「黄帝内経・素問・霊枢」
(こうていだいけい・そもん・れいすう)
の解説をするコーナーです。
ここでは、現代鍼灸の臨床実践に必要なものだけを、取り上げます。
掲載日:2012.5.吉日
東洋はり医学会の本部講習生も2年目に入りました。
急に、1年生のお客様待遇から、
弟子待遇になって、厳しい指導が始まりそうです。
暗誦唱和の宿題がでました。。
「補瀉和法のくだり。」です。
これは、
黄帝内経「霊枢」第一・九鍼十二原遍、第二段
に記載があります。
鍼灸学校では、ここは、鍼の種類が9種類ある・・ぐらいの説明ですが、
実は鍼灸師の手技の要(かなめ)が書いてあるのです。
とっても、大事な事なので、ここで述べてみます。
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「補瀉和法のくだり。」
補に曰(いわ)く、
之(これ)に随(したが)ふ。
之に随うの意は、
妄(みだ)りに行くが如(ごと)し、
行くが若(ごと)く按(あん)ずるが若(ごと)く、
蚊虻(ぶんぼう)の止(と)まるが如く、
留(とど)まるが若く、還(かえ)るが若く、
去ること弦絶(げんぜつ)の如し。
左をして右に属(ぞく)せしむ。
其の気、故(ここ)に止まる。
外門已(すで)に閉じて、
中気乃(すなわ)ち実す。
瀉に曰(いわ)く、
必ず持ちて之(これ)を内(い)れ、
放ちて之を出(いだ)す。
陽を排(はい)して鍼を得(う)れば
邪気泄(も)るることを得(う)る。
(和法)
按(あん)じて鍼を引く、
是を内温(ないうん)と謂(い)ふ。
血散ずることを得(え)ず、
気泄(も)るることを得(え)ざるなり。
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黄帝内経「霊枢」第一・九鍼十二原遍、第二段
「わかりやすい経絡治療」p151・152.164よりの解説より。
補法とは、
生気の不足している所にこれを補う手法であるから、気を泄らしてはならない。その為には 、鍼柄を極めて軽く持って、静かに刺入し組織の抵抗に逆らわぬよう無理をせず、吸い込まれる如く自然に刺入しなければならない。丁度、蚊や虻が肌に止まって全く気付かれないように口先を刺し入れるが、 之と同じ様にして、一定の深さに達したならば留めて気を候、押したり戻したり回したりして気の動きを 診、
目的を達するを見て抜き去るのである。
それは丁度、引き絞った弓の弦が、絶えると同時に矢が離れるようにパッと抜き取り、間髪を入れず跡を閉じるのである。
この時の左右の手は、全く一致した共同作用を行わなければ成らない。
かくの如くして速やかに鍼口を閉じる時は、
いささかも気を泄れることなく補法の目的を完全に果たす事ができる。
瀉法を行うには、
その目的意識を明確にして、比較的速やかに刺入し、目的の深さに達したならば留めて気を候、或いは抜き刺しし、或いは動揺すると邪気と正気が分かれたことを感じる。
そこで皮膚面を押すようにして抜き去ると、
邪気が泄れて瀉法の目的を達する事ができる。
「和法」
これは補法でも瀉法でもなく滞っている気血を流して中和せしめる、
即ち「和法」と診る・・
手法は、滞りを流すのが目的でありますから、経の流れに随って鍼を入れ、二、三ミリ刺入し、鍼柄を押しつけたり緩めたりしていますと鍼尖の抵抗が緩むので、これを度として抜去するのであります。
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『霊枢』 原文 九鍼十二原第一.
凡用鍼者.虚則實之.滿則泄之.
宛陳則除之.邪勝則虚之.
大要曰.徐而疾則實.疾而徐則虚.言實與虚.若有若無.察後與先.
若存若亡.爲虚爲實.若得若失.
虚實之要.九鍼最妙.補寫之時.以鍼爲之.
寫曰必持内之.放而出之.排陽得鍼.邪氣得泄.
按而引鍼.是謂内温.血不得散.氣不得出也.
補曰隨之.隨之意.若妄之.若行若按.如蚊虻止.
如留如還.去如絃絶.令左屬右.其氣故止.外門已閉.中氣乃實.
必無留血.急取誅之.
持鍼之道.堅者爲寳.正指直刺.無鍼左右.神在秋毫.屬意病者.
審視血脉者.刺之無殆.
方刺之時.必在懸陽.及與兩衞.神屬勿去.
知病存亡.血脉者.在?横居.視之獨澄.切之獨堅.
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黄帝内経「霊枢」第一・九鍼十二原遍、第二段
福島弘道先生の原文の訳より。
凡そ鍼を用ふる者は、虚すれば之を実し、滿っれば之を泄す。
宛陳(うっちん)すれば之を除き、邪勝つときは之を虚す。
大要に曰、徐(おもむ)ろにして疾(と)きときは実し、
疾くして徐なるときは虚す。
実と虚とは、有が若く無きが若し。
後と先とを察するは、得(う)るが若く亡するが若し。
虚をなし実を為すには、得るが若く失うが若し。
虚実の要は、九鍼最も妙なり。
補寫の時、鍼を以って之を爲す。
瀉に曰く、必ず持ちて之を内れ、放ちて之を出す。
陽を排して鍼を得れば 邪気泄るることを得るなり。
(和法)按じて鍼を引く、是を内温と謂ふ。
血散ずることを得ず、気泄るることを得ざるなり。
補に曰く、之に随ふ。
之に随うの意は、妄りに行くが如し、
行くが若く按ずるが若く、蚊虻の止まるが如し、
留まるが若く、還るが若く、去ること弦絶の如し。
左をして右に属せしむ。 其の気、故に止まる。
外門已に閉じて、中気乃ち実す。
必ず血を留むること無くして、急に取りて之を誅(さ)る。
鍼を持つ道、堅き者を宝と為す。正しく指して直ちに刺す、
左右に鍼すること無かれ。
神、秋毫にあり、意を病者に属(つ)け、
審(つまびらか)に血脉の者を視て、
之を刺すに殆(あやぶむ)こと無かれ、
方(まさ)に刺すの時、必ず陽と両衛とを懸くるに在り。
神属して去ること勿れ、病の存亡を知る。
血脈は?に在りて黄居す、之を視ること獨り澄(あきらか)に、之を切すること獨り堅かれ。
福島弘道先生の【解説】
刺鍼の実技について大まかにいうと、虚の状態はこれを補って実せしめ、充実している時はこれを泄らして平らにし、お血が滞(とどこ)っている時は刺絡によって除き、邪気が盛んな時には瀉法を加えなければならない。
更に、その手さばきを大まかにいうと、静かに刺入した鍼、気を得てパッと抜くと生気が補われる。また速やかに刺入した鍼を、その邪を除く如く除々にぬきさると、邪は除かれるのである。
(注)ここでは押手のことを取り上げていないが、学者によっては、これは押手の操作を説いているので有ると主張している。これを感覚的に観察すると、実と虚は有るが如く、無きが如くであるし、また施術した前後を比較すると、有るものが無くなったり、無くなった所が補われたような感じである。或いは虚 になり実になるという感じは失われたような、或いは得たような感じがするものである。
さて、虚実の方を行うには九鍼が最も適している。
従って、補瀉を行おうとすれば、
適当な鍼を用いてこれを為すのが一番よい。即ち、瀉について解説すると、必ず目的意識ををもって刺入し、邪気と正気が分かれたならば抜き去るのであるが、この際、刺鍼部を下に向って圧(お)すと、その目的を達する事ができる。
〔和法〕
また、鍼口を押さえて、静かに押したり緩めたりしていると、
患者は温かみを感じるというが、これは内温の鍼といって、その滞っていた気血がスムーズに流れたことを意味する。
これは血も気も泄れ散じたことにはならずに、
調ったことを現わすものである。
(補注)本会ではこの手法を和法と称するが、
瀉でも補でもなく、その中間的な、すなわち調和である。
次に補法の解説であるが、
すべての補法は従うという精神で、手さばきを使いこなすものである。決して逆らうとか、無理をしてはならない。
即ち、極めて自然に徐に鍼を入れるのが、その有様は例えば、蚊や虻が、
人の身体に止まって気づかれないように、くちばしを刺し入れるのと同じ
である。
目的の深さに達したならば、留めたり軽く捻りをかけたりして気の去来を見、抜鍼のチャンスを得たならば、さながら引き絞った弓の弦から矢が離れるが如く、パッと鍼を引き、それに合せて間髪を容れず、押手で鍼口を閉じなければならない。これによって、補の目的を完全に達する事ができる。
即ち、外門である鍼口をしっかりと閉じると、
中には生気が充実するというのである。
(補注)東洋はり医学会では、この手さばきを補法における枢要点とし、押手の指先を左右から充分にしめて抜去するとし、
それによってこそ、弦絶の感覚が得られる。
この際、必ず血が刺鍼部に残らないように、急に抜去しなければならない。―
即ち、心気のあり方は、誠に秋に抜け変わったばかりの髪の毛の如く、
頗る微妙であるから、これをよくとらえて、自信を持って施術しなければ成らない。その際、必ず皮膚の艶、特に眉間の状態を観察しながら、その正気の状態を見届けつつ施術すべきである。
そのためには、病人の動静をよく診ているならば、病邪が除かれたという事がよく判る。
即ち、病的変化は兪穴の部に存在するが、それを観察すると、周囲よりも独立して生気のないのがよくわかるし、、また、これを触察すると周囲よりも堅く感ずるものである。
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ゆっくり堂 鍼灸院
山口一誠
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2012.5.9