないのが人間の体です。
その人の個人差によって大分違うのです。
そういう面で、経絡的診断を診ていくと、非常に解かり易いのです。
脉診だけの限界〉 p52-

こういう病症も診断も考えないで、脉だけ整えれば経絡治療可能なりと考えたら、これは間違いです。
例えば、はっきり腎虚証だと解かる脉ばかりだと良いんですが、全部の脉が実か虚の様に診えたりで脉診だけで決めるのは出来ないのです。
脉診だけで掴み所のない病気もある訳です。
そういう時に、この病証というのが役に立って来る訳です。
病証に従って一つの症状的治療をやって脉がはっきりしたら脉を整える、そういう方法を取って行けば良いのではないかと考えます。

井上恵理先生の南北経驗醫方大成による病証論、第四湿論 講義解説文章より
本文の解説〉 p52-
「湿の気たりや」所謂、湿の邪気は、
「天地の間に沖溢し」天にも地にも、どこにでも湿がある事、
「四季時の内に流注す」四季を通じてある。
「体虚の人」内因を起こじ湿邪を受ける体質の人。
年中どこにでもある湿の邪に、全部がやられるのでなく、体虚の人と断っているのです。
これは湿邪だけでなく、風寒暑の邪すべてです。
「或いは風雨の為に襲われ、或いは卑湿の地に訃し」〔訃は目ト〕
卑湿とは、湿地のある土地、家に住んでいる事、
「遠行」遠く歩いて、
「水を渉り」水、湿地を歩く、
「山澤の蒸気」山に登った人は解かりますが、私は山が好きで、アルプスの開拓に参加した事もありますが、山の天気は激しく、ヒューと来ると前が見えなく、寒気が激しい、凍えるという症状は自覚症がないもので、物を握んでみて、利かないのが解かるもので、その為に遭遇(そうぐう)するのです。
山澤の蒸気とは、そういう事です。
「或いは汗出て、衣の裏が冷える時は脾腎を冒されて、皆よく中傷せる事あり」
体の弱っている人、これは虚弱でなく、内因の陰虚の事、この人が風雨を受ける、湿地に住んだり歩く、山澤の蒸気を受ける。
汗出て濡れた着物の為、湿気にやられる。
この二つの条件で脾腎が冒されるという事です。
腎につく物は、腰痛、体が重くなる。これはだるいとは違うのです。動くのが嫌になる。
水中に坐すが如く腰から下が冷える。男より女に多い。
水をかけられた様に表現している。
「小便利せず」、小便が少なく出にくくなる。これは尿閉とは違うのです。
脾につくと
「四肢浮腫する」手足浮腫む
「屈伸するを得ず」曲げたり伸ばしたり出来ない。
「湿気が風を挟む時」風湿ともに入った時「眩量」めまい。
「嘔減」吐くのでなく吐き気とゲツプ。
「心間煩熱」心は胸で胸の間が熱く感じイライラする。
「寒を兼ねる時」寒湿一緒の時。
「拳攣(ケンレン)」拳、手先が震える。
「掣痛(セイツウ)」痛みが走る。
「汗が無く悪寒(オカン)す」汗が無いのにブルブル震える。
「悪寒(オカン)」寒気がする。汗があつて寒気がするのは風です。
「暑を帯びる時」暑と湿が一緒の時。
「煩渇(ハンカツ)」切(しき)りに喉が乾く。
「飲を引き」水を飲みたがる。
「心腹疼痛」胸と腹が痛くなる。
「面赤づいて」顔艶なく垢の様になる。そして悪寒す。
「湿に感ずるの証は、其の詠、多くは沈緩微である」沈んで、緩やかで微かに打っている。
「其の証、多くは四肢(シシ)、倦怠して挙がらず」手足怠(だる)く、手が挙がらず、上げても怠く下がる。
「法」治療法。
「小便を踈利(ソリ)するを先ず成すべし」小便をよく出す様にする。
決して軽々しく症状が怠いとか重いとか、胸息れとか、たいした事で無い様に思い、
「汗を出したり下したり」発汗剤、下剤、どちらも潟法です。
「瀉法して並びに火を用いて攻めるべからず」冷えるからといつて、お灸、カイロ、火を用いて暖めるのはよくない。
又脉微緩で虚証であるから瀉法はいけない。
こういう風に、症状を診ただけで、いいかげんな補瀉を行なう事が、経絡治療の場合は間題になって来るのです。
例えば、脉が微でどれが虚しているか解からないので、実している所を見つけ瀉法をやる。
これはダメなのです。
こういう時、病証の研究から、この症状は軽々しく汗したり、下したり出来ない。
瀉法してはいけないと解かれば虚している所を見つける事です。
「泄瀉の証あらば、まさに、その類にこれを求むべし」
泄瀉は腹下し、どっと出て気持良い事、こういう症状があり、お腹下る様なら、まず下る方の治療をしなさい。
それが湿の証です。
ここに私達研究会の湿の証の研究があります。
景岳全書の湿邪〉 p54-
これは類経を書いた「張介賓(ちょうかいひん)」:「張景岳(ちょうけいがく)」が、あらゆる病症を集めた物で、湿邪について五論あります。
一、天の気:風雨にあたり臓器を傷(やぶ)る。
二、地の気:湿地にあたり肌肉、筋脈を傷る。
三、飲食 :濃い酒を飲み汗を出し六腑を傷る。
困、汗液 :汗による物、湊理を傷る。     」
五、内より生ずる、水が消化せず胃に滞まり内傷湿邪となり脾腎につく。
胃は水分、アルコールを吸収、幽門は物が通り水が通らない。
胃の中で水の音がする。あれが水湿の邪です。
症状としては、汗を出し湿邪が皮表にある物は、発熱、悪寒、自汗(労働したり熱い物を食べて出る発汗でなく、静かにしていても出る汗である)。
湿が経絡に入ると、痺れ、痛み、重く怠く筋骨疼痛、腰痛し、寝たり起きたり出来ない。
四肢弱くなり痛いのに押さえても解からないイライラした足の置所ない痛み。
肌肉にある物、足が腫れ、押すと元にもどらない。
臓腑にはいると、吐き気、お腹ふくれる、小便出にくくなる。
小便ヒジュウも小便不利も同じで時代により言葉が違ってくるので古典を見る時は気をつける事です。
小便が黄色、赤色になる、小便が渋るから泄瀉が起こる。
「秘結する時は小便数になり、」これは反対です。
お腹痛くなり、お尻の方に下がる様になる。
脱肛を起こし、所々麻痺した様になる。
病の軽重、経絡の病は、湿が外から入ったので軽く、飲食の病は内より生ずるから重いのです。
例えば酒の飲み過ぎは、水が消化しなく内傷湿邪により重いのです。
但し、経絡にあるから臓器に関係がないという事はないし、臓器にあるから経絡に関係ない事はないのです。
¨
張介賓(ちょう かい ひん)「張景岳(ちょうけいがく)」(1563~1640)[漢方医列伝]hpより引用。
張介賓、字あざなは会卿(恵卿)、号は景岳。室名を通一斎といい、通一子とも号した。
明の嘉靖42年(1563)生まれ、崇禎13年(1640)卒。享年78歳。
幼いころは六りく経けいと諸子百家の書に親しみ、医学理学に精通した父の影響で、天文・数学・堪かん輿よ(天地の神)・律呂(音楽)・兵法など幅広い知識を得ました。中年になると筆を捨てて軍隊に入りましたが、功なく、故郷に帰って雑学を捨て、医学に励みました。
おもな著作は、『類経』と『景岳全書』です。『類経』32巻、90万字は、30年の月日を費やし、4回の改訂を経て完成されました。
『素問』『霊枢』の散漫な文章を整然と整理したもので、学習にも検索にもたいへん便利になりました。
『景岳全書』64巻は、張介賓の学術理論を集大成した書です。
曲直瀬道三の考え方〉p54-
啓迪集(けいてきしゅう)の中に、
「湿は土の気なり熱よく湿を生じ、故に夏熱する時は、万物湿潤し、秋涼しい時は、万物乾燥する」
夏は暑いので湿気が無い様に思うが、暑い程、湿気がある。秋は涼しくなると、万物が乾燥するという、湿気とはそういう物です。
地下室は冬乾燥し、夏湿気する。
湿病の元は、水から生じる。
湿、熱によって水を巡らす。
停滞して、湿を生じるという事です。
熱は湿を生じる。
内経にもある事です。熱は火です。湿は土です。火は土を生じるという事を別の言葉で、熱は湿を生じると成ります。
脾上の弱い人は、この邪を受けやすい。
よく風寒というのは、症状が表面に出やすい。
だから、すぐに熱、寒気、痛みの症状が出てくるので治療するが、湿邪の時は、怠い、重い等、症状が激しくないので疎(おろそ)かにしやすい。
しかし、これは間違いなのです。
¨
Wikipediaより引用。
曲直瀬 道三(まなせ どうさん)、永正4年9月18日(1507年10月23日) – 文禄3年1月4日(1594年2月23日)
戦国時代から安土桃山時代の日本の医師。道三は号。諱は正盛(しょうせい)。
字は一渓。他に雖知苦斎(すいちくさい)、翠竹庵(すいちくあん)、啓迪庵(けいてきあん)など。
日本医学中興の祖として田代三喜・永田徳本などと並んで「医聖」と称される。
暑邪と湿邪〉p55-
私達が、湿気をあまり問題にしないのは、経絡的変動が少なく臓腑的変動に成っているからです。
その為に、湿邪、暑邪は、こう治療するというのが無いのです。
だから病証的になるのです。
撹乱(かくらん)は暑邪の病、泄瀉、嘔吐、脹満、自汗の症状は湿邪、この様に病症を参考にして湿邪の治療が出来るので鍼灸の方では、あまり湿邪や暑邪の事は云ってないのです。
湯液家の方では、経絡がないので、これがないと治療出来ないのです。
経絡的診断と治療は、こうした物を参考に、 一つづつ作りあげて行くものです。
経絡の変動は脉だけで考えられないのです。
だから病証の研究が必要なのです。
湿の発生〉p55-
前回の湿について残っている話を続けます。
日本で湿について簡潔な解釈をしている曲直瀬道三の啓迪集(けいてきしゅう)の中に、湿が体に入る状態を解かりやすく区別しておりますので、この事を申し上げておきます。
「湿は土の気なり、熱よく湿を生じ、故に夏、熱する時は万物湿潤す。秋涼しき時は万物乾燥す。」―
これは日本の風土に合った湿の扱い方をしているのです。
―熱よく湿を生じるという言葉ですが、これは夏の暑い時に湿気が多くなるという意味です。
我々は湿った服を熱に当てると湿気が乾くと考えているが、実はそうでなく熱によつて乾燥は出来ても乾燥する時に出る湿気、即ち水が乾く時に出来る蒸気、これを湿というのです。
あの暑い時に湿気るという状態をみても解かると思います。
秋涼しい時は万物乾燥する。即ち燥の邪は秋の邪とされ肺金に存します。
この様に考えてくると湿という物が湿っぽい冷たいという感じでなく熱を生じ湿気を生じるという事をはつきり考える必要があると思います。
湿邪の体質と病証〉 p55-
「湿病のもと水から生じる。熱により水道巡らず停滞して湿を生ず。況(いわん)や湿は軟弱の人感じやすし」
―これは我々の体に湿邪として当たる状態を説明している。
湿に起こる病というのは水から生じる物ではない。
体から出るものでなく熱により我々の体に熱が鬱しているから水道巡らず体の経気が巡らず停滞して湿を生じる。
「脾土、脆弱(ぜいじゃく)の人、感じやすい」
―これは湿気を感じやすい人は脾とか胃とかの消化器系統が弱い人で、体でいうと肌肉、即ち筋肉の弱い人。
疲れるは筋肉の疲れ即ち体の倦怠、或は仕事をすると、すぐに体が怠くなる。
こういう人が湿に感じゃすい。
「玉機微義(ぎょくきびぎ)」の本の中に
「人ただ風寒の嫌悪を知りて暑湿の冥患(めいかん)を知らず」―
これは風、寒は厳しく我々の体に感じるのですぐに解かるが湿、暑邪は冥患(めいかん)といい知らない内に我々に入って来るものです。
医経の本の中に「中湿諸湿の支満は脾土に存し、湿勝つ時は、濡瀉なり、地の湿、感ずる時は肌肉、筋脈を害する。
脉、沈緩、沈細微みな中湿の脉なり」―
これは湿に感じると支満(腫ればったい)、なんとなく顔、体、手足が腫ればったい。
これはみな湿に感じているのです。
「湿勝つ時は」―湿気が入ると濡瀉する。即ち軟便になりやすい。我々が食べ物に気を付けても軟便する。
その時、体が怠い。これは肌肉や筋脈を害されみな湿に感じているのです。
「中湿の脉は沈緩」沈んで緩やか、或いは沈細微、線く微かな脉を打つています。
「中湿に内外の証あり」― これは内に入ったか、外に入ったかで内の場合は、外に感ぜず経脈、経筋に関係なく内臓の意味にとっても構わないのです。
「湿、寒を挟みて」―これは湿と寒が共に入って内に甚だしい時は腹痛、下痢する。
外に甚だしい時は、体が重く疼痛(疼き痛み)する。
湿が風を挟んで外に甚だしい時は、体が重く痛く汗が出る。
これは風邪というのは、いつも汗が伴っている。
汗が出る時は外、汗でなく悪寒する時は内と風はいつも汗の有無が決め手になるのです。
湿が熱を挟む時、内に甚だしい時は瀉利する、所謂、下痢瀉利(痛まない下痢)、ダツと何故出たか解からない下痢でむろん腹痛は無い。
「外に甚だしい時は、或いは痛み、或いは熱し、或いは腫れ、或いは発黄する」―
外とは表面で皮膚、筋肉、この時は痛み、熱する、腫れる、発黄(体が黄色くなる)する。
内外の証として内因があり中湿に冒されると中満(腹が腫れ満ちる)。支満(胸がつっかえ下痢する)。
外に感ずる時は痺(痺れ、或いは痛み)、浮肢(足の甲が腫れ痛む)。
湿証の寒熱というのは、湿熱の証は多く、寒の証が少なく脉証をもつて弁ぜよ。
所謂、湿証は熱証が多く寒の症が少ない。
脉法診れば解かる。
湿熱の脉、滑数であり、尿が赤く渋リエンゲン(水気の物を取りたがる)する。
「湿寒の証は小便自利、大便瀉し身痛んで自汗する」
小便自利は漏れてしまう。出そうとして出すのでなく自然に漏れてしまうのが自利です。
大便瀉は下痢、体が痛んで自汗(じっとしても汗が出る)。
汗にも色々ある。
四足汗(手足に汗が出る)、
頭汗(頭だけ汗が出る、これは顔の事)。
「医方諺解(いほうげんかい)」の本の中に
「その人虚弱なるが故に、人、湿にあたる」
虚弱という事は弱いという事でなく内傷を起こし易いという事です。
皮膚にあたる時は頑痺(頑固な痺(しび)れ)する。
痺れも感覚的に痺れる時、感覚がないのも痺れ、痛みのない痺れ、物に触っても解からない痺れ、抓(つね)ると痛く触ると解からない。
又この逆もあるのです。
痺れというのは時に起き時に止む。
坐って痺れ立てば治るのがそれです。
所が頑痺というのは年中痺れています。
甚だしい時は、寝ている時は解からず起きていて解かる。
又逆もあり、これをメイシといい痺れも色々あるのです。
「気血に入れば倦怠する」―
気や血を冒されると倦怠するのは湿の特長です。
我々は怠いという症状を簡単に扱うが倦怠も色々あります。
¨
「玉機微義(ぎょくきびぎ)」参考サイトhttp://www.ryukoku.ac.jp/tenjishitsu/t2/8.htmlより。
十冊 明・正徳元年(一五〇六)序刊
明・徐用誠原撰
原撰者の徐氏は諱を彦純、字を用誠といい、一三八五年に没した。
浙江省山陰県(現在の紹興市)の出身で、名医・朱丹渓(一二八一~一三五八)に師事したという。
著書の『医学折衷』が『玉機微義』の基となり、他に『本草発揮』四巻が伝わる。
劉純は字を宗厚といい、父の劉叔淵は朱丹渓の弟子だった。
のち陜西省西安(現在の西安市)に移り住み、著書は本書以外に『医経小学』六巻、『雑病治例』一巻、『傷寒治例』一巻が伝わる。
本書は巻一の中風門から巻五十の小児門まえ、病門毎に論と治方をまとめた典型的な方論書である。当時の書としては珍しく引用文に文献名を明確に表記し、百以上の書を参照して著されている。中国では清末までに十回近く復刻された。日本医学中興の祖、曲直瀬動三(一五〇七~九四)は本書の嘉靖九年(一五三〇)版を愛読し、その著『啓テキ集(一五七四)に本書を四〇四回引用する。のち江戸前期に古活字版で二回、整版で一回復刻されている。
湿邪と五臓の病症〉 p57-
肺に入れば喘満(咳が出るだけでなく胸が張る)。
脾に入れば湿痰、支満する。
湿痰は湿気のある痰が出る。
喉に絡(から)まって出て来ない痰と、出てくる痰があり、出てくる方が湿痰です。
肝に入ると胸満、支節、不利をなす。
胸満とは脇腹が満して節々、ことに手足の節々が効かなくなる(動けないのでなく動きにくくなる)。
こういう不利という言葉も色々使われている。
例えば、下らずという言う言葉ですが、便が下らない、物が入らない、胸に間えるも下らずで前後の文章により違う意味が含まれます。
「腎に入れば腰痛、股痛、身反挟する。脚はサツイの難し」―
腎に入ると腰が痛み、股〔間接〕が痛く、身反挟(体が板で挟まれた感じ、窮屈(きゅうくつ)な感じ)する。
足はサツイ(足が抜け出す感じ)の如し。
「腑に入れば麻木不仁」― 麻木(麻痺)、不仁(利かない)。
「臓に入れば屈伸する事あたわず額強直する」―
湿邪を観察すると色んな症状を起こしている。
だから、
風邪とか寒さとか最近は寒の方はあまり問題にしないで何でも風邪と言っているが体が痛いとか、ゾクゾクするとか解かるが湿の場合は解からないうちに入ってしまうのです。
何でもないのに下痢する。
腹は痛くない、これは完全に湿の邪です。
その証
拠に寒い時(秋から冬、春の初め)になく夏に多い。
例えば、我々の体は一定の温度に保たれ、全ての機能が正常なのに冷たい物を食べ機能減退を起こすので、熱を出し湿を生じ下痢をするゆです。
冷たい物は喉もと過ぎる時だけで逆に暑くなる。
暑い時は熱い物をとると後は涼しく成るのです。
これは病人を扱う基本条件です。
神経痛の人は酒を飲んだり風呂に入ると、その時は楽になるが、その後痛くなるのです。
私は、今は酒とか風呂を止めず、自分で痛みを体験させ解かる様にする。
どうせ世の中は人間が多いのだから一人ぐらい死んでも心配ないんだからと言うと大抵やめる物です。
湿邪の治療〉 p57-
痛まない下痢、体が怠い、手や体が強張る、腫ればったい、押さえられた感じ、この時は一応、湿の邪を考える必要がある。
湿の邪が入った場合、鍼はどうするか、痛いとかいうのは虚か実か治療法を考えますが、
湿に入られる時は意識なく深く入るので、体に力を与えて、湿邪は取り除くのです。
まず皮膚に入り、麻痺してる時は円鍼を使うと湿に効果あると思います。
よく高血圧、脳軟化症、エンボリ(塞栓症)の症状で湿邪に当たっているのが沢山あるので、中風の邪に当たった脳溢血様の物と明確に区別して治療するのはその為です。   、
湿邪に当たつた時、灸が良い様に考えるが余程加減しないと体を損傷する場合があります。
少しの経穴に沢山灸をするのは良いが、多くの経穴を取るのは良くない。
所が腫ればったいとか痺れ、怠いは範囲が広くなるので、広い中の要点を決め、そこに多く施す補法が案外効果があります。
鍼の場合も同じ事です。
円鍼だと体を損傷なく、置鍼でやる補法も良い(しびれが取れる)。
皮膚鍼も良いがやり過ぎない事。
全体の体の調和〉 p58-
邪の入る状態により迷いやすいのは、
症状が同じでも(痛みを取る)病因(風邪、寒、乾、湿気)により鍼の手法が違うので、病証諭が必要なのです。
ただ脉を整えるだけでは済まされないのです。
脉を整えるのは全体の体の調和の方法で、
倒えば、一本の支柱の上のヤジロベエが平行であれば健康であり、曲がれば不健康であるが、平行であっても支柱の上下により体の状態は違うのです。
よりよい体は支柱が高く平行している事です。
平行していても支柱が低いと体の調子は良いが、何かするとすぐ疲れ、精神的に動揺、根気無くなる危険がある。
平行にするのが本治法であるが、病人の場合、平行にしても支柱の中に安定するだけの力がないので、又曲がり病気の根治にならないのです。
気、来たるとは〉p58-
先日、長崎で講習会を行ない百七十名が参加する程、経絡治療に関心が集まり、その中で先生みたいな治療したら患者が納得しないと良く言われます。
私は患者が納得する治療をするのか、治療してから納得させるのかと言うのですが、患者が納得しないのは、鍼の響きが無い事だそうです。
それでは世の中に統計を取ってみて痛みの有無を調べてみれば解かるが、痛くないのが多いはずです。
響かなければダメだというのは、既成の鍼の観念を持っている人だけです。
それから、外国の人とか皆さんの質問の中で、こういう事を教えなければいけないと考えさせられるのですが、
その中に、気、来たるとはどういう事かの質問ですが、これは何でもない事で、いろんな条件の総合した物です。
鍼を刺す場合、その場所がどう成っているか観察する事です。
固い、柔らかい、熱、冷え、痛み、何かあるのが無くなる事が、気、来たるという事です。
日で見る時、刺した所が赤くなる。
赤くなる事は、そこに血が集まって来、冷たい物が温かく成って来ているので日の見えない人は温かい事を良じとし、
皮膚のザラザラが艶が出てくる、湿っぱくなる、動脈上の経穴は脉が強くなる、こういう事が気、来たるです。
鍼を刺す時、脉だけでなく、そういう事を総合的に考え無心で打つ事、無心は何も考えない事でなく、何かに集中する事です。
だから、病症のあり方を記録してるだけでなく、研究し、知識の中に持っている事が大事です。
鍼灸師の心がまえ〉p59-
私の師匠が「鍼を刺す為には人になれ」と言われた。
これは全ての行動、行ない、発言が煩わされなく人間的行動がとれる様にという事です。
私達は一人でなく、みんなで遣っています。
人の言う事も、自分の言う事も、みんなで練磨・琢磨して認め合い取り入れる。
それは素直でなければいけないのです。
迷いがあるのは自分に自信がない事です。
みなさんの様な団体〔東洋はり医学会〕があるのは幸福なのです。
治療の場合、一人で解からない事は一生解からないのですがみんなで考え解決し、向上して行くのです。
だから鍼は術だけでなく道が大事なのです。
今度、大阪医大の澤瀉久敬(おもだかひさよし)「医学の哲学」の本ですが、面白いので見て下さい。
今の医学は生命を忘れている。
全て治療に繋がらなければ医学でないと言い、学術道が一体である事が大事で、東洋医学は道に通じる名人芸があり、
言葉や文字で表せない秘伝、それは医学全てに通じ、哲学を医学の中に取り入れる事だと言っている。
我々の主張してきた事が、あの人の本に書いてあり、嬉しく思います。
その他、「新しき医学の道」新潮文庫、高橋晄正、これは現代医学の欠点を書いています。
以上【井上恵理先生の南北経驗醫方大成による病証論、第四湿論 講義解説文】を終わります。


これより以下の文章は、
2012.年に・・ HP記載アップした文章です。
4年前の文書も何か参考になればと思いそのまま掲載をいたします。

ho103

四、湿論

「南北経驗醫方大成 四、湿論」の原文               P49上段1行目 ~ P59下段終行より。

湿之爲氣、沖溢天地之間、流注四時之内。
 體虚之人。或爲風雨所襲、或訃卑湿之地、遠行渉水、或山澤蒸氣、或汗出衣裏冷、則侵漬脾腎、皆能有所中傷。
 著腎者腰痛、身重如坐水中、小便不利。
 著脾則四肢浮腫、不得屈伸。
 若挟風則眩暈嘔噦、心間煩熱。
 兼寒則拳攣掣痛、無汗悪寒。
 帯暑則煩渇引飲。、心腹疼痛、面垢悪寒。
 凡感湿之證、其脉多沈緩而微、其證多四肢倦怠不擧。
 法當踈利小便爲先。
 決不可軽易汗下並用火攻。
若有泄瀉等證、又當於各類求之。

ーーーーーーーーーーーー

井上恵理 先生の訳:

湿の気たる事、天地の間に沖溢(ちゅういつ)し四時の内に流注す。
体虚の人。或いは風雨の為に襲われ、或いは卑湿の地にふし、遠行に水を渡り、或いは山澤の蒸気に感じ、或いは汗出でて衣の裏、冷ゆる時は、脾腎を侵漬して、皆よく中傷せらるる事あり。
腎につく者は腰痛、身重く、水中に坐するが如く、小便利せず。
脾につく時は、四肢、浮腫し屈伸するを得ず。
若し風を挟む時は、眩暈、嘔(おうえつ)し、心間煩熱す。
寒を兼ねる時は、拳攣(けんれい)、掣痛(セイツウ)し、汗なくして悪寒す。
暑を帯びる時は、煩渇(ぼんかつ)して飲を引き、心腹疼痛し、面垢づいて悪寒す。
およそ湿に感するの証、其の脉、多くは、沈緩(チンカン〕にして微(び)、
其の証、多くは四肢、倦怠して挙が らず。
法、まさに小便を踈利(しょり)するを、先と為すべし。
決して軽易に汗し、下し並びに火を用いて攻むるべからず。
若し泄瀉等の証、有りては、又まさに各類に於いてこれを求むべし。

ーーーーーーーーー

井上恵理先生の解説と言葉の意味:  P52下段から。

〈 四、湿論の解説 〉

―湿の邪気は、天にも地にも、どこにでもあり、四季を通じてもある。

「虚体の人」〔とは〕内因を起し湿邪を受ける体質の人。年中どこにでもある湿の邪に、
全部の〔人間〕がやられるのではなく、「虚体の人」と断っているのです。

これは湿邪だけでなく、風寒暑の邪すべてです。

「或いは風雨の為に襲われ、或いは卑湿の地にふし」・・
卑湿とは、湿気のある土地、家に住んでいる事、
「遠行」遠く歩いて「水を渡り」水、湿地を歩く、「山澤の蒸気」山登りをする人は解りますが、
私は山が好きで、アルプスの開拓に参加した事もありますが、山の天気は激しく、ヒューと〔風雨・霧靄が〕来ると前が見えなく、寒気が激しい、凍えるという症状は自覚症がないもので、
物をつかんでみて、〔手足・指が〕利かないのが解るもので、その為に遭難するのです。
山澤の蒸気とは、そうゆう事です。

「或いは汗出でて衣の裏、冷ゆる時は、脾腎を侵漬して、皆よく中傷せらるる事あり」・・
体虚の人、これは虚弱ではなく、内因の陰虚の事で、この人が、
①風雨の為に襲われ、
②湿気のある土地、家に住んでいる、遠く歩いて水、湿地を歩く、山澤の蒸気を受ける。
③汗が出て濡れた着物の為に、湿気にやられる。
この三つの条件で脾胃が冒されるという事です。

腎につく物は、腰痛、身体が重くなる。
これはだるいとは違うのです。動くのいやになる事です。
水中に坐するが如く、腰から下が冷える。男性よりも女性に多い。
―「小便利せず」・・小便が少なく出にくくなる。れは閉尿とは違うのです。

脾につくと「四肢、浮腫」手足が浮腫む、「屈伸するを得ず」曲げたり伸ばしたり出来ない。
「湿気が風を挟む時」風湿ともに入った時「眩暈」めまい。「嘔?(おうえつ)し」吐くのではなく吐き気とゲップ。「心間煩熱」心は胸で胸の間がイライラする。

「寒を兼ねる時」寒と湿が一緒の時。
「拳攣(けんれい)」拳、手先が震える。「掣痛(セイツウ)」痛みが走る。
「汗なくして悪寒す」汗がないのにブルブル震え、寒気がする。
汗があって寒気がするのは風です。

「暑を帯びる時」暑と湿が一緒の時。「煩渇(ぼんかつ)」し切りに喉が渇く。
「飲を引き」水を飲みたがる。「心腹疼痛」胸と腹が痛くなる。「面垢づいて悪寒す」顔の艶がなく垢の様になり、そして寒気がする。

「湿に感するの証、其の脉、多くは、沈緩微」
〔湿証の脉状は〕沈(しず)んで、緩(ゆる)やかで、微(わず)かに打っている。
「其の証、多くは四肢、倦怠して挙がらず」
手足が怠(だる)く、手が上がらず、上げても下がる。

治療法は「小便を踈利(しょり)するを、先と為すべし」
小便をよく出す様にする。
けして軽々しく病状が―たいした事で無い様に思い、「汗し、下し並びに火を用いて攻むるべからず」発汗剤、下剤、の瀉法や冷えるからといって、お灸やカイロ、火を用いて暖めるのはよくない。

「泄瀉等の証、有りては、まさに各類に於いてこれを求むべし」
泄瀉は腹下し、〔大便が〕どっと出て気持ちが良い事なら、下る方の治療をしなさい。

ーーーーーーーーーーーーー

鍼灸の経絡的考え方 〉: P50下段より。

〔湯液家と経絡鍼灸師との違いについて:〕

―経絡鍼灸師は、経絡を中心に診断し治療する。

―〔湯液家の後世派〕の中に於いては臓腑との関係に於いて「経絡」を考えているが、
我々〔経絡鍼灸師は〕経絡から、臓腑を考えなければならない。
〈 古典の生かし方 〉 P50上段より。

〔湯液家のための〕病証論をこのまま経絡鍼灸論に転化する事は難しい。
―漢方薬を使う為の病証論ですから―

1939年(昭和十四年)
経絡鍼灸の理論と法則が世界で始めて確立されるまで。

― 鍼灸家の書いた「鍼灸重宝記」も経絡治療法則の検討は成されなかった。

【経絡鍼灸の理論と法則】

―身体の変動を診るのが、経絡的診断です。

そして、それを正しく整えるのが鍼灸の治療となるのです。―

経絡治療の方法に「虚」と「実」を考えます。

虚を補うのも治療です。― 実を瀉すのも治療です。―

例えば、陰経虚証といえば、その陽経は実証なのです。

陰経実証といえば、その陽経は虚証なのです。

〔経絡治療の〕中心をどこに置くかは、

その治療家の考えによって良い訳です。

但し、ここで問題になるのは、

治療過程に於いて、

どちらが最も早く治療し得るかという事です。
ーーーーーーーーー

〈古典研究会〉:パス。
〈後世派と古方派〉:パス。

ーーーーーーーーーーー

〈 証と症状 〉  P51下段より

昔も今も同じ事ですが、
症状を取るという考え方、症状とは自覚症状の事で、患者が解る事です。
〔腰痛・肩凝り・膝痛・腕の痛み〕頭痛、便秘等の症状を訴える。
証を訴える人はいない訳です。
脾虚証だから治療してくれと言う人はいない訳です。
これは術者だけが解る事です。

〔下工には「証」はわからないので〕その症状を取り除く事に、患者が満足するので症状にこだわり、媚びる傾向がある。出来ないのにやろうとする。
それが単なる外傷を受けた捻挫、打撲等なら痛みは取れやすい。
〔だが、内傷に原因がある肩凝りの場合は、〕唯(ただ)、肩だけを満足の行く迄(まで)、治療すれば後で〔症状が再発し〕悪くなり決して良くならないのです。ところが患者は症状が取れると、治ったと思い、そして来なくなるが又痛くなり、鍼は癖になる〔と誤解した宣伝を人々に伝える様になる訳です。〕

【 上工は経絡鍼灸の理論と法則から、
その症状が、単なる外傷労倦か、内傷から、経絡の伝変を起こし、
陽に現れた症状かを判断し治療する。】

― 最も危険な例が肩凝りです。その〔原因が〕内傷から起こり、絡の伝変(でんへん)を起こし、そして陽に現れた症状は、んなに簡単に取れるものではない。

肩凝りが外傷労倦から来る物は休ませれば治る。働きすぎたから痛くなった。
その人の体は正常なのです。寝なかったら眠くなる。食べなかったら腹が減る。
これらは全て正常です。

しかし〔内傷に原因がある人の場合は、〕食べないのに腹が空かない、三日寝なくても平気である、疲れたのがわからない、その人の体が悪いのです。
何もしなくても、寝ていても肩が凝る。これは単なる外傷労倦ではなく、
人体のアンバランスがあるから、その様な症状が起きた物なのです。

〔内傷に原因がある人の症状を賃貸借に例えると、借金をして〕利息だけを返しても安心にはならない、元金を返さないと利息は又、貯まる訳です。
元金を返さないと、症状は又何時でも出ることはごく自然なものなのです。

【 内傷に原因がある人の場合は、経絡治療による「証」立てが必要なのです。
そして、証に基ずく『本治法』を時間をかけて治療します。
病の軽重により、半年から数十年の治療が必要になります。
そうすれば、肩凝りの先にあった、死の病魔も先送りが出来、天寿を全うできます。
肩凝りの解消から未病の治療、健康増進の道に入れるのです。】

ーーーーーーーーーーーーー

〈 診断と証 〉   P52上段より。

― 経絡的診断に〔湿論〕を参考にして証に繋げるのは良い ―

― 我々〔経絡鍼灸師は、湿邪が五臓に影響をあたえたその〕
変動があった時の、臓器という物を考えるべきです。

これは、現代医学の病名にもあてはまる事です。
例えば肝臓が病変を起こしている時、それを肝経の変動とは言えないのです。
肝臓の病気の中に、肝経で治るのもあるし、腎経で治るのもある訳です。

これは肝臓が悪くなった現象は、
その〔原因の〕元にある物、〔経絡の変動は〕、
それがその人に〔個別に〕有るという事です。

例えば、酒を飲むと肝臓が悪くなるというが、誰でもは悪くならない。
そのように、因果関係がある様でないのが人間の体です。

その人の個人差によって大分違うのです。
そうゆう面で、絡的診断を診ていくと、非常に解り易いのです。

〈 診診だけの限界 〉  P52下段より

― 病症も診断も考えないで、脉だけ整えれば経絡治療が可能なりと考えたら、
これは間違いです。

例えば、はっきり腎虚証だと解る脉ばかりだと良いのですが、
全部の脉が実か虚の様に診えたりで、脉診だけで決めるのは出来ないのです。
脉診だけでは?み所のない病気もある訳です。
そういう時に、
この病証というのが役に立ってくる訳です。
病証に従って一つの病状的治療をやって、脉がハッキリしたら脉を整える。

そうゆう方法を取って行けば良いのではないかと考えます。

ーーーーーーーーーーーー

― 古典研究会の湿証の研究 ―  P54上段8行目より

〈 景岳(けいがく)全書の湿邪 〉

これは「類経」を著した「張介賓(ちょうかいひん)」が、あらゆる病証を集めた物で、湿邪について五論ありま す。
1、天の気 風雨にあたり臓器を傷(やぶ)る。
2、地の気 湿地にあたり肌肉、筋脉傷る。
3、飲食  濃い酒を飲み汗を出し六腑を傷る。
4、汗液  汗によるものそう理を傷る。
5、内より生ずる、水が消化せず胃に滞り内傷湿邪となり脾腎につく。

【 胃内停水は、水湿の邪 】

胃は水分、アルコールを吸収する。幽門は物が通り水が通らない。
胃の中で水の音がする。〔胃部振水音〕あれが水湿の邪です。
症状としては、
① 汗を出し湿邪が皮表にある物は、発熱・悪寒・自汗する。
② 湿邪が経絡に入ると、痺れ、痛み、〔身体〕重く怠く筋骨疼痛、腰痛し、
寝たり起きたり出来ない。四肢が弱くなり痛いのに押さえても解らない。
イライラして足の置き所がない痛み。
湿邪が肌肉ある物は、足が腫れ、押すと元に戻らない。
③ 湿邪が臓腑に入ると、吐き気、お腹がふくれる、小便が出にくくなる。
―小便が黄色、赤色になる、小便が渋るから泄瀉が起こる。―お腹が痛くな
り、お尻の方に下がるようになる。脱肛〔痔〕を起し、所々麻痺した様になる。

病の軽重、経絡の病は湿邪が外から入ったので軽く、飲食の病は内より生ずるから重いのです。 例えば、酒の飲み過ぎは、水が消化しなく内傷湿邪により重いのです。ただし、経絡にあるから臓器には関係ないという事はないし、臓器にあるから経絡には関係ないという事はないのです。

〈 曲直瀬道三の考え方 〉 P54下段より。  〈 湿の発生 〉P55下段より。

「啓廸集(けいてき)」の中に、「湿は土の気なり熱よく湿を生じ、故に夏熱する時は、万物湿潤し、秋涼しい時は、万物乾燥する」
これは、日本の風土に合った湿のとり扱い方をしています。
夏は暑いので湿気が無い様に思うが、暑いほど、湿気がある。秋は涼しくなると、万物が乾燥するという、湿気とはそうゆう物です。
地下室は冬乾燥し、夏湿気する。
―湿った服を熱に当て乾燥させる時に出る蒸気、これを湿と云うのです。
湿という物は、湿っぽい冷たいとうい感じではなく、熱を生じ湿気を生じるという事を―〔しっかりと認識してください。〕
湿病の元は、水〔腎〕から生じる。湿、熱によって水も巡らす。停滞して、湿を生じるという事です。熱は湿を生じる。熱は火〔心〕です。湿は土〔脾〕です。
火は土を生じるという事〔五行の相生(母子)関係〕を別の言葉で、熱は湿を生じると成ります。
脾土の弱い人は、この邪を受けやすい。―
風寒というものは、症状が表面に出やすい。だから、すぐに熱、寒気、痛みの症状が出てくるので治療するが湿邪の時は、怠(だる)い、重い等、症状が激しくないので疎(おろそ)かにしやすい。しかし、間違いです。

ーーーーーーーーーーーーーー

〈 暑邪(しょじゃ)と湿邪(しつじゃ) 〉  P55上段より。

― 湿気をあまり問題にしないのは、経絡的変動が少なく臓腑的変動に成っているからです。その為に、湿邪、暑邪は、こう治療するというのが無いのです。

だから病証的に成るのです。
霍乱(かくらん)は、暑邪の病。
泄瀉、嘔吐、張満、自汗の症状は、湿邪の病。

鍼灸の方では、
病症を参考に治療ができるので、湿邪や暑邪のことは云っていないのです。

ーーーーーーーーー
参考:
三 、暑 論 c313 〈 鍼の治療 〉より。  P46下段12行目~ より。

この大成論は湯液家(とうえきか)が書いたので風寒暑湿燥火という邪が論じられているが、鍼の方では、寒暑湿の治療法や理論がなく、

例えば中暑は霍乱(かくらん)、下痢は泄瀉(せしゃ)痢病(りびょう)嘔吐、喘(ぜり)つくは喘息、喘急と別の形で扱います。
「鍼灸遡洄(さっかい)集」の本に、
霍乱に二症あり、飲食に破れ、風寒暑湿に感じてなる。
①湿霍乱は、腹痛、疼痛、吐瀉、下瀉、手肢、厥冷し六脉沈んでたよる事なす。
②乾霍乱は、最治し難く死することついに有り。

【鍼の方では、寒暑湿の治療法や理論がない、が。】

【中暑の鍼治療法として・・・】

〔刺絡法:委中穴に深く刺して血を出す対象は、手足厥冷し脉沈伏にして吐く事も、下す事も出来ず腹が渋る様に痛い病症の時に委中穴を用いる。〕
〔陰陵泉・承山穴に深く刺す対象は、霍乱で腓返(こむらがえ)りの症状の時。〕
〔幽門穴を深く刺す対象は、胸中、満悶して吐かんと発する症状の時。〕
〔尺沢・手三里・関衝穴に浅く刺す対象は、吐瀉する症状の時。〕
〔承筋・?揚穴に深く刺す対象は、腓返り(転筋)で、足の腱が引っ張って動かない症状の時。〕

【暑邪の特徴】

暑を受けた邪というものは、熱があって吐いて、下して、目を引きつける症状です。

【中暑と霍乱を考えるー山口一誠の考察です。】

〔中暑とは、暑が蔵に中(あ)った症状を指している。?〕

〔霍乱に二症あり、飲食に破れ、風寒暑湿に感じてなる。

①湿霍乱は、腹痛、疼痛、吐瀉、下瀉、手肢、厥冷し六脉沈んでたよる事なす。

②乾霍乱は、最治し難く死することついに有り。これ本文より。〕

ーーーーーーーーーーー

〈 湿邪の体質と病証 〉  P55下段より。

【ここのポイントは、】

【1:湿病は、熱により体が鬱(うつ)して、体液の循環が悪くなり、経気が巡らず停滞して湿の病を起す。と覚える事。】

【2:湿邪を受けやすい体質は、消化器系統が弱いタイプ。と覚える事。】

1:「湿病のもとは水から生じる。熱により水道巡らず停滞して湿を生ず。
況(いわ)んや湿は軟弱の人に感じやすし」

―これは我々体に湿邪として当たる状況を説明している。

湿に起こる病というものは水から生じる物のではない。
体から出るものではなく、熱により我々の体に熱が鬱(うつ)しているから、
水道巡らず体の経気が巡らず停滞して湿を生じる。

2:「脾土、虚弱の人、感じやすい」―
湿邪を〔受けやすい体質者〕は、脾(膵臓)とか胃とかの消化器系統が弱い人。
―〔力仕事をすると、体が怠くなる人、筋肉の弱い人。です。〕

『玉機微義(ぎょくきびぎ)』の本の中に、
「人ただ寒風の嫌悪を知りて暑湿の冥患(めいかん)を知らず」とあります。
寒、風は厳しく我々の体に感じるので、すぐわかるが、「湿邪」「暑邪」は、
冥患(めいかん)と言い、知らない内に体に入って来るものです。

医経の本の中に『中湿、諸湿の支満は脾土に存し、湿勝つ時は、儒瀉なり、地の湿、感ずる時は肌肉、筋脈を害する。脉、沈緩、沈微細みな中湿の脉なり』
これは湿に感じる支満(腫れぼったい)、なんとなく顔、体、手足が腫れぼったい。
これはみな湿に感じているのです。
「湿勝つ時は」―湿気が入ると儒瀉する。すなわち軟便になりやすい。我々が食べ物に気をつけても軟便する。その時、体が怠い。これは肌肉や筋脈を害されみな湿に感じているのです。
「中湿の脉は沈緩」―沈んで緩(ゆる)やか、或いは沈微細、細く微(かす)かな脉を打っています。

ーーーーーーーーーーーー

〈 湿邪の体質と病証 〉  P55下段より。

【ここのポイントは、】

【1:湿病は、熱により体が鬱(うつ)して、体液の循環が悪くなり、経気が巡らず停滞して湿の病を起す。と覚える事。】

【2:湿邪を受けやすい体質は、消化器系統が弱いタイプ。と覚える事。】

「中湿に内外の証あり」―これは〔湿邪が〕内に入った〔場合と〕外に入った〔場合とがある。〕
―内の場合は、外に感ぜず経脈、経筋に関係なく内臓の意味です。
「湿、寒を挟みて」―これは湿と寒が共に入って内に甚だしい時は腹痛、下痢する。
外に甚だしい時は、体が重く疼痛する。
〔湿が風を挟みて〕―湿が風を挟んで、外に甚だしい時は、体が重く痛く汗が出る。
風邪というのは、いつも汗が伴っている。
汗が出る時は外、汗でなく悪寒する時は内と風邪〔ふうじゃ〕は、いつも汗の有無が決め手になる。―
〔湿が熱を挟みて〕―湿が熱を挟む時、内に甚だしい時は瀉利する、
いわゆる、下痢瀉利(痛まない下痢)、ダッと何故出た解らない下痢で腹痛は無い。
「外に甚だしい時は、或いは痛み、或いは熱し、或いは腫れ、或いは発黄する」
―外とは表面で皮膚、筋肉、この時は痛み、熱し、腫れ、発黄(体が黄色くなる)する。
内外の証として内因があり、
中湿に冒〔侵入〕されると中満(腹が腫れ満ちる)。支満(胸がつっかえ下痢する)。
外に感ずる時は痺(痺れ、或いは痛み)、浮肢(足の甲が腫れ痛む)。
湿証の寒熱というのは、湿熱の証は多く、湿寒の証が少ない。
脉診すれば解る。湿熱の脉は、滑数(かつさく)であり、尿が赤く渋りエンゲン(水気の物を取りたがる)する。
「湿寒の証は小便自利、大便瀉し身痛んで自汗する」
―小便自利は〔お漏らし。〕、大便瀉は下痢、体が痛んで、じっとしていても汗が出る状態。
汗にも色々ある。四足汗(手足に汗が出る)、頭汗(顔だけに汗が出る、これは顔の事)。
「医方諺解 (いほうげんかい)」の本の中に、
「その人虚弱なるが故に、人、湿にあたる」
―虚弱という事は弱いという事ではなく内傷を起し易いという事です。
皮膚にあたる時は頑痺(頑固な痺れ)する。
〔痺(しび)れにも色々ある。〕― 感覚的にしびれる時、感覚がないのも痺れ、痛みのない痺れ、物に触れてもわからない痺れ、抓(つね)ると痛く触れると解らない痺れ。また、この逆もある。
痺れというのは、時に起き、時に止む。座って痺れたてば治るのがそれです。
ところが、頑痺というのは年中、痺れています。甚だしい時は、寝ている時は解らず起きていて解る。また逆もあり、これを「メイシ」といいます。
「気血にいれば倦怠する」―気や血を冒されると倦怠するのは湿の特徴です。
我々は怠いという症状を簡単に扱うが倦怠も色々有ります。

ーーーーーーーーーーーーーー

〈 湿邪と五臓の病症 〉   P57上段後ろから3行目 ~ P58上段 7行目より。

肺に入れば喘満(咳が出て胸が張る)。
脾に入れば湿痰(湿気のある痰が出る)、支満(胸がつっかえ下痢する)。
肝に入ると胸満、支節、不利をなす。胸満とは脇腹が満して節々、
ことに手足の節々が利かなくなる(動けないのではなく動きにくくなる)。
腎に入れば腰痛、股痛、身反挟し、脚はサツイの如し。 身反挟しとは、体が板で挟まれた窮屈な感じの事。脚はサツイとは、足が抜け出す感じの事。
腑に入れば麻木不二。麻木(麻痺)不二(利かない)。

「臓に入れば屈伸する事あたわず額(あご)強直する」
湿邪を観察すると色んな症状を起こしている。
―湿邪は解らないうちに〔体に〕入ってしまう。 何でもないのに下痢する、腹は痛くない。これは完全に湿邪です。その証拠に寒い時(秋から冬、春の初め)にはなく「夏」に多い。 例えば、身体は一定の温度に保たれ、全ての機能が正常なのに冷たい物を食べ機能減退を起すので、熱を出し湿を生じ下痢をするのです。冷たい物は喉も
と過ぎる時だけで逆に暑くなる。暑い時は熱い物をとると後は涼しく成るんです。
これは病人を扱う基本条件です。
神経痛の人は酒を飲んだり風呂に入ると、その時は楽になるが、その後、痛くなるのです。私は、酒とか風呂を止めず、自分で痛みを体験させ解る様にする。
どうせ世の中、人間は多いのだから一人ぐらい死んでも心配ないだからと言うと大抵はやめる物です。

〈 湿邪の治療 〉 P58上段9行目 ~ P58下段3行より。

【湿邪の治療法は、体に力を与えて、湿邪を取り除くのです。】

痛まない下痢、体が怠い、手や体が強張る、腫れぼったい、押さえられた感じ、この時は一応、湿の邪を考える必要がある。
湿の邪が入った場合、鍼はどうするか、痛いとかいうのは虚か実かの治療法を考えますが、湿の邪に入られる時は意識なく深く入るので、体に力を与えて、湿邪を取り除くのです。

〔湿邪が〕皮膚に入り、麻痺を起こしている時は、円鍼を使うと効果がある。
よく高血圧、脳軟化症、エンボリ(塞栓症)の状態で湿邪に中(あた)っているのが沢山ある。
〔注意〕中風の邪にに中った脳梗塞様の物と明確に区別して治療する事。

○ 中風の治療 ―  P16下段後から7行目からP17上段12行目まで。より。

中風の治療方法というのはですね、こういった症状にはこういうツボにこうするんだと古典に記載されていても すね、我々の行う経絡治療は証に従って治療するのですから、その時にどの経が実しているか虚しているかに依って治療法が決められるんです。

【お灸の治療法:少しの経穴に要点を決め、多壮灸を施すと効果がある。】

〔注意〕
湿邪に中った時、お灸が良いように考えるがよほど加減しないと体を損傷する場合がある。
少しの経穴に沢山お灸をするのは良いが、多くの経穴を取るのは良くない。
ところが、腫れぼったいとか痺れ、怠いは範囲が広くなるので、広い中の要点を決め、そこに多壮灸を施す方法が案外効果がある。

鍼の場合も同じで事です。〔少しの経穴に体に力を与える補法で効果がある。〕

円鍼だと体に損傷なく、〔効果がある。〕

置鍼でやる補法も良い(痺れを取る)。

皮膚鍼も良いが、やり過ぎない事。

ーーーーーーーーーーーーーー

〈 全体の体の調和 〉 ―  P58下段より。

邪の入る状態により迷いやすいのは、
症状が同じでも(痛みをとる)病因(風邪、寒邪、乾邪、湿邪、)により鍼の手法が違うので、病症論が必要なのです。
ただ脉を整えるだけでは済まされないのです。
脉を整えるのは全体の体の調和の方法で、
例えば、一本のヤジロベェが平行であれば健康であり、曲がれば不健康であるが、平行であっても支柱の上下により身体の状態は違うのです。
より良い体は支柱が高く平行している事です。平行していても支柱が低いと身体の調子は良いが、何かするとすぐ疲れ、精神的に動揺、根気無くなる危険がある。平行にするのが本治法であるが、病人の場合、平行しても支柱の中に安定するだけの力がないので、又曲がり病気の根治にならないのです。

【 経絡鍼灸の本治法は、
健康のヤジロベェを平行にして支柱を高く安定した力の有る物にする。】

〈 気、来たるとは? 〉 ― P58下段後4行目 ~ P59上段後1行目より。

― 気、来たるとは、― いろんな条件の総合した物、― 鍼を刺す場合、その場所がどう成っているか観察する事です。
固い、柔らかい、熱、冷え、痛み、何か有るのが無くなる事が、「気、来たる」という事です。
目で見る時、刺した所が赤くなる。〔肌で感じる時、〕赤くなる事は、そこに血が集まって来、冷たい物が温かく成って来ている―温かい事を良しとし、皮膚のザラザラが艶が出てくる、湿っぽくなる、動脈上の経穴は脉が強くなる、こういう事が、「気、来たる」です。

鍼を刺す時、脉だけでなく、そういう事を総合的に考え無心で打つ事、無心は何も考えない事ではなく、何かに集中する事です。

― 病症のあり方を記録してるだけでなく、研究し、知識の中に持っている事が大事です。―
〈 鍼灸師の心がまえ 〉 P59上段うしろ1行目 ~ P59下段終行より。

私の師匠が「鍼を刺す為には人に成れ」と言われた。

これは全ての行動、行ない、発言が、煩(わずら)わされなく〔心を悩ませる事なく。 面倒をかける事なく。〕人間的行動がとれる様にと言う事です。

私達は一人でなく、みんなで〔経絡鍼灸道を〕遣(や)っています。

人の言う事も、自分の言う事も、練磨・琢磨して認め合い取り入れる。

それは素直でなければいけないのです。

迷いがあるのは自分に自信がない事です。

みなさんの様な団体〔東洋はり医学会〕があるのは幸福なのです。

治療の場合、一人で解らない事は一生解らないのですが、
みんなで考え解決し、向上して行くのです。

だから鍼は術だけでなく道が大事なのです。
::::::::::::::::::::::::::::

経絡鍼灸師の先生方の ご意見・間違いの指摘・などを、 当院へお送りくだされば幸いです。

店舗案内&お問い合わせコーナーをご利用ください。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

ゆっくり堂 鍼灸院

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°

吉日・・ 記載HPアップしました。

※ 詳しくは本文:「南北経驗醫方大成による病証論 井上恵理 先生 講義録」

発行:東洋はり医学会、をお読みください。

南北病証論トップコーナ へ

 

ヘッダー トップページ お問い合わせ サイトマップ 地図