「黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一.」 kou 1-1

黄帝内経・素問 

上古天眞論篇 第一.

《 コウテイダイキョウ・ソモン ジョウコ テンシン ロンヘン ダイイチ 》
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 黄帝内経・素問の考察
ゆっくり堂鍼灸院 山口一誠
2018年11月15日より始める。
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 目次
「黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一. 」の要旨(ポイント)について。
「黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一. 」の原文
「黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一. 」の原文と訳文読み(カタカナ)。
「黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一. 」の訓読(読み下し文)
「黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一. 」の解説文.
「黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一. 」の原文・訳文(カナ)・訓読・解説・語句考察。
 原文:
訳文読み(カタカナ):
訓読:
解説:
語句考察:
¨
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「黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一.」の要旨(ポイント)について。

  • 1:人間の養生の方法は、陰陽の協調と嗜欲の節制とを以って天真の気を保全する必要性を説いています。
  • 2:古人(いにしえびと)が百歳の長寿を全うするのに対して現代人が早く衰える所以を比較して説明しています。
  • 3:古人の養生法について、真人(シンジン)、至人(シ ジン)、聖人、賢人と呼ばれる、四種類の型を説明しています。
  • 4:人体生理学上、長生きするか、衰退するかの根拠は、自然の摂理に従うか否かによるものであることを示唆しています。
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黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一.」の原文

原文:
黄帝内経・素問
上古天眞論篇 第一.
昔在黄帝.生而神靈.弱而能言.幼而徇齊.長而敦敏.成而登天.
廼問於天師曰.余聞上古之人.春秋皆度百歳.而動作不衰.今時之人.年半百.而動作皆衰者.時世異耶.人將失之耶.
岐伯對曰.
上古之人.其知道者.法於陰陽.和於術數.食飮有節.起居有常.不妄作勞.故能形與神倶.而盡終其天年.度百歳乃去.
今時之人不然也.以酒爲漿.以妄爲常.醉以入房.以欲竭其精.以耗散其眞.不知持滿.不時御神.務快其心.逆於生樂.起居無節.故半百而衰也.
夫上古聖人之教也.下皆謂之.虚邪賊風.避之有時.
恬惔虚無.眞氣從之.精神内守.病安從來.
是以志閑而少欲.心安而不懼.形勞而不倦.氣從以順.各從其欲.皆得所願.
故美其食.任其服.樂其俗.高下不相慕.其民故曰朴.
是以嗜欲不能勞其目.淫邪不能惑其心.愚智賢不肖.不懼於物.故合於道.
所以.能年皆度百歳.而動作不衰者.以其徳全不危也.
帝曰.人年老而無子者.材力盡邪.將天數然也.
岐伯曰.
女子七歳.腎氣盛.齒更髮長.
二七而天癸至.任脉通.太衝脉盛.月事以時下.故有子.
三七腎氣平均.故眞牙生而長極.
四七筋骨堅.髮長極.身體盛壯.
五七陽明脉衰.面始焦.髮始墮.
六七三陽脉衰於上.面皆焦.髮始白.
七七任脉虚.太衝脉衰少.天癸竭.地道不通.故形壞而無子也.
丈夫八歳.腎氣實.髮長齒更.
二八腎氣盛.天癸至.精氣溢寫.陰陽和.故能有子.
三八腎氣平均.筋骨勁強.故眞牙生而長極.
四八筋骨隆盛.肌肉滿壯.
五八腎氣衰.髮墮齒槁.
六八陽氣衰竭於上.面焦.髮鬢頒白.
七八肝氣衰.筋不能動.天癸竭.精少.腎藏衰.形體皆極.
八八則齒髮去.腎者主水.
受五藏六府之精而藏之.故五藏盛乃能寫.
今五藏皆衰.筋骨解墮.天癸盡矣.
故髮鬢白.身體重.行歩不正.而無子耳.
帝曰.
有其年已老而有子者.何也.
岐伯曰.
此其天壽過度.氣脉常通.而腎氣有餘也.
此雖有子.男不過盡八八.女不過盡七七.而天地之精氣皆竭矣.
帝曰.
夫道者.年皆百數.能有子乎.
岐伯曰.
夫道者.能却老而全形.身年雖壽.能生子也.
黄帝曰.
余聞上古有眞人者.
提挈天地.把握陰陽.呼吸精氣.獨立守神.肌肉若一.
故能壽敝天地.無有終時.此其道生.
中古之時.有至人者.淳徳全道.和於陰陽.調於四時.去世離俗.積精全神.游行天地之間.視聽八達之外.此蓋益其壽命.而強者也.亦歸於眞人.
其次有聖人者.處天地之和.從八風之理.適嗜欲於世俗之間.無恚嗔之心.行不欲離於世.「被服章」.擧不欲觀於俗.
外不勞形於事.内無思想之患.以恬愉爲務.以自得爲功.形體不敝.精神不散.亦可以百數.
※ 「被服章」.は衍文(エンブン):
其次有賢人者.法則天地.象似日月.辯列星辰.逆從陰陽.分別四時.將從上古.合同於道.亦可使益壽.而有極時.
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以上、「黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一.」の原文を終了します。
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「黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一. 」の原文と訳文(カタカナ)読み。

黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一.
コウテイダイキョウ ソモン ジョウコテンシンロンヘン ダイイチ
昔在黄帝.生而神靈.弱而能言.幼而徇齊.長而敦敏.成而登天.
ムカシ、コウテイアリ、ウマレナガラニシテ、シンレイ、 ワカクシテヨクイイ、ヨウニシテジュンセイ、チョウジテトンビン、ナシテ、テンニノボル。
廼問於天師曰.
余聞上古之人.春秋皆度百歳.而動作不衰.今時之人.年半百.而動作皆衰者.時世異耶.人將失之耶.
スナワチ、テンシニ、トウテ、イワク、ヨ、キク、ジョウコノヒトハ、 シュンジュウ、ミナ、ヒヤクサイヲワタリテ、シカモ、ドウサオトロエズ、 イマドキノヒトハ、トシ、ヒャクナカバ、ニシテ、ドウサ、ミナオトロウルモノハ、ジセイコトナルカ、ヒト、ハタ、コレヲシッスルカ。
岐伯對曰.
上古之人.其知道者.法於陰陽.和於術數.食飮有節.起居有常.不妄作勞.故能形與神倶.而盡終其天年.度百歳乃去.
ギハク、コタエテイワク。ジョウコノヒトハ、ソノミチヲシルモノハ、インヨウニノットリ、ジュッスウニワシ、ショクインニニセツアリ、キキョニ、ツネアリ、ミダリニ、ロウヲナサズ、ユエニ、カタチト、シンヲ、トモニシテ、ツキ、ソノテンメイヲオワリ、ヒャクサイヲ、ワタリテ、スナワチサル。
今時之人不然也.以酒爲漿.以妄爲常.醉以入房.以欲竭其精.以耗散其眞.不知持滿.不時御神.務快其心.逆於生樂.起居無節.故半百而衰也.
コンジノヒトハ、シカラザルナリ、 サケヲモッテ、ショウトナシ、 ボウヲモッテ、ツネトナス。 ヨウテ、モッテ、ボウニイリ、 ヨクヲモッテ、ソノ、セイヲツクス。 コウヲモッテシノシンヲサンジ、マンヲタモツコトヲシラズ。 シンヲギョスルコトシラズ。 ツトメテソノココロヲ、ココロヨクシ、 ショウヤクニサカライ、キキョセツナシ。 ユエニ、ヒャクニナカバシテ、オトロウナリ。
夫上古聖人之教也.下皆謂之.虚邪賊風.避之有時.
ソレ、ジョウコセイジンノ、オシユルヤ、 シモミナコレヲイウ、 キョジャゾクフフウ、 コレヲサクルニトキアリ。
恬惔虚無.眞氣從之.精神内守.病安從來.
テンタンキョムナレバ、 シンキコレニシタガイ、 セイシンウチニマモル゙、 ヤマイイズクヨリカシタガイキタラン。
是以志閑而少欲.心安而不懼.形勞而不倦.氣從以順.各從其欲.皆得所願.
コレヲモッテ、ココロザシシズカニシテ、ヨクスクナク、 ココロヤスラカニシテ、オソレズ、 カラダハロウスレドモ、ウマズ、 キシタガッテモッテジュンナリ、 オノウノ、ソノヨクスルニシタガッテ、 ミナネガウトコロヲウル。
故美其食.任其服.樂其俗.高下不相慕.其民故曰朴.
ユエニ、ソノショクヲウマシトシ、 ソノフクヲニンジ、 ソノゾクヲタノシミ、 コウゲアイウラヤマズ、 ソノタミヲユエニボクナリトイウ。
是以嗜欲不能勞其目.淫邪不能惑其心.愚智賢不肖.不懼於物.故合於道.
コレヲモッテシヨクモソノメヲロウスルコトヲアタワズ、 インジャモソノココロヲマドワスコトアタワズ、 グチケンフショウ、モノニオソレズ、 ユエニミチニゴウス。所以.能年皆度百歳.而動作不衰者.以其徳全不危也.
ユエニ、 ヨクトシミナヒャクサイヲワタリテ、 シカモ、ドウサオトロエザルモノハ、 ソノトク、マッタク、アヤウカラザレバナリ。
帝曰.人年老而無子者.材力盡邪.將天數然也.
コウテイ、イワク、 ヒトトシオイテ、コナキモノハ、 ザイリョクツクルヤ、 ハタテンスウシカルヤ。
岐伯曰.
ギハクイワク。
女子七歳.腎氣盛.齒更髮長.
ジョシハ、 シチサイシテ、 ジンキサカン、 ハアラタマリ、カミチョウズ。
二七而天癸至.任脉通.太衝脉盛.月事以時下.故有子.
ニシチニシテ、 テンキイタリ、 ニンミャクツウジ、 タイショウミャクサカンシテ、 ゲツジトキヲモッテクダル。 ユエニコアリ。
三七腎氣平均.故眞牙生而長極.
サンシチニテ、 ジンキヘイキンス。 ユエニ、シンガショウジテナガクキワマル。
四七筋骨堅.髮長極.身體盛壯.
シシチニシテ、 キンコツカタク、 カミナガクキワマリ、 シンタイセイソウナリ。
五七陽明脉衰.面始焦.髮始墮.
ゴシチニシテ、 ヨウメイノミャクオトロエ、 メンハジメテヤツレ、 カミハジメテオツ。
六七三陽脉衰於上.面皆焦.髮始白.
ロクシチニシテ、 サンヨウノミャクカミニオトロエ、 メンミナヤツレ、 カミハジメテシロシ。
七七任脉虚.太衝脉衰少.天癸竭.地道不通.故形壞而無子也.
シチシチニシテ、 ニンミャクキョシ、 タイショウミャクスイショウシ、 テンギツキ、 チドウツウゼズ、 ユエニカタチヤブレテ、コナシナリ。
丈夫八歳.腎氣實.髮長齒更.
ジョウフハ、ハッサイニシテ、 ジンキジッシ、 カミチョウジ、ハアラタマル。
二八腎氣盛.天癸至.精氣溢寫.陰陽和.故能有子.
ニハチニシテ、ジンキ、サカンニ、 テンギイタリ、 セイキ、エキシャシ、 インヨウワス、 ユエニ、ヨクコアリ。
三八腎氣平均.筋骨勁強.故眞牙生而長極.
サンハチニシテ、ジンキヘイキンシ、 キンコツケイキョウナリ、 ユエニ、シンガショウジテ、ナガクキワマル。
四八筋骨隆盛.肌肉滿壯.
シハチニシテ、キンコツリュウセイ、 キニクミチテサカンナリ。
五八腎氣衰.髮墮齒槁.
ゴハチニシテ、ジンキオトロエ、 カミオチハカル。
六八陽氣衰竭於上.面焦.髮鬢頒白.
ロクハチニシテ、ヨウキカミニ、スイカツシ、 メンヤツレ、 ハツヒン、ハンバクス。
七八肝氣衰.筋不能動.天癸竭.精少.腎藏衰.形體皆極.
ヒチハチニシテ、カンキオトロエ、 キンウゴクコトアタワズ、 テンギカッシ、 セイヘリ、 ジンゾウオトロエ、 ケイタイミナツカレル。
八八則齒髮去.
ハチハチニシテ、スナワチ、シハツサル、
腎者主水.受五藏六府之精而藏之.故五藏盛乃能寫.
ジンハミズヲツカサドリ、 ゴゾウロップノ、セイヲウケテ、コレヲクラス、 ユエニ、ゴゾウサカンナレバ、スナワチ、ヨクシャス。
今五藏皆衰.筋骨解墮.天癸盡矣.
イマ、ゴゾウ、ミナオトロエ、 キンコツカイダシ、 テイイギツク、
故髮鬢白.身體重.行歩不正.而無子耳.
ユエニ、ハツヒンシロク、 シンタイオモク、 ホコウ、タシカラズ、 シカシテ、コナキノミ。
帝曰.
コウテイ、イワク。
有其年已老而有子者.何也.
ソノトシ、スデニ、オイテ、コアルモノハ、 ナンゾヤ。
岐伯曰.
ギハクイワク。
此其天壽過度.氣脉常通.而腎氣有餘也.
コレソノ、テンジュ、ドヲ、スギテ、 キミャクナガク、ツウジテ、 ジンキ、アマリアルナリ。
此雖有子.男不過盡八八.女不過盡七七.而天地之精氣皆竭矣.
コレコアリト、イエドモ、 オトコハ、ハチハチヲ、ツクスニスギズ、 オンナハ、ヒチヒチヲ、ツクスニスギズ、 シテ、テンチノセイキミナツクルナリ。
帝曰.
コウテイ、イワク。
夫道者.年皆百數.能有子乎.
ソレ、ドウシャハ、 トシ、ミナヒャクヲカゾエテ、 ヨクコアルヤ。
岐伯曰.
ギハクイワク。
夫道者.能却老而全形.身年雖壽.能生子也
ソレ、ドウシャハ、 ヨク、オイヲ、シリゾケテ、カラダヲ、マットウス、 シンネンハ、ヒサシナリト、イエドモ、 ヨキコヲショウズルナリ。
黄帝曰.
コウテイ、イワク。
余聞上古有眞人者.
ヨキク、ジョウコニ、シンジン、トイウモノアリ。
提挈天地.把握陰陽.呼吸精氣.獨立守神.肌肉若一.
テンチト、テイケツシ、 インヨウヲハアクシ、 セイキヲ、コキュウシ、 ドクリツシテ、シンヲ、ママリ、 キニクハ、イチノ、ゴトシ。
故能壽敝天地.無有終時.此其道生.
ユエニ、ヨク、ヒサシク、テンチヲ、ヘイシテ、 オワリノトキアルコトナシ、コレソノミチヲショウズレバナリ。
中古之時.有至人者.淳徳全道.和於陰陽.調於四時.去世離俗.積精全神.
チュウコノトキ、 シジン、ナルモノアリ、 トクアツク、ミチヲマットウシ、 インヨウニワシ、シジニカノウ、 ヨヲサリ、ゾクヲハナレ、 セイヲツミ、シンヲマットウス、
游行天地之間.視聽八達之外.此蓋益其壽命.而強者也.亦歸於眞人.
テンチノアイイダヲ、ユギョウシ、 ハッタツノ、ホカヲ、シチョウス、 コレ、ケダシ、ソノ、ジュミョウヲ、マシテ、ツヨクスルモノナリ、 マタ、シンジャニ、キス。
其次有聖人者.處天地之和.從八風之理.適嗜欲於世俗之間.無恚嗔之心.行不欲離於世.擧不欲觀於俗.
ソノツギニ、セイジン、トイワレルモノアリ、 テンチノワニショシ、ハッウプノリニシタガイ、シヨクヲ、ゾクセノアイダニ、アワセ、ケイシンノココロナク、コウハ、ヨニ、ハナレルコトヲヨクセズ、キョハ、ゾクニ、シメスコトヲヨクセズ、
外不勞形於事.内無思想之患.以恬愉爲務.以自得爲功.形體不敝.精神不散.亦可以百數.
ソト、カタヲ、コトニロウセズ、ウチニ、シソウノ、ワズライナク、テンユヲ、モッテ、ロウトナシ、ジトクヲ、モッテ、コウトナス、ケイタイ、ツカレズ、セオシンサンゼズ、マタ、ヒャクヲ、モッテカズウベシ。
其次有賢人者.法則天地.象似日月.辯列星辰.逆從陰陽.分別四時.將從上古.合同於道.亦可使益壽.而有極時.
ソノツギニ、ケンジントイウモノアリ、テンチニ、ノットリ、ジツゲツニ、ショウジシ、セイシンヲ、ベンレツシ、インヨウニ、ギャクジュウシ、シジヲ、ブンベツシ、マサニジョウコニシタガッテ、ミチニグドウセントス。マタ、ジュヲ、マサシムベシ、シカレドモ、キワマルトキアリ。
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以上、「黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一.」の原文と訳文(カタカナ)読み。を終了します。
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「黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一. 」の訓読(読み下し文)

昔、皇帝あり、
生まれながらにして神霊、若くして能く物言い、幼にして徇齊(ジュンセイ)、長じて敦敏(トンビン)、成して天に昇る。
廼(スナワチ)、天師〔岐伯〕に問うて曰(イワ)く、
余(ヨ)は聞く、上古の人は、春秋皆百歳を度(ワタ)りて、而(シ)かも動作衰(オトロ)えず、
今時の人は、年、百に半(ナカバ)にして、而(シカ)も動作皆衰うるは、時世(ジセイ)異なるか、人、將(ハタ)之(コレ)を失なうか。
岐伯、対(コタ)えて曰く。
上古の人、其の道を知る者は、陰陽に法(ノット)り、術数(ジュッスウ)和(ワ)し、食飲に節あり、起居に常あり、妄(ミダ)りに勞を作(ナ)さず、
故(ユエ)に能(ヨ)く形と神と倶(トモ)にして尽き、其の天年(天寿)を盡(コトゴトク)尽き終り、百歳を度(ワタ)りて乃(スナワ)り去る。
今時の人は、然(シ)からざるなり。
酒を以(モッ)て漿(ショウ)と為(ナ)し、妄(ボウ)以て常と為す。
醉うて以て房に入り、欲を以て其の精を竭(ツク)す。
耗(コウ)以て其の眞(シン)を散じ、満(マン)を持(モツ)ことを知らず。
神を御(ギョ)すること時ならず、務めて其の心を快(ココロヨク)し、生薬に逆らい、起居節なし。
故に百に半して衰うる也。
夫(ソ)れ、上古聖人の教ゆる也(ナリ)。
下皆之を謂う。虚邪賊風(キョジャゾクフフウ)、これを避くるに時あり。
恬惔虚無(テンタンキョム)なれば、真気に従い、精神内に守る、病(ヤマイ)安(イズク)よりか来たらん。
是を以て志(ココロザシ)閑(シズカ)にして欲少く、心(ココロ)安(ヤス)らかにして懼(オソ)れず、形(カラダ)は労(ロウ)すれども倦(ウ)まず、気従って以つて順(ジュン)なり、各各(オノウノ)その欲するに従って、皆願う所を得(ウ)る。
故に其の食を美(ウマシ)とし、其の服を任じ、其の俗を樂み、高下相慕(ウラ)やまず、其の民を故に朴(ボク)なりと曰う。
是を以て嗜欲(シヨク)もその目を労すること能(アタ)わず。 淫邪もその心惑すこと能(アタ)わず。 愚智賢不肖(グチケンフショウ)、物に懼(オソ)れず、故に道に合す。
所以(ユエニ)、
能く年皆百歳を度(ワタ)りて、而(シカモ)動作衰えざる者は、其の徳全(マッタク)危(アヤウカ)らざるなり。
帝(テイ)曰(イワ)く。
人(女性)年老いて、子無き者は、材力尽きたるか、將(ハ)た天数(テンスウ:天命)然(シカ)るや。
岐伯(ギハク)曰(イワ)く。
女子は、
七歳にして、腎気盛に、歯更(アラタ)まり、髮(カミ)長(チョウ)ず。
二七にして、天癸(テンキ)至(イタ)り、任脉(ニンミャク)通(ツウ)じ、太衝脉(タイショウミャク)盛(サカ)んにして、月事(ゲツジ)時(トキ)を以(モッて)下(クダ)る。故(ユエ)に子あり。
三七にして、腎氣(ジンキ)平均(ヘイキン)す、故に真牙(シンガ)生(ショウ)じて、長極(ナガクキワマ)る。
四七にして、筋骨堅く、髮長く極り、身體(シンタイ)盛壯(セイソウ)なり。
五七にして、陽明脉(ヨウメイノミャク)衰え、面(メン)始(ハジ)て焦(ヤツ)れ、髮始て墮(オ)つ。
六七にして、三陽脉(サンヨウノミャク)上(カミ)に衰え、面皆焦れ、.髮始めて白し。
七七にして、任脉(ニンミャク)虚し、太衝脉(タイショウミャク)衰少(スイショウ)し、天癸(テンギ)竭(ツ)き、地道(チドウ)通(ツウぜず、.故に形壊(カタチヤブ)れて、子無しなりきと。
丈夫(ジョウフ)は
八歳にして、腎気実し、髮長(チョウ)じ歯更(アラタ)まる。
二八にして、腎気盛に、天癸(テンギ)至り、精気溢瀉(エキシャ)し、陰陽和す。 故に能(ヨ)く子あり。
三八にして、腎気平均し、筋骨勁強(ケイキョウ)なり、故に眞牙(シンガ)生(ショウ)じて、長く極(キワマ)る。
四八にして、筋骨隆盛(リュウセイ)、肌肉(キニク)滿(ミチ)て、壯(サカン)なり。
五八にして、腎気衰え、髮(カミ)墮(オ)ち、歯槁(カ)る。
六八にして、陽気上に衰竭(スイカツ)し、面焦(メンヤツ)れ、髮鬢(ハツヒン)頒白(ハンバク)す。
七八にして、肝気衰え、筋動(キンウゴク)こと能(アタ)わず、天癸(テンギ)竭(カッ)し、精少(セイヘ)り、腎臓衰え、形體(ケイタイ)皆(ミナ)極(ツカ)れる。
八八にして、則(スナワ)と、齒髮(シハツ)去る。
腎は水を主(ヲツカサド)り、五臓六腑の精を受けて之を藏(クラ)す。故に五臓盛(サカ)んなれば乃(スナワ)ち能(ヨ)く瀉(シャ)す。
今五臓皆衰へ、筋骨解墮(カイダ)し、天癸(テンギ)尽く。
故に髮鬢(ハツヒン)白く、身體(シンタイ)重く、行歩正しからずして、而(シカ)して子無きのみ。
帝(テイ)曰(イワ)く。
その年、已(スデ)に老いて子ある者は、何也(ナンゾヤ)。
岐伯(ギハク)曰(イワ)く。
これその天寿(テンジュ)度(ド)を過て、気脉(キミャク)常(ナガ)く通じて、腎気余りあるなり。
これ子ありと雖(イエド)も、男は八八(六十四歳)を尽くすに過ぎず、女は七七(四十九歳)を尽くすに過ぎずして、天地の精気皆竭(ツ)くるなり。
帝(テイ)曰(イワ)く。
それ道者(ドウシャ)は、年皆百を数えて、よく子あるや。
岐伯(ギハク)曰(イワ)く。
それ道者(ドウシャ)は、能(ヨ)く老(オイ)を却(シリゾ)けて、形(カラダ)を全(マットウ)す。
身年(シンネン)は寿(ヒサシ)なりと雖(イエド)も、能(ヨ)く子を生(う)むなり。
黄帝曰く。余(ヨ)聞(キ)く。
上古に真人(シンジン)という者あり。
天地と提挈(テイケツ)し、陰陽を把握し、精気を呼吸し、独立して神を守り、肌肉は一の如し。
故に、よく寿(ヒサシ)く天地を敝(ヘイ)して、終るの時あること無し、此れ其の道を生ずればなり。
中古(チュウコ)の時。
至人(シ ジン)という者あり。
徳(トク)淳(アツ)く、道を全(マットウ)す。
陰陽に和(ワ)し、四時(シジ)に調(カノ)う。
世を去り、俗を離れ、精を積み神を全す。
天地の間を游行(ユ ギョウ)し、八達の外を視聴(シ チョウ)す。
此(コ)れ、蓋(ケダ)し、その寿命を益(マシ)て、強くする者なり、亦(マタ)眞人(シンジャ)に帰す。
其の次に聖人という者あり。
天地の和に処し、八風の理に従い、嗜欲を世俗の間に適(アワ)せ、恚嗔(ケイシン)の心なく、行(コウ)は世に離ることを欲せず、挙(キョ)は俗に観(シメ)欲せず。
外(ソト)形(カタチ)を事に労せず、内に思想の患いなく。
恬愉(テンユ)を以って務となし、自得(ジトク)を以って功と爲す。
形体(ケイタイ)敝(ツカ)れず、精神散ぜす、.亦(マタ)百を以って数(カズウ)べし。
其の次に賢人という者あり。
天地法則(ノット)り、日月に象似(ショウジ)し、星辰を弁列(ベンレツ)し、陰陽に逆從(ギャクジュウ)し、四時を分別し、上古に従って、道に合同せんとす。
亦(マタ)寿(ジュ)を益(マ)さしむべし、而(シカ)れども極まる時あり。
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以上、「黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一.」の訓読(読み下し文)。を終了します。
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「黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一. 」の解説文.

古代中国に於いて、東洋医学の祖である『黄帝』と呼ばれる方がいました。
黄帝は、生まれながらにして神秘的で非常に傑出した能力を持ち、
赤ん坊の時から利発にお話が出来て、
幼少にして欠点の無い均斉(きんせい)のとれた心身に成長され、
大人になってからは、重厚でいて俊敏な行動を取れる方でした。
そして、人として完成し、色々な事業を成就して、天子の位に陞(のぼ)られました。
黄帝が、天師〔岐伯(ぎはく)〕に質問されました。
私の聞いているところでは、
上古(昔)の人は、年齢が百歳になっても動作が衰(オトロ)えず、矍鑠(かくしゃく)としていたと聞く。
しかしながら、今時の人は、五十歳位で動作が衰えてしまう。 これはいったいどうした理由によるものか。
世の中の仕組みが変化したためであろうか。
はたまた、人が正しい生活をしていない為であろうか。
天師〔岐伯〕の考えを聞きたい。
岐伯(ぎはく)が皇帝の質問に、お答えになりました。
天・地・人の三者をくくる宇宙自然の大法則を良く心得ている者は、
よく陰陽の法則に法(ノット)り、天地自然の中に行われている順序法則に順応調和し自己の行動を律して生活していました。
飲食の節度を守り、暴飲暴食をすることなく、起床睡眠の日常生活は常に変わらず、突飛な変化や行動を戒め、
むやみやたらに心身を過労させ体力や精力を消耗しないように心掛けていました。
故に、肉体も精神も両方とも自然に衰え尽きて、天寿を全うして終わり百歳にしてこの世から姿を消したものです。
ところが、
今時の人は、そうではありません。
神前にお供えする御酒を、まるで日常の飲食物の如く飲用しています。
また、常に女色に目がくらみ性欲を求め、酒に酔いながら男女交合を行います。
色や欲に駆られて何の自制をする事もなく欲望のままにふるまい、精根を尽き果たしています。
度重なる消耗の行動によって体内に蓄えられている精気(エネルギー)をバラバラに散らしています。
正しい生活を心掛け、精力を増強維持し、妄りに消耗しないようにする人道を知らない愚か者ばかりです。
人ととして小さな悟りを積み重ね精神を鍛え高める努力をしていません。
心の欲望するままに、自堕落的な快楽にふけり、人生の楽しみを得るための養生法などかえりみず、
日常の起居も節度がありません。
だから、
五十歳そこそこで衰えてしまうのです。
上古に於いて、聖人は、何事も率先して、その範を示され、教えを話されました。
そして、人民は聖人の教えを皆よく聞き、それにならい自己の行動を律しました。
人が病気に罹らず天寿を全うする為には、生体の虚に乗じて入り込む邪気を避けなければなりません。
その為には、春夏秋冬の季節に適応する対抗手段を講ずる必要があります。
そして心の養生、真気の強化が肝要です。
一切の私利私欲や俗事を捨て心穏やかに無我の境地に身を置くことです。
それにより、真気が経絡を循環します。
そして、真気が身体の中に充満しますので、必然的に精神が惑うことなく、がっちりと身体の内を守ることが出来ます。
よって安々と病気に罹患するようなことが無いのです。
あれもしたい、これもしたいと言う浮気心に、閂(かんぬき)を掛け、我欲を抑制して、欲少なく生活しましょう。
心を安定させ気が散らないようにしましょう。
そうすれば、肉体労働をしても疲労困憊することがありません。
この様な状態に於いては、気も順調に体内を巡るものです。
そしてこのような正しい心身のときに、自分の目標や願いが思い通りに何でも得られるものです。
慎ましい食事を美味しく頂き、自分の身に着けているものに不平を言わずこれを大切にします。
家庭でも仕事場でも地域でも、周囲の人々の中にとけ込んで日々の生活を楽しみます。
社会に於いて為政者(政治家・裕福層)は下の人民を搾取収奪してはいけません。侮てとってもいけません。
また、人民は為政者の行動や生活様式を羨ましく思ったり欲しがったりしません。
この様な社会情勢のとき、民は素朴な人民だと言われます。
美味しい食べ物、好きなもの、欲しいものが、目の前にあっても、自分の心の中に欲しいという気持ちが無ければ目がそれに移る事はありません。
足ることを知る素朴な人の心は、酒、金、女、名誉、権力、などの淫邪によって束縛される事はありません。
人には、愚かな者、知恵のある者、賢い者、不肖の者、などいろいろいますが、
素朴の人は物事に動揺することがありませから、天地自然の法則に合致した日常生活を営む事が出来るのです。
上古(昔)の人が、皆年齢が百歳になっても尚動作が衰えなったのは、前述の如く天意に通ずる真っ直ぐな徳の行為を危なげ無く整然と実行されていたからです。
皇帝が岐伯に質問されました。
女性が五十歳位になると、子供を産むことが出来なくなるが、その理由を知りたい。
これは、体力や生殖能力が尽き果てるからだろうか。或は、天から与えられた「生老病死」天命自然の流れなのだろうか。お答えください。
岐伯が皇帝に、お答えになりました。
女性の身体について、
その成長と衰退の過程を述べます。
女子は、七歳の頃になると、生命の根源たる腎の気が旺盛になります。それにより乳歯が永久歯に生え変わります。また、髮の毛も長く伸びてきます。
十四歳の頃になると、生理が始まり、子宮の性殖機能が整い、卵子育成の源気たる衝脉が旺盛になります。そして、排卵日が定まり、子供を産める身体に成長します。
二十一歳の頃になると、精力根源の気の部分だけでなく、身体全体が一様に整って成人となります。そして又、親知らずが生えて、歯の成長が完成します。
二十八歳の頃になると、筋骨は堅固となり、髮の毛の成長もその極に達し、身体も立派に大きくなります。
三十五歳の頃から、顔にやつれた様子が現れ始め、頭髪も抜け始めます。
四十二歳の頃になると、顔はすっかり窶(やつ)れ皺(しわ)が多くなり、髮の毛が白くなり始めます。
四十九歳の頃ともなると、子種(卵子)育成の原気が衰弱減少し、月経血が涸(か)れて、月経は閉止します。
従って、性殖機能が、だんだんと欠けて来て、不完全となり受胎能力を失ない、子供を産むことが出来なくなります。
男性は八歳になると、
腎気が充満して来て、髮は長じ歯は永久歯に抜け替わります。。
十六歳の頃になると、腎気が盛になり、経水の充実し、精液が充満して発射できる状態になっていますので、女性と性交し子供を作ることが出来ます。
二十四歳の頃になると、腎気は全身にみなぎり筋はピンと張り、骨は頑丈になり、故に智歯(ちし:親知らず)も生(ショウ)じて、全部の永久歯が生え揃います。
三十二歳の頃になると、腱や骨は豊かに盛りあがり、筋肉は肥満します。
四十歳の頃から、腎気の衰えがそろそろ始まり、頭髮の抜け毛が起こり、歯も脆くなります。
四十八歳の頃となると、身体上部に於ける陽脉が衰えて、顔面にやつれが見え、白髪が頭髪やモミアゲ、髭にも出てきます。
五十六歳の頃になると、肝気が衰えて、男性器の勃起不能を来すようになり、生殖の原動力を出し尽くし、精気(精液)が減少し不足して来ます。
また、腎臓機能も衰え、身体の各部分が全て弾力性を失い硬くなっていきます。
六十四歳の頃ともなると、歯も髪も脱落して無くなりだします。
さて、ここであらためて、腎の機能について説明します。
腎気は両親から引き継いだ「先天の原気」と、生れ育つ過程で飲食の栄養源から「後天の原気」を補充されて、その機能を完全に発揮するものです。
五臓六腑の精の仕入れは水浴の精気であり、五臓六腑は水浴の精気を受け入れて後に、再びこれを腎に供給し、腎はその精気を貯蔵しています。
故に、五臓六腑の機能が旺盛なるときは精気も充実して精液を出す能力があるわけです。
男性は六十代を過ぎると、
五臓の機能は皆衰え、筋骨がガタガタに緩み力抜けてしまい、生殖の原動力の経水も尽きてきます。
故に、髮や鬢は真っ白となり、身体は重く、行歩がよちよちとなり、そして子を作る能力も無くなるのです。
皇帝が岐伯に質問されました。
その年齢から見ると、已(スデ)に老人であるのに、尚、子供を作る能力のある者がいるが、それはどのような理由によるのか。。お答えください。
岐伯が皇帝に、お答えになりました。
この様な人は、天から受けた寿命が普通の人の標準を過ぎても、尚(なお)経絡を流れる精気は依然として長く通じていて、腎気に十分な、ゆとりがあるからです。
しかしながら、子供を作る能力があると言っても、男は六十四歳が限度であり、女は四十九歳が限度で、それ以上には及ぶものではありません。
その年齢に達すれば陰陽の精気は全く尽きてしまうものです。
再び、皇帝が岐伯に質問されました。
ところで、道者(ドウシャ)とは、宇宙自然の法則や真理を心得ている者であるが、これらの者は年齢が百歳を超えても、なお子供を作る能力が有るのでしょうか。お答えください。
岐伯が皇帝に、お答えになりました。
これら道者は、よく老化現象を克服して身体を保全する事が出来るので、暦の上の年齢では百歳を超えても身体はなお衰えません。
従って、子供を作る能力のあるのであります。
黄帝が、お話になりました。
余(ヨ)はこう言うことを聞いています。
上古に真人(シンジン)と呼ばれる、
精気の欠けめ無く充実している者が居たと。
その者は、一切の行動に於いて、天地自然の法則を理解し、しっかりと自然と手を取り合い、陰陽の働きをよく認識して、吾が身につけ、精気を呼吸していた。
それは、他の力に頼ることなく自己の修養によって陰陽の変化自然の働きにピッタリと順応して惑う事がない人であった。
そのおかげで、その肌は、滑(ナメ)らかにして、艶(ツヤ)があり、生き生きとし張りがあるので、処女の肌のように若々しかったと。
それ故に、その寿命は天地を覆う程に広大無窮で何歳になっても終わることがなかった。
これと言うのも、彼、真人の平素の修養が完璧で宇宙大自然の法則が彼の身体の中に脈々として生きているからであると。
中古(チュウコ)の頃に、
至人(シ ジン)と呼ばれる者がいたとを聞いています。
よく修養して徳をつみ、道に到達した人です。
その行動は凡て天意に通じ良心的で宇宙自然の大法則を良く心得て欠点がありません。
陰陽の法則を体得していますので、春夏秋冬の季節にある陰陽のリズムにもよく順応して、調和した生活を送っています。
心は、世の中の煩悩から遠ざかり、俗事から離れ、精気を蓄積し浪費せず精神を豊に保全しています。
何事にも、こだわることなく、気の向くまま足の進むままに、天地の間を自由に悠々たる態度で闊歩していました。
だから、四方八方、いずれの方向にも、遠くまで何の障害もなく自由自在に行くことが出来て、そして見聞をひろめていました。
このようにすることは、おしなべて、その人の寿命を豊かに増して強固にする人です。
至人(シ ジン)と呼ばれた、この者もまた精気が充実しているので、上古の真人(シンジン)に帰着する訳です。
其の次に市井の中に、
聖人と呼ばれる者がいました。
この聖人達は、自然環境の良い所に居を構へて生活しています。
雨風や暑さ寒さにも上手に対応して生活しています。
食物や衣服の嗜好にも奇抜なことは避けて、世間一般の人々と同じように歩調を合わせています。
人の忠告も快く受け入れます。
怒りが口の中にが詰まってものが言えなくなるほど、逆上することもありません。
人々の風習や行動からかけ離れた行いは致しません。
自分のやっていることを、ことさら人に見せようとはしません。
過剰な労働や、過剰な運動、過剰なセックスなどは、しないようにしています。
精神的には、心配事、思い考え過ぎ、イライラする、驚き、怖がるような悩み事を持たないようにしています。
いつも心を平静に保持し、愉快な気持ちで行動するように努めています。
自分の力量相応で満足しています。
その様に生活していますので、身体は疲れず、精神も消耗することは有りません。
この人、市井の聖人も、また百歳の寿命を保つことが出来るのです。
其の次に、賢
人と呼ばれる者がいました。
この賢人達は、天地自然の変化に順応して、日月の運行に自分の行動を似せたり、
天文星座の意味するところを心得て、陰陽の変化を迎えて之に従い、
四季の推移変化を分析し適した生活を送っていました。
これは、古より伝えられている健康養生法であり、天地自然の法則に合致する試みです。
その結果、賢人も、天与の寿命を豊かにし長命を得ることが出来ました。
しかしながら、その寿命は無限ではなく限度がありました。
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以上、「黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一.」の解説文.。を終了します。
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「黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一. 」の

 原文・訳文(カナ)・訓読・解説・語句考察。

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原文:
黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一.
原文と訳文(カタカナ)読み。:
黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一.
コウテイダイキョウ ソモン ジョウコテンシンロンヘン ダイイチ
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第一節
原文:
昔在黄帝.生而神靈.弱而能言.幼而徇齊.長而敦敏.成而登天.
原文:訳文読み(カタカナ):
昔在黄帝.生而神靈.弱而能言.幼而徇齊.長而敦敏.成而登天.
ムカシ、コウテイアリ、ウマレナガラニシテ、シンレイ、 ワカクシテヨクイイ、ヨウニシテジュンセイ、チョウジテトンビン、ナシテ、テンニノボル。
訓読:
昔、皇帝あり、生まれながらにして神霊、若くして能く物言い、幼にして徇齊(ジュンセイ)、長じて敦敏(トンビン)、成して天に昇る。
解説:
古代中国に於いて、東洋医学の祖である『黄帝(こうてい)』と呼ばれる方がいました。
生まれながらにして神秘的で非常に傑出した能力を持ち、
赤ん坊の時から利発にお話が出来て、
幼少にして欠点の無い均斉(きんせい)のとれた心身に成長され、
大人になってからは、重厚でいて俊敏な行動を取れる方でした。
そして、人として完成し色々な事業を成就して、天子の位に陞(のぼ)られました。
語句考察:
黄帝(こうてい):神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。
また、三皇のうちに数えられることもある。(紀元前2510年~紀元前2448年)
現存する中国最古の医学書『黄帝内経素問』、『黄帝内経霊枢』も、黄帝の著作とされている。
神霊:神とは、自然神を言い自然界の法則を司る。 霊とは、神の声を伝える巫である。
よって、神霊とは、「神の如く霊の如く」の意味で「神秘的で非常に傑出した能力を持つ者」です。
徇齊(ジュンセイ):徇とは、一から十まで全部行きわたって欠目が無く調和のとれたさま。 齊(斎)とは、よく並びそろっている状態。
よって、徇齊とは、心身ともに良く均斉(きんせい)のとれた欠点の無い状態を言います。
敦敏(トンビン):敦とは、重厚でどっしりとした意味。 敏とは、繫殖力おおせいですばしっこいさま。
よって、敦敏とは、どっしりと重厚でいて俊敏な行動をとれる者の意味です。
成して天に昇る。:人間として完成し色々な事業を成就して、天子の位に陞(のぼ)った事を言います。
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第二節
原文:
廼問於天師曰.余聞上古之人.春秋皆度百歳.而動作不衰.今時之人.年半百.而動作皆衰者.時世異耶.人將失之耶.
原文と訳文(カタカナ)読み。
廼問於天師曰.余聞上古之人.春秋皆度百歳.而動作不衰.今時之人.年半百.而動作皆衰者.時世異耶.人將失之耶.
スナワチ、テンシニ、トウテ、イワク、ヨ、キク、ジョウコノヒトハ、 シュンジュウ、ミナ、ヒヤクサイヲワタリテ、シカモ、ドウサオトロエズ、 イマドキノヒトハ、トシ、ヒャクナカバ、ニシテ、ドウサ、ミナオトロウルモノハ、ジセイコトナルカ、ヒト、ハタ、コレヲシッスルカ。
訓読:
廼(スナワチ)、天師〔岐伯〕に問うて曰(イワ)く、
余(ヨ)は聞く、上古の人は、春秋皆百歳を度(ワタ)りて、而(シ)かも動作衰(オトロ)えず、
今時の人は、年、百に半(ナカバ)にして、而(シカ)も動作皆衰うるは、時世(ジセイ)異なるか、人、將(ハタ)之(コレ)を失なうか。
解説:
黄帝が、天師〔岐伯(ぎはく)〕に質問されました。
私の聞いているところでは、
昔の人は、年齢が百歳になっても動作が衰(オトロ)えず、矍鑠(かくしゃく)としていたと聞く。
しかしながら、今時の人は、五十歳位で動作が衰えてしまう。 これはいったいどうした理由によるものか。
世の中の仕組みが変化したためであろうか。
はたまた、人が正しい生活をしていない為であろうか。
天師〔岐伯〕の考えを聞きたい。
語句考察:
天師〔岐伯(ぎはく)〕:黄帝の太医(侍医)です。黄帝からは天師との尊称を授かりました。
¨
第三節
原文:
岐伯對曰.
上古之人.其知道者.法於陰陽.和於術數.食飮有節.起居有常.不妄作勞.故能形與神倶.而盡終其天年.度百歳乃去.
原文と訳文(カタカナ)読み。
岐伯對曰.
ギハク、コタエテイワク。
上古之人.其知道者.法於陰陽.和於術數.食飮有節.起居有常.不妄作勞.故能形與神倶.而盡終其天年.度百歳乃去.
ジョウコノヒトハ、ソノミチヲシルモノハ、インヨウニノットリ、ジュッスウニワシ、ショクインニニセツアリ、キキョニ、ツネアリ、ミダリニ、ロウヲナサズ、ユエニ、カタチト、シンヲ、トモニシテ、ツキ、ソノテンメイヲオワリ、ヒャクサイヲ、ワタリテ、スナワチサル。
訓読:
岐伯、対(コタ)えて曰く。
上古の人、其の道を知る者は、陰陽に法(ノット)り、術数(ジュッスウ)和(ワ)し、食飲に節あり、起居に常あり、妄(ミダ)りに勞を作(ナ)さず、
故(ユエ)に能(ヨ)く形と神と倶(トモ)にして尽き、其の天年(天寿)を盡(コトゴトク)尽き終り、百歳を度(ワタ)りて乃(スナワ)り去る。
解説:
岐伯(ぎはく)が皇帝の質問に、お答えになりました。
天・地・人の三者をくくる宇宙自然の大法則を良く心得ている者は、
よく陰陽の法則に法(ノット)り、天地自然の中に行われている順序法則に順応調和し自己の行動を律して生活していました。
飲食の節度を守り、暴飲暴食をすることなく、起床睡眠の日常生活は常に変わらず、突飛な変化や行動を戒め、
むやみやたらに心身を過労させ体力や精力を消耗しないように心掛けていました。
故に、肉体も精神も両方とも自然に衰え尽きて、天寿を全うして終わり百歳にしてこの世から姿を消したものです。
語句考察:
「其の道を知る者」とは、天・地・人の三者をくくる宇宙自然の大法則を良く心得ている者と解します。
「陰陽に法(ノット)り」とは、陰は地であり、陽は天である。自然界の陰陽の変化に従い適応して生活するとき人間の健康も保たれると解します。
「術数(ジュッスウ)和(ワ)し」とは、天地自然の中に行われる数(春夏秋冬の事柄)、即ち次々に連なり起こる季節の変化に順応調和し自己の行動を律っする事で人間の健康も保たれると解します。
「起居に常あり、」とは、日常生活がいつまでも長く続いて変わらないと言う意味です。 つまり、突飛な変化や行動はしない正しい生活を送ると解します。
「妄(ミダ)りに勞を作(ナ)さず」とは、むやみやたらに心身を過労させ体力を消耗しないように生活ましょうね、と解します。
「形と神と倶(トモ)にして尽き」とは、肉体も精神も両方とも尽き果てると言う意味です。
また、病気とは天地自然の順序法則に順応調和し自己の行動を律し無い為に、身体の病になるか、精神の病に陥るとの示唆です。
¨
第四節
原文:
今時之人不然也.以酒爲漿.以妄爲常.醉以入房.以欲竭其精.以耗散其眞.不知持滿.不時御神.務快其心.逆於生樂.起居無節.故半百而衰也.
原文と訳文(カタカナ)読み。
今時之人不然也.以酒爲漿.以妄爲常.醉以入房.以欲竭其精.以耗散其眞.不知持滿.不時御神.務快其心.逆於生樂.起居無節.故半百而衰也.
コンジノヒトハ、シカラザルナリ、 サケヲモッテ、ショウトナシ、 ボウヲモッテ、ツネトナス。 ヨウテ、モッテ、ボウニイリ、 ヨクヲモッテ、ソノ、セイヲツクス。 コウヲモッテシノシンヲサンジ、マンヲタモツコトヲシラズ。 シンヲギョスルコトシラズ。 ツトメテソノココロヲ、ココロヨクシ、 ショウヤクニサカライ、キキョセツナシ。 ユエニ、ヒャクニナカバシテ、オトロウナリ。
訓読:
今時の人は、然(シ)からざるなり。
酒を以(モッ)て漿(ショウ)と為(ナ)し、妄(ボウ)以て常と為す。
醉うて以て房に入り、欲を以て其の精を竭(ツク)す。
耗(コウ)以て其の眞(シン)を散じ、満(マン)を持(モツ)ことを知らず。
神を御(ギョ)すること時ならず、務めて其の心を快(ココロヨク)し、生薬に逆らい、起居節なし。
故に百に半して衰うる也。
解説:
ところが、今時の人は、そうではありません。
神前にお供えする御酒を、まるで日常の飲食物の如く飲用しています。
また、常に女色に目がくらみ性欲を求め、酒に酔いながら男女交合を行います。
色や欲に駆られて何の自制をする事もなく欲望のままにふるまい、精根を尽き果たしています。
度重なる消耗の行動によって体内に蓄えられている精気(エネルギー)をバラバラに散らしています。
正しい生活を心掛け、精力を増強維持し、妄りに消耗しないようにする人道を知らない愚か者ばかりです。
人ととして小さな悟りを積み重ね精神を鍛え高める努力をしていません。
心の欲望するままに、自堕落的な快楽にふけり、人生の楽しみを得るための養生法などかえりみず、日常の起居も節度がありません。
だから、
五十歳そこそこで衰えてしまうのです。
語句考察:
「漿(ショウ)」とは、中国における食べ物、お粥みたいな物。
「酒を以(モッ)て漿(ショウ)と為(ナ)し、」とは、
元来酒は神に捧げるお供えであり、また百薬の長として健康の飲料です。
つまりここでの意味は、酒を日常の飲食物の様にガブガブト飲用している事と解します。
「妄(ボウ)以て常と為す。」とは、女色に目がくらみ快楽性欲を求める振る舞いを長く続けている様と解します。
「醉うて以て房に入り、」とは、酒に酔いながら交合を行う様。
「欲を以て其の精を竭(ツク)す。」とは、色欲に駆られて何の自制をする事もなく欲望のままにふるまい、精根を尽き果たす様と解します。
「耗(コウ)以て其の眞(シン)を散じ、」とは、節度の無い、度重なる消耗の行動によって体内に蓄えられている精気(エネルギー)をバラバラに散らしてしまう様と解します。
「満(マン)を持(モツ)ことを知らず。」とは、正しい生活を心掛け、精力を増強維持し、妄りに消耗しないようにする人道を知らない愚か者と解します。
「神を御(ギョ)すること時ならず、」とは、精神を駆使することが全くでたらめで、何の節度もない様と解します。
「務めて其の心を快(ココロヨク)し、生薬に逆らい、」とは、
心の欲望するままに、自堕落的な快楽にふけり、人生の楽しみを得るための養生法などかえりみない様と解します。
¨
第五節
原文:
夫上古聖人之教也.下皆謂之.虚邪賊風.避之有時.
恬惔虚無.眞氣從之.精神内守.病安從來.
是以志閑而少欲.心安而不懼.形勞而不倦.氣從以順.各從其欲.皆得所願.
故美其食.任其服.樂其俗.高下不相慕.其民故曰朴.
是以嗜欲不能勞其目.淫邪不能惑其心.愚智賢不肖.不懼於物.故合於道.
所以.能年皆度百歳.而動作不衰者.以其徳全不危也.
/
原文と訳文(カタカナ)読み。
夫上古聖人之教也.下皆謂之.虚邪賊風.避之有時.
ソレ、ジョウコセイジンノ、オシユルヤ、 シモミナコレヲイウ、 キョジャゾクフフウ、 コレヲサクルニトキアリ。
恬惔虚無.眞氣從之.精神内守.病安從來.
テンタンキョムナレバ、 シンキコレニシタガイ、 セイシンウチニマモル゙、 ヤマイイズクヨリカシタガイキタラン。
是以志閑而少欲.心安而不懼.形勞而不倦.氣從以順.各從其欲.皆得所願.
コレヲモッテ、ココロザシシズカニシテ、ヨクスクナク、 ココロヤスラカニシテ、オソレズ、 カラダハロウスレドモ、ウマズ、 キシタガッテモッテジュンナリ、 オノウノ、ソノヨクスルニシタガッテ、 ミナネガウトコロヲウル。
故美其食.任其服.樂其俗.高下不相慕.其民故曰朴.
ユエニ、ソノショクヲウマシトシ、 ソノフクヲニンジ、 ソノゾクヲタノシミ、 コウゲアイウラヤマズ、 ソノタミヲユエニボクナリトイウ。
是以嗜欲不能勞其目.淫邪不能惑其心.愚智賢不肖.不懼於物.故合於道.
コレヲモッテシヨクモソノメヲロウスルコトヲアタワズ、 インジャモソノココロヲマドワスコトアタワズ、 グチケンフショウ、モノニオソレズ、 ユエニミチニゴウス。所以.能年皆度百歳.而動作不衰者.以其徳全不危也.
ユエニ、 ヨクトシミナヒャクサイヲワタリテ、 シカモ、ドウサオトロエザルモノハ、 ソノトク、マッタク、アヤウカラザレバナリ。
訓読:
夫(ソ)れ、上古聖人の教ゆる也(ナリ)。下皆之を謂う。虚邪賊風(キョジャゾクフフウ)、これを避くるに時あり。
恬惔虚無(テンタンキョム)なれば、真気に従い、精神内に守る、病(ヤマイ)安(イズク)よりか来たらん。
是を以て志(ココロザシ)閑(シズカ)にして欲少く、心(ココロ)安(ヤス)らかにして懼(オソ)れず、形(カラダ)は労(ロウ)すれども倦(ウ)まず、気従って以つて順(ジュン)なり、各各(オノウノ)その欲するに従って、皆願う所を得(ウ)る。
故に其の食を美(ウマシ)とし、其の服を任じ、其の俗を樂み、高下相慕(ウラ)やまず、其の民を故に朴(ボク)なりと曰う。
是を以て嗜欲(シヨク)もその目を労すること能(アタ)わず。 淫邪もその心惑すこと能(アタ)わず。 愚智賢不肖(グチケンフショウ)、物に懼(オソ)れず、故に道に合す。
所以(ユエニ)、能く年皆百歳を度(ワタ)りて、而(シカモ)動作衰えざる者は、其の徳全(マッタク)危(アヤウカ)らざるなり。
解説:
上古に於いて、聖人は、何事も率先して、その範を示され、教えを話されました。
そして、人民は聖人の教えを皆よく聞き、それにならい自己の行動を律しました。
人が病気に罹らず天寿を全うする為には、生体の虚に乗じて入り込む邪気を避けなければなりません。
その為には、春夏秋冬の季節に適応する対抗手段を講ずる必要があります。
そして心の養生、真気の強化が肝要です。
一切の私利私欲や俗事を捨て心穏やかに無我の境地に身を置くこと。
それにより、真気が経絡を循環します。
そして、真気が身体の中に充満しますので、必然的に精神が惑うことなく、がっちりと身体の内を守ることが出来ます。
よって安々と病気に罹患するようなことが無いのです。
あれもしたい、これもしたいと言う浮気心に、閂(かんぬき)を掛け、我欲を抑制して、欲少なく生活しましょう。
心を安定させ気が散らないようにしましょう。
そうすれば、肉体労働をしても疲労困憊することがありません。
この様な状態に於いては、気も順調に体内を巡るものです。
そしてこのような正しい心身のときに、自分の目標や願いが思い通りに何でも得られるものです。
慎ましい食事を美味しく頂き、自分の身に着けているものに不平を言わずこれを大切にします。
家庭でも仕事場でも地域でも、周囲の人々の中にとけ込んで日々の生活を楽しみます。
社会に於いて為政者(政治家・裕福層)は下の人民を搾取収奪してはいけません。侮てとってもいけません。
また、人民は為政者の行動や生活様式を羨ましく思ったり欲しがったりしません。
この様な社会情勢のとき、民は素朴な人民だと言われます。
美味しい食べ物、好きなもの、欲しいものが、目の前にあっても、自分の心の中に欲しいという気持ちが無ければ目がそれに移る事はありません。
足ることを知る素朴な人の心は、酒、金、女、名誉、権力、などの淫邪によって束縛される事はありません。
人には、愚かな者、知恵のある者、賢い者、不肖の者、などいろいろいますが、
素朴の人は物事に動揺することがありませから、天地自然の法則に合致した日常生活を営む事が出来るのです。
上古(昔)の人が、皆年齢が百歳になっても尚動作が衰えなったのは、前述の如く天意に通ずる真っ直ぐな徳の行為を危なげ無く整然と実行されていたからです。
語句考察:
「上古聖人の教ゆる也(ナリ)。下皆之を謂う。」とは、
上古において聖人がいろいろと教えると下の人は皆よくそれにならい自己の行動を律し行動したと解します。
「虚邪賊風(キョジャゾクフフウ)、これを避くるに時あり。」とは、
生体の虚に乗じて入り込む邪気を避けるためには春夏秋冬の季節に適応する対抗手段を講ずる必要があると解します。
「恬惔(テンタン)」とは、無欲であっさりしていること。物に執着せず心の安らかなこと。また、そのさま。 「無欲恬惔」 「地位や名誉に恬惔な人」
「恬惔虚無(テンタンキョム)なれば、」とは、一切の利欲や俗事を捨て心穏やかに無我の境地に身を置く事と解します。
「真気に従い、精神内に守る、」とは、
精神的に「恬惔虚無(テンタンキョム)」であれば、真気が経絡を巡りそれに従って身体の中を完全に充満し循環するから必然的に精神が惑うことなく邪気が入り込む隙がない。
がっちりと身体の内を守ることが出来ると解します。
「志(ココロザシ)閑(シズカ)にして欲少く、」とは、アレもしたいこれもしたいと言う心に閂(かんぬき)抑制していたずらに欲張らない事と解します。
「懼(オソ)」とは、心が安定せずドキドキしてうろうろと前後左右に気が散る様と解します。
「心(ココロ)安(ヤス)らかにして懼(オソ)れず、」とは、心を安定させ気が散らないようにしましょうね、と解します。
「形(カラダ)は労(ロウ)すれども倦(ウ)まず、」とは、肉体労働をしても疲労困憊する事はない、と解します。
「気従って以つて順(ジュン)なり、」とは、心を安定させ気を散らせないで、かつ労働をしても疲労困憊する事の状態に於いては、気も順調に体内を巡るものである、と解します。
「各各(オノウノ)その欲するに従って、皆願う所を得(ウ)る。」とは、自分の願い通りに何でも欲しいものが得られる、と解します。
「其の服を任じ、」とは、自分の身に着けているものに対して不平を言わずこれを大切にせよ、と解します。
「其の俗を樂み、」とは、周囲の人々の中にとけこんで日々の生活を楽しむ、と解します。
「高下相慕(ウラ)やまず、」とは、為政者(支配層・裕福層)は下の人民を搾取収奪せず侮らず、人民は為政者の行動や生活様式を羨ましく思ったり欲しがったりしません、と解します。
「其の民を故に朴(ボク)なりと曰う。」とは、「其の食を美(ウマシ)とし、其の服を任じ、其の俗を樂み、高下相慕(ウラ)やまず、」の民は素朴な人民だなあ、と解します。
「嗜欲(シヨク)もその目を労すること能(アタ)わず。」とは、
大へん美味しい食べ物、好きなもの、欲しいものが、目の前にあっても、自分の心の中に欲しいという気持ちが無ければ目がそれについて移る事はない、と解します。
「淫邪もその心惑すこと能(アタ)わず。」とは、
足ることを知る素朴な人の心は、酒、金、女、名誉、権力、などの淫邪によって束縛されることはない、と解します。
「愚智賢不肖(グチケンフショウ)、物に懼(オソ)れず、故に道に合す。」とは、
人には愚かな者、知恵のある者、賢い者、不肖の者、などいろいろいるが、素朴の人は物事に動揺することがない。
だから天地自然の法則に合致した日常生活を営む事が出来るのである、と解します。
「其の徳全(マッタク)危(アヤウカ)らざるなり。」とは、
その天意に通ずる、真っ直ぐな徳の行為は、危なげ無く整然としている、と解します。
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第六節
原文:
帝曰.人年老而無子者.材力盡邪.將天數然也.
岐伯曰.
女子七歳.腎氣盛.齒更髮長.
二七而天癸至.任脉通.太衝脉盛.月事以時下.故有子.
三七腎氣平均.故眞牙生而長極.
四七筋骨堅.髮長極.身體盛壯.
五七陽明脉衰.面始焦.髮始墮.
六七三陽脉衰於上.面皆焦.髮始白.
七七任脉虚.太衝脉衰少.天癸竭.地道不通.故形壞而無子也.
原文と訳文(カタカナ)読み。
帝曰.人年老而無子者.材力盡邪.將天數然也.
コウテイ、イワク、 ヒトトシオイテ、コナキモノハ、 ザイリョクツクルヤ、 ハタテンスウシカルヤ。
岐伯曰.
ギハクイワク。
女子七歳.腎氣盛.齒更髮長.
ジョシハ、 シチサイシテ、 ジンキサカン、 ハアラタマリ、カミチョウズ。
二七而天癸至.任脉通.太衝脉盛.月事以時下.故有子.
ニシチニシテ、 テンキイタリ、 ニンミャクツウジ、 タイショウミャクサカンシテ、 ゲツジトキヲモッテクダル。 ユエニコアリ。
三七腎氣平均.故眞牙生而長極.
サンシチニテ、 ジンキヘイキンス。 ユエニ、シンガショウジテナガクキワマル。
四七筋骨堅.髮長極.身體盛壯.
シシチニシテ、 キンコツカタク、 カミナガクキワマリ、 シンタイセイソウナリ。
五七陽明脉衰.面始焦.髮始墮.
ゴシチニシテ、 ヨウメイノミャクオトロエ、 メンハジメテヤツレ、 カミハジメテオツ。
六七三陽脉衰於上.面皆焦.髮始白.
ロクシチニシテ、 サンヨウノミャクカミニオトロエ、 メンミナヤツレ、 カミハジメテシロシ。
七七任脉虚.太衝脉衰少.天癸竭.地道不通.故形壞而無子也.
シチシチニシテ、 ニンミャクキョシ、 タイショウミャクスイショウシ、 テンギツキ、 チドウツウゼズ、 ユエニカタチヤブレテ、コナシナリ。
訓読:
帝(テイ)曰(イワ)く。
人(女性)年老いて、子無き者は、材力尽きたるか、將(ハ)た天数(テンスウ:天命)然(シカ)るや。
岐伯(ギハク)曰(イワ)く。
女子は、七歳にして、腎気盛に、歯更(アラタ)まり、髮(カミ)長(チョウ)ず。
二七(十四歳)にして、天癸(テンキ)至(イタ)り、任脉(ニンミャク)通(ツウ)じ、太衝脉(タイショウミャク)盛(サカ)んにして、月事(ゲツジ)時(トキ)を以(モッて)下(クダ)る。故(ユエ)に子あり。
三七(二十一歳)にして、腎氣(ジンキ)平均(ヘイキン)す、故に真牙(シンガ)生(ショウ)じて、長極(ナガクキワマ)る。
四七(二十八歳)にして、筋骨堅く、髮長く極り、身體(シンタイ)盛壯(セイソウ)なり。
五七(三十五歳)にして、陽明脉(ヨウメイノミャク)衰え、面(メン)始(ハジ)て焦(ヤツ)れ、髮始て墮(オ)つ。
六七(四十二歳)にして、三陽脉(サンヨウノミャク)上(カミ)に衰え、面皆焦れ、.髮始めて白し。
七七(四十九歳)にして、任脉(ニンミャク)虚し、太衝脉(タイショウミャク)衰少(スイショウ)し、天癸(テンギ)竭(ツ)き、地道(チドウ)通(ツウぜず、.故に形壊(カタチヤブ)れて、子無しなりきと。
解説:
皇帝が岐伯に質問されました。
女性が五十歳位になると、子供を産むことが出来なくなるが、その理由を知りたい。
これは、体力や生殖能力が尽き果てるからだろうか。或は、天から与えられた「生老病死」天命自然の流れなのだろうか。お答えください。
岐伯が皇帝に、お答えになりました。
女性の身体について、
その成長と衰退の過程を述べます。
女子は、七歳の頃になると、生命の根源たる腎の気が旺盛になります。それにより乳歯が永久歯に生え変わります。また、髮の毛も長く伸びてきます。
十四歳の頃になると、人が生まれた時には有りませんが、出生後だんだんと発育して、この年齢になると、生理が始まり、子宮の性殖機能が整い、卵子育成の源気たる衝脉が旺盛になります。
そして、排卵日が定まり、子供を産める身体に成長します。
二十一歳の頃になると、腎気(精力根源の気)の任脉や衝脉という部分だけでなく、身体全体が一様に整って成人となります。そして又、親知らずが生えて、歯の成長が完成します。
二十八歳の頃になると、筋骨は堅固となり、髮の毛の成長もその極に達し、身体も立派に大きくなります。
三十五歳の頃になると、そろそろ衰えが現れだし、先ず、顔面や頭髪を栄養している陽明脉(ヨウメイノミャク)が衰えるので、顔にやつれた様子が現れ始め、頭髪も抜け始めます。
四十二歳の頃になると、三陽脉の頭部に流注している部分が衰えて、顔はすっかり窶(やつ)れ皺(しわ)が多くなり、髮の毛が白くなり始めます。
四十九歳の頃ともなると、任脉に精気が無くなって空虚となり、子種(卵子)育成の原気たる衝脉が衰弱減少し、生殖の原動力たる経水(月経血)が涸(か)れて、陰気の通路がふさがり、月経は閉止します。
従って、性殖機能が、だんだんと欠けて来て、不完全となり受胎能力を失ない、子供を産むことが出来なくなります。
語句考察:
「材力尽きたるか、」とは、体力が尽き果てるものだろうか、と解します。
「天数(テンスウ)然(シカ)るや。」とは、天から与えられた「生老病死」天命自然の流れる、様と解します。
「腎気盛に、」とは、生命の根源たる腎の気が旺盛になってと言う意味で、男は男らしく、女は女らしくなる、様と解します。
「歯更(アラタ)まり、」とは、乳歯がかけて永久歯に生え変わる、様と解します。
「二七にして、」とは、古代中国の数の数え方である。つまり掛け算になっているよ。2×7=14とね。 二七(十四歳)にして、と解します。
「天癸(テンキ)」とは、
人が生まれた時にはないものであるが、出生後漸次(ぜんじ;しだいに。だんだん)発育して一定の年齢になると、
一定のも期間をおいて、めぐり来る生殖の原動力のことで、女子には月経が起こり、男子には精液が生産されることである。と解します。
「天癸(テンキ)至(イタ)り、」とは、経水の充実すること、生理が始まります。と解します。
「任脉(ニンミャク)」とは、
任脉は、奇経八脉のの一つで、その流注は胞中(子宮)より起こり腹部に循(めぐ)り上行して顎より顔面に出で唇をめぐり二つに分かれて両眼に到る。
「任脉(ニンミャク)通(ツウ)じ」とは、「任」という文字は性殖に源基関係するもので、子宮の性殖機能が整うと解します。
参考HP:
難経二八難:※ 二十八難のポイント其の一は、奇経八脉の流注の起始と停止について述べています。
任脉は、中極の下に起り、以って毛際に上り、腹裏を循り、關元に上り、咽喉に至る。
http://yukkurido.jp/keiro/nankei/28nan/
経穴と主治、任脈(24穴)
http://yukkurido.jp/keiro/e1/e5/13r/
難経第二七難:奇経八脉と正経十二経脉の関係につての論述です。
http://yukkurido.jp/keiro/nankei/27nan/
「太衝脉(タイショウミャク)盛(サカ)ん」とは、子種(卵子)育成の源気たる衝脉が成長し育成すると言う事と解します。
「腎氣(ジンキ)平均(ヘイキン)す、」とは、腎気(精力根源の気)が任脉や衝脉という部分だけでなく、身体全体が一様に完全に行きわたる、と解します。
「真牙(シンガ)生(ショウ)じて、長極(ナガクキワマ)る。」とは、
親知らずの歯が生えて、ここに全部の歯が完全に揃い歯の成長の極みに達する、と解します。
「陽明脉(ヨウメイノミャク)」とは、陽明の脉は、顔面部を栄養し循(めぐ)って髪に入っている。
「五七(三十五歳)にして、陽明脉(ヨウメイノミャク)衰え、面(メン)始(ハジ)て焦(ヤツ)れ、髮始て墮(オ)つ。」とは、
三十五歳になると、顔面や髪を栄養している陽明脉衰えるので、顔にはしわが出てやつれ始め、頭髪は抜け始める、と解します。
「三陽脉」とは、手足の三陽で陽明・太陽・少陽に意味です。 人間の頭部にはこれらの陽脉だけしか循(めぐ)っていません。
参考HP:
②ルート:手の陽明 大腸経 HP:http://yukkurido.jp/keiro/e1/e5/2r/
③ルート:足の陽明 胃経  HP:http://yukkurido.jp/keiro/e1/e5/3r/
⑥ルート:手の太陽 小腸経 HP:http://yukkurido.jp/keiro/e1/e5/6r/
⑦ルート:足の太陽 膀胱経 HP:http://yukkurido.jp/keiro/e1/e5/7r/
⑩ルート:手の少陽 三焦経 HP:http://yukkurido.jp/keiro/e1/e5/10r/
⑪ルート:足の少陽 胆経  HP:http://yukkurido.jp/keiro/e1/e5/11r/
「三陽脉(サンヨウノミャク)上(カミ)に衰え、」とは、三陽脉の頭部に流注している部分が衰える、と解します。
「六七(四十二歳)にして、三陽脉(サンヨウノミャク)上(カミ)に衰え、面皆焦れ、.髮始めて白し。」とは、
四十二歳になると、三陽脉の頭部に流注している部分が衰えて、顔が焦(ヤツ)れてしまい、髮の毛が白くなり始める、と解します。
「任脉(ニンミャク)虚し、」とは、任脉に精気が無くなって空虚となる事。
「太衝脉(タイショウミャク)衰少(スイショウ)し、」とは、子種(卵子)育成の原気たる衝脉が衰弱減少する事。
「天癸(テンギ)竭(ツ)き、」とは、生殖の原動力たる経水を尽き果たしカラカラになる事。
「地道(チドウ)通(ツウぜず、」とは、
天の陽気は上から下降し、地の陰気は下から上昇し、陰陽の気交わり子供が生まれる。従って地道とは陰気の通る道である。通ぜずとは止まる事。
よって、ここでは月経閉止を意味している。
「七七にして、任脉(ニンミャク)虚し、太衝脉(タイショウミャク)衰少(スイショウ)し、天癸(テンギ)竭(ツ)き、地道(チドウ)通(ツウぜず、.故に形壊(カタチヤブ)れて、子無しなりきと。」とは、
四十九歳にして、任脉に精気が無くなって空虚となり、子種(卵子)育成の原気たる衝脉が衰弱減少し、生殖の原動力たる経水を尽き、月経が止まり、生殖の能力が終焉し、故に子供を産むことが出来なくなる、と解します。
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第七節
原文:
丈夫八歳.腎氣實.髮長齒更.
二八腎氣盛.天癸至.精氣溢寫.陰陽和.故能有子.
三八腎氣平均.筋骨勁強.故眞牙生而長極.
四八筋骨隆盛.肌肉滿壯.
五八腎氣衰.髮墮齒槁.
六八陽氣衰竭於上.面焦.髮鬢頒白.
七八肝氣衰.筋不能動.天癸竭.精少.腎藏衰.形體皆極.
八八則齒髮去.腎者主水.
受五藏六府之精而藏之.故五藏盛乃能寫.
今五藏皆衰.筋骨解墮.天癸盡矣.
故髮鬢白.身體重.行歩不正.而無子耳.
原文と訳文(カタカナ)読み。
丈夫八歳.腎氣實.髮長齒更.
ジョウフハ、ハッサイニシテ、 ジンキジッシ、 カミチョウジ、ハアラタマル。
二八腎氣盛.天癸至.精氣溢寫.陰陽和.故能有子.
ニハチニシテ、ジンキ、サカンニ、 テンギイタリ、 セイキ、エキシャシ、 インヨウワス、 ユエニ、ヨクコアリ。
三八腎氣平均.筋骨勁強.故眞牙生而長極.
サンハチニシテ、ジンキヘイキンシ、 キンコツケイキョウナリ、 ユエニ、シンガショウジテ、ナガクキワマル。
四八筋骨隆盛.肌肉滿壯.
シハチニシテ、キンコツリュウセイ、 キニクミチテサカンナリ。
五八腎氣衰.髮墮齒槁.
ゴハチニシテ、ジンキオトロエ、 カミオチハカル。
六八陽氣衰竭於上.面焦.髮鬢頒白.
ロクハチニシテ、ヨウキカミニ、スイカツシ、 メンヤツレ、 ハツヒン、ハンバクス。
七八肝氣衰.筋不能動.天癸竭.精少.腎藏衰.形體皆極.
ヒチハチニシテ、カンキオトロエ、 キンウゴクコトアタワズ、 テンギカッシ、 セイヘリ、 ジンゾウオトロエ、 ケイタイミナツカレル。
八八則齒髮去.
ハチハチニシテ、スナワチ、シハツサル、
腎者主水.受五藏六府之精而藏之.故五藏盛乃能寫.
ジンハミズヲツカサドリ、 ゴゾウロップノ、セイヲウケテ、コレヲクラス、 ユエニ、ゴゾウサカンナレバ、スナワチ、ヨクシャス。
今五藏皆衰.筋骨解墮.天癸盡矣.
イマ、ゴゾウ、ミナオトロエ、 キンコツカイダシ、 テイイギツク、
故髮鬢白.身體重.行歩不正.而無子耳.
ユエニ、ハツヒンシロク、 シンタイオモク、 ホコウ、タシカラズ、 シカシテ、コナキノミ。
訓読:
丈夫(ジョウフ)は
八歳にして、腎気実し、髮長(チョウ)じ歯更(アラタ)まる。
二八(十六歳)にして、腎気盛に、天癸(テンギ)至り、精気溢瀉(エキシャ)し、陰陽和す。 故に能(ヨ)く子あり。
三八(二十四歳)にして、腎気平均し、筋骨勁強(ケイキョウ)なり、故に眞牙(シンガ)生(ショウ)じて、長く極(キワマ)る。
四八(三十二歳)にして、筋骨隆盛(リュウセイ)、肌肉(キニク)滿(ミチ)て、壯(サカン)なり。
五八(四十歳)にして、腎気衰え、髮(カミ)墮(オ)ち、歯槁(カ)る。
六八(四十八歳)にして、陽気上に衰竭(スイカツ)し、面焦(メンヤツ)れ、髮鬢(ハツヒン)頒白(ハンバク)す。
七八(五十六歳)にして、肝気衰え、筋動(キンウゴク)こと能(アタ)わず、天癸(テンギ)竭(カッ)し、精少(セイヘ)り、腎臓衰え、形體(ケイタイ)皆(ミナ)極(ツカ)れる。
八八(六十四歳)にして、則(スナワ)と、齒髮(シハツ)去る。
腎は水を主(ヲツカサド)り、五臓六腑の精を受けて之を藏(クラ)す。故に五臓盛(サカ)んなれば乃(スナワ)ち能(ヨ)く瀉(シャ)す。
今五臓皆衰へ、筋骨解墮(カイダ)し、天癸(テンギ)尽く。
故に髮鬢(ハツヒン)白く、身體(シンタイ)重く、行歩正しからずして、而(シカ)して子無きのみ。
解説:
男性は八歳になると、
腎気が充満して来て、髮は長じ歯は永久歯に抜け替わります。。
十六歳の頃になると、腎気が盛になり、経水の充実し、精液が充満して発射できる状態になっていますので、女性と性交し子供を作ることが出来ます。
二十四歳の頃になると、腎気は全身にみなぎり筋はピンと張り、骨は頑丈になり、故に智歯(ちし:親知らず)も生(ショウ)じて、全部の永久歯が生え揃います。
三十二歳の頃になると、腱や骨は豊かに盛りあがり、筋肉は肥満します。
四十歳の頃から、腎気の衰えがそろそろ始まり、頭髮の抜け毛が起こり、歯も脆くなります。
四十八歳の頃となると、身体上部に於ける陽脉が衰えて、顔面にやつれが見え、白髪が頭髪やモミアゲ、髭にも出てきます。
五十六歳の頃になると、肝気が衰えて、男性器の勃起不能を来すようになり、生殖の原動力を出し尽くし、精気(精液)が減少し不足して来ます。
また、腎臓機能も衰え、身体の各部分が全て弾力性を失い硬くなっていきます。
六十四歳の頃ともなると、歯も髪も脱落して無くなりだします。
さて、腎の機能について説明します。
腎気は両親から引き継いだ「先天の原気」であり、生れ育つ過程で飲食の栄養源から「後天の原気」を補充されてその機能を完全に発揮するものです。
五臓六腑の精の仕入れは水浴の精気であり、五臓六腑は水浴の精気を受け入れて後に、再びこれを腎に供給し、腎はその精気を貯蔵しています。
故に、五臓六腑の機能が旺盛なるときは精気も充実して精液を出す能力があるわけです。
男性は六十代を過ぎると、
五臓の機能は皆衰え、筋骨がガタガタに緩み力抜けてしまい、生殖の原動力の経水も尽きてきます。
故に、髮や鬢は真っ白となり、身体は重く、行歩がよちよちとなり、そして子を作る能力も無くなるのです。
語句考察:
「丈夫(ジョウフ)は八歳にして、腎気実し、」とは、男性は八歳になると腎気が充満してくる、と解します。
「精気」とは、五臓六腑の精を受けて之を腎に蔵(く)らすもので、人間活動のエネルギー源である。ここでは男性の精液の意味と解します。
「溢瀉(エキシャ)し、」とは、「溢」は、皿に水をなみなみと満たすの意で中が液で満たされた様の意味。。「瀉」は、物を一方の容器から他の容器に移すの意味。
「精気溢瀉(エキシャ)し、」とは、精液が充満して発射できる状態になっている、と解します。
「陰陽和す」とは、陰は女性、陽は男性を意味し、ここでは男女が媾合(こうごう:性交)するこ、と解します。
「三八にして、腎気平均し、筋骨勁強(ケイキョウ)なり、」とは、二十四歳の頃になると、腎気は全身にみなぎり筋はピンと張り、骨は頑丈になる、と解します。
「四八にして、筋骨隆盛(リュウセイ)、肌肉(キニク)滿(ミチ)て、壯(サカン)なり。」とは、三十二歳の頃になると、腱や骨は豊かに盛りあがり、筋肉は肥満する、と解します。
「歯槁(カ)る」とは、「槁」は、水分が無くなりもろくなる様。よって、歯が枯れてもろくなる、と解します。
「髮鬢(ハツヒン)頒白(ハンバク)す」とは、「髮」は、頭の毛。「鬢」は、頬の髭、モミアゲ。。「頒」は、ひろく分布するの意。「頒白」は、白斑で、白髪が点々とする様。よって、髪や頬髭に白髪がまだらに出だす、と解します。
「肝気衰え、筋動(キンウゴク)こと能(アタ)わず、」は、「肝」は、筋を主る。 肝気衰え、男性器の勃起不能を意味する、と解します。
「天癸(テンギ)竭(カッ)し」とは、生殖の原動力を出し尽くし、かすれて来ている様、と解します。
「精少(セイヘ)り」とは、精気(精液)が減少し不足している、と解します。
「形體(ケイタイ)皆(ミナ)極(ツカ)れる。」とは、身体の各部分が全て弾力性を失い硬くなっていく様、と解します。
「齒髮(シハツ)去る。」とは、歯や髪が抜けて無くなる、と解します。
「五臓盛(サカ)んなれば乃(スナワ)ち能(ヨ)く瀉(シャ)す。」とは、肝心脾肺腎の五臓が盛んであれば精液を写すつまり、射精能力が旺盛です、と解します。
「筋骨解墮(カイダ)」とは、筋や骨がバラバラ分離してまとまりがなく、力なくだらりとしてしまう様、と解します。
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第八節
原文:
帝曰.
有其年已老而有子者.何也.
岐伯曰.
此其天壽過度.氣脉常通.而腎氣有餘也.
此雖有子.男不過盡八八.女不過盡七七.而天地之精氣皆竭矣.
帝曰.
夫道者.年皆百數.能有子乎.
岐伯曰.
夫道者.能却老而全形.身年雖壽.能生子也.
原文と訳文(カタカナ)読み。
帝曰.
コウテイ、イワク。
有其年已老而有子者.何也.
ソノトシ、スデニ、オイテ、コアルモノハ、 ナンゾヤ。
岐伯曰.
ギハクイワク。
此其天壽過度.氣脉常通.而腎氣有餘也.
コレソノ、テンジュ、ドヲ、スギテ、 キミャクナガク、ツウジテ、 ジンキ、アマリアルナリ。
此雖有子.男不過盡八八.女不過盡七七.而天地之精氣皆竭矣.
コレコアリト、イエドモ、 オトコハ、ハチハチヲ、ツクスニスギズ、 オンナハ、ヒチヒチヲ、ツクスニスギズ、 シテ、テンチノセイキミナツクルナリ。
帝曰.
コウテイ、イワク。
夫道者.年皆百數.能有子乎.
ソレ、ドウシャハ、 トシ、ミナヒャクヲカゾエテ、 ヨクコアルヤ。
岐伯曰.
ギハクイワク。
夫道者.能却老而全形.身年雖壽.能生子也
ソレ、ドウシャハ、 ヨク、オイヲ、シリゾケテ、カラダヲ、マットウス、 シンネンハ、ヒサシナリト、イエドモ、 ヨキコヲショウズルナリ。
訓読:
帝(テイ)曰(イワ)く。
その年、已(スデ)に老いて子ある者は、何也(ナンゾヤ)。
岐伯(ギハク)曰(イワ)く。
これその天寿(テンジュ)度(ド)を過て、気脉(キミャク)常(ナガ)く通じて、腎気余りあるなり。
これ子ありと雖(イエド)も、男は八八(六十四歳)を尽くすに過ぎず、女は七七(四十九歳)を尽くすに過ぎずして、天地の精気皆竭(ツ)くるなり。
帝(テイ)曰(イワ)く。
それ道者(ドウシャ)は、年皆百を数えて、よく子あるや。
岐伯(ギハク)曰(イワ)く。
それ道者(ドウシャ)は、能(ヨ)く老(オイ)を却(シリゾ)けて、形(カラダ)を全(マットウ)す。
身年(シンネン)は寿(ヒサシ)なりと雖(イエド)も、能(ヨ)く子を生(う)むなり。
解説:
皇帝が岐伯に質問されました。
その年齢から見ると、已(スデ)に老人であるのに、尚、子供を作る能力のある者がいるが、それはどのような理由によるのか。。お答えください。
岐伯が皇帝に、お答えになりました。
この様な人は、天から受けた寿命が普通の人の標準を過ぎても、尚(なお)経絡を流れる精気は依然として長く通じていて、腎気に十分な、ゆとりがあるからです。
しかしながら、子供を作る能力があると言っても、男は六十四歳が限度であり、女は四十九歳が限度で、それ以上には及ぶものではありません。
その年齢に達すれば陰陽の精気は全く尽きてしまうものです。
再び、皇帝が岐伯に質問されました。
ところで、道者(ドウシャ)とは、宇宙自然の法則や真理を心得ている者であるが、これらの者は年齢が百歳を超えても、なお子供を作る能力が有るのでしょうか。お答えください。
岐伯が皇帝に、お答えになりました。
これら道者は、よく老化現象を克服して身体を保全する事が出来るので、暦の上の年齢では百歳を超えても身体はなお衰えません。
従って、子供を作る能力のあるのであります。
語句考察:
「天寿(テンジュ)度(ド)を過て、気脉(キミャク)常(ナガ)く通じて、」とは、天から受けた寿命が普通の人の標準を過ぎても尚脉道を流れる精気は依然として長く通じている、と解します。
「而腎氣有餘也 : 腎気余りあるなり。」とは、腎気になおゆとりがある、と解します。
「男不過盡八八 : 男は八八を尽くすに過ぎず、」とは、男は六十四歳が最後でそれ以上には及ぶものでは無い。と解します。
「道者(ドウシャ)」とは、道を知る者の訳で、宇宙自然の法則、真理を心得ている者、と解します。
「年皆百數 : 年皆百を数えて、」とは、年齢が百歳になっても、と解します。
「能却老而全形 : 能(ヨ)く老(オイ)を却(シリゾ)けて、形(カラダ)を全(マットウ)す。」とは、老化現象をよく退けて身体を保全する、と解します。
「身年雖壽 : 身年(シンネン)は寿(ヒサシ)なりと雖(イエド)も、」とは、「身」は、身体。「年」は、年齢。「寿」は、百歳の寿命の意。:身体が百歳の年齢になっても。と解します。
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第九節
原文:
黄帝曰.
余聞上古有眞人者.
提挈天地.把握陰陽.呼吸精氣.獨立守神.肌肉若一.
故能壽敝天地.無有終時.此其道生.
原文と訳文(カタカナ)読み。
黄帝曰.
コウテイ、イワク。
余聞上古有眞人者.
ヨキク、ジョウコニ、シンジン、トイウモノアリ。
提挈天地.把握陰陽.呼吸精氣.獨立守神.肌肉若一.
テンチト、テイケツシ、 インヨウヲハアクシ、 セイキヲ、コキュウシ、 ドクリツシテ、シンヲ、ママリ、 キニクハ、イチノ、ゴトシ。
故能壽敝天地.無有終時.此其道生.
ユエニ、ヨク、ヒサシク、テンチヲ、ヘイシテ、 オワリノトキアルコトナシ、コレソノミチヲショウズレバナリ。
訓読:
黄帝曰く。
余(ヨ)聞(キ)く。 上古に真人(シンジン)という者あり。
天地と提挈(テイケツ)し、陰陽を把握し、精気を呼吸し、独立して神を守り、肌肉は一の如し。
故に、よく寿(ヒサシ)く天地を敝(ヘイ)して、終るの時あること無し、此れ其の道を生ずればなり。
解説:
黄帝がお話になりました。
余(ヨ)はこう言うことを聞いている。
上古に真人(シンジン)と呼ばれる、精気の欠けめ無く充実している者が居たと。
その者一切の行動は、天地自然の法則を理解し、しっかりと自然と手を取り合い、陰陽の働きをよく認識して、吾が身につけ、精気を呼吸していた。
それは、他の力に頼ることなく自己の修養によって陰陽の変化自然の働きにピッタリと順応して惑う事がない人であった。
そのおかげで、その肌は、滑(ナメ)らかにして、艶(ツヤ)があり、生き生きとし張りがあるので、処女の肌のように若々しかったと。
それ故に、その寿命は天地を覆う程に広大無窮で何歳になっても終わることがなかった。
これと言うのも、彼、真人の平素の修養が完璧で宇宙大自然の法則が身体の中に脈々として生きているからである。
語句考察:
「眞:真」は、充塡(ジュウテン)欠けている所や空いている所に、物を詰めて塞ぐ事。
「真人(シンジン)」とは、宇宙の生成の真理を認識する者で、欠けめ無く精気の充実している人。と解します。
「提挈天地:天地と提挈(テイケツ)し」とは、天地自然の法則を理解し、しっかりと自然と手を取り合う様に運用している、と解します。
「陰陽に法(ノット)り」とは、陰は地であり、陽は天である。自然界の陰陽の変化に従い適応して生活するとき人間の健康も保たれる、と解します。
「陰陽を把握し」とは、天地人の三才を貫く原則を認識し我が身につけている、宇宙の生成の真理を認識する者、と解します。
「獨立守神:独立して神を守り」とは、他の力に頼ることなく自己の修養によって陰陽の変化自然の働きにピッタリと順応して惑う事がない、様と解します。
「一の如し」とは、処女の様に若々しい。と解します。
「肌肉は一の如し」とは、その肌は、滑(ナメ)らかにして、艶(ツヤ)があり、生き生きとした張りがある、しかも処女の様に若々しい。と解します。
「敝(ヘイ)」は、覆(オオ)うと言う意味です。
「寿(ヒサシ)」は、天寿が長いと言う意味です。
「壽敝天地:寿(ヒサシ)く天地を敝(ヘイ)して」とは、天地は広大無窮のものであるのに、さらにそれ覆うが如き天寿を全うする、と解します。
「此其道生:此れ其の道を生ずればなり」とは、宇宙大自然の法則が真人の身体の中に生きているからである。と解します。
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第十節
原文:
中古之時.有至人者.淳徳全道.和於陰陽.調於四時.去世離俗.積精全神.游行天地之間.視聽八達之外.此蓋益其壽命.而強者也.亦歸於眞人.
原文と訳文(カタカナ)読み。
中古之時.有至人者.淳徳全道.和於陰陽.調於四時.去世離俗.積精全神.
チュウコノトキ、 シジン、ナルモノアリ、 トクアツク、ミチヲマットウシ、 インヨウニワシ、シジニカノウ、 ヨヲサリ、ゾクヲハナレ、 セイヲツミ、シンヲマットウス、
游行天地之間.視聽八達之外.此蓋益其壽命.而強者也.亦歸於眞人.
テンチノアイイダヲ、ユギョウシ、 ハッタツノ、ホカヲ、シチョウス、 コレ、ケダシ、ソノ、ジュミョウヲ、マシテ、ツヨクスルモノナリ、 マタ、シンジャニ、キス。
訓読:
中古(チュウコ)の時。
至人(シ ジン)という者あり。
徳(トク)淳(アツ)く、道を全(マットウ)す。
陰陽に和(ワ)し、四時(シジ)に調(カノ)う。
世を去り、俗を離れ、精を積み神を全す。
天地の間を游行(ユ ギョウ)し、八達の外を視聴(シ チョウ)す。
此(コ)れ、蓋(ケダ)し、その寿命を益(マシ)て、強くする者なり、亦(マタ)眞人(シンジャ)に帰す。
解説:
中古(チュウコ)の頃に、至人(シ ジン)と呼ばれる者がいたとを聞いています。
よく修養して徳をつみ、道に到達した人です。
その行動は凡て天意に通じ良心的で宇宙自然の大法則を良く心得て欠点がありません。
陰陽の法則を体得していますので、春夏秋冬の季節にある陰陽のリズムにもよく順応して、調和した生活を送っています。
心は、世の中の煩悩から遠ざかり、俗事から離れ、精気を蓄積し浪費せず精神を豊に保全しています。
何事にも、こだわることなく、気の向くまま足の進むままに、天地の間を自由に悠々たる態度で闊歩していました。
だから、四方八方、いずれの方向にも、遠くまで何の障害もなく自由自在に行くことが出来て、そして見聞をひろめていました。
このようにすることは、おしなべて、その人の寿命を豊かに増して強固にする人です。
至人(シ ジン)と呼ばれた、この者もまた精気が充実しているので、上古の真人(シンジン)に帰着する訳です。
語句考察:
「至」とは、あるものに到達し、そのもとの間に髪の毛も入れないこと、つまり極みである。
「至人(シ ジン)」とは、徳の充実した人、道に到達した人、修養の極みに達した人のこと、と解します。
「淳徳全道:徳(トク)淳(アツ)く、道を全(マットウ)す」とは、その行動は天意に通じ良心的で、宇宙自然の大法則を良く心得て欠けめ無くそろっている。と解します。
「四時(シジ)」は、春夏秋冬の季節のことです。
「和於陰陽.調於四時:陰陽に和し、四時に調う」とは、陰陽及び春夏秋冬の季節に順応して、和合一致し而も少しの欠けめもなく凡てにおいて行きわたっている様と解します。
「精」は、精根であり日との声明を保全する為のエネルギー源である。
「積」は、収穫した稲や麦の束を積み重ねる。又は、情報を集める、と解します。
「神」は、自然陰陽の動きを理解した精神と解します。
「積精全神 : 精を積み神を全す」とは、精気を蓄積し浪費せず自然陰陽の動きを理解した精神を保全している、と解します。
「游行天地之間 : 天地の間を游行(ユ ギョウ)し」とは、
天地の間を同一場所に固定することなく気の向くままに自由に行動すると言う意味です。
思考面からは、一つのことにこだわらないこと。悠々たる態度を保持している様と解します。
「視聽八達之外 : 八達の外を視聴(シ チョウ)す」とは、四方八方、いずれの方向にも、遠くまで何の障害もなく自由自在に行くことが出来て、そして見聞をひろめていた。と解します。
「此蓋益其壽命.而強者也 : 此(コ)れ、蓋(ケダ)し、その寿命を益(マシ)て、強くする者なり、」とは、
このようにすることは、おしなべて、その人の寿命を豊かに増して強固にするものである。と解します。
「亦歸於眞人:亦(マタ)眞人(シンジャ)に帰す。」とは、これもまた精気の充実している眞人に帰着する。と解します。
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第十一節
原文:
其次有聖人者.處天地之和.從八風之理.適嗜欲於世俗之間.無恚嗔之心.行不欲離於世.「被服章」.擧不欲觀於俗.
外不勞形於事.内無思想之患.以恬愉爲務.以自得爲功.形體不敝.精神不散.亦可以百數.
※ 「被服章」.は衍文(エンブン):余計な文章と判断しているので、解説いたしません。
原文と訳文(カタカナ)読み。
其次有聖人者.處天地之和.從八風之理.適嗜欲於世俗之間.無恚嗔之心.行不欲離於世.擧不欲觀於俗.
ソノツギニ、セイジン、トイワレルモノアリ、 テンチノワニショシ、ハッウプノリニシタガイ、シヨクヲ、ゾクセノアイダニ、アワセ、ケイシンノココロナク、コウハ、ヨニ、ハナレルコトヲヨクセズ、キョハ、ゾクニ、シメスコトヲヨクセズ、
外不勞形於事.内無思想之患.以恬愉爲務.以自得爲功.形體不敝.精神不散.亦可以百數.
ソト、カタヲ、コトニロウセズ、ウチニ、シソウノ、ワズライナク、テンユヲ、モッテ、ロウトナシ、ジトクヲ、モッテ、コウトナス、ケイタイ、ツカレズ、セオシンサンゼズ、マタ、ヒャクヲ、モッテカズウベシ。
訓読:
其の次に聖人という者あり。
天地の和に処し、八風の理に従い、嗜欲を世俗の間に適(アワ)せ、恚嗔(ケイシン)の心なく、行(コウ)は世に離ることを欲せず、挙(キョ)は俗に観(シメ)欲せず。
外(ソト)形(カタチ)を事に労せず、内に思想の患いなく。
恬愉(テンユ)を以って務となし、自得(ジトク)を以って功と爲す。
形体(ケイタイ)敝(ツカ)れず、精神散ぜす、.亦(マタ)百を以って数(カズウ)べし。
解説:
其の次に市井の中に、聖人と呼ばれる者がいました。
この聖人達は、自然環境の良い所に居を構へて生活しています。
雨風や暑さ寒さにも上手に対応して生活しています。
食物や衣服の嗜好にも奇抜なことは避けて、世間一般の人々と同じように歩調を合わせています。
人の忠告も快く受け入れます。
怒りが口の中にが詰まってものが言えなくなるほど、逆上することもありません。
人々の風習や行動からかけ離れた行いは致しません。
自分のやっていることを、ことさら人に見せようとはしません。
過剰な労働や、過剰な運動、過剰なセックスなどは、しないようにしています。
精神的には、心配事、思い考え過ぎ、イライラする、驚き、怖がるような悩み事を持たないようにしています。
いつも心を平静に保持し、愉快な気持ちで行動するように努めています。
自分の力量相応で満足しています。
その様に生活していますので、身体は疲れず、精神も消耗することは有りません。
この人、市井の聖人も、また百歳の寿命を保つことが出来るのです。
語句考察:
()() 事と解します。様と解します。と解します。
「聖」は、通ずるなりの意。耳に従い呈(テイ:しめす)の声の意。耳に順うの意:論語・為政第二:六十の頃には何事をきいても耳障りなことなく素直に話を聞けるの意味。。
「呈」は、真っ直ぐに直進するの意。
「聖人」とは、内に省(カエリ)みて、疾(ヤマ)しい事無く、憂いも持たず、恐れる事も無い人は、耳に逆らう事あろうはずもない。
更に又、他人と我とを差別することなく、人の話を聞く雅量(ガリョウ:人をよく受け入れるおおらかな心。)があり、如何なる忠告も快く受け入れる。
このような人を「聖人」と言うのである。
「天地の和に処し」とは、天地が良く調和され環境に身を置いて生活している。様と解します。
「八風」とは、黄帝内経・霊枢・九官八風編にて述べられている。
1:大弱風、2:謀風、3:剛風、4:折風、5:大剛風、6:凶風、7:櫻児風、8:弱風、の八つの風がああると。
風の吹いてくる方向をしめし、1:大弱風=南方より吹く風、2:謀風=西南、3:剛風=西、4:折風=西北、5:大剛風=北、6:凶風=東北、7:櫻児風=東、8:弱風=東南より吹く風。
これらの風には夫夫色々な特質があり人体に及ぼす影響もまた異なる。
「八風の理に従い」とは、
八風には各々(おのおの)夫々(それぞれ)の特質があり人体に及ぼす影響もまた夫々に異なる事があるます。
よって、その条理をよく踏まえて邪を受けないように順応して対処しましょうね。と解します。。
「恚(ケイ・イ・ウラム)」とは、恨むなり。圭角=三角形。心を角立てること、心に圭角を生じる、様と解します。
「嗔(シン)」とは、口と眞との組み合わせ文字。「真:眞」は、隙間なくいっぱいにつまった様。よって、「嗔(シン)」とは、口にものがいっぱい詰まった様です。
「恚嗔(ケイシン)」とは、心を角立てカンカンに怒り逆上して、口の中に声が詰まってハッキリとものが言えない状態です。
「無恚嗔之心:恚嗔(ケイシン)の心なく、」とは、感情を逆立て口の中に怒り声が詰まってハッキリとものが言えない状態、などになる事は無い、悟りの心を持っていますよ。と解します。
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第十二節
原文:
其次有賢人者.法則天地.象似日月.辯列星辰.逆從陰陽.分別四時.將從上古.合同於道.亦可使益壽.而有極時.
原文と訳文(カタカナ)読み。
其次有賢人者.法則天地.象似日月.辯列星辰.逆從陰陽.分別四時.將從上古.合同於道.亦可使益壽.而有極時.
ソノツギニ、ケンジントイウモノアリ、テンチニ、ノットリ、ジツゲツニ、ショウジシ、セイシンヲ、ベンレツシ、インヨウニ、ギャクジュウシ、シジヲ、ブンベツシ、マサニジョウコニシタガッテ、ミチニグドウセントス。マタ、ジュヲ、マサシムベシ、シカレドモ、キワマルトキアリ。
訓読:
其の次に賢人という者あり。
天地法則(ノット)り、日月に象似(ショウジ)し、星辰を弁列(ベンレツ)し、陰陽に逆從(ギャクジュウ)し、四時を分別し、上古に従って、道に合同せんとす。
亦(マタ)寿(ジュ)を益(マ)さしむべし、而(シカ)れども極まる時あり。
解説:
其の次に、賢人と呼ばれる者がいました。
この賢人達は、
天地自然の変化に順応して、日月の運行に自分の行動を似せたり、
天文星座の意味するところを心得て、陰陽の変化を迎えて之に従い、
四季の推移変化を分析し適した生活を送っていました。
これは、古より伝えられている健康養生法であり、天地自然の法則に合致する試みです。
その結果、賢人も、天与の寿命を豊かにし長命を得ることが出来ました。
しかしながら、その寿命は無限ではなく限度がありました。
語句考察:
「逆」とは、古に於いて、「人を迎える」と言う意味と解します。
「逆從陰陽:陰陽に逆從(ギャクジュウ)し」とは、陰陽の変化を迎えて之に従う。と解します。
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以上、「黄帝内経・素問 上古天眞論篇 第一.」を終了します。

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 参考文献等

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「黄帝内経 素問 新義解」
昭和43年10月1日初版発行
発行所:東京高等鍼灸学校 研究部
著者:柴崎保三(シバザキ ヤスゾウ)
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「和讀 黄帝内經 素問」
昭和56年3月1日発行
発行所:東洋医典談話会
和訓者:小寺敏子(コデラ, トシコ)
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「素問ハンドブック」
2002年9月15日 第15刷
発行所:医道の日本社
著者:池田政一(まさかず)
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黄帝内経素問訳注(3巻セット)
2009年2月1日初版発行
発行所:医道の日本社
著者:家本誠一
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『素問』原文はweb公表より転記し参考にました。
各版本の句読は、江戸の考証学派である多紀元堅(1795–1857)、森立之(1807–1885)、渋江抽斎(1805–1858)の句読を参考にした。
底本:『素問』明・顧従徳本:日本経絡学会影印本(1992年)を使用した。
『素問』:明・顧従徳本、四庫善本叢書所収本。
『素問』:台湾国立中医薬研究所刊の顧従徳本
明刊無名氏本(国立公文書館内閣文庫所蔵300函140号等)
安政4年刊『宋本素問』(国立公文書館内閣文庫所蔵300函141号等)
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