風論

 

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   風論

                              小項目 番号 c311

 

南北経驗醫方大成  第一、風論

南北経驗醫方大成による病証論・井上恵理先生・講義録を参考に構成しています。。

                    2016.8.9.記載HPアップしました。
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  一、風論 のポイント
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第一、風論の 原文

風為百病之長。
故諸方首論之。
岐伯所謂、大法有四。
一曰偏枯、半身不遂。
二曰風痱、於身無痛、四肢不収。
三曰風懿者、奄忽不知人也。
四曰風痺者、諸痺類風状。
此特言其大概。
而又有卒然而中者。
皆由氣體虚弱、榮衛失調、或喜怒憂思驚恐労役。
以致眞氣耗散、腠理不密、邪氣乗虚而入。
及其中也、
重則半身不遂、口眼喎斜。肌肉疼痛。痰涎壅盛。
或癱瘓不二。舌強不語、精神恍惚驚愓恐怖。
治療之法。
當詳其脉證、推其所感之原。
若中於肝者、人迎與左関上脉、浮而弦、面目多青悪風自汗、左脇偏痛。
中於心者、人迎與左寸口脉、洪而浮、面舌倶赤、翕翕發熱、瘖不能言。
中於脾者、人迎與右関上脉、浮微而遅、四肢怠堕、皮肉月閠動、身體通黄。
中於肺者、人迎與右寸口脉、浮濇而短、面浮色白口燥多喘。
中於腎者、人迎與左尺中脉、浮而滑、面耳黒色、腰脊痛引小腹隠曲不利。
中於胃者、両関脉並浮而大、額上多汗、隔塞不通、食寒冷則泄。
凡此風證。
或挟寒則脉帯浮遅。
挟湿則脉帯浮濇。
二證倶有則従偏勝者治之。
用薬更宜詳審。
若因七情六淫而得者、當先氣調而後治風邪。
此厳氏至當之論。
倉卒之際、救此急證、宜先以皂角細辛、搐入鼻内、通其関竅、
次以蘇合香圓擦牙連進、
以生薑自然汁、並三生飲、俟其甦醒然後、
次第以順気之類、排風続命之類。
所中在経絡、脉微細者生。
入干臓腑口開手散、眼合遺尿、髪直吐沫、揺頭直視、 声如鼾睡者、難治。
又有中之軽者。
在皮膚之間、言語微蹇眉角牽引、遍身瘡癬状如蟲行、目旋耳鳴、
又當随随治之。

以上、風論原文を終わる。

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第一、風論 の 原文と訳文読み(カタカナ)。

風為百病之長
カゼハ ヒャクビョウノ チョウナリ
故諸方首論之
ユェエニ ショホウノ ハジメニ コレヲ ロンズ
岐伯所謂、大法有四
ギハク イワク ダイホウ ヨツアリト
一曰偏枯、半身不遂
ヒトッニ ヘンコ ハンシン カナワズ
二曰風痱、於身無痛、四肢不収
フタツニ フウハイ ミニオイテ イタミナク シキ オサマラズ
三曰風懿者、奄忽不知人也
ミツニ フウイ エンコツ トシテ ヒトヲ シラザルナリ
四曰風痺者、諸痺類風状
ヨツニ フウヒハ ショヒニ シテ フウジョウニ ルイス
此特言其大概
コレ トクニ ダイガイト イウ
而又有卒然而中者
シカシテ マタ ソツゼントシテ アタラルル モノアリ
皆由氣體虚弱、榮衛失調、或喜怒憂思驚恐労役
ミナ キタイ キョジャク、エイイエ チョウヲ シッシ、アルイハ キドユウシキョウオソレ ロウエキ ニヨッテ
以致眞氣耗散、腠理不密、邪氣乗虚而入
モッテ シンキヲモウサンシ、ソウリ ミツ ナラザルヲ イタシ、ジャキ キョウニ ジョウジテ シカシテ ハイル
及其中也
ソノ アタルニ オヨンデ
重則半身不遂、口眼喎斜。肌肉疼痛。痰涎壅盛
オモキ トキハ スナワチ ハンシンカナワズ、コウガンカシャ、キニクトウツウ、タンゼンヨウセイ、
或癱瘓不二。舌強不語、精神恍惚驚愓恐怖
アルイハ ナンカンフジ、シタ コワバリテ カタラズ、セイシン コウコツトシテ キョウトウキョフ
治療之法
チリョウノ ホウ
當詳其脉證、推其所感之原
マサニ ソノ ミャクショウヲ ツマビラカニシテ、ソノ カンズル トコロノ ミナモトヲ オスベシ
若中於肝者、人迎與左関上脉、浮而弦、面目多青悪風自汗、左脇偏痛
モシ カンニ アタルモノハ、ジンゲイト ヒダリカンジョノ ミャク、フニシテゲン、メンモクオオクハアオク カゼヲニクミ ジカンシ ヒダリワキ カタヨリイタム
中於心者、人迎與左寸口脉、洪而浮、面舌倶赤、翕翕發熱、瘖不能言
シンニ アタルモノハ、ジンゲイト ヒダリスンコウノ ミャク、コウニシテフ、メンゼツトモニアカク キュウキュウトシ テハツネツシ、インシテ イウコトアタワズ
中於脾者、人迎與右関上脉、浮微而遅、四肢怠堕、皮肉月閠動、身體通黄
ヒニ アタルモノハ、ジンゲイト ミギカンジョノ ミャク、ビフニシテ チ、シシタイダシ、ヒニクシュンドウシ、シンタイ ツウオウナリ
中於肺者、人迎與右寸口脉、浮濇而短、面浮色白口燥多喘
ハイニ アタルモノハ、ジンゲイト ミギスンコウノ ミャク、フショクニシテ タン、オモテウバレ イロシロク クチカワキ オオクハゼツス
中於腎者、人迎與左尺中脉、浮而滑、面耳黒色、腰脊痛引小腹隠曲不利
ジンニ アタルモノハ、ジンゲイト ヒダリシャクチュウノ ミャク、フニシテカツ、メンミミ イロクロク、ヨウセキイタミ ショウフクニヒキ インキョクリセズ
中於胃者、両関脉並浮而大、額上多汗、隔塞不通、食寒冷則泄
イニ アタルモノハ、リョウカンノミャク フニシテダイ、ヒタイニアセオオク、カクフサガッテツウゼズ、カンレイヲショクスルトキハ シャス
凡此風證
オオヨソ コレ カゼノショウニテ
或挟寒則脉帯浮遅
アルイハ カンヲ ハサムトキハ ミャク フニシテ チヲ オブ
挟湿則脉帯浮濇
シツヲ ハサムトキハ ミャク フニシテ ショクヲ オブ
二證倶有則従偏勝者治之
ニショウ トモニ ハサムトキハ ヘンショウノモノニ シタガッテ コレヲチスベシ
用薬更宜詳審
クスリヲ モチイルコト サラニ ヨロシク ショウシン スベシ
若因七情六淫而得者、當先氣調而後治風邪
モシ ナナジョウ リクインニ ヨッテエルモノハ、マズ キヲ トトノエテ シカシテ ノチニ カゼヲ チスベシ
此厳氏至當之論
コレ ゲンヨウワシガ シトウノ ロンナリ
倉卒之際、救此急證
ソウソツノサイニ、ソノ キュウショウヲ スクワバ
宜先以皂角細辛、搐入鼻内、通其関竅
マズヨロシク ソウカクサイシンヲ モッテ、ハナノウチニ ヒネリイレ、ソノ カンキョウヲ ツウジ
次以蘇合香圓擦牙連進
ツギニ ソゴウコウエンヲ モッテ、ハニ スリヌリテ レンシンスルニ
以生薑自然汁並三生飲、俟其甦醒然後
ショウキョウ シゼンシュル ナラビニ サンショウイン モッテ、 ソノ ソセイスルヲ マッテ
次第以順気之類、排風続命之類
シカシテノチニ シダイニ ジュンキノルイ、ハイフウゾクメイノ ルイヲ モッテスベシ
所中在経絡、脉微細者生
ナカニアタル トコロ ケイラクニアッテ、ミャク ビサナルモノハ イク
入干臓腑口開手散、眼合遺尿
ゾウフニ ハイッテ クチヒラキ テヒロガリ メガッシ イニョウシ、
髪直吐沫、揺頭直視
カミタチアワヲハキ、アタマヲ ユスリ チョクシシテ
声如鼾睡者、難治
コエ カンスイノ ゴトキモノハ、ナオシガタシ
又有中之軽者
マタ アタルコト カルキモノ アリ
在皮膚之間、言語微蹇眉角牽引、遍身瘡癬状如蟲行、目旋耳鳴
ヒフノアイダニアリテ、ゲンゴ ビケンシ ビカクケンインシ、ヘンシン ソウセンアリテ カタチノハウガゴトク、メマイ ミミナラバ
又當随随治之
マタ ショウニ シタガッテ コレヲ チスベシ

以上、風論原文・訳文(カタカナ)を終わる。
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第一、風論の訳文

         ※ 訳文文章責任は山口一誠です。

風論の訳文

風は百病の長たり。
故に諸方の首に之を論ず。
岐伯(ギハク)の所謂る大法四あり。
一には偏枯(へんこ)、半身遂ず、
ニには風痱(ふうはい)、身に於て痛み無く四肢収(おさま)らず。
三には風懿(ふうい)、奄忽(えんこつ)として人を知らざるなり。
四には風痺(ふうひ)は諸痺にして風状に類す。
此れ特に其の大概を言う
而(しか)して又卒然として中(あた)らるる者あり
皆気体虚弱、栄衛調を失シ、或は喜怒憂思驚恐労役に由(よっ)て、
以て真気を耗散し腠理(そうり)密ならざるを致シ、邪気虚に乗じて入る
其の中(あた)るに及んで、
重き時(とき)は則ち半身遂(かなわ)ず、
口眼喎斜、肌肉疼痛、痰涎壅盛(たんぜんようせい)ヽ
或は癱瘓(なんかん)不仁、舌強ばりて語らず、精神洸惚として驚愓(きょうとう)恐怖。
治療の法。
當(まさ)に其の脉証を詳(つまびらか)にして其の感ずる所の原(みなもと)を推(お)すべし。
若し肝に中(あた)る者は、
人迎と左の関上の脉、浮にして弦、
面目多くは青く風を悪(にく)み自汗し左脇偏に痛む。
心に中る者は
人迎と左寸口の脉、洪にして浮、
面舌倶に赤く翕翕(きゅうきゅ)として発熱し、瘖(いん)して言うこと能(あた)わず。
脾に中る者は、
人迎と右関上の脉、浮微にして遅、
四肢怠堕(ししたいだ)し、皮肉月閠動(ひにくしゅ んどう)し身体通黄なり。
肺に中る者は、
人迎と右の寸日の脉、浮濇(しょく) にして短、
面浮ばれ色白く口燥多くは喘す。
腎に中る者は、
人迎と左尺中の脉、浮にして滑、
面耳黒色、腰脊痛んで小腹に引き隠曲利せず。
胃に中る者は、
両関の脉並びに浮にして大、
額上に汗多く、隔膜塞がって通ぜず寒冷を食する時は泄す。
凡(およ)そ此(これ)の風証、
或は寒を挟む(兼ねる)ときは脉、浮遅を帯ぶ、
湿を挟む時は脉、浮濇(しょく)を帯ぶ、
二証倶に有る時には偏勝の者に従って之を治すべし。
薬を用いること更に宣しく詳審すべし。
若し七情六淫によって得る者は先(ま)ず気を調(ととの)えて而(しか)して後に風を治すべし。
これ厳氏が至當の論なり。
倉卒の際に此の急証を救わば先ず皂角細辛(そうかくさいしん)を以って鼻の内に搐(ひね)り入れ其の関竅を通じて、
次に、蘇合香圓(そごうこうえん)を以って牙に擦(すりぬり)て連進するに、
生薑(しょうきょう)自然汁並 びに三生飲(さんしょういん)を以って其の甦醒(そせい)するを俟(ま)って、
然して後に次第に順気の類、排風続命の類を以ってすべし。
中(あた)る所(ところ)経絡にあって脉微細なる者は生く。
臓腑に入って口開き手散(ひろが)り眼合(めがっ)し、遺尿し、髪直(た)ち沫(あわ)を吐き頭を揺すり直視して
声鼾睡(かんすい:イビキ)の如き者は治し難し。
又、中ること軽き者有り。
皮膚の間に在りて言語微蹇(びけん)し眉角牽引し、遍身に瘡癬ありて状蟲(かたち)の行(は)うが如 く、目旋(めまい)耳鳴(みみなら)らば、
又証に随って之を治すべし。
風論の訳文を終わります。
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南北経驗醫方大成、一、風論の解説文

                    ※  解説文は山口一誠のオリジナル文章です。

風論の解説文

  • 古(いにしえ)より風邪(かぜ)は万病の元と言われています。
  • 病気の症状を色々と考察する時に「風」から起こる病気は多数ありますから病証論の初めに「風論」書いておきます。
  • 「風」から起こる病気のことを中風(ちゅうふう)と言います。
  • 風が中(あた)るとも表現されて風邪(ふうじゃが)が身体の中に侵入する病気の事です。
  • 黄帝に仕える医学者、岐伯(ぎはく)が「風」から起こる病気、中風(ちゅうふう)の症状を大きく四つに分けて説明しています。
  • 第一は、偏枯(へんこ)という病気の症状です。
    身体の左右いずれかの半身が硬直して利かなく成る状態を言います。
    脳梗塞による半身不随の症状です。
  • 第二は、風痱(ふうはい)という病気の症状です。
    身体が痛むことは有りませんが両手両足を自由に動かすことが出来ずブラブラに成り、そして両足で立つ事が出来ません。
  • 第三は、風懿(ふうい)の症状です。
    俄(にわか)に意識不明になる病気の症状です。
  • 第四は、風痺(ふうひ)という病気の症状です。
    五十肩で肩が上がらないとか、手が痺れてきたとか、手の先だけが利かないとか、膝が痛くて痺れ曲がらないので正座が出来ないとか、 こういつた色々な麻痺全部を含めた症状を物を風痺と言います。
  • 以上の様に「風」から起こる病気の症状、中風(ちゅうふう)を大まかに四つに分けて説明しました。
  • 風邪(ふうじゃ)に犯(おか)されるには、その症状が出る前提条件として身体の内因の状態があります。
  • そしてそれは、身体の内因に弱さ虚がある者に、それは卒然(ソツゼン)として現われます。
  • 「風」の病気が起こる人は気力が弱く身体が虚弱になっています。
  • 身体の内因に弱さ虚がある者は、風邪(ふうじゃ)を跳ね返す気血栄衛(きけつえいえ)が失われている為です。
  • 精神的気苦労から内面的な感情が亢進し、消耗して弱くなると「風」の病気を発病します。
  • これは七情と言い、怒、喜、憂、思、悲、驚、恐、の内因感情の事です。
  • 喜び過ぎると、気が緩(ゆる)み、気が散って減少して「風」の病気になります。
  • 怒るとカーッとなり気が頭に上り、上りつくしてしまうと気が撃(う)たれ「風」の病気になります。
  • 憂(うれ)が大き過ぎると、気が萎(ちぢ)んで胸に集まり「風」の病気になります。
  • 思い考え過ぎて、いろんな物が頭に入り過ぎると「風」の病気になります。
  • 悲しみ過ぎると、気が引き締まり過ぎて、気(き)が急(せ)き「風」の病気になります。
  • 恐れ過ぎると、気が下に下がり、怯(おびえ)「風」のの病気になります。
  • 驚いた時は、ビックリして、何も入って来ないから、気が乱れ「風」の病気になります
  • また、暴飲暴食、長時間の労働、セックスのし過ぎ、遊び過ぎて、気力が弱くなり身体が虚弱になって「風」の病気が起こります。
  • 精神的気苦労、過剰労働・暴飲暴食で心身虚弱になりますと次のような変化が身体に起きて「風邪(ふうじゃ)」が身体に侵入し易くなります。
  • 東洋医学では身体を守っている全ての気の事を「真気」と言います。
  • 精神的気苦労と過剰労働・暴飲暴食はこの真気を消耗します。
  • 真気が消耗されますと、腠理(そうり:皮膚)の毛穴が開いて「風邪(ふうじゃ)」が身体に侵入する訳です。
  • 「風邪(ふうじゃ)」が身体に侵入しますと次のような中風(ちゅうふう)の症状が出ます。
  • 1:中風(ちゅうふう)の症状が極めて重症の時は半身不随つまり脳梗塞の症状が出ます。
  • 2:口眼喎斜(こうがんかしゃ)、これは顔面(神経)麻痺のことで回や眼がゆがむという症状です。顔面(神経)麻痺も東洋医学では風に中ったと考えるわけです。
  • 3:肌肉疼痛(きにくとうつう)、肌肉が痛いっていうのはつまり筋肉痛です。関節の具合が悪いと思って実際には筋肉痛だったという事もありますね。あるいは腱鞘炎なんかの場合もありますね。こういうような物を肌肉疼痛といいまして、痛むという事が即ち風のしわざなんだとこういうわけです。
  • 4:痰涎壅盛(たんぜんようせい)というのは痰がのどにふさがって涎(よだれ)が盛んになるという事で、涎がだらだらと出てのどに痰がつかえてぜいぜいするといった症状です。これも中風の症状です。
  • 5:癱瘓(なんかん)というのは手足に力なくなるという事で、半身不随とは違って弱くなるという事です。
  • 6:不仁(ふじ)というのは痛みやかゆみが分からなく成るという事ですから知覚麻痺という事ですね。
  • 7:舌強ばりて語らずというのは口が利けなくなるという事で、風が心とか脾とか腎に入ると言語が利かなくなります。
  • 8:精神洸惚(せいしんこうこつ)というのは意識があいまいになる事で、でたらめをいったり返事がちぐはぐに成ったりする事です。
  • 9:驚愓(きょうとう)というのは非常に驚き易く成る事で、何にでも驚く事です。
  • 10:恐怖は恐れる事です。
  • 精(せい)衰えれば恐怖し、神(かみ)衰えれば驚愓する、と昔の人は言っています。
  • こういつた事は全て精神(内因)の虚という状態から起こると考えられています。
  • 中風(ちゅうふう)の治療方法の原則を説明します。
  • 脈診を正しく行って、風の邪がどの経絡に入っているのか、
  • どの五臓に邪が入っているのか、
  • いずれの六腑が患(わずら)っているのかを明らかにして治療方針を決めなさいと。
  • 肝に風が中(あた)った時の脉状と症状について説明します。
  • 1:脉状について。
    左手の肝の脉ここが、浮脉(ふみゃく)にして弦脉(げんみゃく)を打っています。
    浮というのは、風に中つた時に現れる脉で、弦というのは肝の脉です。
    ですから浮弦という脉が搏(う)っておれば、どこに搏っていてもこれは肝の証だという事が脉状の上からも考えられるという事です。
    ことに風というのは外邪ですから陽実を起こす訳です。
  • 2:症状について。
    面目多くは青くというのは、「顔と目が青くなる」という事で青は肝の色、目は肝の竅(あな)であるから、これは肝の証である訳です。
    悪風自汗の症状が出ます。、
    悪風というものは暖かいところに入ればふるえは止まる物で、すきま風がずつと入ってきた時にガタガタツとふるえがくるのが悪風です。
    自汗(じかん)というのは、じつとしてても汗がしとしとと出てくるのを自汗といいます。
    風が肝に入った時は左の脇腹が痛みます。
  • 心に風が中(あた)った時の脉状と症状について説明します。
  • 1:脉状について。
    左手の心の脉ここが、洪脉(こうみゃく)にして浮脉(ふみゃく)を打っています。
  • 2:症状について。
    顔と舌が赤色を帯びています。
    「翕翕(きゅうきゅ)として発熱する」とは、とめども無くの意味で、どんどん熱が高くなり止めようがない状態です。
    「瘖(いん)して言うこと能わず」、瘖という字はドモルという意味で、言葉を出すことが出来なくなる程発熱するという事です。
  • 脾に風が中(あた)った時の脉状と症状について説明します。
  • 1:脉状について。
    右手の脾の脉ここが、浮微脉(ふびのみゃく)にして遅脉(ちみゃく)を打っています。
  • 2:症状について。
    「四技怠堕(ししたいだ)」とは、手足がだるくなるという意味です。
    「皮肉月閠動(ひにくしゅ んどう)し身体通黄なり」というのは、皮と肉がぴくぴくと動く事で、身体通黄は全身が黄色くなるという事を言っています。
  • 肺に風が中(あた)った時の脉状と症状について説明します。
  • 1:脉状について。
    右手の肺の脉ここが、浮濇(しょく)脉にして短脉を打っています。
  • 2:症状について。
    顔が浮腫(むくみ)で、顔色は白ぽい。口の中がパサパサしてくる「口燥」の状態があり、多くは咳が出ます。
  • 腎に風が中(あた)った時の脉状と症状について説明します。
  • 1:脉状について。
    左手の腎の脉ここが、浮脉(ふみゃく)にして滑脉(かつみゃく)を打っています。
  • 2:症状について。
    顔面が黒く、耳まで黒色を帯びています。腰痛や背中に痛みが出ます。また、下腹が冷えたり、虚して力なく痛みも出る事もあります。
    また、小便の出が悪くなり、最悪の場合小便が出ないなどの症状になります。
  • 胃に風が中(あた)った時の脉状と症状について説明します。
  • 1:脉状について。
    左右手の胃の脉が共に、浮脉(ふみゃく)にし大脉を打っています。
  • 2:症状について。
    額(ひたい)に汗が出て、食道や胃の上部(、噴門部)あたり、胸につかえを感じがする。
    冷たいものを食べたり飲んだりすると下痢をします。
  • 風証に於いて、風邪(ふうじゃ)に寒邪(かんじゃ)、湿邪(しつじゃ)が加わった時の脉状について説明します。
  • 風邪に寒邪が加わると、その脉状は浮脉(ふみゃく)にして遅脉(ちみゃく:ゆっくりした脉)を打っています。
  • 風邪に湿邪が加わると、その脉状は浮脉(ふみゃく)にして濇脉(しょくみゃく)を打っています。
  • 風邪に更に寒邪・湿邪ともに入り込んだときは、三つの邪のうちどちらが強いか、どちらの邪が患者の体に強い影響を与えているのかという比較をします。
  • 1:風邪の方が強ければ風の治療をします。
  • 2:寒邪が強ければ寒の治療をします。
  • 3:湿邪が強いときには湿の治療をしなければなりません。
  • もし、内因である七情(怒、喜、憂、思、悲、驚、恐)の感情が消耗して弱く虚になっているところに、
  • 外邪である六淫(風邪・寒邪・暑邪・湿邪・燥邪・火邪)邪に侵された時の基本治療法は、
  • 先(ま)ず本治法の気の調整をして、その後に中風の性質に応じた標治法で風の症状を治しなさいと。
  • 内因七情の虚に乗じて外邪六淫が侵入し発病した時は、先(ま)ず気を調(ととの)えて而(しか)して後に風を治す治療原則。
  • これが、古代の心医、厳用和(げんようわ)という漢方師が後世の経絡治療家に伝えている至極当然、至福(しふく)の治療理論なのです。
  • 卒中風(そっちゅうふう:脳卒中)で倒れた緊急患者への漢方薬の治療法について述べます。
    先ず「皂角細辛(そうかくさいしん)」漢方薬を粉にして「紙條(こより)に浸けて」鼻の中にひねり入れて、その関竅を通し、
    それから「蘇合香圓(そごうこうえん)」という漢方薬を牙〔歯ぐき〕に擦りつけます。
    そして、こういった事を繰り返して薬を少しづつ与え続けて目が開いてきたら、徐々に次のような薬を与えて行きます。
    根生姜をすつてその絞り汁に何も加えない自然汁と三生飲(さんしょういん)という薬を与え、
    その甦醒するのを侯ってその後次第に進むるに順気の類、排風続命の類の漢方薬使用して治療を行いなさいと。
  • 風邪(ふうじゃ)が経絡を傷(やぶ)り傷風(しょうふう)の症状に陥た者でも、脉状が微細脉を打っていれば生命は助かります。
  • 風邪(ふうじゃ)が臓腑に中(あた)った中風(ちゅうふう)で症状が重い者について説明します。
    口が開いて手が開いてしまい、眼は塞いだままで、小便が垂れ流しになってしまう。
    さらに、 髪逆立ち口から沫(あわ)を吐き頭を揺すり直視し声は鼾睡(かんすい:イビキ)のように聞こえる。
    といった症状を現す者は予後悪く治りにくです。
  • また、風邪(ふうじゃ)が臓腑に中(あた)った中風(ちゅうふう)でも症状が軽い者について説明します。
    この場合は風邪(ふうじゃ)が皮膚の間に在ります。
    症状は、話す言葉の声が途切れ途切れになります。少し喋っては吃(ども)り、少し喋っては吃り、そして眥(まなじり)が引きつります。
    また、身体に床ずれのようなものが出来て、そしてそれが虫が這うような感じがして、眩暈(めまい)があり、耳鳴がする状態です。
  • こうゆう雑多な症状は、その時の経絡証に随って治療しなくてはいけません。
風論の解説文を終わります。

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南北経驗醫方大成、第一、風論の詳細解説コーナー

風論の原文・訳文・解説。

               ※ 解説文は山口一誠のオリジナル文章です。
原文:風為百病之長
訳文:風は百病の長たり。
解説:
古(いにしえ)より風邪(かぜ)は万病の元と言われています。
原文:故諸方首論之
訳文:故に諸方の首に之を論ず。
解説:
病気の症状を色々と考察する時に「風」から起こる病気は多数ありますから病証論の初めに「風論」書いておきます。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】『風ハ百病ノ長タリ。故二諸方ノ首二之ヲ論ズ』。
これは多くの病気が風から起こることが多いので病証論の初めに書いておく、という事を言っているんです。
原文:岐伯所謂、大法有四
訳文:岐伯(ギハク)の所謂る大法四あり。
解説:
黄帝に仕える医学者、岐伯(ぎはく)が「風」から起こる病気、中風(ちゅうふう)の症状を大きく四つに分けて説明しています。
「風」から起こる病気のことを中風(ちゅうふう)と言います。風が中(あた)るとも表現されて風邪(ふうじゃが)が身体の中に侵入する病気の事です。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】『岐伯ノ所謂ル大法四アリ』。岐伯は風には大きく四つの物があるといっていて、
原文:一曰偏枯、半身不遂
訳文:一には偏枯(へんこ)、半身遂ず、
解説:
第一は、偏枯(へんこ)という病気の症状です。
身体の左右いずれかの半身が硬直して利かなく成る状態を言います。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】『一二ハ偏枯、半身遂ズ、』。偏枯というのは体の半分が硬直して利かなく成る事をいい、
原文:二曰風痱、於身無痛、四肢不収
訳文:ニには風痱(ふうはい)、身に於て痛み無く四肢収(おさま)らず。
解説:
第二は、風痱(ふうはい)という病気の症状です。
身体が痛むことは有りませんが両手両足を自由に動かすことが出来ずブラブラに成り、そして両足で立つ事が出来ません。
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【井上恵理先生の講義解説より】『ニニハ風痱、身二於テ痛ミ無ク四肢収ラズ』。
風痱というのは体に痛みがなくて両手両足が自由に成らなくなった状態で、
偏枯とは違ってぶらぶらになって立つ事が出来なくなるのを四肢収まらず、というんですね。
原文:三曰風懿者、奄忽不知人也
訳文:三には風懿(ふうい)、奄忽(えんこつ)として人を知らざるなり。
解説:
第三は、風懿(ふうい)の症状です。
俄(にわか)に意識不明になる病気の症状です。
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【井上恵理先生の講義解説より】『三ニハ風懿(ふうい)、奄忽(えんこつ)トシテ人ヲ知ラザルナリ』。
奄忽というのは俄(にわか)にとか忽(たちま)ちという意味で、人を知らずというんですから意識不明になる事です。
原文:四曰風痺者、諸痺類風状
訳文:四には風痺(ふうひ)は諸痺にして風状に類す。
解説:
第四は、風痺(ふうひ)という病気の症状です。
五十肩で肩が上がらないとか、手が痺れてきたとか、手の先だけが利かないとか、膝が痛くて痺れ曲がらないので正座が出来ないとか、
こういつた色々な麻痺全部を含めた症状を物を風痺と言います。
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【井上恵理先生の講義解説より】『四ニハ風痺(ふうひ)ハ諸痺ニシテ風状二類ス』。
どうも手が痺れてきたとか、手の先だけが利かないとか、肩があがらなくなったとか、
あるいは膝頭だけが動かないとか、こういつた色々な麻痺全部を含めた物を風痺と言っているんです。
これは「黄帝内経」では風論ではなくて、痺論という篇に載っております。
この前の三つ(偏枯・風痱・風懿)を真中風、あとの一つ(風痺)を類中風と分けたのが先程言った様に「医経溯洄集」を著した王安道である訳です。
原文:此特言其大概
訳文:此れ特に其の大概を言う
解説:
以上の様に「風」から起こる病気の症状、中風(ちゅうふう)を大まかに四つに分けて説明しました。
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【井上恵理先生の講義解説より】『此レ特其ノ大概ヲ言ウ』。以上の四つは風の症状を大ざっぱに述べた物である。
原文:而又有卒然而中者
訳文:而(しか)して又卒然(ソツゼン)として中(あた)らるる者あり
解説:
風」の外邪に犯(おか)されるには、その症状が出る前提条件として身体の内因の状態があります。
そして身体の内因に弱さ虚がある者に、それは卒然(ソツゼン)として現われます。
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解説捕捉:〔卒然とは、事が急に起こるさま。だしぬけ。突然。しゅつぜん:その症状が出る前提条件あり。〕
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【井上恵理先生の講義解説より】『而シテ又卒然トシテ中ラルル者アリ』。
中風の中(なか)に以上のような四つの症状ではなくて卒然として中(あて)てられるものがあるといっています。
原文:皆由氣體虚弱、榮衛失調、或喜怒憂思驚恐労役
訳文:皆気体虚弱、栄衛調を失シ、或は喜怒憂思驚恐労役に由(よっ)て、
解説:
「風」の病気が起こる人は気力が弱く身体が虚弱になっています。
身体の内因に弱さ虚がある者は、風邪を跳ね返す気血栄衛が失われている為です。
また、精神的気苦労から内面的な感情が亢進し、消耗して弱くなると「風」の病気を発病します。
これは七情と言い、怒、喜、憂、思、悲、驚、恐、の内因感情の事です。
喜び過ぎると、気が緩(ゆる)み、気が散って減少して「風」の病気になります。
怒るとカーッとなり気が頭に上り、上りつくしてしまうと気が撃(う)たれ「風」の病気になります。
憂(うれ)が大き過ぎると、気が萎(ちぢ)んで胸に集まり「風」の病気になります。
思い考え過ぎて、いろんな物が頭に入り過ぎると「風」の病気になります。
悲しみ過ぎると、気が引き締まり過ぎて、気(き)が急(せ)き「風」の病気になります。
恐れ過ぎると、気が下に下がり、怯(おびえ)「風」のの病気になります。
驚いた時は、ビックリして、何も入って来ないから、気が乱れ「風」の病気になります
また、暴飲暴食、長時間の労働、セックスのし過ぎ、遊び過ぎて、気力が弱くなり身体が虚弱になって「風」の病気が起こります。
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【井上恵理先生の講義解説より】〔病因〕p22-
『皆気体虚弱、栄衛調ヲ失シ、或ハ喜怒憂思驚恐労役二由テ、』
これは我々が立てた経絡治療の根本原則と相通じています。
どういう事かと言うと、病気になる原因として気体が虚弱である事、つまり生まれながらのいわゆる素因という物、体質・個人差という物を第一に考え、更に気血栄衛のアンバランスや七情の乱れとか労倦といった物を全部病因として扱っています。

原文:以致眞氣耗散、腠理不密、邪氣乗虚而入
訳文:以て真気を耗散し腠理(そうり)密ならざるを致シ、邪気虚に乗じて入る。
解説:
精神的気苦労、過剰労働・暴飲暴食で心身虚弱になりますと次のような変化が身体に起きて「風邪(ふうじゃ)」が身体に侵入し易くなります。
東洋医学では身体を守っている全ての気の事を「真気」と言います。
精神的気苦労と過剰労働・暴飲暴食はこの真気を消耗します。
真気が消耗されますと、腠理(そうり:皮膚)の毛穴が開いて「風邪(ふうじゃ)」が身体に侵入する訳です。
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解説捕捉:
東洋医学にとってこの論説は大変重要です。
身体が正常で守りがしっかりしていれば外邪(風邪)に侵される事は無い訳です。
そこから、経絡治療の根本原則「内因なければ外邪入らず」という考え方が導き出されているのです。
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【井上恵理先生の講義解説より】〔病因〕p22- 『以テ真気ヲ耗散シ腠理(そうり)密ナラザルフ致シ、邪気虚二乗ジテ入ル』
真気というのは我々の身体を守っている所の全ての気の事で、元来生気が足りないという素因の上に栄衛の失調とか内因あるいは労倦といった事によって真気を耗散するという条件が加わり、その結果腠理が緻密である事が出来なくなって風の邪が虚に乗じて入るんだと、こういう訳です。
だからここで経絡治療で根本原則と考える内因なければ外邪入らずという考え方があてはまる訳です。
風が有ってもですね、我々の身体が正常で守りがしっかりしていれば邪に侵される事は無いのであります。
今こうして勉強している様な、古典に記載されている治療法、つまり症状をあげてそれに対する治療をするという考え方、
例えば半身不随に対する治療法あるいは人事不省に対する治療法もありますが、その根本には気体虚弱という我々のよく使う陰虚証という考え方、つまり陰の虚があるから邪が入るという考え方、これが最後に出てくる訳です。
ですから一つ一つの病症の治療法、即ち標治法という物に加えて、本治法的な物の考え方をはっきり認識している事が必要だと思います。
またそれが我々の遣っている治療の特徴でもある訳です。
経絡治療ではこうした体系があって、その中で色々な運用法をするという根本原則を立てている訳です。

原文:
及其中也、
重則半身不遂、口眼喎斜。肌肉疼痛。痰涎壅盛。
或癱瘓不二。舌強不語、精神恍惚驚愓恐怖
訳文:
其の中(あた)るに及んで、
重き時(とき)は則(すなわ)ち半身遂(はんしんかなわ)ず、
口眼喎斜(こうがんかしゃ)、肌肉疼痛(きにくとうつう)、痰涎壅盛(たんぜんようせい)ヽ
或は癱瘓不仁(なんかんふじ)、舌強(したこわ)ばりて語(かた)らず、精神洸惚(せいしんこうこつ)として驚愓(きょうとう)恐怖(きょうふ)。
解説:
「風邪(ふうじゃ)」が身体に侵入しますと次のような中風(ちゅうふう)の症状が出ます。
1:中風(ちゅうふう)の症状が極めて重症の時は半身不随つまり脳梗塞の症状が出ます。
2:口眼喎斜(こうがんかしゃ)、これは顔面(神経)麻痺のことで回や眼がゆがむという症状です。顔面(神経)麻痺も東洋医学では風に中ったと考えるわけです。
3:肌肉疼痛(きにくとうつう)、肌肉が痛いっていうのはつまり筋肉痛です。関節の具合が悪いと思って実際には筋肉痛だったという事もありますね。あるいは腱鞘炎なんかの場合もありますね。こういうような物を肌肉疼痛といいまして、痛むという事が即ち風のしわざなんだとこういうわけです。
4:痰涎壅盛(たんぜんようせい)というのは痰がのどにふさがって涎(よだれ)が盛んになるという事で、涎がだらだらと出てのどに痰がつかえてぜいぜいするといった症状です。これも中風の症状です。
5:癱瘓(なんかん)というのは手足に力なくなるという事で、半身不随とは違って弱くなるという事です。
6:不仁(ふじ)というのは痛みやかゆみが分からなく成るという事ですから知覚麻痺という事ですね。
7:舌強ばりて語らずというのは口が利けなくなるという事で、風が心とか脾とか腎に入ると言語が利かなくなります。
8:精神洸惚(せいしんこうこつ)というのは意識があいまいになる事で、でたらめをいったり返事がちぐはぐに成ったりする訳です。
9:驚愓(きょうとう)というのは非常に驚き易く成る事で、何にでも驚く事です。
10:恐怖は恐れる事ですから、こういつた事は全て精神の虚という状態から起こると考えられています。精衰えれば恐怖じ神衰えれば驚愓する、と昔の人は言っています。
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【井上恵理先生の講義解説より】
『其ノ中(あた)ルニ及ンデ、重キ時ハ則チ半身遂ズ、口眼喎斜、肌肉疼痛、痰涎壅盛(たんぜんようせい)ヽ或ハ癱瘓(なんかん)、不仁、舌強バリテ語ラズ、精神洸惚トシテ驚愓(きょうとう)恐怖。』
風に中ると重い物は半身不随になる、つまり俗にいう中風という症状になるわけですね。
それから口眼喎斜、これは顔面(神経)麻痺のことで回や眼がゆがむという症状です。
顔面(神経)麻痺も東洋医学では風に中ったと考えるわけです。
それから肌肉疼痛。肌肉が痛いっていうのはつまり筋肉痛です。
関節の具合が悪いと思って実際には筋肉痛だったという事ありますね。
あるいは腱鞘炎なんかの場合もありますね。
こういうような物を肌肉疼痛といいまして、痛むという事が即ち風のしわざなんだとこういうわけです。
痰涎壅盛(たんぜんようせい)というのは痰がのどにふさがって涎(よだれ)が盛んになるという事で、涎がだらだらと出てのどに痰がつかえてぜいぜいするといった症状です。
これも中風の症状です。
癱瘓(なんかん)というのは手足に力なくなるという事で、半身不随とは違って弱くなるという事です。
不仁というのは痛みやかゆみが分からなく成るという事ですから知覚麻痺という事ですね。
それから舌強ばりて語らずというのは口が利けなくなるという事で、風が心とか脾とか腎に入ると言語が利かなくなります。
精神洸惚(こうこつ)というのは意識があいまいになる事で、でたらめをいったり返事がちぐはぐに成ったりする訳です。
驚愓(きょうとう)というのは非常に驚き易く成る事で、何にでも驚く事です。
恐怖は恐れる事ですから、こういつた事は全て精神の虚という状態から起こると考えられています。
精衰えれば恐怖じ神衰えれば驚愓する、と昔の人は言っています。

原文:治療之法。當詳其脉證、推其所感之原
訳文:治療の法。當(まさ)に其の脉証を詳(つまびらか)にして、其の感ずる所の原(みなもと)を推(お)すべし。

解説:

中風(ちゅうふう)の治療方法の原則を説明します。
脈診を正しく行って、風の邪がどの経絡に入っているのか、どの五臓に邪が入っているのか、いずれの六腑が患(わずら)っているのかを明らかにして治療方針を決めなさいと。

つまり、
中風の治療は
病症を十二経の変動として捉え、そのうち何れの経が主となってその病を起こしているかを判定し、それによって治療の基本方針を打ち立てるのです。
そして最終的に、脈診脉証によって治療方針が決定されるのです。
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【井上恵理先生の講義解説より】『治療ノ法、當(まさ)二其ノ脉証ヲ詳ニシテ其ノ感ズル所ノ原ヲ推スベシ』。
で、こうした物を治療する方法としては、当(まさ)にその脉証を審(つまびら)かにしてその感ずる所の源を推すべし、と述べられております。
風の邪がどの経絡に入っているのか、どの臓に邪が入っているのか、いずれの腑が患(わずら)っているのか、その邪気が感じているところを推し求めて治療しなければならない。
ここに脉証の必要性が出て来るわけです。
ただ風邪であるとか熱があるとか、こういう事だけでどこに治療するというのではなくて詠証を審らかにして肝虚なら肝虚で治療すべきで、
胆実なら胆実、肺虚なら肺虚、肺虚肝実なら肝実、そういうような治療法則を詠証に求めて、
そしてその症状に其づいて治療を進めなければならないと、こういう事を言っている訳です。

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この後、五臓即ち肝心脾肺腎に風が中(あた)った時の症状と脉証という物が書いてあります。
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※ 脈を診る場所。橈骨動脈と橈側手根屈筋腱の位置。図gbm30を参照 前腕部、リンクしてご覧あれ。
http://yukkurido.jp/keiro/sisn/kiru/myk/
原文:若中於肝者、人迎與左関上脉、浮而弦、面目多青悪風自汗、左脇偏痛
訳文:若し肝に中(あた)る者は、人迎と左の関上の脉、浮にして弦、面目多くは青く風を悪(にく)み自汗し左脇偏に痛む。
解説:
肝に風が中(あた)った時の脉状と症状について説明します。
1:脉状について。
左手の肝の脉ここが、浮脉(ふみゃく)にして弦脉(げんみゃく)を打っています。
浮というのは、風に中つた時に現れる脉で、弦というのは肝の脉です。
ですから浮弦という脉が搏(う)っておれば、どこに搏っていてもこれは肝の証だという事が脉状の上からも考えられるという事です。
ことに風というのは外邪ですから陽実を起こす訳です。
2:症状について。
面目多くは青くというのは、「顔と目が青くなる」という事で青は肝の色、目は肝の竅(あな)であるから、これは肝の証である訳です。
悪風自汗の症状が出ます。、
悪風というものは暖かいところに入ればふるえは止まる物で、すきま風がずつと入ってきた時にガタガタツとふるえがくるのが悪風です。
自汗(じかん)というのは、じつとしてても汗がしとしとと出てくるのを自汗といいます。
風が肝に入った時は左の脇腹が痛みます。
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【井上恵理先生の講義解説より】『 若し肝に中(あた)る者は、人迎と左の関上の脉、浮にして弦、面目多くは青く風を悪(にく)み自汗し左脇偏に痛む。』
〔肝〕p23-
まず肝に中る物は、人迎と左関上の脉が共に浮にして弦である。これは脉証を述べている訳ですが、
ここでいう「人迎」とは経脉篇で述べられている人迎気口ではなくて、王叔和が「脉経」の中で言っている人迎の事です。
つまり左手の寸後・関前一分を入迎とし、右手の関前一分を気口と名づけ、そしてこれを人迎気口の脉と呼ぶんだと「脉経」には述べられている訳です。
ですから首のところにある人迎(胃経)の事ではないとお考えいただければ宜しいです。
左関上の脉というのは六部定位における左関上、つまり肝の司るところを言っている訳で、ここが浮にして弦であるという事です。
脉状という物がこのように各部に配当されて述べられていると、この関上の脉だけが浮にして弦であるというふうに考えがちなんですね。
他の方はどうなってるんだとこう理屈っぱく出たくなるんです。
ところが実際には浮という脉がある以上ですね、関上だけが浮であるという事は言えない訳です。
例えばこれを別な脉状でいいますと、左手関上の脉数という事が書かれてあったとしても、左手関上の脉だけが数で他の脉が遅なんてことはない訳です。数なら全部数なんです。
こういう文章は臨床的に考えていかないと意味が分かって来ないんです。
ここで述べられているのはどういう内容かというと、いわゆる我々のとっている六部定位脉診によって、左関上の脉に病気があるという診断が立った上で、しかも浮にして弦なる場合は……という事なんです。
浮というのは、風に中つた時に現れる脉で、弦というのは肝の脉です。
ですから浮弦という脉が搏(う)っておれば、どこに搏つていてもこれは肝の証だという事が脉状の上からも考えられるという事です。
ことに風というのは外邪ですから陽実を起こす訳です。
風に陰実なんて物ないんですから肝の実なんて事はあり得ない訳です。
そうすれば肝が虚しているというのが当たり前なんで、そういう風に風は外邪なり、外邪は陽実なり、という事を頭に入れて考えていかないと、この文章は正しく理解が出来ない事になってしまいます。
面目多くは青くというのは、顔と目が青くなるという事で青は肝の色、目は肝の竅(あな)であるから、これは肝の証である訳です。
悪風自汗、悪風というのは悪寒とは違いますね。
悪寒というのは大きな熱が出る前にガタガタふるえてきて寒気がしてしようがないという状態で、いくら暖かくしても例えばストーブなんかに寄ってもあるいは蒲団をかぶつて寝ても湯たんぽを入れても、ガタガタふるえるのが悪寒。
これに対して悪風という物は暖かいところに入ればふるえは止まる物で、すきま風がずつと入ってきた時にガタガタツとくるのが悪風です。
これは皆さんも経験があると思いますが、かぜを引いた時にひよいと外に出るとブルブルッと震える事があります。これが悪風です。
自汗(じかん)というのは、暖かいところにいたからとか暖かい物を食べたからとかあるいは動いたから汗が出るというのではなくて、じつとしてても汗がしとしとと出てくるのを自汗といいます。
このような症状と風邪との関係について考えてみますと、まず悪風というのは風邪の邪に傷(やぶ)られた時に多く現れる(悪風自汗ハ諸臓ノ風症ニ皆アリ)症状です。
次に自汗ですが、これは栄衛と関係していまして寒さに傷られると栄(血)が傷られ風に傷られると衛(気)が傷られる、窓口を傷られる。
だから汗が出るという訳です。
左の脇偏に痛む。偏に痛むというのは片方の脇腹が痛むという事で、ここでは風が肝に入った時は左の脇腹が痛むという事を言っています。
原文:中於心者、人迎與左寸口脉、洪而浮、面舌倶赤、翕翕發熱、瘖不能言
訳文:心に中る者は、人迎と左寸口の脉、洪にして浮、面舌倶に赤く翕翕(きゅうきゅ)として発熱し、瘖(いん)して言うこと能(あた)わず。
解説:
心に風が中(あた)った時の脉状と症状について説明します。
1:脉状について。
左手の心の脉ここが、洪脉(こうみゃく)にして浮脉(ふみゃく)を打っています。
2:症状について。
顔と舌が赤色を帯びています。
「翕翕(きゅうきゅ)として発熱する」とは、とめども無くの意味で、どんどん熱が高くなり止めようがない状態です。
「瘖(いん)して言うこと能わず」、瘖という字はドモルという意味で、言葉を出すことが出来なくなる程発熱するという事です。
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【井上恵理先生の講義解説より】『 心に中る者は人迎と左寸口の脉、洪にして浮、面舌倶に赤く翕翕(きゅうきゅ)として発熱し、瘖(いん)して言うこと能(あた)わず。』
〔心〕p25-
心に中るものは人迎と左の寸口(すんこう)の脉洪にして浮。
ここで一言っている人迎も左手関前一分のところで診る人迎の脉であり、左寸口の脉というのは心の脉の事で、これが洪にして浮であるという事です。
面舌倶(とも)に赤く、先程の肝の外候が日であるように舌は心の外候であり赤は心の色で、顔と舌が赤くなる。
翕翕(きゅうきゅ)として発熱する。
翕翕というのはとめどもなくという意味にとればいいですね(注・翕ハ表熱ノ盛ナルヲ云ウー大成論)。
瘖(いん)して言うこと能わず、瘖という字はどもるという意味で、言葉を出すことが出来なくなる程発熱するという事です。
で、ある古書にはこの場合いわゆるうわ言を言うという様に書いてあるようです。
原文:中於脾者、人迎與右関上脉、浮微而遅、四肢怠堕、皮肉月閠動、身體通黄
訳文:脾に中る者は、人迎と右関上の脉、浮微にして遅、四肢怠堕(ししたいだ)し、皮肉月閠動(ひにくしゅ んどう)し身体通黄なり。
解説:
脾に風が中(あた)った時の脉状と症状について説明します。
1:脉状について。
右手の脾の脉ここが、浮微脉(ふびのみゃく)にして遅脉(ちみゃく)を打っています。
2:症状について。
「四技怠堕(ししたいだ)」とは、手足がだるくなるという意味です。
「皮肉月閠動(ひにくしゅ んどう)し身体通黄なり」というのは、皮と肉がぴくぴくと動く事で、身体通黄は全身が黄色くなるという事を言っています。
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【井上恵理先生の講義解説より】『 脾に中る者は、人迎と右の関上の脉、浮微にして遅、四肢怠堕し皮肉月閏動し身体通黄なり。』
〔脾〕p25-
脾に中るものは人迎と右の関上の脉が浮微にして遅。
そして四技怠堕じというのですから、手足がだるくなるという意味です。
皮肉駆動しというのは皮と肉がぴくぴくと動く事で、身体通黄は全身が黄色くなるという事を言っている訳です。
原文:中於肺者、人迎與右寸口脉、浮濇而短、面浮色白口燥多喘
訳文:肺に中る者は、人迎と右の寸口の脉、浮濇(しょく) にして短、面浮ばれ色白く口燥多くは喘す。

解説:

肺に風が中(あた)った時の脉状と症状について説明します。

1:脉状について。
右手の肺の脉ここが、浮濇(しょく)脉にして短脉を打っています。
2:症状について。
顔が浮腫(むくみ)で、顔色は白ぽい。口の中がパサパサしてくる「口燥」の状態があり、多くは咳が出ます。
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【井上恵理先生の講義解説より】
『 肺に中る者は、人迎と右の寸日の脉、浮濇(しょく) にして短、面浮ばれ色白く口燥多くは喘す。』
〔肺〕p25-
肺に中るものは人迎と右の寸口の脉、浮濇にして短。
浮は風の脉で、濇脉は渋る脉のことで濇と短は肺の脉です。
前の脾のところで脉状は微となっていますが、これを緩と書いている古書もある訳です。
面浮ばれというのは顔が浮腫む、腫ればったくなるという事です。
そして色が自くなってきて口が燥く、のどが渇くのと口が燥くのとは違いますよ。
のどが渇くというのは水が飲みたくなる状態で、これは「咽渇(おうかつ)」といい、口の中がパサパサしてくるのを「口渇」あるいは「口燥」といいます。
多くは喘(ぜつ:せき)す。肺に風が中るとたいてはぜりつく。で、多くは嗽(そう)すと書いた本もあります。
咳というのは声あって物(痰)ありという症状で、水気を含むところから腎にかかわるといわれています。
嗽は声あって物なしという症状で、痰が出てこない、気だけ泄れるという事で肺の物だと言われます。
この喘という言葉は二通りに使われていまして、咳嗽通じて喘と呼ぶ場合と、ただ単にぜりつく、つまり喘息の発作時にみられるぜえぜえといつた呼吸を言っている場合とあります。
このぜりつくという症状は吸う息にも吐く息にも現れるわけで、これは陰陽共に虚という事を意味しています。
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〔呼吸の陰陽〕p26-
どういうことかというと吸う息は陰の気による働き、吐く息は陽の気によるものと言われております。
そしてこのぜりつくというのは吸う時にもぜえ、吐く時にもぜえ、両方でぜえぜえいっているのですから陰陽共に虚であるという事になります。
これに対して咳というのは呼気(こき)、吐く息の時だけの症状で、吸う咳なんてものはないんです。
このように呼吸というものは陰気不足とか陽気不足とかいったものも表しているんです。
欠伸(あくび)というものは咳とは反対に陰気不足による異常呼吸でして、
欠伸する時に息を吐きながらする人いないんで、「ふあ〜っ」と大きく吸うんですね、だから陰気が不足しているとこう考えるんです。
吐く息のくしゃみ、それから嗽、これは陽気不足という事です。
こういう風に生態におけるさまざまな現象を我々はいつでも陰と陽という風に考えながら診断をしなくてはいけないんですね。
で、これは咳嗽(がいそう)・喘息(ぜんそく)だけじやなくて、人によっては吸う息と吐く息とのアンバランスになっている場合もあるんです。
我々は脉を診ながら患者の呼吸を候いますが、その時に吐く息が「はあ〜」と長く出て吸う息が「ひゅっ」と短くなっている人がいるんです。
患者の中にはね。
それから今度は反対に吸う息を「ひゅ〜っ」と長くして吐く息は短く「はっ」とやっている人もいますね。
そういった事も病人をよく観察していると分かるはずです。
呼気と吸気、即ち呼吸における陰陽を診ることが出来るという訳です。
で、人が死ぬ時には必ずこういうような状態、つまり吸う息か吐く息かのどち心かの一方にだけになって死んで行くんです。
片方になっちやだめなんです。
これを陰陽孤立せずと昔は言ったんです。
つまり陰と陽は片方だけでは成り立たない、陰と陽が調和じて初めて森羅万象全てのものが成り立つという意味で、こういう事を言っている訳です。
で、これは色々な意味にとることが出来ると思います。
男一人じゃ子供出来ないんだからヽじや女がいくら自分が子供産むんだって言ったって、
一人じや出来ないんだから……。
これも陰陽孤立せずという事ですね、あらゆるものが陰陽調和ですね。
俺は右手を使うんだから左手なんていらねえんだなんて言ったってこれ、左手が無かったらうまく行かないんです。
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〔呼吸の虚実〕p26-
呼吸に関してもう一つ大切なことは、息を吸つたり吐いたりする時には我々の身体は実したり虚したりするという事です。
これも考えなくちやいけないですね。
息を吸った時には体は実してくるんです。
吐いた時には我々の体は虚しているという事です。
やっぱりそこに虚実があるんです。
だから吐く息だけが多くなるというのは即ち虚だけが成り立つという事ですね、蓄えることが出来なきや出すだけだという事になります。
お金でもそうですね、取るだけ取っといて貯めておきや必ず悪いことが起きるんです。
取ったり使ったりする所にお金の価値があるんです。
皆さんも取ったら大いに使うべきです。
ある道徳家なんかが言うには、金というものは使う為に取るんじやないんだそうです、あれね。
じやどういう事かっていうと、取るから使うんだそうです使うから取るんだそうです。
使わない人におよそ金の貯った人ないんです。必ず一代限りです、取りっばなしにすると。
誰か使う人が後から出てくるんです。
子供がね……。おやじの貯めた金を使う子供が必ず出てくる訳なんです。
それよりゃこっちで使ってた方がいいんです。使ってりや入って来るんです。
使って入ったお金は今度使う人は出て来ないんです。
あまり貯めるとこりゃ必ず使う人が出てくるから気をつけないと。
だから全てはこの道義的に言っても利他的でなくちやいけないんですね。
他人を利するが為に我々は治療をしなくちやいけない。
他人を利するという事が根本的な信仰の土台にもなるんですね。
杉山先生のところ行ってお願いするのに、どうかおれんとこ金儲かるようにつて願うかも知らん、みんなはね。これは利己的信仰ですよ。
そんな事みんなでやってごらんなさいよ神様やり切れないから。どうでもなれって事になるんです。
そうでしよ、おれにも金おれにも金って……。
例えば浅草の観音様に真面目な奥さんがお参りして、うちの息子がどうか道楽しないようにって願つても、片方で待合の女将さんがどうか道楽息子来るようにつて願ってたりするんです。
そしたら神様どっちに旗揚げたらいいか分からないわけです、勝手にしやがれって事になってしまうんです。
これを同じ願うならね、どうか私が金を払えるようにして下さいって願うんです。
これは利他的信仰と言うんですね。
利己的つまり自分を利するが為の信仰でなくて、他人に迷惑をかけない様に、どうか私は使う金に不自由しないようにって願うんです。
これは利他的信仰なんです。
払うのには金を与えなかったら払えないだから、
あの人来て一生懸命払えるように払えるようにって願つてたから、あいつに一つ金やってやろうて事になるわけです。
神様これなら訳ないんですね。
どつから入るか知らんけど、ともかく払えるようにして遣ればいいんです。
結局そういう意味で呼吸という物にも我々は常に陰陽あるいは虚実といった考えを持っていなくちやいけないっていう事ですね。
原文:中於腎者、人迎與左尺中脉、浮而滑、面耳黒色、腰脊痛引小腹隠曲不利
訳文:腎に中る者は、人迎と左尺中の脉、浮にして滑、面耳黒色、腰脊痛んで小腹に引き隠曲利せず。
解説:
腎に風が中(あた)った時の脉状と症状について説明します。
1:脉状について。
左手の腎の脉ここが、浮脉(ふみゃく)にして滑脉(かつみゃく)を打っています。
2:症状について。
顔面が黒く、耳まで黒色を帯びています。腰痛や背中に痛みが出ます。また、下腹が冷えたり、虚して力なく痛みも出る事もあります。
また、小便の出が悪くなり、最悪の場合小便が出ないなどの症状になります。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】『 腎に中る者は人迎と左尺中の脉、浮にして滑、面耳黒色、腰脊痛んで小腹に引き隠曲利せず。』
〔腎〕p28-
腎に中る物は人迎と左の尺中の脉浮にして滑、そして面耳黒色なり。顔と耳が黒くなる。腰脊痛み小腹にも来るという事です。それから隠曲利せず。
隠曲というのは前陰道、即ち小便の出る穴っていう事です。これが出なくなる、小便が少なくなるっていう事ですね。
原文:中於胃者、両関脉並浮而大、額上多汗、隔塞不通、食寒冷則泄
訳文:胃に中る者は、両関の脉並びに浮にして大、額上に汗多く、隔膜塞がって通ぜず寒冷を食する時は泄す。
解説:
胃に風が中(あた)った時の脉状と症状について説明します。
1:脉状について。
左右手の胃の脉が共に、浮脉(ふみゃく)にし大脉を打っています。
2:症状について。
額(ひたい)に汗が出て、食道や胃の上部(、噴門部)あたり、胸につかえを感じがする。
冷たいものを食べたり飲んだりすると下痢をします。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】『 胃に中る者は両関の脉並びに浮にして大、額上に汗多く、隔塞がって通ぜず寒冷を食する時は泄す。』
〔胃〕p28-
それから今度は腑の中では特別に、胃が風に中った場合が書かれています。
胃に中るものは両関の脉並びに浮にして大。
ここでは両関の脉と書かれてあって人迎という言葉は出て来ないんです。
というのは胃の脉はこれは陽脉ですね、今までの五臓の脉っていうのはこれは陰にある脉、即ち我々が指を沈めてこれを候うところの脉証であるから人迎の脉が入っているが、この胃の脉というのは陽脉であるから風がここに入ると両方の関脉が並んで浮にして大になるという訳です。
(注・胃ノ脉ハ脾卜倶二右関ヲ主ルト雖モ、脾胃ハ中宮ヲ主ルガ故二両関亦倶二胃脉ヲ候フベシトスー大成論)。
額上に汗多く。
額に汗が出て、そして膈噎(かくいつ)の病というのがこの「大成論」にも、あるいは「鍼灸重宝記」なんかにも出ておりますが、隔の病というのは食道の下の方の病、噎の病といえば食道の上の方の病をいいます。
言い換えれば食道の狭窄とか食道に潰瘍が出来ているというのは噎の病、隔の病というのは胃の上部即ち噴門部あたりの病気という事になります。
で、ここが塞がつて通ぜずというのは実際に塞がって通じないんじやなくて、自覚的につまったような感じのする事なんです。
よくご飯を食べた時胸につかえるつていう事がありますね。
実際にはつかえてはいないんだけど、何かつかえたような感じがする。
つかえているから食べ物が入っていかないんだと訴える人があるとすれば、これは隔塞がって通ぜずという症状である訳です。
それから寒冷を食する時は泄っす。
冷たいものを食べたり飲んだりすると下痢をする、という事です。
¨
ここまでが風が五臓と一腑に中った時の〔中風(ちゅうふう)〕病症と脉証であります。
原文:凡此風證
訳文:凡(およ)そ此(こ)の風証、
解説:風証に於いて、風邪に寒邪、湿邪が加わった時の脉状について説明します。

原文:或挟寒則脉帯浮遅
訳文:或は寒を挟む(兼ねる)ときは脉、浮遅を帯ぶ、
解説:風邪に寒邪が加わると、その脉状は浮脉(ふみゃく)にし遅脉(ちみゃく:ゆっくりした脉)を打っています。¨
【井上恵理先生の講義解説より】
風邪だけが単独で入った場合は前に述べたような症状だけを現わすのですが、
風証に寒証を兼ねるとき、風寒といって風が入ってしかも寒の邪も入った場合には、脉が浮遅、即ち遅くなってくるんです。
前の浮脉(風邪だけが入ったとき)よりも遅くなってくるから分かります。

原文:挟湿則脉帯浮濇
訳文:湿を挟む時は脉、浮濇(しょく)を帯ぶ、
解説:風邪に湿邪が加わると、その脉状は浮脉(ふみゃく)にし濇脉(しょく みゃく)を打っています。¨
【井上恵理先生の講義解説より】
それから湿証を兼ねるときには今度は風湿といいますね。
このときは脉は浮濇(しょく)を帯びる。

原文:二證倶有則従偏勝者治之
訳文:二証倶に有る時には偏勝の者に従って之を治すべし。
解説:
風邪に更に寒邪・湿邪ともに入り込んだときは、三つの邪のうちどちらが強いか、どちらの邪が患者の体に強い影響を与えているのかという比較をします。
1:風邪の方が強ければ風の治療をします。
2:寒邪が強ければ寒の治療をします。
3:湿邪が強いときには湿の治療をしなければなりません。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】〔二証を兼ねる場合〕p29-
更に寒湿ともに入り込んだときは偏勝の者に従ってこれを治せよと書かれております。
脉証からみてもこういう事になりますし、それから例えば風寒というものが入ったというような状態でも、
二つの邪のうちどちらが強いか、どちらの邪が患者の体に強い影響を与えているのかという比較ですね。
風の方が強ければ風の治療をするし、寒が強ければ寒の治療をしなくちやいけない。
湿が強いときには湿の治療をしなければならない。

原文:用薬更宜詳審
訳文:薬を用いること更に宣しく詳審すべし。
解説:漢方薬を選薬する時は、風邪・寒邪・湿邪の有り様をさらに詳しく考察して患者に適合した処方をしなさいと。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】で、薬を用いる人は尚更これを詳(つまびら)かにしなくてはいけない、というんです。
原文:若因七情六淫而得者、當先氣調而後治風邪
訳文:若し七情六淫によって得る者は先(ま)ず気を調(ととの)えて而(しか)して後に風を治すべし。
解説:
もし、内因である七情(怒、喜、憂、思、悲、驚、恐)の感情が消耗して弱く虚になっているところに、
外邪である六淫(風邪・寒邪・暑邪・湿邪・燥邪・火邪)邪に侵された時の基本治療法は、
先(ま)ず本治法の気の調整をして、その後に中風の性質に応じた標治法で風の症状を治しなさいと。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】〔七情の乱れによるもの〕p29-
『若し七情、六淫によって得る者は當(まさ)に先(ま)ず気を調えて而(しか)して後に風を治すべし。』
若し七情六淫によって得る者は先ず気を調(ととの)えて、而(しか)して後に風邪を治すべし。
七情・六淫という言葉がありますが、岡本上抱子なんかは六淫というもの(風暑寒湿燥火)をここに入れるのは誤りではないか、という考えを持っているようであります。
つまり、「七情によってこれ(風邪)を得るものは…」とすれば、意味がはっきりするというんです。
(注。つまり、六淫の最初に掲げられている風の邪そのものが、風邪の入る原因になるのはどうも変だ、風の邪を除いた五淫とすれば話が通る。と、「大成論」に書かれています。)
七情によってというのは、内因があってという意味です。
風邪は外因でありますが、内因があってそして風邪が入ったときは最初に気を調えて、その後に風邪を治するの法を取るべきであるという事をいつています。
風邪だけだからといって、すぐに瀉法(しゃほう)を用いるという様な過ちを犯すなと、そういった誤ちをすると患者の気をやぶつてしまう事になるのだと、こう言うんです。
これは大綱的に考えられる事でありまして、我々のやっている経絡治療なんかではいわゆる内因が無ければ外邪は入らないという一つの法則を立てておりますので、この七情の乱れというものがあるが故に外邪に侵入されるんだという考え方から、実際の治療の場においても本治法『即ち七情を治するの法』を行って後に色々な風邪の治療を行うべきである、という事になります。
だからこれは風邪だけではなくて、寒においても湿においてもそうですね。
外邪を駆逐するという事については、我々は一応瀉法をもつてその目的を達するという事が原則でありますね。
しかし、内に七情の乱れがあって外邪が入ったのだという事を考えに入れておけば無闇に潟法は行えない訳ですね。
先ず補って後に瀉(しゃ)すという方法を採る訳です。
○〔補瀉(ほしゃ)論〕p30-
ところが実際に風邪の治療をやつていますと、これは瀉法をしなくちやならんなと思えるような症状であっても、
陰を補っていると、つまり内七情が傷られているという考え方で五臓の脉を整える方法をとると、
特別カゼに対する処置をしなくても案外カゼが自然治癒する事が多いのであります。
ことに心因労傷つまり精神的な疲れがあって、そしてカゼを引いた場合には尚更こういう方法をとらなければいけない様です。
あるいは労倦つまり働き疲れてカゼを引いたという時は、案外瀉法だけで宜しい様であります。
で、この浦法だけでいい場合と、補法を用いなければならない場合と、どういう風に区別するかと言いますと、まず基本的には本治法(補法)を行って後、瀉法を用いるという事を原則として考える訳です。
しかし何が何でもそうするべきだというのではなくて、あまりに熱が高くて悪寒なんかが甚だしくて、そして頭痛とか身体が痛いといった症状が強く現れた場合、とりあえず瀉法を先に行って患者の苦痛を早く取り除いてやる事が必要です。
○〔症状の軽重と病の軽重〕p30-
これはどういう事かと言いますと、我々の生体という物は一つの刺激に対する反応作用を持つている、という事ですな。
つまり症状が強いという事は、決してその病気が重いからという訳じゃないんです。
これは誤解しやすいんですね。
症状が強いととかく病気が重いと考えがちなんです。
ところが実際には症状が強く現れるという事は、むしろ生体にまだそれだけ力があるという事なんです。
だから潟法を最初にもつて行っても差し支えないんです。
ところが、症状が軽いと、とかく我々は病気が軽いと診誤ることがあるんです。
カゼを引いたんだが熱も出ないという様な物は、その人の体が弱っている、つまり虚しているという事なんです。
例えば常に丈夫だという人がカゼを引いた時ほど熱が出るはずですが、反対に結核なんかの場合は体が弱ってから熱が出るので微熱しか出ないんです。
そういう意味で症状の軽菫によってその病気が軽いか重いか判断なさらない方が宣しいという事ですね。
O〔患者に対する注意〕p31-
そしてこれは患者にもそういった事を納得させる必要があるんですね。
患者という者はとかく気まぐれなもんでね。
症状が少しでも軽くなると治ったと思い勝ちなんです。
我々のところへ来て治療して少し良くなると「先生、お陰で治りました」ってこう言うんです。
「まだ治らねえよ」と私は言うんですが、そうすると「いや、もうそれでも楽になった」とこう言うんです。
「楽になったと治ったのとでは違うんだ、最も楽になるのは死ぬ時だぞ」と私は言ってやるんです。
死ぬことが一番楽なんだから、そんなのは楽のうちに入らない、と言ってやるんですが…。
とかく間違いやすい。
ところが患者が間違うんじやなくて、治療家が間違っちゃう事があるんですね。
もう何年も耳鳴りがしているなんて患者でもね、ちょっと治療しただけで、すっと治っちやう事があるんです。
すると患者が「あっ、耳が治りました」って言うもんで、
こっちも調子に乗ってそうれ見ろって…。そうれ見ろって言っている内に、また後から悪くなっちやうんです。
それで「先生、この間のとおりにして下さい」なんていわれたってなかなか治らないんです。
だから症状が一つ位とれたからつて嬉しがらしちゃいけないし、嬉しがっちや尚(なおさら)いけないんです。
ところが少し良くなるとこっちも頭に乗ってしまってね、それ見ろって言いたくなるんですよね。
ところが今申し上げたような事がとかくあるので、臨床的にはよっぽど考えなくちやいけないんです。

原文:此厳氏至當之論
訳文:これ厳氏が至當の論なり。
解説:
内因七情の虚に乗じて外邪六淫が侵入し発病した時は、先(ま)ず気を調(ととの)えて而(しか)して後に風を治す治療原則。
これが、古代の心医、厳用和(げんようわ)という漢方師が後世の経絡治療家に伝えている至極当然、至福(しふく)の治療理論なのです。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】
で、今申し上げたような、まず気を調えた後にカゼの治療をするという考え方は、
厳用和(げんようわ)という人の書いた「済生方」に述べられている至極当然の論説に見られるという訳です。
原文:
倉卒之際、救此急證、宜先以皂角細辛、搐入鼻内、通其関竅、
次以蘇合香圓擦牙連進、
以生薑自然汁、並三生飲、俟其甦醒然後、
次第以順気之類、排風続命之類
訳文:
倉卒の際に此の急証を救わば先ず皂角細辛(そうかくさいしん)を以って鼻の内に搐(ひね)り入れ其の関竅を通じて、
次に、蘇合香圓(そごうこうえん)を以って牙に擦(すりぬり)て連進するに、
生薑(しょうきょう)自然汁並 びに三生飲(さんしょういん)を以って其の甦醒(そせい)するを俟(ま)って、
然して後に次第に順気の類、排風続命の類を以ってすべし。
解説:
卒中風(そっちゅうふう:脳卒中)で倒れた緊急患者への漢方薬の治療法について述べます。
先ず「皂角細辛(そうかくさいしん)」漢方薬を粉にして「紙條(こより)に浸けて」鼻の中にひねり入れて、その関竅を通し、
それから「蘇合香圓(そごうこうえん)」という漢方薬を牙〔歯ぐき〕に擦りつけます。
そして、こういった事を繰り返して薬を少しづつ与え続けて目が開いてきたら、徐々に次のような薬を与えて行きます。
根生姜をすつてその絞り汁に何も加えない自然汁と三生飲(さんしょういん)という薬を与え、
その甦醒するのを侯ってその後次第に進むるに順気の類、排風続命の類の漢方薬使用して治療を行いなさいと。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】〔卒中の治法〕p31-
(注・「倉卒の際に…」から「排風続命の類を以ってすべし。」までは卒中風の治法―湯液―が述べられている。
「皂角細辛(そうかくさいしん)」「蘇合香圓(そごうこうえん)」「生薑(しょうきょう)自然汁」「三生飲(さんしょういん)」「順気」「排風続命」は湯液の名称。)
「倉卒の際にこの急証を救わば、」
倉卒の際というのは咄嗟(とっさ)の場合という意味で、その急証を救うには、
先ず「皂角細辛(そうかくさいしん)」薬を粉にしまして「紙條(こより)に浸けて」鼻の中にひねり入れて、その関竅を通し、
(注・卒中風のときは患者は目を開じたままで薬を飲ませる事が出来ないので、このようなやり方で口を開かせるのだと「大成論」に述べられている)。
それから「蘇合香圓(そごうこうえん)」という薬を牙〔歯ぐき〕に擦りつけるんですね。
そして、こういった事を繰り返して薬を少しづつ与え続けて目が開いてきたら、徐々に次のような薬を与えて行きなさいという訳です。
即ち、「生薑(しょうきょう)自然汁並 びに三生飲(さんしょういん)」
生菫というのは、これは生姜ですね。
根生姜をすつてその絞り汁に何も加えないものを自然汁といいます。
これと三生飲(さんしょういん)という薬を与え、その甦醒するのを侯ってその後次第に進むるに順気の類、排風続命の類を以つてすべし。と、
以上は湯液について述べたものですね。
原文:所中在経絡、脉微細者生
訳文:中(あた)る所(ところ)経絡にあって脉微細なる者は生く。
解説:
風邪(ふうじゃ)が経絡を傷(やぶ)り傷風(しょうふう)の症状に陥て者でも、脉状が微細脉を打っていれば生命は助かります。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】〔感・傷・中― ○「傷」〕p32-
中(あた)る所、経絡にありて脉微細なる者は生く。
即ち風邪でも感冒は(皮膚)・傷風(経絡)中風(臓腑)とあるわけですが、この傷風の場合にはですね、脉微細なる者は生きるというんです。
その反対に脉洪大の者(註:脉急大数疾を現す者)は死ぬすです。
原文:入干臓腑口開手散、眼合遺尿、髪直吐沫、揺頭直視、 声如鼾睡者、難治
訳文:臓腑に入って口開き手散(ひろが)り眼合(めがっ)し、遺尿し、髪直(た)ち沫(あわ)を吐き頭を揺すり直視して声鼾睡(かんすい:イビキ)の如き者は治し難し。
解説:
風邪(ふうじゃ)が臓腑に中(あた)った中風(ちゅうふう)で症状が重い者について説明します。
口が開いて手が開いてしまい、眼は塞いだままで、小便が垂れ流しになってしまう。
さらに、 髪逆立ち口から沫(あわ)を吐き頭を揺すり直視し声は鼾睡(かんすい:イビキ)のように聞こえる。
といった症状を現す者は予後悪く治りにくです。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】○〔中〕p32-
風邪が臓腑に入った時、即ち中風ですな、口が開き手散じ眼合(めがっ)し、遺尿し、つまり口が開いて手が開いてしまい、眼は塞いだままで、〔小便が〕垂れ流しになってしまう。
さらに、 髪直〔逆立ち〕〔口から〕沫(あわ)を吐き頭を揺すり直視し声は鼾睡(かんすい:イビキ)のように聞こえる。
といった症状を現す者は治りにくいと言っています。
原文:又有中之軽者
訳文:又、中ること軽き者有り。
解説:
また、風邪(ふうじゃ)が臓腑に中(あた)った中風(ちゅうふう)でも症状が軽い者について説明します。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】〔感〕p32-  中(あた)ること軽き者有り
原文:在皮膚之間、言語微蹇眉角牽引、遍身瘡癬状如蟲行、目旋耳鳴、
訳文:皮膚の間に在りて言語微蹇(びけん)し眉角牽引し、遍身に瘡癬ありて状蟲(かたち)の行(は)うが如 く、目旋(めまい)耳鳴(みみなら)らば、
解説:
この場合は風邪(ふうじゃ)が皮膚の間に在ります。
症状は、話す言葉の声が途切れ途切れになります。少し喋っては吃(ども)り、少し喋っては吃り、そして眥(まなじり)が引きつります。
また、身体に床ずれのようなものが出来て、そしてそれが虫が這うような感じがして、眩暈(めまい)があり、耳鳴がする状態です。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】〔感〕p32-
皮膚の間に在りて言語微蹇(びけん)し眉角牽引す。
言語微蹇(びけん)というのは声が途切れ途切れになると言う事です。
少し喋っては吃(ども)り、少し喋っては吃り、という状態です。
そして眥(まなじり)が引きつりという状態です。
遍身に瘡癬ありて状蟲(かたちむし)の行(は)うが如し、目旋(ま)い耳鳴らば、當に証に随って之を治すべし。
身体に床ずれのようなものが出来て、そしてそれが虫が這うような感じがする。
それから目が回る、耳鳴がする・・・

原文:又當随随治之
訳文:又証に随って之を治すべし。
解説:
こうゆう雑多な症状は、その時の経絡証に随って治療しなくてはいけません。
¨
【井上恵理先生の講義解説より】〔感〕p32-
といった症状を起こす場合には、當(まさ)に証に随ってこれをすべしといっている訳で、
こうゆう雑多な症状は一つ一つこれは腎だとか肝だとかいう様な区別がつかないから、即ちその時の証に随って治療しなくてはいけないと、こうゆう事を言っている訳です。
—————————————
 以上で「南北経驗醫方大成」における「風論」を終わります。
〈参考文献〉【井上恵理先生の講義解説より】
この「風論」をの講義をするに当たって、大体次のような古典を参考にしました。
「内経」、「甲乙経」、「諸病源侯論」、「古今医統」、「景岳全書」、「医学正伝」、「玉機微義」、「東医宝鑑」、「万病回春」
———————————

〔井上恵理先生が風論解説で述べられた古典参考文〕

  • 黄帝内経・素問・霊枢(こうていだいけい・そもん・れいすう)「風論」という項目と「玉機真臓論」という項目
  • 「素問」王泳注・台湾本
  • 「脈要精微論 」
  • 「千金方」 孫 思邈(そん しばく、541年? – 682年?)は、中国唐代の医者、道士。生年は541年、581年とも。中国ないし世界史上有名な医学者、薬物学者、薬王とも称 …
  • 「甲乙経」」という本はこれは「内経」を解説する本.
  • 「諸病源候論」、これはご承知のとおり病証論の原典とも言われている本で、ここでは風の状態を二十九種類あげております。
  • 「景岳全書」。これは「類経」を著した張介賓という人の書いた本ですが、これなんかにも非常に難しく風の論が述べられておりまして、ここでは人風と言って八つの方角にあてはめて述べています。
  • 「医学正伝」これは「諸病源候論」から引いて唐の時代に書かれた本ですが、これには風が臓腑に中つた時の状態が書いてある。
  • 「万病回春」
  • 「玉機微義」これは劉宗厚という人が書いた本ですが、これは論を中心として書かれた本でありまして、色々な人の書いた中風に関する論をあげています。
  • 「原病式」(素問玄機原病式)これは劉可間が書いた本で、ここでは熱論を中心に論を進めていて、風も熱に基づく物であるという説がとられています。
  • 「丹渓心法」という本は朱丹渓の説をまとめた本ですが、ここでは湿が痰を生じ痰が熱を生じ熱が風を生ずという考え方がされていて、痰という物を中心に考えている訳であります。
  • 「医経溯洄集」を書いた王安道
  • 「済生方」厳用和(げんようわ)
  • 日本においては
    曲直瀬 道三(まなせ どうさん)の「啓迪集(けいてきしゅう)」
    丹波康頼の「医心方」や
    岡本一抱の「病因指南」
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〔風論考察古典参考知識〕

〔風論(ふうろん)を考察するに当たって経絡治療が知っておくべき古典について、井上恵理先生が風論講義前文で話された内容です。〕

南北経驗醫方大成による病証論、一、風論(ふうろん)・井上恵理先生・講義録。p11-

 感冒・傷風・中風について。

一般に「かぜ」と言いますが、実は後世「風」の証を「中風」という言葉で表している様であります。
「中風」というのは「風」の邪が臓に中(あた)ったもので、
もう少し浅くなって経脉をこれが傷(やぶ)ったものを「傷風(しょうふう)」と呼んでいます。
傷寒論の傷の字が即ち、邪が経脈を傷つた状態です。
それから更に浅くなって腠理(そうり)、つまり皮膚ですね。
皮膚の面を冒したもの、これを「感冒(かんぼう)」と言うんです。
「感」(感冒)・「傷」・「中」というのは結局、病の深さを表わす言葉であって、
「風に冒(おか)される」という事には変わりは無い訳です。

かぜと風〕p11-

ところで、これからは一つ皆さんは現在日常的に使っている「かぜ」という言葉から離れてものを考えないと、
本当の意味が解かつて来ないんであります。
我々は普段「かぜを引いた」という表現をしますね。しかし、
この場合の「かぜ」という言葉は俗言でありまして、
東洋医学でいう「風」でないものまで一‥かぜ」と呼んでいる場合が随分あるんです。
また「風」証であるのに「かぜ」と呼んでいない場合も多くある様であります。
ですからここでは、「かぜを引いた」時の「かぜ」とは思わないで、
「風」という物を別に(五邪の一つとして、またそれによって起こる病証として)考えながら、
この講義を聞いて頂かないと解からなくなってしまいますよ.
また風というと、フーッと吹いてくる物理的な風を連想するかも知れませんが、これもまた別なんです。
大体「動く気」と考えると良いです。
風は「震」という東方に位する動くことを司る卦に配当されます。
気が動くことによって起ころ一つの現象と考えればいいですね。
こういうものを風だと考えると宣しいと思います。
黄帝内経・素問(こうていだいけい・そもん)に
「風論」という項目と「玉機真臓論」という項目がありまして、
これにどういう事が書かれているかというと「風は百病の長たり」とあります。
いわゆ「風」が変化すると百(たくさん)の病を起こすという事を言っています。
で、風は五臓を傷(やぶ)るなり、中風は風の人を傷るなり、
あるいは寒熱をなし、あるいは熱中をなし、あるいは寒中をなし、
冷風(ふるえ)をなす、あるいは偏枯(へんこ)をなす、とあります。
偏結というのは偏(カタカタ:片方)が痺れるという事で半身不随を意味します。

感冒について〕p12-

 風を、それが人体を侵した深さの面で見ていきますと、
まず腠理(そうり)に入ったもの、これは先程言ったように感冒といいます。
風が皮膚の中に入ったときは、内通ずることを得ず、
つまり衛気が中に通じることが出来ないし、外にこれを洩らすことも出来ない。
内外の交流がつかないという事は、外に洩らしてしまえば邪にはならないし、
内に入ってそして消耗されてしまえば邪にならないが、内に通ぜず外にも洩らせないから、
即ち風という証になるんだとこう言うんです。
実する時にはこれ熱をなす。
これは皆さんよく知っていますね。
ところが、虚する時には、これはかえつて冷えをなすんです。
今の俗言には冷えるかぜなんてありやしないんですね。
ところが冷える「風」があるんです。
たとえば腹を下したとか、あるいは手足が冷たくて寝られないとか、小便が近いとか、そういつたものは冷えなんです。
そしてそれらが皆、風によつて起こっているんです。
実証を呈する場合、腠理(そうり)が閉じるから熱を出すんで。
ということは、我々の皮膚が本当に健康ならば邪を受けないのだけれど、
色々な原因で疲れて皮膚の守りが弱くなった所に風が入る。
ところが風が入つてもそれほど衰弱していなければ、これは熱となって表れる。
熱は実証なりというのは、いういう訳なんです。
ここで実証と言っているのは虚中の実ということを意味しているのです。
どういう事かというと、いわゆる風に入られるという事は虚なんです。
しかし邪は入ったけれどこれに対して抵抗する力があるから熱になるんです。
これを実と言います。
だから虚中の実という事になるんです。
体が本当に弱り切今ていれば実証には絶対にならないんです。
ある程度まで虚していて、そこに外邪が入ったから実証になるんです。
これが外邪性(風)のものと内因性のものとの相違なんです。

内因性の病証〕p13-

内因によるものとは、いわゆる内七情に傷られ、精神を労傷し、
精神的過労という状態からひき起こされるので、これは虚証になるのが建前です。
所がこれに反して実証になる場合があって、これは感情的偏勝である訳です。
例えば虚があって、それによって片方が旺気して実証を呈するという意味で、
こういう偏勝の場合、感情的興奮が起こるんです。
これは奥さん方に聞くと分かるんだが、旦那さんが疲れて来ると怒りっぱくなって、むずかしいこと言うでしょう。
「このおかず食えねえ」とか「まずい」とか……あれはどっか疲れてるからなんです。
あれが一つの偏勝なんです。
そういう時には「うちの人、情が無い」なんて思わないで、「ああ病気に成ったんだな」と思えばいいんです。
まあなかなかそういう風には考えられないがね。
話を風論の方に戻しますと、先程言ったように外開じるときは熱をなす(実)のに対して、
腠理(そうり)開くとき(虚)は、しゃあしゃあとして寒をなす。
外邪に中(あた)っても最も虚した体になっていると、熱を出すことが出来なくなって今度は冷え症になる。
大体において、この寒する時にはどういう症状が主に起こるかというと、食欲が不振になる。
意識が朦朧(もうろう)として考えがまとまらなくなり、不眠症を起こす。
これらは気が虚してしまった事、つまり「気虚」によって起こるのです。
かぜを引いたから胃腸が悪くなるというのではなくて、風によって気虚という状態になり、それで食欲が不振になるという考え方なんです。
それから反対に熱が銀るという場合は、
これは肌肉を消すといつて皮膚と筋肉の艶や弾力が無くなった状態で、これは血が傷られる事によって起こるのです。
血が傷られているから外邪に入られ、一方で気によつて熱が出てくると、こういう訳なんです。
このように風による感冒の中にも、気と血という考え方で熱をなす場合と、
冷えて食欲不振になる場合とがある、という事を一つ考えて頂きたいと思います。

傷風:しょうふう〕p14-

それから今度は風が経脈に入った時の症状に就いて見ていこうと思います。

〔1〕陽明の病証

太った人の場合、風の気が外に泄れる事が出来ないで、即ち熱中して目が黄色くなる。
痩せた人の場合、気が泄れて寒をなす。即ち寒中して涙出る。
という事が黄帝内経・素問の風論に書いてある訳です。
結局、黄色という色をなす事で風の邪が経脈に入ったと考える事が出来るんだという事です。
こういった症状は太った人に多くみられ、痩せた人には少ない。
風の邪が外に泄れないで経脈の中に熱をなすという事を考えてみますと、黄疸という症状がありますね。
あれなんかの時に即ち熱をなして食欲不振になり、体が黄色くなって目が黄色くなる。
あるいは体が黄色くならなくても目が黄色くなる事がありますね。
ああ言った症状が、風が経脈に入って、しかも外に泄らす事が出来ない(太っていて腠理が密である為)時の病症だという訳です。
一方、同じように風の邪が経脈に入っても痩せている人の場合は、腠理が荒い為に気が外に泄れてしまうので、
寒中して涙が出てしようが無くなるという訳です。

 

〔2〕太陽の病証・衛気。

風が太陽と倶に入れば諸脈(経脈)と兪穴に出てくる。
そして分肉の間に散じて、衛気とその気道が通じなくなって肌肉が腫れて痛み瘍をなす事がある。
それから衛気凝(こお)ることあって行かざれば不仁(麻痺)をなす。

 

〔3〕営血 営血が傷られると、

(注、「素問」王泳注・台湾本には、血與(と)営気とある)
熱欝して鼻柱がやぶれて、皮膚がかゆくなってやぶれるといった症状を起こします。
で、脈要精微論に、脈風になって厲(れい)を為すと記されています。
これらの物も、衛気と営血におけるつまり気を傷られた時と、血を傷られた時の病態が書かれている訳です。

中風:ちゅうふう〕 p14下段-

次に風が臓腑に入るとどうなるか、
風が五臓六腑に中(あた)る物もこれまた風という。
各々その門戸に入りて中られる時は偏風になる。
偏風というのは前にも述べました偏枯と同じで、風が五臓に入ると半身不随になるという事ですね。
いわゆる今で言う中風・脳溢血・脳軟化症といった症状になって偏(片方)の手が効かなくなる。
という物がやはり風に中ったという状態である訳です。
こういう様な所から、後世、風というと「中風」、いわゆる風に中られるという様な言い方をされるようになって来たのであります。

表・裏〕p15-

この他に、風の邪が表にある物と裏にある物との分け方があります。
いわゆる脳風という物とそれから眼風・目風という物がある。
脳風というのは大体後頭にくる物を言い、風府・脳戸というツボがありますが、あのあたりに風が入って、
後頭が重くなるという症状を起こす物を言います。
それから前頭にきた場合には目風といい、目が寒くなったり目が痛くなったりあるいは瘙(かゆ)くなったりする。
こういつた物も風の邪によって病変が頭部に起きた病で、これを表にきた病といいます。

〔その他〕p15-

 それから、その他には漏風というのがある。
これは酒を飲んで風にあたり、あるいは酒を飲んで汗が多く出た状態で薄着をして寝ると、この漏風という病気になる。
このため、これは酒風ともいい、また、ご飯を食べる時に汗が多く出てそして風になる場合がありますが、これも漏風といいます、
(汗出如液漏、故日漏風)。
で、その主な症状ですが、汗があまり多く出すぎると喘息を起こすことがある。
それから悪風といって風を憎むようになる。
そして目が渇き、のどが渇く、さらに事を労すること能わずというのですから、仕事をする気にならなくなる。
こういつた物が漏風の症状としてあげられます。
それから内風というのがあります。
この内風を起こすようになれば、
これは非常に幸せかも知れんが、夜、房に入りて汗出でて風に中れば即ち内風をなす、
(内耗其精、外開腠理(そうり)、因内風襲、故国内風)。
また腸風飧泄(ちょうふうそんせつ)というのがあって、これは腸に風が入って起こる症状で大体痛みと下痢を起こします。
次に泄風(セツフウ)ですが、
これは風が腠理に入って汗が多く出て、そして夜泄(もれ)れて(泄れるように汗が出て)目中が渇き、
体がだるくなり仕事をするのが嫌になって、体の節々が痛みをなす。これを泄風といいます。
それから首風というのが有って、
これは湯ざめの風といわれる物です。 新(あらた)に沐浴して風に中った時に起こります。
この病の特徴は、 一般的な風の症状が出る前に次のような症状が激しく出るという事です。
つまり頭や顔に多く汗が出て悪風し、頭が痛み以って内を出だすベからずといった症状が、
一般のかぜ症状に先だって激しくなり、その風の目に至りて少しく癒ゆ、という事ですから、
風の症状が臨てくると少し楽に成るという事です。
これはどういう事かと言いますと、お湯に入るとカーッとのぼせ上って汗がしんじんと出て気持が悪くなる事があります。
これが風の前の症状で、それから一日経つとかえって本当の風の状態になって、先の不快感が軽くなるという事を言っているんです。
この他には、五臓の風という肺の風・腎の風・肝の風・心の風・脾風という分け方があります。
それから、ここに「千金方」という本が有りまして、
この本ではそういった各症状は別にしまして、ほとんどこれを中風といった、即ち半身不随といった様な症状で物を見ている傾向がある様です。
で、「甲乙経」という本はこれは「内経」を解説する本でありまして、これは大体今私が申し上げた様な症状的な物に並べて書いている様であります。

中風の治療〕p16-

 それから「医学正伝」という本には、中風に対する治療法が書いてあります。
中風で汗なくして悪寒するこれは膀洸経の至陰から瀉血すれば良いとあります。
次に中風、汗(あせ)あって悪寒する物、これは風府というツボに鍼をすれば良い。
中風汗なくして体熱して悪寒のしない物、これは陥谷、 厲兌(れいだ)に鍼をすれば良い。
陽明経の賊邪を瀉すんだという考え方ですね。
それから中風で汗なくて体の冷える物、これは脾経の隠白に鍼をすれば良いとあります。
また中風で汗があって熱のない物、これは腎経の太谿(たいけい)を刺せば良い。
中風、六経混とんとしている物、これは少陽・厥陰 にかかわる物であり、症状としては痙攣を起こしたり、麻木といって全然利かなく成ったりする。
こういう物には、厥陰肝経の井穴・大敦 (だいとん )、その経の過ぐる処を刺すとあります。
太敦というツボはご承知のように「大趾の三毛の中にあり」というのですから、
あれから内側に弧形を描いてですね、爪甲根部から来る線との合わせ目にずっと経がある訳でして、その過ぐる処という訳です。
だから太敦というツボは一定に決められないんだと考えて良い訳ですね。
それから少陽胆経の懸鐘(けんしょう)別名:絶骨(ぜつこつ)・ 髄会(八会穴の一つ)絶骨に灸をして以てその熱をひく、とあります。
少場経の絶骨というのは胆経の絶骨を言っているのであって、これが陽輔であるのか懸鐘であるのかはその人によって違うんですね。
骨の尽きる所なら良いんでして、太った人なら懸鐘、痩せた人なら陽輔になる訳です。
絶骨という名前が出たならば、どこそこのツボというのではなくて下から押し上げて行って骨の無く成った処が絶骨だと、そういう風に考えて良いと思います。
治療法というのはですね、こういった症状にはこういうツボにこうするんだと古典に記載されていてもですね、
我々の行う経絡治療は証に随つて治療するのですから、その時にどの経が実しているか虚しているかに依って治療法が決められるんです。
ただ汗が有るとか無いとかで虚とか実とか決めるんじやないですね。
こういう症状は、こういう経絡の変動が考えられ、こういった治療法が有るという古典の知識があって、
そして実際の臨床では我々は別の診断によつて、症状だけで決めてしまう訳ではないのだから、
ほかの診断法(四診)を使って虚か実かを決めて、虚ならば補い実ならば潟すんだと、こう考えればいい訳です。
この「医学正伝」に書かれている治療法を実際に臨床で遣ってみて良いかどうかは、
私もまだ遣った事がないんで分からないんですが、
古典に書かれている事を、こういつた事柄がこういう本に出ているんだと皆さんに説明すると、
他の方(病因や病証)はあんまり興味はないけど、ツボの名前があがると興味が出てくるんでしょ、それじゃ駄目なんです。
他の方を覚えなさい。
ツボの事なんか覚えなくて良いんだから。
そんな事で良いんなら経絡治療はいらないです。

五邪〕p17-

 六淫の邪、あるいは五邪と言われますが、
風暑寒湿燥火とある内の、この火邪に就いては後世あまり論じられなくなってきます。
これはどうしてかと言うと、昔は、穴居生活といって穴の中で焚き火を焚いて、寒気を防いでいたんです。
その為に家の中で使っている火にあたり過ぎ、邪を受けひらる「火邪」が存在したんです。
所がだんだんと世の中が開けてくると、そういった生活にも工夫が加わったせいか、
火気にあたって病気になる事が無くなった為だと思いますが、後世に於いてはこの火邪は、病証論の中にあまり採り入れられていないのであります。
それからもう一つ「燥邪」、
これは中国には存在するんですが、この医学が日本に入って来てからは燥邪は外邪の中から取り除かれています。
というのは、日本では燥(かわき)の邪を受けるような季節も風土もない訳であります。
土地がら湿気が多すぎる位でありまして、湿気が多いので燥(かわき)にあって病気になる事がない為か、日本に於いてはこの燥邪はあまり採り入れられていない様であります。
それで日本では風寒暑湿と、この四つの邪が主として考えられています。
しかし基本的には燥の邪も存在するのだという知識を一応持っていないと、
この治療法がこれから海外に進出していった場合、例えば皆さんがジヤカルタやフイリピンあたりに行って治療をする時に燥邪なんてそんなもん無いんだからつて採り上げなかったら、これはおかしな物になってしまう訳です。
有る物は有るとして採り上げる事、これが臨床なんです。
無い物を採り上げるのはこれは臨床じやないんです。
そういう点において我々の研究すべき範囲をはっきり自分達が認識して、こういう物からこういう物だけは臨床上必要だという事を考えながら研究を進めて行かないと、とんでもない脇道に行ってしまい何も取らずに終わってしまうという事があり得るのであります。

風論諸論〕p18-

さてこの風論でありますが、
黄帝内経・素問には「風は百病の長たり」と書かれております。
風という物は空気の動く状態を言った物ですから、そもそも空気という物が森羅万象の中に存在じ生きとし生ける物が空気が無くては生きて行けないのと同じ様に、風は全ての物を支配する力を持っているという意味から、「風は百病の長たり」と言われる訳です。
また、風は他の三つの邪即ち、暑寒湿と共に四時(四季)に応ずるという意味で重要な要素であるという訳です。

〔1〕風が衛気と営血に入った時、

気と血を傷る時の状態が、また風論には書いてあるんです。
風が太陽と倶に入れば諸脈即ち兪(ゆ)に出(い)ず、つまり経脈の中の兪穴に出てくる。
そして膨らんで分肉の間に散じて(分肉の間は衛気の守る所)その気通ぜず。
その道通ぜず肌肉燌月真(ふんしん)する。肌肉とは現在でいう筋肉と考えればいい訳で、これが燌(いきどお)り、月真(はれ)るというのですから筋肉が堅くなるという意味です。
そして瘍をなす。これは吹き出物が出てくる事です。
衛気凝ることあって行かず、故に不仁する事あり。
つまり体を守る気が侵されてしまうからそのために凝る所ができて経脈が流れなくなって、不仁(感覚がなくなる)を為すんだという訳です。

〔2〕風が営気を侵した場合は、

熱欝ありて鼻柱ただれ、色敗れ皮膚が瘍潰すると書かれております。
熱欝というのは、熱が外に出ないで体の内側に入ってしまう事で、外から触れたのでは熱を感じないが脉は数になっている状態です。
それから鼻柱ただれるというのは、鼻の穴がただれるという事で、だから鼻水が出てくる訳です。
で、鼻水が出るかぜは、臨床的に診ましても熱欝していることが多いので外には熱が出て来ませんね。
鼻カタルでもって発熱したってのは無いんです。
鼻カタルを起こしている時には発熱していないんです。
それでは熱が無いかというと実は内側に熱がある訳で、脉が数脉に成る訳です。
色敗れ、というのは皮膚の艶がなくなる事です。
瘍潰するというのは、瘍(はれ物)が出来て潰(つぶれ)るというのだから、何か吹き出物が出来るという事だと思います。

〔3〕偏枯というのは、

いわゆる現代医学で言うところの動脈硬化症から来た脳溢血あるいは脳軟化症といった病気から起こる半身不随で、東洋医学ではこれを風の邪による物だと考えている訳です。
こういう事を言うと、頭の血管が破れるのがなぜ風なんだと、こう理屈っぽく考えてしまい勝ちですがね。
そういう風に考えちやいけないんです。
風を治すという治療で偏枯を治すことが出来る、という意味で偏枯が風の病症に含まれているんです。
東洋医学はどこまでも治療という立場から物を考えているので、「なぜ」という疑問に答えるために考えたんじやないんです。
この病気とこの病気はこういった治療をしたら治るという事で、そういう分け方をしているんです。
たとえば疝気(せんき)・スンバコという言葉がありますね。
腰から腹にかけて痛くなる病気を男では疝気、女ではスンバコ(寸白)と言っています。
疝(せん)・積(しゃく)・癥瘕(ちょうか)瘤療という言葉を昔の人は使っていますが、あの疝気・スンバコという病名には色々な病気が含まれているんです。
たとえば睾丸炎の場合、腰腹神経痛の場合、坐骨神経痛の場合、腸疝痛の場合、あるいはラッパ管炎の場合、子宮内膜炎の場合……あらゆる物が含まれておりまして、これらの物を同じ言葉で表わしているんです。
つまりこれは、疝気、スンバコといつた症状を治す一定の治療によって治っていく病気は全部一つにまとめてあるんです。
それが睾丸炎であろうが子宮内膜炎であろうが腸疝痛であろうがおかまいなしです。
治すという事によって統一された一つの病症名、即ち昔の病名という物が疝気・スンバコという言葉に表わされているのと同じ意味で、
この偏枯という病名は風が臓腑に中(あた)つた為に起こった物だという考え方によって治療する事の出来る一連の病症を意味しているんです。
つまり、病の原因である風を治してやる事が偏枯の治療になるといった、そういった症状を指している訳で、そのため偏枯が風の病証の中に含まれている訳です。
以上申し上げてきた物は、
黄帝内経・素問の「風論」、「玉機真蔵論」などから引っ張り出した風の論でありますが、これが基本となって後世いろいろな本が風を説いています。
「諸病源候論」、
これはご承知のとおり病証論の原典とも言われている本で、ここでは風の状態を二十九種類あげております。
ここで一つ一つあげていると一年かかっても終わらないので、二十九種類あるということを覚えておいていただければ宜しいと思います。
それから「景岳全書」。
これは「類経」を著した張介賓という人の書いた本ですが、これなんかにも非常に難しく風の論が述べられておりまして、ここでは人風と言って八つの方角にあてはめて述べています。
〔1〕一つは大弱風といって南方より来たる風で、心に入り熱を主るといいます。
〔2〕その次は謀風といい西南方より来る風で脾に入り衰弱を主る。
〔3〕次に剛風、西方より来たる物で肺に入り燥(かわく事)を主る。
〔4〕その次は折風、西北方より来る風で小腸に入る。 脉絶する時は溢(こぼ)し脉閉する時は結にして通ぜず、よく暴死する。これは一番恐ろしい風ですね。
〔5〕それから大剛風というのは北方より来る風で腎に入り寒を主る。
〔6〕凶風というのは東北方より来る物で、大腸経に入り両脇の骨の下といいますから季肋部ですね。それから手足の関節に来る風です。
〔7〕嬰児風(えいじふう)は東方より来る物で肝に入り湿を主る。
〔8〕そして弱風は東南方より来る風で胃に入り体の重くなる事を主る……
といつた具合に、八風に分けているのであります。
それから「医学正伝」という本がありまして、
これは「諸病源候論」から引いて唐の時代に書かれた本ですが、これには風が臓腑に中つた時の状態が書いてある。
で、この「医学正伝」の論が後世あらゆる本にとりあげられて、そしてこの証に随つて治療することが行なわれていたようであります。
「万病回春」という本にもこの「医学正伝」の説が採り入れられている様ですし、
日本においては、
曲直瀬 道三(まなせ どうさん、永正4年9月18日(1507年 10月23日)の「啓迪集(けいてきしゅう)」にもこの論法があげられておりますし、
それから丹波康頼の「医心方」や岡本一抱の「病因指南」にもこの説がとられています。
○〔風論諸譲〕p20-
「玉機微義」という本がありまして、これは劉宗厚という人が書いた本ですが、これは論を中心として書かれた本でありまして、色々な人の書いた中風に関する論をあげています。
例えば風論については先程申し上げた「素問」の風論を弾いて岐儀の説として挙げてあります。
それから「金置要略」、これは「傷寒論」の雑病篇を張仲景がまとめた物ですが、ここではまず邪が絡に入ってそれから経に入って、そして腑に入って臓に入るという病伝変が書いてあります。
「千金方」は孫 思邈(そん しばく)が書いた本ですが、これにはあとで「大成論」をやる時に言いますが、風に対する四つの処方が書かれております。
それから「原病式」(素問玄機原病式)これは劉可間が書いた本で、ここでは熱論を中心に論を進めていて、風も熱に基づく物であるという説がとられています。
それから李東垣の説を引いて病は全て気の変動による物であり、自ら病む物であるという論が述べられております。
「丹渓心法」という本は朱丹渓の説をまとめた本ですが、ここでは湿が痰を生じ痰が熱を生じ熱が風を生ずという考え方がされていて、痰という物を中心に考えている訳であります。
また、「医経溯洄集」を書いた王安道という人が、それまで色々な症状がごちやごちやになってひとまとめにされていた中風という物を初めて真中風と類中風とに分けて考えるようにしたため、以降この分け方が多くの本に採り入れられるようになりました。
また厳用和(げんようわ)という人の「済生方」には中風はまず気を調える事によって治るんだという説が述べられております。
「儒門事親(じゅもんじしん)」を著した張子和(張従正(ちょうじゅうせい))という人は、中風を治するにはまず汗を出させる事、吐かせる事、下す事の三方を併用しなくては治らないというような書き方をしています。
こうした論は他にもたくさんありますが、私がこういった事を講義しますと、先生はいつも臨床を中心に考えろつて言うのに何だこれは臨床に何の関係もないじやないか、とこう来るだろうと思うのだがね。
ところが、こういった理論を知った上で臨床をやつていれば、これから皆さんが風という物に関するいろいろな説を見たり聞いたりした時迷わないですむから、こういつた事を言うんです。
今いくつかの風の論を紹介しました様に、かぜに対する考え方もその時代によって色々変って来ている訳です。
それと中国って国は非常に広い訳です。
例えば寒について考えると、中支の方は寒いけど南の支那は暑いので傷寒なんて物はないんです。
だから、向こうの方の人はそんなこと本に書いていないんです。
だから寒については傷寒論一つで片付いてしまうんです。
ところが風という物は南方にも北方にもどこにでもあるんです。
だからその時その所によつて、色々な説を立てちやう訳ですな。
こういった風の論を見るとどれも最っともらしい事が書いてあつて、これのうちどれが本当に当てはまるのかという事に成る訳で、非常に取捨選択が難しいんであります。

以上で山口一誠のPC入力、「南北経驗醫方大成」における「風論」を終わります。
2016.8.9.記載HPアップしました。
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これより以下の文章は、

2012.年4月に・・ HP記載アップした文章です。

4年前の文書も何か参考になればと思いそのまま掲載をいたします。

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井上恵理先生の講義録「南北経驗醫方大成による病証論」を取り上げるHPコーナーです。

「南北経驗醫方大成による病証論」の概要を山口一誠なりに分類と纏めを試みてみます。

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南北経驗醫方大成(ノンボクケイケンイホウタイセイ)による病証論: 井上恵理先生講義録

一、 風論

 ノート番号 c311-1

「南北経驗醫方大成 一、風論」の原文

風為百病之長。
故諸方首論之。
岐伯所謂。大法有四。
一曰偏枯、半身不遂。
二曰風痱、於身無痛、四肢不収。
三曰風懿者、奄忽不知人也。
四曰風痺者、諸痺類風状。
此特言其大概。
而又有卒然而中者。

皆由氣體虚弱、榮衛失調、或喜怒憂思驚恐労役。
以眞氣耗散腠理不密。邪氣乗虚而入。

及其中也、重則半身不遂、口眼喎斜。肌肉疼痛。痰涎壅盛。或癱瘓不二。
舌強不語、精神恍惚驚愓恐怖。
治療之法。
當詳其脉證推其所感之原。

若中於肝者、人迎與左関上脉、浮而弦、面目多青悪風自汗、左脇偏痛。
中於心者、人迎與左寸口脉、洪而浮、面舌倶赤、翕翕發熱、瘖不能言。
中於脾者、人迎與右関上脉、浮微而遅、四肢怠堕、皮肉月閠動、身體通黄。
中於肺者、人迎與右寸口脉、浮濇而短、面浮色白口燥多喘。
中於腎者、人迎與左尺中脉、浮而滑、面耳黒色、腰脊痛引小腹隠曲不利。
中於胃者、両関脉並浮而大、額上多汗、隔塞不通、食寒冷則泄。

凡此風證。
或挟寒則脉帯浮遅。
挟湿則脉帯浮濇。
二證倶有則従偏勝者治之。
用薬更宜詳審。
若因七情六淫而得者、當先氣調而後治風邪。
此厳氏至當之論。

倉卒之際、救此急證、先以皂角細辛、搐入鼻内、通其関竅、次以蘇合香圓擦牙連進、以生薑自然汁、並三
生飲、俟其甦醒然後、次第以順気之類、排風続命之類。

所中在経絡、脉微細者生。

入干臓腑口開手散、眼合遺尿、髪直吐沫、揺頭直視声如鼾睡者、難治。

又有中之軽者。
在皮膚之間、言語微蹇眉角牽引、遍身瘡癬状如蟲行、目旋耳鳴、
又當随随治之。
——————————–

井上恵理 先生の訳:「大成論一、風論 」
風は百病の長たり。
故に諸方の首に之を論ず。
岐伯の所謂る大法四あり。
一には偏枯、半身遂ず。
二には風、身に於いて痛み無く四肢収まらず。
三には風懿(ふうい)、奄忽(えんこつ)として人を知らざるなり。
四には風痺は諸痺にして風状に類す。
此れただ其の大概を言う。而して又卒然として中らるる者あり。

皆気体虚弱、栄衛調を失し、或は喜怒憂思驚恐労役に由(よっ)て、
以て真気を耗散し理密ならざるを致し、邪気虚に乗じて入る。

其の中るに及んで、重き時は則ち半身遂ず、口眼斜、肌肉疼痛、痰涎壅盛(たんぜんようせい)、或は癱 (なんかん)不二。舌強張りて語らず、精神恍惚として驚(きょうとう)恐怖。

治療の法。
當に其の脉証を詳にして其の感ずる所の原を推すべし。

若し肝に中る者は、
人迎と左の関上の脉、浮にして弦、
面目多くは青く風を悪(にく)み自汗し左脇偏に 痛む。

心に中る者は、
人迎と左寸口の脉、洪にして浮、
面舌倶に赤く、翕翕(きゅうきゅう)として発熱し、 (いん)していうこと能(あた)わず。

脾に中る者は、
人迎と右関上の脉、浮微にして遅、
四肢怠堕(ししたいだ)し、皮肉月閠動(ひにくしゅ んどう)し身体通黄なり。

肺に中る者は、
人迎と右の寸口の脉、浮にして短、
面浮かばれ色白く口燥多くは喘す。

腎に中る者は、
人迎と左尺中の脉、浮にして滑、
面耳黒色、腰脊痛んで小腹に引き隠曲利せず。

胃に中る者は、
両関の脉並びに浮にして大、
額上に汗多く、隔膜塞がって通ぜず寒冷を食する時は泄す。

凡(およ)そ此の風証。

或いは寒を挟む(兼ねる)ときは脉、浮遅を帯ぶ。

湿を挟むときは脉、浮を帯ぶ。

二証倶にある時には偏勝の者に従って之を治すべし。

薬を用いること更に宜しく詳審すべし。

若し七情六淫によって得る者は先んず気を調えて、而して後に風を治すべし。

これ厳氏が至當の論なり。

倉卒の際に此の急証を救わば先ず皂角細辛(そうかくさいしん)を以って鼻の内に(ひね)り入れ其の 関竅を通じて、次に蘇合香圓を以って牙に擦(すりぬり)て連進するに、生薑(しょうきょう)自然汁並 びに三生飲を以って其の甦醒(そせい)するを俟(ま)って、然して後に次第に順気の類、排風続命の類 を以ってすべし。

中る所経絡にあって脉微細なる者は生く。

臓腑に入って口開き手散(ひろが)り眼合(めがっ)し、遺尿し、髪直(た)ち沫(あわ)を吐き頭を揺 すり直視して声は鼾睡(かんすい:イビキ)の如き者は治し難し。

又、中ること軽き者有り。
皮膚の間に在りて言語微蹇(びけん)し眉角牽引し、遍身に瘡癬ありて状蟲(かたち)の行(は)うが如 く、目旋耳鳴らば、

又証に随って之を治すべし。

——————————
さて、ここから、
本文のページを紐解きながら山口一誠的分類を試みます。
すこし寄り道もあります。
井上恵理 先生 講義録・本文のページは、p11、下段1行~9行より。

【風邪の病証名と病の深さを表す言葉による分類 】

「感冒」(かんぼう)とは、理(そうり)、 つまり皮膚の面を「風」の邪が冒(おか)したもの。

「傷風」(しょうふう)とは、経脉を「風」の邪が傷(やぶ)ったもの。

「中風」(ちゅうふう)というのは「風」の邪が臓にあた中(あた)ったもの。

———————————
一、風論    c211-2

かぜと風    P11下段11行目からP12下段3行目まで

【東洋医学でいう「風」の意味は、「動く気」である。】

―東洋医学でいう「風」は(五邪の一つとして、またそれによって起こる病証として)考えながら、〔井 上恵理先生の〕講義を聞く事。

「風」は「震」という東方に位する動くことを司る卦に配当され、
気が動くことによって起こる一つの現象と考えると良い。

― 素問に「風論」と「玉機真蔵論」の項目がある。
ここに、「風は百病の長たり」とあり、いわいる「風」が変化すると
百(たくさん)の病を起こす事を言っている。
で、
風は
五臓を傷るなり、中風は風の人を傷るなり、あるいは寒熱をなし、
あるいは熱中をなし、あるいは寒中をなし、冷風(ふるえ)をなす、
あるいは偏枯をなす、とあります。
偏枯というのは偏(カタカタ)〔片方〕が痺れるという事で半身不随を意味します。

ちなみに、五邪とは、六淫の邪、あるいは五邪をさしています。
六淫の邪は、風暑寒湿燥火です。
―日本においては風暑寒湿の四つの邪が主に考えられます。
しかし、外国の乾燥した大陸などでは、燥邪もあるのですから、知識として取り上げる事。―

―参考:東洋医学概論(基礎医学Ⅰ)p59の記載より。―
自然界には、風暑寒湿燥火(熱)の六気があり、気候・気象の変化を主っている。 この六気が人体の適
応能力を超えて作用したとき、
疾病の原因となり六淫という。
また、五行では五悪といい、風熱湿燥寒に分類対応させている。

五行 :木 火 土 金 水
五臓 :肝 心 脾 肺 腎
五悪:風 熱 湿 燥 寒

——————————–
一、風論    c211-3

感冒について  P12下段4行目からP13上段12行目より。

このコーナーでは、病気の主な原因が、外因による「風という証」を講義されています。

身体の免疫力・抵抗力が力関係で「風の邪気」に負けた時の事です。

皮膚が本当に健康ならば邪を受けないのだけれど、色々な原因で疲れて皮膚の守りが弱くなった所に風 が入る時の事です。。

【 力関係で「風の邪気」に負けたときの感冒の捉え方。】

風邪が皮膚〔理〕の中に入って、
皮膚の守り神の「衛気」の力が十分に働かないので、
「風邪」を中に通じる(内部に代謝する)ことが出来ないし、外にこれを洩らすことも出来ない(「風邪 」を追い出せない)から、
即ち「風という証」になる。

【 二種類の風邪の症状について。実と虚の症状。】

① 実の症状:
風が入っても身体が、それほど衰弱していなければ、これは熱となって表れる。
実証を呈する場合、理が閉じるから熱を出すんです。
熱は実証なりというのは、こういう訳なんです。
〔身体が熱を産熱して、風邪をやっける訳ですね・・・・〕

ここからは、経絡治療家が診立ての考え方のポイントです。

【風邪に冒された身体の状態は「虚中の実」の体力だという事。】

ここで実証と言っているのは「虚中の実」ということを意味しているのです。― 風に入られるという 事は虚なんです。
しかし邪は入ったけれどこれに対して抵抗する力があるから熱になるんです。だから「虚中の実」という 事になるんです。

体が本当に弱り切っていれば実証には絶対にならない。
ある程度まで虚していて、そこに外邪が入ったから実証になるんです。
つまり衛気が実する時はこれ熱をなす。

② 虚の症状:
風が入った時、身体が衰弱していば、―身体が虚する時には身体は冷めたくなります。
冷える「感冒:風邪」とは、たとえば腹を下すとか、あるいは手足が冷たくて寝られないとか、小便が近 いとか、そういった感冒は冷えなんです。

そしてそれが皆、風によって起こっているんです。

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一、風論    c211-4

内因性の病証 P13上段14行目からP14上段2行目より。

このコーナーでは、病気の主な原因が、内因による感冒を講義されています。

人間の、精神的な疲れに、つけこんで「風邪」が身体の中に入った感冒についてです。

〔内因が起こる条件は七情にある。〕
七情とは、怒、喜、憂、思、悲、驚、恐の感情ことを言います。
この、七情に傷つけられ、精神を労傷し、精神的過労という状態から引き起こされて現れる、〔内傷の状 態〕での感冒です。

そして、これは虚証になるのが建前(原則)です。

【 虚証の感冒の特徴。】

この時、皮膚の毛穴が広がり、理開くとき(虚)は、しゃあしゃあとして寒をなす、状態になります。

外邪に中(あた)って最も虚した身体になっていると、熱を出す事が出来なくなって今度は冷え性になり ます。
そして、― 主に起こる〔寒の症状〕は、1:食欲不振になる。2:意識が朦朧として考えがまとまらな くなり、不眠症を起す。
これらは気が虚してしまった事、つまり「気虚」によって起こるのです。

風邪を引いたから胃腸が悪くなるというのではなくて、風によって気虚とうい状態になり、それで食欲 不振になるという考え方なんです。

【 内因(内傷)による感冒の病状発生の過程(順番)】

【 風外邪 → 最も虚した身体〔内傷の状態〕→ 理開くとき→身体寒をなし。→「気虚」となる。→ 冷え性になる。→寒の症状が出る→1:食欲不振になる。2:意識が朦朧として考えがまとまらなくなり 、不眠症を起す。】

原則あれば例外アリ・・・

〔内傷の状態〕での感冒でも実証もあります。

風による感冒の中にも、血が傷られる事によって熱をなす場合がある。

―熱が出る場合は、「肌肉を消す」といって皮膚と筋肉の艶や弾力が無くなった状態で、これは血が傷ら れる事によって起こる。
血が傷られているから外邪には入られ、一方で気によって熱が出てくると、こういう訳なんです。
例、旦那さんが仕事の疲れから家に帰って奥さんにあたる「おかずがまずい」とか、感情的興奮が起こる
。 これは感情的偏勝です。
例えば虚があって、それによって片方が旺気して実証を呈するという意味です。こんな時は、奥様は「あ あ病気が出てる」と思えばいいのです。―
けして、ご主人が悪い訳では無いのです、内傷の感冒が悪いのです?

参考:ゆっくり堂の経絡鍼灸 教科書より。 病因論
病気が起きる原因は大きく分けると三つあります。

① 内因
内面的な感情が強くなりすぎると発病します。
これは七情という感情です。
七情は、怒、喜、憂、思、悲、驚、恐の感情ことを言います。
これらの感情がうっ積することで、病気が起きます。

② 外因
外邪が身体に作用して起こります。
これは六淫の外邪です。
風・寒・暑・湿・燥・火の六種の外からの病邪を六淫の邪と言います。

③ 不外内因
暴飲暴食と働きすぎ、遊びすぎです。
アルコールの飲みすぎと、胃腸を冷やす飲み物食べ物がいけません。
身体に無理を強いる活動もいけないことになります。
房事過多慎むべし、適切な陰陽の交わりはお互いに正気を増します。・・・

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一、風論    c211-5

○ 傷風 (しょうふう)       P14上段4行目からP14下段10行目より。

○ 風論緒論            P18上段1行目からP20上段中ほど、より。

【「傷風」とは、経脉を「風」の邪がやぶ傷(やぶ)ったもの。】
(山口一誠の分類考察 ①より)

風(邪)が経脈に入った時の「病証」についてみていこうと思います。

なお、「風論緒論」でも、「傷風」を講義されていますので、
ここでは一緒に私の分類考察を展開してみます。

井上恵理先生は、このコーナーでは、
陽明の病証、太陽の病証・衛気、営血、について講義されています。
また、
井上恵理先生は「南北経驗醫方大成による病証論」を講義されるにあたり、
次のような参考文献を紐解いて講義されています。
黄帝内経素問の第四十二「風論」、第十九「玉機真蔵論」・「諸病原侯論」:病症論の原典・「景岳全書 」:「類経」を著した張介賓の著作・「医学正伝」・「万病回春」・「啓廸集」:曲直瀬道三の著作・「 医心方」:丹波康頼の著作・「病因指南」:岡本一抱の著作・「素問」台湾本「脈要精微論」:王泳注( 著)など・・・

経絡鍼灸家は、現代人の病状を改善し、未病を防ぐ責任があります。

井上恵理先生の言葉として「―東洋医学はどこまでも治療という立場から物を考える。―
この病気はこう したら治るという事で、〔古典の文献を分類解釈する。〕

○ 陽明の病証  ( 黄帝内経:素問の第2巻、第四十二「風論」第三節、原文 )

風氣與陽明入胃。
循脈而上至目内眥。
其人肥則風氣不得外泄、
則爲熱中而目黄。
其人痩則外泄而寒、
則爲寒中而泣出。

※ 下記の〔 〕内は山口一誠の解説?

〔風邪が陽明胃経と胃に入り。〕
〔経脉に随って鼻茎を上がり、鼻の山根にて左右交わり再び別れ、目の内まなじり、に至る。〕
〔その人が肥満体なら、風気は外に泄ることが出来ない。〕
〔そして、胃の中に熱が籠り胃経の始まりの目が黄ばむ。〕
〔その人が痩せたタイプなら、風気は外に泄れて、寒気が出る。〕
〔そして、胃の中が冷たくなって胃経の始まりの目から涙が出る。〕

井上恵理先生の講義から、傷風「陽明の病証」を診たてるポイント。

① 肌の色が黄色という色をなす事で「風邪の邪」が経脉に入ったと診る事。
この症状は肥満タイプに多くみられ、痩せた人には少ない。―

② 太った人の場合は、「風邪の気」が経脉に入って、外に泄れる事が出来ない太っていて皮膚〔理 〕蜜であるので、即ち熱中して目が黄色くなる。
また、風邪の邪が泄れないで経脉の中に熱をなすという事を考えてみますと、黄疸という症状があり ます。黄疸の時は熱が出て食欲不振になり、身体が黄色くなって目が黄色くなる。あるいは目だけが黄色 くなる場合もあります。

③ 痩せた人のの場合は、気が泄れて寒をなす。即ち寒中して涙が出る。
これは、「風邪の気」が経脉に入っても痩せた人の皮膚〔理〕は荒い為に気が泄れてしまう ので 、寒中して涙が出る、訳です。

足の陽明胃経 の 流注・・はこちらを参照されたし。

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一、風論    c211-6

○ 傷風 (しょうふう)       P14上段4行目からP14下段10行目より。

○ 風論緒論            P18上段1行目からP20上段中ほど、より。

【「傷風」とは、経脉を「風」の邪がやぶ傷(やぶ)ったもの。】
(山口一誠の分類考察 ①より)

太陽の病証・衛気。

( 黄帝内経:素問の第2巻、第四十二「風論」第四節、原文 )
風氣與太陽倶入、
行諸脈兪
散於分肉之間
與衛気相干
其道不利
故使肌肉肌憤月真而有傷
衛氣有所凝而不行
故其肉有不二也

※ 下記の〔 〕内は山口一誠の解説?

〔風邪が太陽膀胱経には入り、〕
〔膀胱経の背兪穴に行き、〕
〔体表の筋肉の所に散じて、〕
〔風邪と衛気が抗争する。〕
〔その為に背部の経絡に不備がおこる。〕
〔だから、肌肉憤?(ふんしん)皮膚や筋が傷つき吹き出物が出来る。〕
〔皮膚を防衛する衛気が凝りの有る所に行けない。〕
〔ゆえに、其の肉、不二(感覚がなく)なる。〕

〔私たち経絡鍼灸家は浅い刺鍼で治療をします。その理由を井上恵理先生の講義から、読み取れます。
ここでは、後背部のコリやシビレ、吹き出物、について、その発生の解説が成されています。〕

井上恵理先生の講義から、傷風「太陽の病証・衛気。」を診たてるポイント。

○ 風が衛気と営血に入った時、気と血を傷る時の状態が、また風論にある。
風が太陽(膀胱経)と倶に入れば諸脉即ち兪に出ず、つまり経脈の中の兪穴に出てくる。そして膨らんで 分肉の間に散じて(分肉の間は衛気の守る所)その気通ぜず。その道通ぜず肌肉憤月真(ふんしん)する。
肌肉とは筋肉です。これが憤り、月真(はれ)るというのですから、筋肉が堅くなるという意味です。そし て傷をなす。これは吹き出物が出てくる事です。衛気凝ることあって行かず、故に不二する事あり。つま り身体を守る気が侵されてしまうからその為に「凝る所」ができて経脈が流れなくなって、不二(感覚が なくなる)を為すんだという訳です。

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一、風論    c211-7

○ 傷風 (しょうふう)       P14上段4行目からP14下段10行目より。

○ 風論緒論            P18上段1行目からP20上段中ほど、より。

【「傷風」とは、経脉を「風」の邪がやぶ傷(やぶ)ったもの。】
(山口一誠の分類考察 ①より)

○ 営血

( 黄帝内経:素問の第2巻、第四十二「風論」第五節、原文 )

癘者有榮氣熱腑
其氣不清
故使其鼻柱壊而色敗
皮膚潰瘍
風氣客於脉而不去
名曰癘風或名曰寒熱

※ 下記の〔 〕内は山口一誠の解説?

〔癘者(レイジャ):感染症に罹患した人は榮氣が熱を持ち腐敗する。〕
〔その気は清らかでない。〕
〔ゆえに、鼻の穴がただれ、皮膚の艶がなくなる。〕
〔鼻の粘膜が潰瘍する。〕
〔風邪が経脈に宿って去らない。〕
〔これの病名を癘風(レイフウ)あるいは、寒熱と言う。〕
〔私たち経絡鍼灸家は浅い刺鍼で治療をします。その理由を井上恵理先生の講義から、読み取れます。
ここでは、鼻炎や蓄膿症について、その発生の解説が成されています。〕

井上恵理先生の講義から、傷風「営血・風が営気を侵した場合」を診たてるポイント。

○ 営血
営血が傷(やぶ)られると鬱熱して鼻柱がやぶれて、皮膚がかゆくなって破れるといった症状を起こしま す。
で、「脈要精微論」に脈風に癘(れい)を為すと記されています。これらの物も、衛気(えき)と営 血(えいけつ)におけるつまり「気」を傷られた時と、「血」を傷られた時の病態が書かれている訳です 。
○ 風が営気を侵した場合は、熱欝(ねつうつ)ありて鼻柱ただれ、色破れ皮膚が潰瘍すると書かれてい ます。熱欝とは、熱が外に出ないで身体の内側に入ってしまう事で、外から触れたのでは熱を感じないが 脉は数になっている状態です。

【 診断のポイント:風邪が営気を侵した時、脉は数なら、熱欝(ねつうつ)あるかも・・】

それから、鼻柱ただれというのは、鼻の穴がただれるいう事で、だから鼻水が出てくる訳です。
で、鼻水 が出る風邪は臨床的には熱欝している事が多いので外には熱が出て来ませんね。鼻カタルでもって発熱したってのは無いんです。
鼻カタルを起している時には発熱していないです。それでは熱が無いかというと実は内側に熱がある訳で、脉が数脉になる訳です。色破れ、というのは皮膚の艶がなくなる事で、潰瘍するというのは瘍(はれ物)が出来て潰(つぶれ)るというのだから、何か吹き出物が出来る事だと思います。

なお、黄帝内経:素問の山口一誠の解説は、
黄帝内経「素問」訳注・著者:家本誠一・発行:医道の日本社
を参考にしています。

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一、風論    c211-8

「中風」(ちゅうふう)  P14下段12行目からP14下段終わりまで。より。

参考:【「中風」というのは「風」の邪が臓にあた中(あた)ったもの。】

(山口一誠の分類考察 ①より)

はじめに、東洋医学と西洋医学の概念の違いについて。

いわゆる現代医学で言う所の動脈硬化症から来た脳溢血、
或るいは脳梗塞といった病気から起こる半身不随の障害。
と、
東洋医学が診断する、これらの症状の捉え方は別物であると言う事。
で、
これからの展開を理解してください。

「中風」(ちゅうふう)とは、

本文= 風の邪が臓腑に入るとどうなるか・・・?
風が五臓六腑に中(あた)ると、偏風(へんぷう)となり、偏枯(へんこ)の症状になることです。

風が五臓に入ると半身不随になるという事ですね。いわいる―・脳溢血・脳軟化症〔あるいは、脳梗塞〕
といった症状になって偏(カタカタ)=片方の手が効かなくなる、
とういものを「中風」と言いう。

○ 偏枯については、風論緒論より。  P18下段、より。を参照ください。

○「中風」大成論原文より、p12上段6行目辺り。

干臓腑・口開手撒・眼合遺尿・髪直吐沫・揺頭直視・聲如鼾睡者難治

井上恵理先生の講義から、p32上段後より5行目より。

「中風」について。
大成論原文の解説=風邪が臓腑に入った時、すなわち、「中風」のことです。
その症状は、口が開いて、手も開いてしまい、眼は塞いだままで、〔小便が〕垂れ流しになってしまう。
髪直〔逆立ち〕〔口から〕沫(あわ)を吐き頭を揺すり直視してその声は鼾睡(かんすい:イビキ)のように聞こえる。
こうゆう状態の者は治りにくい。

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一、風論    c211-9

「中風」(ちゅうふう)

参考:【「中風」というのは「風」の邪が臓にあた中(あた)ったもの。】

(山口一誠の分類考察 ①より)

○ 中風の治療   P16上段11行目からP17上段12行目まで。より。

― 「医学正伝」という本には、中風に対する治療法が書いてあります。

①中風で汗なくして悪寒する物。これは膀胱経の至陰穴から瀉血(刺絡)すれば良い。
②中風汗あって悪寒する物、風府穴に鍼をすれば良い。
③中風で汗なくして体熱して悪寒しない物、これは陥谷穴、厲兌穴に鍼をすれば良い。
陽明〔胃経〕の賊邪(ゾクジャ)を瀉すんだという考え方ですね。
④中風で汗なくて身体の冷える物、これは脾経の隠白穴に鍼をすれば良いとあります。
⑤中風で汗があって熱の無い物、これは腎経の太谿穴を刺せば良い。
⑥中風六経混沌としている物、これは少陽・厥陰にかかわる物であり、病状としては痙攣を起したり、麻木といって全然利かなく成ったりする。
〔麻木・・?(身体,精神的に)しびれた,無感覚になった.〕こう
ゆう物には厥陰肝経の井穴・太敦穴、その経の過る処を刺すとあります。―それから少陽経の絶骨穴にお 灸をして以ってその熱をひく、とあります。

参考文献  :
賊邪(ゾクジャ)難経五十難についてそれぞれ述べられています、参照されたし。。

経絡鍼療(458号)平成20年11月号。
P20- 古典講義=「難経」講義(36)井上恵理(講師)。
「難経の臨床考察」福島弘道(著)・p119-
「難経の研究」本間祥白(著)・井上恵理(校閲)「難経五十難」p198-

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一、風論    c211-10

【中風の意味は東洋医学的に理解しないと分からない。・・】

○〈 風邪と脳出血 〉   P124下段からP125下上段5行目まで、より。

― 〔東洋医学的に診断すると〕―
純粋な風邪は、現代における脳出血症状〔脳梗塞症状から〕
半身不随の病態に成る物です。
我々が専門的〔東洋医学的〕にいう風邪に中(あた)った中風とは、半身不随に成ったのが、風邪に成ったというのです。 半身不随は風邪ではなく、あれは頭の血管が破れたものだというかもしれませんが、
頭の血管が破れるような身体に成る事が風邪を引いたという事です。―
―〔東洋医学的で考える〕と、
風邪が入ったから中風に成るという考え方は―中風を受けるか、受けない
か、風邪に中るか、中らないかによって決まるのです。 そうゆう身体が有るか無いかが問題に成って来るのです。 そうゆう事を考えると、中風を受ける様な証がなくてはならない、証を見つけ出すのが我々、〔経絡鍼灸家〕の治療の根本にある。ましてや証は各人によって違うのです。

鍼灸においては経絡別に考えて証を考えなくてはならないのです。

臨床質問  P168上段の「問と答え」から。

(問)―中風の邪は、臓を犯すと言われますから、陰経に影響を及ぼすと思います。この場合、外邪です
ので実として現れるのですか、虚として現れるのですか・・?

(井上恵理先生の答え)中風の邪は、臓を犯すというが、中風といったら、もう臓を犯していると言う事です。 中(あた)る と言う事は、臓に入ったという事です。 治療法は、陰経を主とするのですが、
実として現れるか虚として現れるかは、その人の身体によります。
中風は病因ですから、これだけで虚実は言えない、その人の身体が、反抗的であれば実となり、それに耐えられない身体であれば虚になって現れます。―そこで〔鍼灸では〕経絡の調和が問題になって来る訳です。―
〔そして〕症状と脉とが不一致の物は治りにくい。―

(問)― 今の話で症状と脉とが一致しない時、
主証をどちらで取った方が良いですか・・?

(井上恵理先生の答え)
脉の方で取ります。
治りにくいから一番いいのはやらない方がいいです。

⑧  臨床質問  P203下段最後の行から、P204下段2行目。
の「問と答え」から。

(問)
外邪が病体を犯す場合、感、傷、中の順序で皮毛、経絡、臓腑を犯すと考えられますが、例えば、中風の様な病症は直ちに臓腑を犯すように見えますが、これは感、傷の時期を、患者が気付かなかったか 、あるいは治療家のみが機会がなかったか・・・・?

(井上恵理先生の答え)
― 中風に成ったという事は臓腑を犯したという事です。
順序はどうなるか解らない。
傷寒論では、例えば、太陽病、少陽病、陽明病の順序に成っている―それでは太陽病を経なければ、少陽 病、陽明病に入らないかと言うとそうでは無いのです。 突然、陽明の病気に成る場合も有るのです。
外邪の侵入はその人の一番欠点の所に入るという事です。―
人の身体は結局が、無秩序な物です。
同 じ条件で同じ家にいて、同じ物を食べても、同じ仕事をしても、同じ状態ではいないという事です。
その人には素因が有り、精神的な考え方も有る。物の好き嫌いもあれば色々ながあるから複雑に成って来る
ので、順序良くこう成るとは考えないのです。

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一、風論    c211-11

1939年(昭和十四年)

経絡鍼灸の理論と法則が世界で始めて確立された。

※ 経絡鍼灸の治療の考え方。P18下段、より。を参照ください。

―東洋医学はどこまでも治療という立場から物を考える。―
この病気はこうしたら治るという事で、そうゆう分け方をしてるんです。―
― この偏枯という病名は風が臓腑に中った為に起こった物だという考え方によって治療することの出来る一連の病症を意味している。
つまり、病の原因である風を治してやる事が偏枯の治療なる。-―

【井上恵理先生の「どんでん返し講義」と 経絡鍼灸の理論確立の過程を知る思い・・】

○ 中風の治療

P16下段後から7行目からP17上段12行目まで。より。を参照されたし。

我々の行う経絡治療は証に従って治療するのですから、― だから、他の診断法(望聞問切の四診法)を使い虚実を決め、虚なら補い、実なら瀉すんだと、こう考えれば良い訳です。

この「医学正伝」に書かれている治療法を実際に臨床でやってみて良いかどうかは、
私もまだやった事がないんで分からないですが、
古典に書かれている事を、こういった事柄がこうゆう本に出ているだと皆さんに説明すると、他の方(病因や病症)はあまり興味はないけれど、
ツボの名前があがると興味が出てくるんでしょう、それじゃ駄目なんです。
他の方(病因や病症)を覚えなさい。
ツボの事なんか覚えなくても良いんだから。
そんなことで良いのなら経絡治療はいらないです。

〈 漢方〔薬〕と経絡治療 〉
P125上段後より9行目からP125下段10行目まで、より。

― 我々の方〔経絡鍼灸治療家〕は、〔漢方〕薬を用いないから、治療の基になる経絡の中に経絡のアンバランス、虚実という物を「証」にして取り扱っている。
すなわち我々のいうところの経絡治療です。
こうした鍼灸における「証」の決定、証は経絡別に決めなければならないという事を考え出したのは、昭 和十四年からです。
それ以前には、肝虚証、腎虚証と有っても治療に応用する迄には至っていないのです。

〔証を〕治療と結びつけ、治療と一貫した法則の中で扱ったのが我々です。

経絡〔鍼灸〕治療という現在の方法の中には、新しい言語、言葉をたくさん作っております。
例えば本治法と標治溯洄法(ひょうちそかいほう)、これも標本という言葉はあります。
証が本であって 、現れる症状が標です。―
これは素問標本論篇に書いてあります。本を治せば標は自然に治るという。
それを治療法として、
これが本治法であり、これが標治法である区別したのは我々の年代です。

それか ら証と症の区別に〔ついて〕、
昔の物は証と症の区別が無く、みんな証です。
あれは証候、証状と各本 によって区別して無く同じ言葉を使っている。

我々がこうゆう事を提唱したのは、
鍼灸術の一貫した治療法則がなければいけないと、
こうゆう法則を作ったのです。

1939年(昭和十四年)経絡鍼灸の理論と法則が世界で始めて確立された。

———————————
一、風論    c211-12

○ 風論緒論             P18上段1行目からP20上段中ほど、より。

― 素問には「風は百病の長たり」書かれております。

風という物は空気の動く状態を言ったものです
から、そもそも空気という物が森羅万象の中に存在し生きとし生ける物が空気が無くては生きて行けないのと同じ様に、風は全ての物を支配する力を持っているという意味から「風は百病の長たり」言われる訳です。
また、
風は他の三つの邪すなわち、暑寒湿と共に四時(春夏秋冬の四季)に応ずるという意味で重要な要素であるという訳です。

○ 風が衛気と営血に入った時、気と血を傷る時の状態が、また風論にある。
風が太陽(膀胱経)と倶に入れば諸脉即ち兪に出ず、つまり経脈の中の兪穴に出てくる。そして膨らんで分肉の間に散じて(分肉の間は衛気の守る所)その気通ぜず。その道通ぜず肌肉憤?(ふんしん)する。
肌肉とは筋肉です。これが憤り、?(はれ)るというのですから、筋肉が堅くなるという意味です。そして傷をなす。これは吹き出物が出てくる事です。衛気凝ることあって行かず、故に不二する事あり。つまり身体を守る気が侵されてしまうからその為に「凝る所」ができて経脈が流れなくなって、不二(感覚がなくなる)を為すんだという訳です。

○ 風が営気を侵した場合は、熱欝(ねつうつ)ありて鼻柱ただれ、色破れ皮膚が潰瘍すると書かれています。熱欝とは、熱が外に出ないで身体の内側に入ってしまう事で、外から触れたのでは熱を感じないが脉は数になっている状態です。

【 風邪が営気を侵した時、脉は数なら、熱欝(ねつうつ)あるかも・・】

それから、鼻柱ただれというのは、鼻の穴がただれるいう事で、だから鼻水が出てくる訳です。
で、鼻水が出る風邪は臨床的には熱欝している事が多いので外には熱が出て来ませんね。鼻カタルでもって発熱したってのは無いんです。
鼻カタルを起している時には発熱していないです。それでは熱が無いかというと実は内側に熱がある訳で、脉が数脉になる訳です。色破れ、というのは皮膚の艶がなくなる事で、潰瘍するというのは瘍(はれ物)が出来て潰(つぶれ)るというのだから、何か吹き出物が出来る事だと思います。

○ 偏枯というものは、いわゆる現代医学で言う所の動脈硬化症から来た脳溢血
或るいわ脳軟化症といった病気から起こる半身不随で東洋医学ではこれを「風の邪」による物と考える。
― 風を治す治療で偏枯を治すことが出来る、と言う意味で偏枯が風の病証に含まれています。

―東洋医学はどこまでも治療という立場から物を考える。―この病気はこうしたら治るという事で、そうゆう分け方をしてるんです。―

― この偏枯という病名は風が臓腑に中った為に起こった物だという考え方によって治療することの出来る一連の病症を意味している。つまり、病の原因である風を治してやる事が偏枯に治療なる。-―

——————————–
一、風論    c211-13

エトセトラ欄    山口一誠の解釈:〔〕

参考文献    P14上段4行目からP14下段10行目より。

黄帝内経「素問」訳注
著者:家本誠一・発行:医道の日本社
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
第2巻、第四十二「風論」第三節

風氣與陽明入胃。   :〔風邪が陽明胃経と胃に入り。〕
循脈而上至目内眥。  :〔経脉に随って鼻茎を上がり、鼻の山根にて左右交わり再び別れ、目の内まな じり、に至る。〕
其人肥則風氣不得外泄、 :〔その人が肥満体なら、風気は外に泄ることが出来ない。〕
則爲熱中而目黄。    :〔そして、胃の中に熱が籠り胃経の始まりの目が黄ばむ。〕
其人痩則外泄而寒、   :〔その人が痩せたタイプなら、風気は外に泄れて、寒気が出る。〕
則爲寒中而泣出。    :〔そして、胃の中が冷たくなって胃経の始まりの目から涙が出る。〕

p460-より:
風気が陽明(胃経)とともに胃に入り。(経)脉に随(したが)って上に上がって目の内眥 (ないし:まなじり)に至る。其の人、肥たるときは則ち風気外に泄れることを得ず。
則ち(内に籠り)熱中と為りて目黄ばむ。其の人、痩せたる時は則ち風気外に泄れて寒す。則ち寒中と為 りて涙出づ。

ーーー足の陽明胃経 の 流注・・はこちらを参照されたし。

陽明大腸経、迎香穴より、鼻茎を上がり、鼻の山根にて左右交わり再び別れ、目の内まなじり、を通り瞳の直下七部の承泣穴に至り、鼻の外側を下って上歯に入る。
ーーーーーーーーーーーー
第四節
風氣與太陽倶入、   :〔風邪が太陽膀胱経には入り、〕
行諸脈兪       :〔膀胱経の背兪穴に行き、〕
散於分肉之間     :〔体表の筋肉の所に散じて、〕
與衛気相干      :〔風邪と衛気が抗争する。〕
其道不利       :〔その為に背部の経絡に不備がおこる。〕
故使肌肉肌憤月真而有傷 :〔だから、肌肉憤月真(ふんしん)皮膚や筋が傷つき吹き出物が出来る。〕
衛氣有所凝而不行   :〔皮膚を防衛する衛気が凝りの有る所に行けない。〕
故其肉有不二也    :〔ゆえに、其の肉、不二(感覚がなく)なる。〕

p461-より。:風気が太陽(膀胱経)とともに入り、諸脉の(背)兪(穴)に行き、分肉の間に散じ、衛気と相い干す〔風気と衛気が抗争する事〕(そのために)其の道は利せず、故に肌肉をして肌肉憤月眞(ふんしん)する。憤月眞(ふんしん)して傷有らしむ。衛気は凝り所有りていかず、故に其の肉に不二有るなり。

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黄帝内経「素問」訳注

第2巻、第四十二「風論」第五節p462-より

癘者有榮氣熱腑   :〔癘者(レイジャ):感染症に罹患した人は榮氣が熱を持ち腐敗する。〕
其氣不清      :〔その気は清らかでない。〕
故使其鼻柱壊而色敗 :〔ゆえに、鼻の穴がただれ、皮膚の艶がなくなる。〕
皮膚潰瘍      :〔鼻の粘膜が潰瘍する。〕
風氣客於脉而不去  :〔風邪が経脈に宿って去らない。〕
名曰癘風或名曰寒熱 :〔これの病名を癘風(レイフウ)あるいは、寒熱と言う。〕

注:「素問」王泳注(著)台湾本には血と営気とある。 「脈要精微論」

なお、漢方家の「三陰三陽論」は十二経絡を意味しません。

「三陰三陽論」を研究されたい方は、
薬局新聞社発行「実践漢方ハンドブック、基礎編」を、お読みください。

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表・裏 〔風の種類〕   P15上段1行目 ~ P15上段中程までより。

NO・名称・特徴・風の侵入経路・症 状・など。

表・裏 〔風の種類〕   P15上段1行目~P15上段中程までより。

1、「脳 風」:裏にきた病
後頭〔部〕の風府・脳戸穴辺から「風」が入る。
後頭部が重くなる症状を起こす。

2、「眼風・目風」:表にきた病
前頭部から風が入った場合。
症状は、目が寒くなったり、目が痛くなったり、或いは、目が痒くなったりする。

○ その他 〔風の種類〕    P15上段中程 ~ P16上段中程までより。

3、「酒風(漏風1)」:
これは酒を飲んで風にあたり、あるいは酒を飲んで汗が多く出た状態で薄着をして寝ると、 この酒風(漏風1)の病気になる。

4、「漏風2」
ご飯食べる時に汗が多く出て風の病となる事。
主な症状として、あまりにも汗が多く出すぎると「喘息」を起こす事がある。
それから、悪風といって風を憎むようになる。
そして口が渇き、のどが渇く、
さらに「事を労する事を能わず」= 仕事をする気にならない。

5、『内 風』:夜、房に入りて汗出でて風に中(あた)れば即ち内風をなす。

(内耗其清、外関?理、因内風襲、故曰内風。)

6、「腸風?泄」(ちょうふう そんせつ)
これは腸に風が入った場合。
症状は、腹痛と下痢を起こす。

7、「泄 風」(せつぷう)
これは風がソウ理に入った場合、
その症状は、汗が多く出て、そして夜泄れて(泄れるように寝汗がでる)、 口が渇き、体がだるくなり仕事をするのが嫌になって、身体の節々が痛み出す。
8、「首 風」  (湯ざめの風)新たに沐浴して風に中った時に起こります。

この病の特徴は、一般的な風邪の症状が出る前に次のような激しい症状がでます。それは、頭や顔に多く汗が出て悪風し、頭が痛み以って内を出すべからず。といった症状が一般のかぜ症状に先立って激しくなり、その風邪の日に至りて少し癒ゆ、ということで、風邪に症状が出てくると少し楽になるという事です。 これはどういう事かと言いますと、お湯に入るとカーッとのぼせ上がって汗がしんしんと出て気持ちが悪くなる事があります。これが風の前兆で、それから一日経つとかえって本当の風邪の状態になって、先の不快感が軽くなるという事を言っているのです。

9、「五臓の風」

( 肝の風・心の風・脾の風・肺の風・腎の風 )の分け方もあります。
古典解説1:「甲乙経」は黄帝内経を解説する本で、
これは大体上記の様な症状的な物を並べて書いてある様です。

古典解説2:「千金方」著者:孫思? の本では各症状は別としまして、
ほとんどこれを「中風」即ち半身不随の様な症状で物を見ている傾向がある様です。

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一、風論    c211-15

○ 風論緒説          P20上段中辺 ~ P21上下段終行より。

「玉機微義(ぎょっきびぎ)」著者は劉宗厚、― 色々な人の書いた「中風」に関する論をあげています。
例えば、黄帝内経素問の「風論」を岐伯の説として、
「金匱要略」これは「傷寒論」の張仲景(ちょうちゅけい)がまとめた物ですが、ここでは先ず邪が絡に入って、そして経に入って、そして腑に入って臓に入るという病伝変が書いてあります。「千金方」は孫思? (そん しばく)が書いた本ですが、これにはあとで「大成論」をやる時に言いますが風に対する四つの処方が書かれています。
「原病式」(素問玄機原病式)これは劉可間が書いた本で、ここでは熱論を中心に論を進めていて、風も熱に基ずく物であるという説がとられています。それから李東垣の説を引いて病は全て気の変動による物であり、自ら病む物であるという論が述べられています。
「丹渓心法」という本は朱丹渓(しゅたんけい)の説を纏めた本ですが、ここでは湿が痰を生じ痰が熱を生じ熱が風を生ずという考え方がされていて痰という物を中心に考えている説です。
また「医経溯洄集」を書いた王安道という人はが、それまで色々な病状がごちゃごちゃになってひとまとめにされていた中風という物を初めて真中風と類中風とに分けて考えるようにしたため、以降この分け方が多くの本に取り入れられる様になりました。 また厳用和という人の「済生方」には中風はまず気を整える事によって治るんだいう説がのべられています。
「儒門事親」を著した張子和(従正)という人は、中風を治するにはまず汗を出させる事、吐かせる事、下す事の三方を併用しなくては治らないというような書き方をしています。

こうした論には他にも沢山ありますが、私がこういった事を講義しますと、
先生はいつも臨床を中心に考えろって言うのに何だこれは臨床に何の関係もないじゃないか、とこう来るだろうと思うのだがね。

ところが、こういった理論を知った上で臨床をやっていけば、
これから皆さんが風という物に関する色 々な説を見たり聞いたりした時、迷わないですむから、こうゆう講義をするんです。

井上恵理 先生の参考古典文献

「玉機微義(ぎょっきびぎ)」著者は劉宗厚・黄帝内経素問の「風論」「金匱要略」著者:張仲景 ・「千金方」著者:孫思? ・「原病式」(素問玄機原病式)著者:劉可間・李東垣の説・「丹渓心法」:朱丹 渓の説・「医経溯洄集」著者:王安道・「済生方」著者:厳用和・「儒門事親」著:張子和(従正)など です。
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「南北経驗醫方大成 一、風論 」の原文

風為百病之長。
故諸方首論之。
岐伯所謂。大法有四。
一曰偏枯、半身不遂。
二曰風?、於身無痛、四肢不収。
三曰風懿者、奄忽不知人也。
四曰風痺者、諸痺類風状。
此特言其大概。
而又有卒然而中者。

井上恵理 先生の訳:

「大成論」:風論の冒頭に―
『風は百病の長たり。故に諸方の首に之を論ず。』
『岐伯の所謂る大法四あり。』
『一には偏枯、半身遂ず。二には風ヒ、身に於いて痛み無く四肢収まらず。三には風懿(ふうい)、奄忽 (えんこつ)として人を知らざるなり。四には風痺は諸痺にして風状に類す。』
『此れただ其の大概を言う。而して又卒然として中らるる者あり。』

井上恵理 先生の解説:

「大成論」において、風論の冒頭に。
これは多くの病気が風から起こることが多いので、病症論の初めに書いておく、と言っているんです。
岐伯は風には大きく四つの物がある。
①偏枯とは、身体の半分が硬直して利かなくなる事。
②風ヒとは、体に痛みが無くて両手両足がぶらぶらで、自由に成らなくなった状態の事。
③風懿(ふうい)とは、 俄かに〔自覚無く〕意識不明になる事。
④風痺とは、どうも手が痺れてきたとか、手の先だけが利かな いとか、肩が挙がらないとか、あるいは膝頭だけが動かないとか、こういった色々な麻痺全部を含めた症 状の事。

以上の四つは風の症状を大ざっぱに述べた物である。

中風の中には以上のような四つ症状でなくて、卒 然として中(あ)てられる物がある。

―〔なお、風痺は、黄帝内経素問の〕痺論に載っています。
また、「医経溯洄集」の著者:王安道は、〔風の分類として、〕
真中風に①偏枯、②風ヒ、③風懿(ふうい)に分類し、類中風に、④風痺と分けた。

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一、風論    c211-17

○ 病 因        P22上段1行目 ~ P23下段1行目より。

ここでは、「南北経驗醫方大成 一、風論 」の原文と井上恵理先生の訳と解説から、先生が、経絡治療の根本原則を見出した古典の読み方を纏めてみます。

各、原文・訳・解説の【 】内は経絡治療の根本原則は如何に考察されたか。。について、山口一誠の分類・考察を書き込んでみます。
「南北経驗醫方大成 一、風論 」の原文 4行目下部辺りから。

【「内因なければ外邪入らず」の経絡治療で根本原則。】

皆由氣體虚弱、榮衛失調、或喜怒憂思驚恐労役。
以眞氣耗散?理不密。邪氣乗虚而入。

及其中也、重則半身不遂、口眼?斜。肌肉疼痛。痰涎壅盛。或??不二。
舌強不語。精神恍惚驚?恐怖。

治療之法。當詳其脉證推其所感之原。

【 ここから、四診法と脉証から証決定し、本治法と標治法の経絡治療で根本原則。を考察された。】
井上恵理 先生の訳:

「大成論」:原文4行目下部から、―

【「内因なければ外邪入らず」の経絡治療で根本原則。】

皆気体虚弱、栄衛調を失し、或は喜怒憂思驚恐労役に由(よっ)て、
以て真気を耗散し?理密ならざるを致し、邪気虚に乗じて入る 。

其の中るに及んで、重き時は則ち半身遂ず、口眼?斜。肌肉疼痛。痰涎壅盛(たんぜんようせい)。或は ??(なんかん)不二。舌強張りて語らず、精神恍惚として驚?(きょうとう)恐怖。

治療の法。當に其の脉証を詳にして其の感ずる所の原を推すべし。

【ここから、四診法と脉証から証決定し、本治法と標治法の経絡治療で根本原則。を考察された。】

井上恵理 先生の解説と単語の意味。

病気になる原因【内因】として、
気体が虚弱である事、つまり生まれながらのいわゆる素因という物、
体質 ・個人差という物を第一に考え、更に気血栄衛のアンバランスや七情【内因】の乱れとか労倦【不外内因 】といった物を全部病因【内因】として扱っています。

「真気」の意味:身体を守っている所の全ての気。

病気【内因】と労倦で、「真気」を耗散すると条件が加わり、その結果、?理が緻密である事が出来なくなって風の邪が虚に乗じて入るんだと、こうゆう訳です。風に中ると重い物は半身不随になる。

「口眼?斜」これは顔面神経麻痺のことで口や眼がゆがむ症状です。
肌肉疼痛は、筋肉痛です。関節の具合が悪いと思っても実際には筋肉痛だったと言う事がありますね。あ るいは腱鞘炎なんかの場合もありますね。こういう様な物を肌肉疼痛といいまして、痛むという事が即ち
風のしわざなんだという訳です。

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一、風論    c211-18

○ 病 因        P22上段1行目 ~ P23下段1行目より。
痰涎壅盛(たんぜんようせい)というのは痰が咽喉にふさがって涎(よだれ)が盛んになる事で、涎がだ らだらと出て咽喉に痰がつかえてぜいぜいする症状です。
これも中風の症状です。
??(なんかん)というのは手足に力がなくなるという事で、半身不随とは違って弱くなるという事です 。
不二というのは、痛みや痒みが分からなくなるという事ですから知覚麻痺という事です。
舌強張りて語らず、というのは口が利けなくなるという事で、風が心とか脾とか腎に入ると言語が利かなくなります。
精神恍惚というのは意識があいまいになる事です。
驚?(きょうとう)というのは非常に驚きやすくなる事で、何にでも驚く事です。
恐怖は恐れる事ですから、こういった事は全て精神の虚という状態から起こると考えられています。
清衰えれば恐怖し神衰えれば驚?する、と昔の人は言っています。 で、こうした物を治療する方法としては、当(まさに)にその脉証を審(つまびら)かにしてその感ずる所の源(みなもと)を推察(すいさつ)すべし、とのべられています。
風の邪がどの経絡に入っているのか、どの臓に邪が入っているのか、いずれの腑が患(わずら)っているのか、その邪気が感じている所を推し求めて治療しなければならない。
ここに脉証の必要性が出てくるわけです。

ただ風邪であるとか熱があるとか、こうゆう事だけでどこに治療するというのではなくて脉証を審(つまびら)かにして肝虚なら肝虚で治療すべきです。

【ここから、四診法と脉証から証決定し、本治法と標治法の経絡治療の根本原則。を考察された。】

胆実なら胆実、肺虚なら肺虚、肺虚肝実なら、肝実、そうゆうような治療法則を脉証に求めて、そしてその症状に基づいて治療を進めなければならないと。・・

経絡治療の根本原則。のまとめ、

【「内因なければ外邪入らず」の経絡治療で根本原則。】

【脉証と証決定、そして、本治法と標治法の経絡治療の根本原則。。】
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一、風論    c211-19

○ 五臓と一腑に中った時の病状と脉証。P23下段2行目~P28下段14行目より。
※ ここで述べられている脉証は、現在、東洋はり医学会が使用している、
比較脉診、別名を六部定位脉診と同じ場所です。
詳しくは、
次のHPの図gb31を参照ください。
http://you-sinkyu.ddo.jp/b207.html

※ ここでコーナーでは、井上恵理先生の「経絡治療の根本原則」として、
陰陽・虚実の調和、バランスを取る事が大切だと述べられ。
陰陽虚実の調整をするのが即ち経絡治療になると講義されています。。

井上恵理先生・講義録 本分より、

―〔大成論の文章を読み解く時に、経絡鍼灸家はつねに、〕
臨床的に考えないと意味が分かって来ない。・・・・とあります。

五臓すなわち、肝心脾肺腎と胃に風が中った時の症状と脉証が書いてあります。

「南北経驗醫方大成 一、風論 」の原文 9行目辺りから。
若中於肝者、人迎與左関上脉、浮而弦、面目多青悪風自汗、左脇偏痛。
中於心者、人迎與左寸口脉、洪而浮、面舌倶赤、翕翕發熱、?不能言。
中於脾者、人迎與右関上脉、浮微而遅、四肢怠堕、皮肉月閠動、身體通黄。
中於肺者、人迎與右寸口脉、浮?而短、面浮色白口燥多喘。
中於腎者、人迎與左尺中脉、浮而滑、面耳黒色、腰脊痛引小腹隠曲不利。
中於胃者、両関脉並浮而大、額上多汗、隔塞不通、食寒冷則泄。

井上恵理 先生の訳:

「大成論」:原文 9行目辺りから。。

若し肝に中る者は、人迎と左の関上の脉、浮にして弦、面目多くは青く風を悪(にく)み自汗し左脇偏に 痛む。 心に中る者は、人迎と左寸口の脉、洪にして浮、面舌倶に赤く、翕翕(きゅうきゅう)として発熱し、?(いん)していうこと能(あた)わず。 脾に中る者は、人迎と右関上の脉、浮微にして遅、四 怠堕(ししたいだ)し、皮肉月閠動(ひにくしゅんどう)し身体通黄なり。
肺に中る者は、人迎と右の寸口の脉、浮?にして短、面浮かばれ色白く口燥多くは喘す。 腎に中る者は 人迎と左尺中の脉、浮にして滑、面耳黒色、腰脊痛んで小腹に引き隠曲利せず。 胃に中る者は、両関 脉並びに浮にして大、額上に汗多く、隔膜塞がって通ぜず寒冷を食する時は泄す。
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次に、肝心脾肺腎と胃に風が中った時のことを一つずつ述べます。
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一、風論    c211-20

○ 五臓と一腑に中った時の病状と脉証。 P23下段2行目~P28下段14行目より。

井上恵理 先生の解説:
○ 肝の解説

〔原文〕若中於肝者、人迎與左関上脉、浮而弦、面目多青悪風自汗、左脇偏痛。

解説:
まず、肝に中る物は、人迎と左関上(肝)の脉が共に浮にして弦。
― ここで述べられているのはどういう内容かというと、六部定位脉診〔比較脉診〕
によって、左関上(肝)の脉に病気があるという診断が立った上で、しかも浮にして弦なる場合は・・・ という事なんです。
浮(脉)は風に中った時に現れる脉です。 弦(脉)は肝の脉です。 ですから浮弦という脉が摶ってお れば、どこに摶っていてもこれは「肝の証」だという事が脉状の上からも考えられるという事です。 こ に風というのは外邪ですから陽実を起す訳けです。
風に陰実なんて物はないんですから「肝の実」なんて事はありえない訳です。
そうすれば、肝が虚しているというのが当たり前なんです。
そうゆうふうに風は外邪なり、外邪は陽実なり、という事を頭に入れて考えていかないと、この文章は正しく理解が出来ないことになります。

〔原文〕面目多青悪風自汗、左脇偏痛。

解説:
面目多く青くというのは、顔と目が青くなるという事で、青は肝の色、目は肝の竅であるから、こ は肝の証である訳です。

〔原文〕悪風自汗、

解説:
悪風というのは悪寒とは違いますね。
悪寒とは、大きな熱が出る前にガタガタふるえてきて寒気がしてしょうがない状態で、いくら温かくして も、寒さでガタガタふるのが悪寒です。
悪風とは、暖かい所に入ればふるえは止まる物で、すきま風がスッーと入った時にガタガタくるのが悪風 です。―
悪風は風の邪に傷られた時に多く現れる。
自汗とは、じっとしていても汗がしとしと出てくる状態です。
― 自汗は、栄衛と関係していまして、寒さに傷られると栄(血)が傷られ、風に傷られると衛(気)が 傷られる。 だから汗が出るとうい訳です。

〔原文〕左脇偏痛。とは、

ここでは、風が肝に入った時は片方だけ、左の脇腹が痛むという事です。

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○ 心の解説

〔原文〕中於心者、人迎與左寸口脉、洪而浮、面舌倶赤、翕翕發熱、?不能言。

解説:
風邪が、心に中るものは、左手寸口(心)脉が、洪(脉)にして浮(脉)であるという事です。
そして、顔と舌が赤くなる。 舌は心の外候であり赤は心の色です。
翕翕(きゅうきゅう)というのは、とめどもなく、発熱する事です。、
?(いん)という字は「どもる」という意味で、言葉を出す事が出来なくなるほど発熱する事です。
また、ある古書には、この場合「うあ言」を言うという様にかいてあるようです。
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一、風論    c211-21

○ 五臓と一腑に中った時の病状と脉証。

P23下段2行目~P28下段14行目より。

井上恵理 先生の解説:

○ 脾の解説

〔原文〕
中於脾者、人迎與右関上脉、浮微而遅、四肢怠堕、皮肉月閠動、身體通黄。

解説:
脾に中るものは、
人迎と右手関上〈脾)脉が、浮微(脉)にして遅脉。
そして、四肢怠堕とは、手足がだるくなるいう意味です。
皮肉月閠動(ひにくしゅんどう)とは、皮と肉がぴくぴくと動く事です。
身體通黄とは、全身が黄色くなるそうゆう症状が起こるとうい訳です。

○ 肺の解説

〔原文〕中於肺者、人迎與右寸口脉、浮?而短、面浮色白口燥多喘。

解説:
肺に風邪が中るものは、人迎と右手の寸口(肺)脉が、浮?脉にして短脉。浮脉は風邪の脉で、?
脉は渋る脉のことで、?(しょく)脉と短脉は「肺の脉」です。
面浮ばれというのは、顔が浮腫む、腫れぼったくなるという事です。
そして色が白くなってくる。
口燥とは、口の中がぱさぱさしてくる事をいいます。(別名は口渇です)
多喘とは、多くは喘す。 風が肺に中ると大抵は「ぜりつく」のです。
で、「嗽ス」と書いた本も多くあります。
咳嗽で、咳とは、声あって(咳きも出て)物(痰)もある症状で、水気を含む事から腎にかかわるといわ れています。。
「嗽ス」は、声あって物なしという症状で、痰が出てこない、気だけ泄るので肺の物だと言われます。
「喘」という言葉は二通りに使われている。
1:咳嗽(がいそう)通じて「喘」と呼ぶ場合。
2:ただ単に「ぜりつく」つまり、喘息の発作時にみられる、ぜえぜえといった呼吸を言っている場合がます。
また、「ぜりつく」という症状は吸う息にも吐く息にもあらわれますので、これは陰陽共に虚という事を意味しています。

○ 腎の解説

〔原文〕中於腎者、人迎與左尺中脉、浮而滑、面耳黒色、腰脊痛引小腹隠曲不利。
解説:
腎に中るものは、人迎と左手の尺中(腎)脉が、浮にして滑脉。
面耳黒色とは、顔と耳が黒くなる。 腰脊痛み小腹にも来る。
隠曲とは、前陰道、即ち小便の出る穴です。
不利とは、小便がでなくなる。小便が少なくなるという事です。

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一、風論    c211-22

○ 五臓と一腑に中った時の病状と脉証 。

P23下段2行目~P28下段14行目より。

井上恵理 先生の解説:

○ 胃の解説

〔原文〕中於胃者、両関脉並浮而大、額上多汗、隔塞不通、食寒冷則泄。

解説:
胃が風に中ったものは、両方(脾と胃)の関の脉が並んで浮にして大の脉になる。
額上多汗とは、額(ひたい)にたくさん汗が出る事。
参考までに、隔噎(かくいつ)の病というものが、この「大成論」にも「鍼灸重宝記」なんかにも出てきますが、
隔の病とは、食道の下の方の病、胃から見れば胃の上部、噴門部あたりの病です。 噎の病とは、食道の上の方の病で食道の侠窄部とか食道潰瘍とかの病を意味します。
隔塞不通とは、隔即ち食道の下の方が、塞がって通じない事です。
が、実際に塞がって通じない事ではなく、自覚的に詰まったような感じがする事です。
食寒冷則泄とは、冷たいものを食べたり飲んだりすると下痢をするという事です。

ここまでが、風邪が五臓と一腑に中った時の病状と脉証であります。
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○ 肺の解説より関連講義-呼吸の陰陽・呼吸の虚実

呼吸の陰陽について。
〔原文〕中於肺者、人迎與右寸口脉、浮?而短、面浮色白口燥多喘。
「喘」という「ぜりつく」つまり、喘息の発作時にみられる、ぜえぜえといった呼吸を言っている場合が す。
また、「ぜりつく」という症状は吸う息にも吐く息にもあらわれますので、これは陰陽共に虚という事を意味しています。
これに対して、咳というのは呼吸の呼気、吐く息のときだけの症状で、吸う咳はありません。このよう に、呼吸というものは、陰気不足とか陽氣不足とかも表しています。
― 欠伸(あくび)は陰気不足による異常呼吸〔異常吸気〕です。
― クシャミや〔ため息〕・嗽は陽氣不足〔異常呼気、吐く息〕です。
〔患者を診断している時、脉を候ながら呼吸も候って、その人の陰陽の状態を診るのです。〕
呼吸の虚実について。
呼吸に関してもう一つ大切な事は、
― 息を吸った時に身体は実してきます。―
― 息を吐くいた時に身体は虚してきます。―
だから、
吐く息だけが多くなるという事は「虚」が成り立つ訳です。

経絡治療の根本原則。のまとめ、

【「内因なければ外邪入らず」の経絡治療で根本原則。】

【脉証と証決定、そして、本治法と標治法の経絡治療の根本原則。。】

【呼吸の陰陽・虚実の調和、バランスを取る事が大切です。。
陰陽孤立せずという事です。陰陽虚実の調整をするのが即ち経絡治療です。】
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一、風論    c211-23

○ 二証を重ねる場合。 P29上段10行目~P29下段3行目まで。。

このコーナーのポイントは、
風証に寒証が重なって病状が出た時の脉状の特徴と治療法について講義されています。
①「風寒」の脉状は、浮遅脉になります。
②「風湿」の脉状は、浮ショクを帯びます。
③「風寒湿」証の三つ巴の症状もある。の脉状は「浮遅?」かな?
④ 治療法は、どちらの邪が患者の体に強い影響を与えているか比較し、
強い方を治療をする。
※ 詳しくは本文:
「南北経驗醫方大成による病証論 井上恵理 先生 講義録」をお読みください。

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「大成論」:原文 16行目下辺りから。。

凡此風證、或挟寒則脉帯浮遅。 挟湿則脉帯浮?、二證倶有、則従偏勝者治之。
用薬更宜詳審。

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井上恵理 先生の訳:

凡(およ)そ此の風証、或いは寒を挟む(兼ねる)ときは脉、浮遅を帯ぶ、湿を挟むときは脉、浮?を帯 ぶ、二証倶にある時には偏勝の者に従って之を治すべし。
薬を用いること更に宜しく詳審すべし。

井上恵理 先生の解説:   注:〔 〕内は山口一誠の考えです。

風証に寒証を兼ねるとき、「風寒」といって〔「風の邪」と「寒の邪」の二たつが〕入った場合には、脉 が、浮いて遅脉になります。
〔その特徴は〕(「風の邪」が入ったとき)よりも遅くなるから分かります。
それから、〔風証に〕湿証を兼ねるときには、「風湿」といいます。このときは脉は、浮?を帯びます。
更に、〔風証に〕寒証・湿証の三つ巴で入り込んだときも、
偏勝の者に従って之を治すべし。の治法で、どちらの邪が患者の体に強い影響を与えているか比較し、例 えば、風の方が強ければ風邪の治療をするし、寒が強ければ寒の治療をする。湿が強ければ湿の治療をす る。。。という事です。

〔用薬更宜詳審。とは、漢方薬を処方する時は尚更これを詳細に検討する事の意味です。〕
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一、風論    c211-24

○ 七情の乱れによるもの。 P29下段5行目~P30上段11行目まで。。

このコーナーのポイントは、
経絡治療の原則から、「内因無ければ外邪入らず」に従い、
風邪の症状が出ていても、最初に内因の「気」を調えて、その後に風の邪を治す方法を取る。ことが講義
されています。

※ 詳しくは本文:
「南北経驗醫方大成による病証論 井上恵理 先生 講義録」をお読みください。

〔原文〕
若因七情六淫而得者、當先氣調而後治風邪。
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井上恵理 先生の訳:

若し七情六淫によって得る者は先んず気を調えて、而して後に風を治すべし。

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井上恵理 先生の解説:   注:〔 〕内は山口一誠の考えです。

〔経絡治療の臨床的立場から解説すれば〕、― 七情という内因があって、そしてそこに外邪である「風 」が入ったときには、最初に「気」を調えて、その後に風の邪を治す方法を取るべきであるという事を言
っています。 邪だけを、すぐに瀉法を用いるという様な過ちを犯すなと、そういった誤ちをすると患者 の気を破ってしまう事になるのだと、こう言っています。これは大綱的に考えられる事で、我々のやって
いる経絡治療なんかでいわゆる「内因が無ければ外邪はは入らない」という一つの法則を立てております
ので、この「七情の乱れ」という物があるが故に外邪に侵入だという考え方から実際の治療の場において も「本治法」、「即ち七情を治す法」を行って、後に色々な風邪の治療〔標治法〕を行うべきであるとい う事になります。

寒・湿でも同様です。
外邪を駆逐する事については、一応瀉法にてその目的を達する事が原則です。
しかし、内に「七情の乱れ」があって外邪が入った場合は、先ず補って後に瀉すという方法を採る訳です

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一、風論    c211-25

○ 補瀉論 。 P30上段13行目~P30下段8行目まで。。

このコーナーでは、
風邪の治療を施す上で臨床経験上、四つの事がある。と講義されています。

①精神的な疲れは、陰を「補法」のみでカゼが自然治癒する事がある。
②働き過ぎて疲れてカゼを引いた場合は「瀉法」だけで改善する場合がある。
③上記①②の治療原則は本治法(補法)を行って後、
瀉法を用いると言う事を原則として考える。
④急性症状の場合は、瀉法を先にやる場合がある。・・等を講義されています。

井上恵理 先生の解説:

ところが、実際に風邪の治療をやっていますと、これを瀉法をしなくてはならないと思えるような症状 であっても、陰を補っていると、
つまり内〔因の〕七情が傷(やぶ)られていると言う考え方で五臓の脉を整える方法をとると、特別カゼ に対する処置をしなくても案外カゼが自然治癒する事が多いのであります。ことに心因労傷つまり精神的 な疲れがあって、そしてカゼを引いた場合には尚更こうゆう方法をとらなければならない様です。
あるいは労倦つまり働き疲れてカゼを引いた場合は、案外瀉法だけで宜しい。
― この瀉法だけでいい場合と、補法を用いなければならない場合と、どうゆう風に区別するかと言いま すと、先ず基本的には本治法(補法)を行って後、瀉法を用いると言う事を原則として考える訳です。
しかし何が何でもではなくて、あまりにも熱が高く悪寒なんかが甚(はなはな)だしくて、頭痛とか身体が痛いという症状が強く現れて いる場合は、とりあえず瀉法を先に行って患者の苦痛を早く取り除いてやる事が必要です。
〔その後、本 治法を施します。〕―

○ 病状の軽重と病の軽重 。 P30下段10行目~P31上段4行目まで。。

このコーナーのポイントは、「病気の症状が激しい」から「病(やまい)が重い」と安易に考えてはなら ない事。また、体力の無い虚体の人「病が重いくても」微熱しか出ない。病人の体力、体質〔闘病力:病 気と戦う力〕を加味して「病の軽重」判断する事。等を講義されています。

―生体という物は一つの刺激に対する反応作用を物っている、― 症状が強いということが、〔すなわち 〕病気が重いという訳ではない。
―これは誤解しやすい。―症状が強いと、病気が重いと考えがちになる。ところが実際には症状が強く現 れるという事は、むしろ生体にまだそれだけの力〔闘病力:病気と戦う力〕があるという事なんです。
症状が軽いと、とかく「病気が軽い」と診誤る事があるんです。カゼを引いたんだが熱も出ないものは、
その人の身体が弱っている、つまり虚しているという事です。
例えば常に大丈夫だという人がカゼを引いた時ほど熱が出るはずです。
反対に結核なんかのの場合は身体が弱ってから熱が出るので微熱しか出ないんです。〔今なら、低体温体 質で産熱力の無い人〕
そういう意味で症状の軽重によって病状が軽いか重いか〔安易に〕判断なさらない方が宜しいです。

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一、風論    c211-26

大成論:原文
所中在経絡、脉微細者生。
干臓腑・口開手撒・眼合遺尿・髪直吐沫・揺頭直視・聲如鼾睡者難治
又有中之軽者。在皮膚之間、言語微蹇眉角牽引、遍身瘡癬状如蟲行、
目旋耳鳴、
又當随随治之。

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井上恵理 先生の訳:

中る所経絡にあって脉微細なる者は生く。
臓腑に入って口開き手散(ひろが)り眼合(めがっ)し、遺尿し、髪直(た)ち沫(あわ)を吐き頭を揺 すり直視して声は鼾睡(かんすい:イビキ)の如き者は治し難し。
又、中ること軽き者有り。
皮膚の間に在りて言語微蹇(びけん)し眉角牽引し、遍身に瘡癬ありて状蟲(かたち)の行(は)うが如 く、目旋耳鳴らば、
又証に随って之を治すべし。

井上恵理 先生の解説:

○ 「感冒」「傷風」「中風」― ○「傷」

中(あた)る所、経絡にありて脉微細なる者は生く。
即ち風邪でも「感冒」は皮膚に、「傷風」は経絡に、「中風」は臓腑にとあるわけですが、この傷風の場 合には、脉微細なる者は生きるというんです。
その反対に脉洪大の者は死ぬんです。

○「中」
風邪が臓腑に入った時、すなわち、「中風」のことです。
その症状は、口が開いて、手も開いてしまい、眼は塞いだままで、〔小便が〕垂れ流しになってしまう。
髪直〔逆立ち〕〔口から〕沫(あわ)を吐き頭を揺すり直視してその声は鼾睡(かんすい:イビキ)のよ
うに聞こえる。こうゆう状態の者は治りにくい。
又、中ること軽き者有り。皮膚の間に在りて言語微蹇(びけん)し眉角牽引す。
言語微蹇(びけん)というのは声が途切れ途切れになると言う事です。
少し喋っては吃(ども)り、少し喋っては吃り、という状態です。そして眥(まなじり)が引きつりとい う状態です。
「遍身に瘡癬ありて状蟲(かたち)の行(は)うが如く、目旋耳鳴らば、又當証に随って之を治すべし。 」とは、
身体に床ずれのようなものが出来て、そしてそれが虫が這うような感じがする。
それから目が回る、耳鳴がする・・・といった症状を起こす場合には、當(まさ)に証に随ってこれを治 すべしといっている訳です。
こうゆう雑多な症状は一つ一つこれは腎だとか肝だとかいう様な区別がつかないから、即ちその時の証 に随って治療しなくてはいけないと、こうゆう事を言っている訳です。
以上で「南北経驗醫方大成」における「風論」を終わります。

〈参考文献〉
この「風論」をの講義をするに当たって大体次のような古典を参考にしました。
黄帝内経素問の第四十二「風論」、第十九「玉機真蔵論」「諸病原侯論」:病症論の原典。「景岳全書」:「類経」を著した張介賓の著作。「医学正伝」「万病回春」「啓廸集」:曲直瀬道三の著作。「医心方 」:丹波康頼の著作。「病因指南」:岡本一抱の著作。古今医統」「東医宝鑑」
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2012.年 4月 吉日・・ 記載HPアップしました。
※ 詳しくは本文:「南北経驗醫方大成による病証論 井上恵理 先生 講義録」

発行:東洋はり医学会、をお読みください。

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